【完結】Kill・Yの病   作:ようぐそうとほうとふ

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絶対運命黙示録

 どこまでもどこまでも伸びていく白い煙。骨のような色をした家族を灼く火の残滓。山井夜の語る葬送の様子は些か幻想じみていたが、彼女の目で見る世界をそのまま表しているようで好きだった。

 

 ディオは自分と一線引きインドの牛のような顔をして静まり返った村の広場に座り込む夜を観察した。ディオはつい先程村の井戸や貯水槽に自身の血を流し入れた。

 

「やることは百年前と変わらない」

「そこで首チョンパになったのに?」

「今回は波紋の戦士はいない」

 

 古城、人里離れた寂れた村。追ってくる二人、追われる自分。悪趣味なくらい昔の焼き直しだ。苦い過去の中にほんの少し、郷愁の念が湧いているのを感じた。最近何故か不思議とこうした穏やかな気持ちになることが増えた。

 夜の生み出す世界はどんどんグロテスクさを増し、溶け合い絡み合う肉たちは常に流動し、形を変えてゆく。

 

「夜。何があった?」

「何も」

 

 嘘をつくな。

 石畳の円形広場の中央で座り込む女と、傍らに佇みその女の首に手を回す男。少し時間を巻き戻せば処刑の一コマになりそうだった。

 夜は前と同じ、無感動な黒い瞳で自分の首を絞め上げようとするディオを見上げている。視線はは冷淡でもなければ無垢なものでもなかった。寝物語を聞くときにぼうっと天井を眺めているときの瞳、あるいは注文した料理を待って道を行き交う人を眺めるときの目。

 

 この女には自分がどう見えているのだろうか。

 不意に不安になった。

 

「お前は今何を考えてる?あの日、何を知ったんだ。どうやってあれほどまでに恐れていた自分の能力を受け入れた」

「解っただけです。この肉たちの正体が」

 村全体に漂っていた腥い臭いが濃くなっていく。泥濘の中のように湿った、生暖かい空気が肌をなめる。

 今、村で無事なのは山井夜ただ一人だった。

「では聞こうか。その正体とは?」

「…ねえ、ディオさん。あなたがどうやってここに現れたか、私はちゃんとあなたに話しませんでしたね」

 村はゆっくりと悪夢へ飲み込まれていっている。ディオの血入りの飲み水は、胃のそこから目を出すように肉を発生させ、内側から芽吹く。そして全員、山井夜のスタンドの一部になる。

 

 だから…ディオは薄々感じ取っていた。

 

「あなたは私の母の子宮にあった骨から受肉したんです。九相図の逆回しのように、死体から今の形へ。ねえ、どうしてあなたの骨がここに現れたんでしょうか。どうしてあなただけが、死んだのに魂を取り戻したんでしょうか。私にはまだそこはわからない」

 

調理された山井夜の家族たち。その欠損部位

 

父親、心臓、脾臓、肋骨、結腸、左腕

母親、左肺、視神経、子宮、耳朶

長男、肝臓の一部、体幹の血管すべて、首周りの筋肉

 

「そういう説明のつかないを運命というのだと思います。私はー己の運命を知りました。ハッピーエンドが見えたのです」

 

 

「何一つ…説明になってないな」

 ディオは苦笑いしながら首にかけた手を離し、夜の頭を撫でた。

 生者のいない夜の闇は静かだった。二人はディオの血と、夜のスタンドでじわじわと村が死んでいくのを広場で座って見守る。井戸水を使う村人は思ったよりも多かった。今明かりの灯る家の中で何人が息をしているのだろう。それを確認するのも夜のうちにやっておきたかった。

 

 

 

 

 

 井戸水を使ってない家、笑い声やテレビの音がまだ漏れてくる家は夜が一軒一軒尋ねた。一軒目で夜はニコニコ笑顔を浮かべて出てきた母親の首にナイフを突き立てた。

 そして母親を家の中に押し倒す。何事かと寄ってきた父親が倒れて血溜まりを作りだした母親のもとへ駆け寄る。父親は目を開けて傷口を必死に押さえている母親の名前を叫ぶ。その声を聞いて、子どもたちが恐る恐る両親と、唐突に訪れた何かを見る。

 

「ちゃお」

 

 黒いタートルネック。黒いジーパン。黒髪。夜闇から浮き出る白い肩と腕。子どもたちの目には普段着を着た平凡な女でも死神に見えたりするんだろうか。

 父親は見当違いな挨拶を聞いて子どもたちに隠れるように叫ぶ。だがその叫びは最後まで発せられなかった。

 母親の首元からあふれる血溜まりの中から突如として生えてきた白い腕が父親の喉を掴み、くしゃりと潰した。

 白い腕はそのまま血溜まりの中に父親を引きずり込もうとする。父親は必死に抵抗するが、母親の血は止まらなかった。それどころか人体の容量を遥かに超えて、血がどんどん溢れ出して家の床を汚す。子どもたちが壊れたベルみたいに騒ぎまくるが、それも不意に消えた。

 父親の喉の皮膚が剥がれ、血管と筋肉が顕になる。腕たちはその中の一番太い一本を摘み、引っ張った。血管はちぎれ、吹き出す鮮血が山井のジーパンを濡らす。

 そしてまた次の家へ。

 悲鳴を聞いた隣家の人間が鎌を構えて恐る恐る間口に出ていた。髭の男は玄関から出てきた夜と目が合うと不審そうにこちらをにらみつつも、そこまで警戒してなさそうな様子で声をかける。

「何かあったのか?」

 見慣れぬ客、されど女。

 夜は答える。

「あなたの家は水道水を飲んでいますか?それとも、井戸水?」

「は…?」

「ミネラルウォーターを買い溜めるには、ここは辺鄙ですからねえ」

「いや、さっき悲鳴が聞こえただろう?」

「水道水を飲むのは、抵抗ありませんか?私は結構そういうの気にしないんですけど…そういう人も、多いですよね。でも井戸水なら安心っていうのもなんだかあんまり変わらない気がしませんか?」

「…質問に答えろ、さもないと警察を呼ぶぞ」

「結構大事な問題だと思うんですけどねえ。だって人間って本当に数グラムの毒物で死んじゃうし、ちょっとの傷でも死んじゃうのに…」

 髭の男は鎌を握り直した。話しの通じなさが突然現れた異邦者の異常性をまざまざと現している。そしてじりじりと扉に後ずさりして、すぐに電話へ向かおうとした。後ろ手に半開きの扉を掴んだ。だが扉と柱の隙間はこれっぽっちも開かなかった。

 振り返り見ると、柱と扉の間に赤黒い何かがごろりと転がっていた。

 一体何だ…?犬?猫?

 目を凝らし、すぐにそれを後悔した。

 

 そこに転がっていたのは人間の頭だった。今産み落とされたかのように血と粘液に包まれていて、髪がベッタリと顔に張り付いているのでよく見えない。悍ましいものが扉につっかえていた。

 なぜ、どうやってここに。浮かぶ疑問は胸の奥から駆け上がってくる嘔吐感に塗りつぶされた。

 髭の男は自分が置かれている危機的状況を忘れ、盛大に嘔吐した。

 

「う」

 

 吐瀉物を見て、また思考が停止する。

 自分の吐いたものは、ピンク色に艶めく舌だった。一枚二枚ではない。大量の舌が黄色と赤の液体を絡めて自分の足元に落ちている。

 それを見てまた吐き気がこみ上げた。今度は明確にわかった。何かが胃の中からせり上がってくる。

 そしてまた、吐く。今度は舌だけでなく白い骨のかけらのようなものも混じっていた。よくみると骨ではなく、乳歯だった。

 

「ヒッ…ひぃイッ……い、ィ…!」

 

 それを見て男は恐慌に陥った。さっきまで話していた女の不気味さなんて忘れるほどのパニックが男の精神を踏み荒らす。

 自分の口からボロボロと溢れる毛の塊、爪、指、目玉、人間の様々なパーツから逃げるために、男は口を必死に塞ぐ。その努力をあざ笑うかのように鼻から耳から血が溢れ出す。

 

 その様子を見て、夜は反対側の家のベルを鳴らしに向かった。

 

 

 このようにしてディオの血を飲んだものは夜の魔の手を免れた。死ぬのが早いか遅いかというだけの差に過ぎないが、兎に角今は一応死なずにはいる。

 

 ひとしきり村の人間が日常を終えてから、二人は星の明かりと家の明かりに照らされて、村が死んでいくさまをただぼうっと眺めていた。

 

「夜。わたしはどんな形であれ、掴んだ命は…いや、時間はわたしのために使い切る」

「わかってます。私はずっと変わりませんよ。貴方に協力します」

「感謝している」

「私も」

 

 夜はそう言うと目を閉じて、黙った。

 彼女は運命を知ったと言った。運命を受け入れたのだろうか。どこからみても悲惨な終わりしか見えない彼女の人生に、どうやってハッピーエンドを見出したのだろうか。

 ディオは不思議でならない。自分がこの死体の海から発生したのだというのならば、このスタンドは死者の国そのものだ。もちろんそれは自分は間違いなくジョースターの因縁に絡み取られた自分であると確信しているからで、この自覚さえも偽物だというのならば話は変わってくる。

 だがその仮定を検討するのにどれほどの意味があるだろう。わたしはわたしであるという事すらわからないのならば、死んでいるのと同じだ。わたしは“生きている”

 形を失ったどろどろの肉たちから、なぜか自分だけが魂を取り戻した。これは偶然か、必然か。はたまた運命なのだろうか。

 

