ヘリの音を聞きつけたヤマイヨルは時間を稼ぐためにかくれんぼをしようと決めたらしい。ミスタは階段を下り、気配を感じる部屋を確認していく。
すぐに中に動くものを見つけそれを撃つ。確かな手ごたえを感じ接近しまた撃ちこんで行く。
「…!」
しかし、それはヨルではなく銃痕からどろどろと腐肉を流す死体だった。まだ温かい。さっきからこれの繰り返しだ。急がなければジョルノが殺されてしまう。
あのