早朝、波彦たちはキャスター陣営の洋館を訪ねていた。
車椅子の少女、飯塚神無から渡されていた連絡先にメッセージを入れると、「少し待ってて」とすぐに返事が返ってきて驚く。
「二回目だけど、慣れないな」
住宅地の何でもない一角に立っていたはずの波彦の前に、突如として立派な洋館が存在している。
静かに綺麗な装飾の玄関扉が開かれる。
そこから、覗くように顔を出したのは、館の主人。
すなわち、無口無表情で小さなメイド姿。
「……いらっしゃいませ?」
「こんな早い時間にすみません」
「気にしてませんから」
目が合ったのか合ってないのか分からない気まずい空気の中、メイドは淡々と門の錠を解き、波彦たちが通れるほどに解放すると、じっと待ち続ける。
言葉足らずな弥生の顔を伺いつつ、門をくぐる。
昨日と同じく、潜り抜け終わると、すぐに閉じられる。
招かれたリビングでは、朝食の準備ができていた。
四人分あって、すでに二つの席が埋まっていた。
「いらっしゃい。さぁさぁ座って」
「まるで自宅だ」
「お父さんとお母さんには、しばらくここに厄介になること話してるから問題ないわよ」
「だからって、この家が君のものになったわけじゃないだろ?」
「それはそうでしょ」
ダメだ皮肉が通じない。
波彦はあきらめて、もう一方の席。キャスターを見る。
少し緊張する。
変な臭いしてないよなと、自分自身を今一度確認する。
セイバーの優しい視線が背中を後押ししてくれているのを感じる。
「今日は、昨日の返答をしたくて来たんだ」
「そうか。では座りたまえ」
「いや、でも大事な話だと思うし……」
「深刻な話なら、食卓の和らいだ空気で中和されるくらいがいいだろう。そうでないなら、朝食の中でした方が弾む。すなわち、朝食を一緒にするのが、話を聞く条件というわけだ」
波彦はセイバーと顔を見合わせてから、二人してゆっくりと席に着く。
「では、遠慮なく」
「お邪魔します」
よそ者感は未だに抜けないけれど。
いや、たかが二、三日(だと思う)で、すっかり家の人気取りな神無の方がおかしいだけだ。
家の人と言えば、食卓に入らずに、給仕として側に立っている弥生もおかしいのだけれど。
彼女の分の朝食は、ダイニングのカウンターテーブルに取り残されている。……と、もう一つ。二つある?
「あそこのプレートは、前園さんのと……」
「あら、同盟の話じゃなかったのかしら? このお屋敷には、今もう一人居候さんがいるのよ」
居候が、居候の話を嬉々として語る。
「昨日、アサシンとランサーの話はしたわよね?」
「うん、聞いたよ」
「そこで、あたしたちが助けた少年がいたんだけど。案の定、家を失って路頭に迷ってたんで、だったらと思って匿ってるのよ」
それでもって、今はメンタル的に不安定だから、この屋敷の部屋の一つに閉じこもっている状態。
ということを、余計な話を幾つか付け足されながら聞かされる。
「それでは、届けてきます」
ちょうど話があったのをいい機会だと思ったらしく、弥生がプレートの一つを持って、客室のある方へと向かって消える。
それとなく、視線をやって見送っていたところに、今度はキャスターの方から話がふられる。
「それで、君たちが今日来たのは、この話を聞きたいがためではないのだろう?」
先に朝食を食べ始めていた彼は、あらかた食べ終わっていて、今はジャムと一緒に紅茶を味わっていた。
黄色い見慣れないジャムだったので、興味本位にトーストの端っこに乗せて口に入れてみたところ、レモンのジャムだったらしい。爽やかな酸味と甘みが口の中に広がる。
「もちろん、昨日出てた同盟の話なんだけど、受けさせて貰おうと思っています」
「一体、どういう心境の変化があったのか分からないが、こちらとしては円滑に話が進むのは、ありがたい話だ」
「別に心境の変化なんてなくて、ただ受けて損はないと一夜分だけ考えて答えを出しただけです」
見透かされているような目の追求を避けるように、波彦は事前に準備してきた回答を口にする。
誤魔化すように黄色い塊をスプーンで多めにすくって、トーストに塗りたくって、口に入れる。
「そのジャム気に入ってくれたのかな?」
「えっ? あ、はい」
「そうか」
思案顔のキャスターから追求が来ることを恐れて、自分の口にものを含んで喋れないようにする。
「それで、セイバー。君は?」
「マスター殿の意思が、拙者の意思。拙者も、この同盟はこちらの利になるところが大きいと考えています」
「では、同盟成立ということと思って構わないかね? 弥生くんも?」
ちょうど朝食の配達から戻ってきた弥生。
キャスターは自分のマスターに確認を取ろうとする。
いや、そもそも彼女抜きで話が進もうとしていたことがおかしいのだけれど。
「ご主人様の、お心のままに」
「ありがとう」
弥生はやはり、一歩退いたところから意見を述べる。
その姿に対してのキャスターの微笑みから、少しだけ寂しそうな感じを受けた。勘違いなのかもしれないが。
「それでは、今から詳しい話をしようか」
「はい」
と、真剣な雰囲気になっているところ、空気を読まない声が一つ。
「ねえ、ちょっとテレビを付けてもいいかしら?」
朝食を終え、話にも加われずに手持無沙汰になっていたのだろうか。神無が返答を聞く前にリモコンを操作する。
彼女が洗濯したのは、ローカル系のニュース番組だった。
『また野犬被害か!? 新たに三人の身元不明遺体』
ここ数日、藤之枝で起きている野犬被害のニュース。内容としては、今朝市内で三人分の遺体が新たに発見された。これまでの被害と同様に、獣の牙のようなもので食い荒らされた傷が遺体に残っているという話。
そういえば、昨日も獣の遠吠えが聞こえていたなと思い出す。
「まさしく、今しようとしていた話だ。神無くん、ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
鼻高々な神無に、少し納得のいかない波彦。
「サーヴァントによる被害だということでしょうか?」
「そうだ。ワシらは、バーサーカーによる被害だと踏んでいる」
「なるほど。力を蓄えられる前に叩こうと、そういう話ですね?」
「ああ」
サ-ヴァント二人の間で勝手に話が進んでいく。
「話が見えないんだけど」
「マスター殿、これは失礼」
「解説させてもらうとしよう」
キャスターの元に注目が集まる。
「まず、我々サーヴァントが過去の英雄・偉人が信仰により精霊とまでなった存在というのは知っているな?」
サーヴァント以外の三人が、静かに頷く。
「精霊であるサーヴァントの力の源は、マスターから供給される魔力。ゆえに、魔力の強いマスターに召喚されるほどに強い力を発揮することができる。では、マスター一人の魔力では不十分だとしたときに取る行動とは?」
「魔力供給を行うマスターを二人にする?」
「まあ、そういうことだ。他人から魔力を徴収する。そうすることで、一人のマスターでは発揮できない力を手にすることができる。そして、最も効率的な魔力の徴収方法が『魂喰い』だ」
言葉の並びだけで、それが許されてはいけない行いだと想像できる。
改めてニュースを見る。
そこには、遺体の状況は映されていないし、襲われた瞬間のことなんて、当然リプレイされるわけもない。
主体性はない事務報告のようなニュース。
けれど、死の恐怖を味わい、実際に被害にあった人がいる。その事実に心が痛んだ。
と同時に、手が震える。波彦は見つからないように、テーブルの下に隠した。
「魂とは生命を形作る重要な要素であり、取られれば当然死ぬ。しかし、その生命力こそ、サーヴァントにとって良質な餌となる。だからこそ、力を蓄えるために無関係の一般人を殺し、魂を喰らう。これが『魂喰い』」
「到底許される行為ではない」
「当然だ。現在、『魂喰い』を行っていると推測されるのは、アサシンとバーサーカーの二騎。この二騎は、力を蓄えられる前に、そして何より無辜の人々が被害にあわないように、早急に叩く必要がある」
「その二騎で、バーサーカーを選んだのは?」
「アサシンは相当に気を付けて狩りを行っているらしく尻尾を見せない。それに対して、バーサーカーはこのようなニュースになるように、かなり派手に行っている。だから、被害が大きくなる可能性が高いし、何より発見しやすい」
その後、行動指針や連絡方法などを話し合い、バーサーカーが行動に出ている夜まで休憩ということになった。
波彦には、余っている客室があてがわれた。日中、休憩の名目で、波彦はベッドの中に閉じこもっていた。まさか、学校に行く気は起きなかった。体調が悪くて、しばらく休むことになりそうだと連絡を入れていた。
そして、夜のとばりが下りる。
波彦は、急に腹の調子を悪くした。
「ごめん。ちょっと動けそうにない」
心配して身に来た神無に告げる。
「そう。ゆっくり休んで、しっかり治してね」
ありがたいことに、それ以上の追求はなかった。
「セイバーのことは好きに使ってくれて構わない。でいいよな、セイバー?」
「ええ、それがマスター殿の意思ならば。ということです、神無殿」
「ありがとう、心強いわ」
セイバーに押されながら、神無が部屋から出ていく。
その際に消灯され、波彦は暗闇の中に落ちる。
オーーーーーーーーーン。
と、獣の遠吠えが夜道に響く。
もう多くの被害者が出ている。しかも、『野犬の仕業』という実態を伴った恐怖として。
そんな中、迂闊にも人通りのない夜道を行くという愚か者は流石にいなかった。いつもなら数人とすれ違ってそうな距離を歩いても、未だに屋外に人の気配すら感じられない。
街灯はついていて、立ち並ぶ邸宅の内から漏れる光もある。
それなのに、世界から人が消えたような錯覚を覚える。
神無は、セイバーに車椅子を押されて、獣が吠える方向を目指していた。
波彦が脱落したことにより、神無とセイバーがバーサーカー撃退班、キャスターと弥生が待機してバックアップ班という形になったのだ。
神無の千里眼では、音を追うことが少しだけ難しい。各視界が、自分を中心として、どの方角にどのくらいの距離があるのかは把握することができる。
しかし、各地点での音を拾うことはできないので、結局本体の耳で聞こえる遠吠えを頼りに探すしかなかった。
加えて、住宅地で明かりがついているとはいっても夜である。
薄暗くて、昼間のように遠くまでは見通せない。
そのために、神無は今、自分からそう遠くない地点に、数個の視界を飛ばしてパトロールをさせていた。
そのような状態であっても、一方が獲物を探す捕食者で、もう一方がその捕食者を狩ろうとするもの。
すなわち、両者とも探す者同士。
であったのならば、さほどの苦労もなく、導かれるように巡り合うこととなる。
「セイバー、次の角を曲がったところに」
「はい。ここからでも、ひしひしと圧を感じています」
神無は、もうひとつの視界で、それを注意深く観察する。
それは、銀であった。夜の闇の中にありながらも、まるで内部から発光しているような、不気味な神秘性をたたえる白銀。
住宅地という日常の中にありながらも、まるでそこだけが神話の世界に堕ちたような、異様な浮世感があった。
そんな神秘性を感じさせる白銀が、大きな狼の形をかたどっていた。
しかも、現実に存在する狼のような四足歩行ではなく、今にも前足が地面に届きそうなほどの猫背ではあったが、後ろの二つの足だけで地面に立っている。
見るからに、不吉な存在。
それが、この聖杯戦争に参加したバーサーカーであった。
「もうちょっと、羽織ってきた方が良かったかも」
急に、夜の風が冷たく感じられた。
残暑だからといって、昼と変わらない服で出たことを少し後悔する。
「神無殿のおかげで、姿が一方的に視認できるのが、こちらの利でしょう」
「ええ」
「だから、曲がり角での出会い頭でこちらから仕掛けます」
「分かったわ。じゃあ、タイミングを指示するわね」
「お願いします」
神無は再び、見ているだけで精神を削られそうな獣の姿を注視する。
歩いている。進んでいる。
ただそれだけなのに、周囲を不幸に落としそうな凶兆の存在。
その瞳は、見据えられただけで、あらゆる生物が竦み上がりそうな原始的な恐怖を内包している気がする。
一歩一歩と近づくたび、神無は自身の鼓動の音が強まっていくのを感じた。
「セイバー、今!」
「かしこまっ……いや、神無殿、危ないっ!」
セイバーが、刀を抜き放ち、空を斬りつける。
いや、それは本当に空であったのか?
