「S市猟奇殺人事件の被害者は3名。遺体はひどく損壊されて一部持ち去られていた。」
調査報告書に書かれた欠損部位は
父親、心臓、脾臓、肋骨、結腸、左腕その他諸々
母親、左肺、視神経、子宮、耳朶その他諸々
長男、肝臓の一部、体幹の血管すべて、首周りの筋肉一通りその他諸々
ジャム瓶の蓋をこ削ぐように、犯人は被害者の遺体を丹念に解体した。
「どーですか、漫画の材料になりませんかねえ」
塞がったピアス穴をかきながら、いかにも都会で遊んでましたといいたげな新しい編集者は言う。
「こんな猟奇的な出来事に、君はこれっぽっちも心動かされないのかい?」
「はあ…?まあ、昔の事件ですし」
岸辺露伴はこともなげに言う編集にため息をついた。
たしかに僕の漫画はダークファンタジーと評価され、漫画の中では時にグロテスクな事件が起きる。
それもなかなか規制の厳しい海外へ出版されない程度には。だ。
そんな少年誌の漫画家に、まるでホラー雑誌に載ってそうな事件の切り抜きを持ってくるとは。
しかもこの事件は五年も前のものだ。
この、今までろくに本も漫画も読まなかったふうな学生感が抜けない、更に言えば本当はファッション誌志望だったような編集者が選んでくるような記事には思えなかった。
「君、この切り抜き誰かから貰ったろう」
「あー、わかります?さっすが露伴先生ですね。次は探偵モノ、書きませんか?」
「まだ僕の作品は完成してないのになんてこと言うんだ。…じゃなくて誰からもらったんだ」
「文芸の友達っすよ…ええと、ほら…あの、最近賞をとった作家の担当で」
「ああ」
またあの女の差し金だな、と僕はげんなりした気持ちになった。
昔からの知り合いの作家に、悪趣味な女がいるのだ。そしてその女は必ず厄介事を僕に遠回しに回してくる。
ある山にいる妖怪やら、金持ちしか住めない村だとかそういうオカルトめいた話からさる殺人鬼の手紙とかペドフィリアの強姦魔自作の小説だとか、そういう曰く付きを集める変人が…。
そいつはとなり町のはずれの禿山に住んでいる。
この前呼び出されたときは(罠に嵌められて向かわされた、とも言える)不法投棄された家電やら産廃の山の上に聳え立つ廃屋のようになっていた。
「投資には、」
と、廃棄物の女王は優雅に言った。
「投資には、負けの時期も必要でしょう」
「食人鬼手製の家具に、大枚叩くのが投資?」
「自分への投資ですわ」
もっともらしく言う。
僕は、詭弁ばっかり言うこの女が出会ったときから大嫌いだった。
その女の名はやすみようこ。本名を帚木よう子という。
帚木の家は以前よりはきれいになっていたが、相変わらず不法投棄対策を怠っているらしい。よくわからない、チェーン店のマスコットキャラクターのPOPやら置物が大量に棄ててある。
帚木邸に入るためにはルールがある。
その一、一度も振り返らないこと。
その二、必ず記名すること。
その三、ものを食べないこと。
この条件を満たさないと屋敷には本来入れない。
しかし、僕は可能だ。そういうルールを書き入れたから。
チャイムを押すと、家政婦が出てくる。珍しく長く続いてるらしい家政婦。前回訪ねたときと同じ、陰気そうな顔と無個性なひっつめ髪。
「岸部先生が来られるなんて何ヶ月ぶりかしら、あの山道をわざわざご苦労さま。なにかお飲みします?」
「いや、結構」
この家で何か口にしたら最後、この女に全てを視られる。
僕には危害を加えられない、そういうルールだがプライベートを覗くだけというのはルールを敷いた彼女の中では危害を加える、に該当しないらしい。
そこだけが難点。
ルールの抜け穴はそれを解釈する人間の脳にある。
だがこの世にはそのルールを具現化して強制する。そういう能力があるのだ。人智を超えた力が。
「面白いものが手に入りましたのよ」
僕は肩をすくめる。
「あんたみたいな猟奇趣味はないよ。いい加減、僕以外に友達を作ってくれないか。哀れんで毎回無視せず来てるけれど、正直限界を感じてる」
「あら、嘘つきね。興味があるから来るくせに」
彼女の千里眼のような能力を僕らはスタンドと呼んでいる。
僕が彼女の秘密を知ってるのは、僕にも同じ力があるからだ。
昔起きたスタンド絡みの事件で彼女は失明してしまった。僕はその事件の初期から中途半端に関わってたせいもあり切るにも切れない薄い関係ができてしまったのだ。
事故を防げなかった。その負い目だけで今まで根気よく事件に付き合ってきたがもうそろそろ勘弁願いたい。