 山井夜のスタンドが死者の国そのものたとすれば、彼女が正気を失ったのも仕方のないことだ。だがなぜ彼女に?偶然性が人生のすべてを支配する。彼女がその能力を手に入れたのも、わたしの魂を引き当てたのもすべてが偶然という名の運命の名のもとに刻まれている。

 

 山井夜は運命を知った。わたしはまだ知らない。

 

 運命の行き着くところ、すなわち死を統べる夜はわたしの目指す天国の更に先にあるすべての終わりだ。そういう意味では彼女は天国への友には不適格だ。

 

彼女のそばではスタンドも使えない。

冒涜的で、感情の制御ができない。

勇気もなく、覚悟もない。

生へ向かう輝くような光がない。

 

 彼女は真っ暗で、ひたすら澱んだ沼底で忘れられたコインのようなものだ。彼女は自分がどういう価値を持つのか全く知らなかった。だがわたしが教えてしまった。彼女こそがわたしの沼であり、拾い主であり、私こそが彼女の沼であり拾い主である。

 永遠に続きそうな循環は互いが互いの手を引き合う形で破壊された。

 

「私、この偶然は運命だと思うんです。あなたの言う希望のない運命ではなく、もっと乙女の言うような運命」

「馬鹿げているな」

 

 山井夜はわたしの天国を成し得ない。

 だが彼女には彼女の天国を全うする力がある。

 

 終わりを支配するものは糸を手繰れば今をも支配するのだ。少なくともこのディオにとっては終と始まりは彼女の支配の中だ。

 肉体は彼女に支配されて、精神は彼女を支配している。力関係は螺旋のように渦を巻き、そして死に至る。

 

「私、恋なんてしたことなかったからわからないけど、できるならあなたと一緒に死にたい」

「見上げた忠誠心だな」

「まあ死んでもすぐ会えますよ。みんなに。家族にも…」

「…やはりお前のスタンドが家族を殺したのか」

「いいえ。私が殺したんです」

 

 夜はあくびをして、ベンチに寝っ転がった。うつらうつらしながら言葉を続ける。

 

「私は…家族が好きでしたよ。頭のおかしくなった私を育ててくれた。それは血が、繋がってるから。絶対に切れない絆です。血縁は。だから本当に、私には血の繋がりしか他人との絆がなかったんです。

 でも、気持ち悪くないですか?ねえ。血でつながっていても、おかしくなっても守ってくれる、愛している。そんな絆があってもわかりあえないんです、人は。

 私の見ている世界は誰も共有できない。私は、私もあんな化物なのかって本当に怯えてた。でも…あの日、親戚の葬式の日に、私は見てしまったんです。

 家族も『血の繋がっただけの他人』でした。彼らも、汚らわしい肉の塊に覆われた。私が気づかなかっただけで、私以外の世界の全ては“そう”なんです。

 私は嫌でした。家族だけは…私となにか、本質的に同じであるはずだと思っていたのに、やっぱり私以外すべてが理解し得ない化物だったんです。

 そう思って眠りについた次の日、みんなは仲よさそうに、食卓で一緒になってました。私が望んでそうなった。だから、犯人は私です」

 

 夜は泣いているのか怯えているのかわからない顔をしていて、ディオはどうすべきか悩んだ。しかし夜はまだ、言葉を続けた。

 

「私もいつか、ああいう化物になる。そう思ってたとき、あなたの骨を見つけました。骨を…」

 

 横に座るディオの腕を、夜の細い手が掴んだ。硬い筋肉に柔らかくて脆い骨が絡む。

 

「あなただけは、冷たくて固くて、青白くて、死んでいる。あなただけが、私をこの世界から切り離してくれるんです。あなたにより切り出された私の理性が、ようやく私が何たるかを理解してきた。

あなたが骨として出てきたのは、偶然でも必然でもない。これは絶対に、運命です。私はずっと前から、あなたに救われることが決まっていた。この気持ちを…崇拝と、愛と…なんと呼べばいいのでしょうか?

 私はあなたにあって生まれ変わった。あなたの肉体が何でできているか、私は知っている。あなたは私がどういう魂かを知っている。私は幸せです。今、この瞬間が。殺戮の前準備が、村人たちの鞴のような終末呼吸。星星の明かりと、ランプだけの夜」

「確かに、敵が来る前にしては穏やかで素晴らしい夜だ。…夜、お前はわたしに幻想をいだきすぎだ。わたしはわたしのためにしか動いてない、お前は勝手に救われたんだ。だから、世界を怖がるな。たしかにお前の目には化物まみれの世界なのかもしれない。だが、お前だけはきちんとお前だ。山井夜。十分強くなった」

「…ううん……私はもっと強くなる」

 

 そうだろう。夜は強くなる。そして世界をこの肉の海に沈められる。

 

 

 

 


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