セイバーに助けられていなければ、死んでいた。
神無には、そういう直感が働いていた。
「セイバー、ありがとう」
「神無殿。どうも敵は視えない攻撃を使うようです。気を付けて」
「分かった」
ではなぜ、セイバーはそれを知ったのか。
そして、切り払うことができたのか。
とは聞かない。
例え視えなかったとしても、バーサーカーが視えない攻撃をするということは、すぐに結果となって表れたから。
ゥオォオオオオオオン。
セイバーという敵を視認したバーサーカーが、ひときわ強く吠える。
それに呼応したように、曲がり角に備え付けられていたミラーがくしゃくしゃとひしゃげる。
鏡面が丸められる。耐え切れなくなって、パキパキと亀裂が全体に広がる。破片が道に放り捨てられる。
まるで、自分から壊れたようだ。と、神無は思った。
なんて、感想を抱いている場合ではなく、白銀の巨躯が次に狙いを定めたのは、神無であった。その鋭い眼光に射すくめられる。
マズい。
そう思った瞬間には、神無の身体は宙にあった。
バーサーカーの不可視の攻撃をくらったのではない。
セイバーに車椅子ごと抱えられていた。
それまで神無のいた場所の近くにあったガードレールが、強迫観念を抱いたようにネジを噴出し、カタリと板部分を地面に落としているのが見えた。
「神無殿、少し離れていてください」
といって、セイバーは神無を、通り一つ分ほど離れた場所に置いて、再びバーサーカーの元へと向かう。
そう、あの場所にいては、神無はセイバーの邪魔になるだけであった。
「申し訳ないが、あなたの相手は拙者が受けよう。彼女には、指一本触れさせない」
セイバーが、言葉が通じるか怪しい凶獣に対して、言い放つ。
それと同時に、両者の戦いが本格的に始まった。
そして、すぐに膠着状態に陥った。
両者ともに決定打を相手に与えられないのだ。
セイバーは、バーサーカーの不可視の攻撃を視えているように――いや、事実視えているのだろう――こともなげに避け切り払う。
同時に繰り出される白銀の獣が振り回す、鋭い爪による攻撃も見事にさばく。
紙一重であるはずなのに、当たるイメージが沸かない。
そうやって攻撃を躱していく中で、隙をついてセイバーは幾つかの斬撃を浴びせる。しかし、白銀の体毛がよほど硬質なのか、傷一つ負わせられている様子はない。
こうなると、苦しくなるのはセイバーの方だ。
なにせ、セイバーは当たらないとはいえ、当たると致命傷になる攻撃を避け続けている。
それに対して、バーサーカーは攻撃を受けているが無傷。なんなら、今動きを止めてセイバーの攻撃を一方的にくらい続けたとしても、先に限界が来るのはセイバーの方かもしれない。
つまり、不運にも一撃くらえば終わりの綱渡りをしているのに、それのゴールはなく目の前には永遠に、地平線のかなたに続く綱があるような状態。
「っていう状況。正直、いつまで持つかも見当つかない」
神無はセイバーを助けるヒントを得るため、そして情報共有のためにキャスターの元に通話を繋いで状況を話した。
『基本に立ち返り、相手の正体を知ることが打開につながるだろうな』
「うん、そうだよね」
『真名が分かれば、そのまま弱点が分かるかもしれない』
「狼の英霊……」
フェンリル。ヘズの影響で北欧神話を調べていたこともあって、神無の頭に真っ先に思いついたのは、その神霊だった。
災いをもたらす獣。最高神オーディンを捕食したという伝説がある。
彼を捕らえたのは、グレイプニールという魔法の紐。試してみる価値はあるが、確か幾つかの材料を用いる必要があり、今すぐに用意できるものではない。
後、神無にわかる範囲で思いつくのは、北欧神話に登場する幾つかの狼の伝承。それに、穀物を守る精霊が狼として描かれた伝承なんかもあった。
いや、二足歩行なのだとしたら、最も考えられるのは人狼なのだろうが、有名な人狼などと言われても、ぱっとは思いつかない。
「セイバー――」
と、声をかけようとしたその時だった。
大気を震わす轟音が、夜の静まっていた町を駆け抜けた。
音のする方を見やると、すぐに原因が分かった。
平地である藤之枝の中心部にそびえたち、ひときわ目立つ高層ビル。
丘の上の住宅街からもはっきりと確認できるそれが、ゆっくりと自壊している。
一瞬、目の前の白銀の獣の仕業かと思ったが、今いる場所から遥か彼方の駅前に、セイバーと戦いながら大規模な災害を発生させる余裕がある風には思えない。
「あたしが見てくる」
視線を向けてきたセイバーに答える神無。
すぐさまに、視界の一つを事故の中心に向かわせる。
バーサーカーを探していた時のように迷うことはなく、目立ちすぎるがために一直線に向かうことができた。
神無は、この事故について、別のサーヴァントがもう一騎現れたのかと予測を立てていた。嬉々として、ビルの破壊を楽しむ邪悪な笑みが簡単に想像できた。
しかし、現場にあったのは予想に全く反したものだった。
逃げ惑う民衆。
何かを恐れ、怯えきっているような様子。
自分に何かの手が及ばないようにと、必死に逃げまどう。
その災禍の中心にあったのは、一人の小太りの少年。
薄汚れた黒い喪服を着ている。
神無より少しだけ年下のように見える。
真っ青に青ざめた顔で、助けを乞うように、這って歩く少年。
それを恐怖の対象と認識して、恐怖して誰もが逃げ惑う。
そんな奇妙な光景が、そこには広がっていた。