「5年前に起きた猟奇殺人事件の被疑者の日記よ。ね、面白そうでしょう」
「……」
興味がないとは言えなかった。
「読めなくてもわかるわ、この日記に込められたものが。そういうモノなのよこれは」
「…それで、僕にそれを読んでくれと?そういう趣旨でわざわざ編集者に切り抜きをもたせたんだな」
「そうよ」
「お断りだね」
「あらあら岸部先生、そう突っぱねちゃあ女はへそを曲げるわよ。ホントは読みたくてウズウズしてるはずでしょう。だってこの事件はあまりにも」
「あまりにも不愉快だ」
「あまりにも不思議なのよ。不思議で不自然。被疑者は未成年で、海外へ逃亡後失踪。ここまで露骨な高飛びにもかかわらず警察は証拠不十分で不起訴処分。たった一人の被疑者がよ?ねえおかしいでしょうおかしいわよね」
「ああ、煩いな。おかしいよ。おかしいし、不自然だ」
「気になるわよね、これ読んだらきっとわかるわよ」
「……」
「喉が渇くまででいいわ、お腹が減るまででいいわ。読んでみてよ岸部露伴先生」
にやにやと、帚木よう子の包帯で覆われた瞳が笑ってる。
好奇心がねっとりと不快な湿度を持って、露伴の皮膚にしみ込んでいく。
この女は、大変不快だ。
人の好奇心はそれを向けられた対象にとってはもっと不快だ。そして僕は残念ながらこの女同様好奇心が人一倍旺盛だった。
「わかった、僕が飽きるまでだ」
僕は、バサバサに変色した日記帳に綴られた釘のような文字を読み上げた。
その一文はこう始まっていた。
「『まるで、塩の平原を往くように曇天の空に一筋の白い煙が溶けてゆく。』」
………
まるで、塩の平原を往くように曇天の空に一筋の白い煙が溶けてゆく。
葬列に並ぶものは皆口をつぐみ、じっと待った。
骨を拾うのは私とほんの少しの血縁者だけ。
うちは死人が多い家系だからね…
と、祖母はよく言っていた。
やたら人が死ぬんだよ。なんでだろうね。祖母の血縁はもう私だけだ。母はもう二度と戻ってこない。父親も、弟も。
私の家族は私が寝てる間にバラバラにされて殺された。
食卓に並んだ家族の猟奇殺人フルコース。
私の地獄はそこで終わった。
私は幼い頃よりいわゆる霊感があった。
何となく、人の傍らに佇む何かを感じたり場所に嫌な予感がしたりした。転勤族の父にいろんなところへ連れ回されたが、転居を繰り返すうちにその霊感は次第に強くなっていくようだった。
気配はやがて、姿形へ。ずっしりとした気配は濃度をましてグロテスクな容貌を持ち始める。
それが見え始めたのは、ある女性を見かけてからだった。
恒例の引っ越しのあいさつ回りへ連れ出された。お隣の大きな屋敷に住んでいるのは外国人の奥さんで、私達の持ってきた地方のお土産に大変よろこんでくれた。高校生になる息子がいるらしいが、不良気味らしく苦労しているのだと語った。
楽しそうに話す母とその女性の間で、私はひたすら女性を見ないように神経を削っていた。
視える。
女性の背中にベッタリと纏わりつく肉片が。植物のように背中に根を貼る肉の塊が。
挽肉を捏ねあわせたような音を立てて女性から異形が生えていた。
その日以来、その異形は私の意識に常に巣食うようになった。
みちみち、びちびちとおとをたてて視界がゆっくり奴らに侵食されていく。
生臭い匂いが口いっぱいに広がり、胃液を吐く。ツンとした匂いにまた血の匂いがまじり、発狂しそうになりながら両手に絡みつく幻の触手を振り払う。
私の住む世界は一気に地獄へ変わった。
私の狂乱のせいで、家族は田舎に引っ越す羽目になった。
外にも出れず、まともに人を認識することも叶わない私は精神病院に連れて行かれた。
そこは川とすすきと竹藪しかない寂しい土地だった。
大きな建造物は、隔離病棟と電波塔と、浄水場くらいだ。
ああ、私はここに棄てられる…
そう思ったとき、最後の一滴がこぼれた。
東北の、誰も私を知らない地にたどり着いて、睡眠薬と安定剤を山ほど出された。
私はそれで日々をやり過ごすことができた。世界は正常な姿のままだったし、時折感じるおぞましい気配と視界を横切る人ならざる者の影以外は克服できたと思っていた。
しかし、遠い親戚の葬式に出た時、またあの悪夢と出会った。
あの女性を蝕んできたのと同じ植物を生やした老人が葬儀場の前に立っていたのだ。
厚着をして、ベビーカーを押す老人。傍らに高校生くらいの男の子が二人。そこを中心に錆色をした影がゆっくりと私のもとへ忍び寄ってくる。
私は帰ってから、処方されているひと月分の薬をすべて酒で流し込み、自殺を図った。
そして朝目が覚めると、父、母、幼い弟は混ざり合って死んでいた。
ああ、何を言ってるのか自分でももうよくわからない。
朝、目がさめたら全員死んでた。
滑稽な響きだ。
自殺が失敗に終わったことと、私が今まで外でしか見なかったはずの悪夢の実現と、食卓に並んだ家族が朝食を取ってるように見えたことと、いろんな事で私はすっかり発狂する気力を失った。
母の肝臓は目玉焼きの白身みたいにツルツルとしてて、薄切りにされて皿にのってる。
父の腎臓はパンのように十字を切られて焦げ付いている。
弟の腸は指詰めのソーセージに。
カップには血と脂。
フォーク、ナイフ、ノコギリ、はさみ、包丁、カッター、枝切狭、マイナスドライバー、ペンチ。
日常用品が非日常をより艶やかに演出している。黒澤明も舌鼓。満漢全席。
力なく自分の席に座ると、何かがパンパンに詰まった子宮が転がっていた。
ナイフをいれる。まだ血の滴るそれはゴムのような肉の薄膜に亀裂を走らせて、まるでトマトの皮のようにゆっくり剥けた。
母の分厚い子宮にあったてらてらと脂で光るそれは、胎児の頭蓋骨だった。
私は発狂しているのかもしれない。いや、ひょっとしたらずっと前から狂っているのかもしれない。
この猟奇殺人は、一見どう見たって私の犯行だった。パッチワークキルトのような司法解剖と毛一本も残さない現場検証の結果、私が犯人である証拠は一つも見つからなかった。
しかし私が犯人でない証拠も見つからない。
絶賛容疑者中。けれども死体は腐っていく。しかたなく燃やされる家族。
血の匂いの取れない家。
しかしあの頭蓋骨を見つけて以来、私はもう異形を見なくなった。
ああ、今までが、今まで私が過ごしてた世界が地獄だったのか。
キリストに触れられた病人のように、私の病はふつと消え去った。
その代わり増えたものがある。
厄介事と、同居人。
厄介事は言わずもがな、未だ私以外の被疑者を創り出せないままの警察。同居人は今すぐそこのソファーで鞴のような音をたて、出来損ないの肺を伸縮させてる。
同居人の名はディオという。
ディオは精悍な顔立ちの美形で、美術の時間に使う石像みたいに美しい貌をしていたが、同時に死体のように不気味で歪だった。
腹をすかせた彼に世界が持て余した命をわけ与えることは、神がイヴを作ったのと同じことだ。
リサイクル、リユース。現代の天動説。
なんてことを真っ赤な肉の中からまだぷるぷるふる脈打つ腎臓をつまみ上げたときに考えた。
「お前は別の生き物だ」
と、そんな悪口を言われた。
「人が化物に見えるのです。もう、とっくに気が狂っているのでしょう」
「いいや、全く正気だよお前は。ただ、いきてる世界が違うだけだ」
こうして彼との対話の断片を思い返すと、思いの外日本での暮らしは楽しかった気がしてきた。現に、楽しかったんだろう。彼は私を生まれながらの異文化育ちと随分遠回しに評したが、単に気がくるっているとも言える。
とにかく、そんな優しい時間は食事のときにもっとも実感した。何もかもが狂いだす前に家族と囲んだ食卓を思い出す。
何かを吸い上げる音が、洋風で小洒落た家の洋間に響く。
暗闇の中、持参したランタンの光が自分の周りだけをぼんやりと照らしていた。ずるずるという何かを啜る音が大きくなるにつれて血の臭いも気にならなくなってきた。
「終わったぞ」
どうやら食事は終わりらしい。
私は傍らに携えていたバックに手を伸ばし、中から『道具』を取り出す。
「お粗末さまです。少し待ってて下さい」
すっかり手になじんだ『道具』を振りかぶり、横たわる3体の肉に狙いを定める。
私の団欒は、食卓は、平穏は、生きてる私と死体から生えた男、一つないしは二つの死体に置き換わる。
曇天の空に一筋の白い煙が溶けてゆく光景を思い出した。家族が天へと昇るあの光景を。目の前の赤が鮮やかであればあるほどに、骨のような白の憧憬が私の心に艶めいた傷を遺していく。
食べかすの死体がその血だまりにしずんだ。
この家に暮らしていた寂しい未亡人の人生は生臭い赤の中に消えた。ディオはさっさと立ち上がり、私はそれに続き、家をでる。
月明りに照らされたディオに影があることを確認し、安心する。
すくなくともこの泥濘のような狂気にとらわれているのは私だけではない。
ディオがどのような存在かは見当もつかないが、すくなくとも物質的に存在している。そのことに深い安堵感を覚え、私は鉈の入ったバックをぎゅっと抱きしめた。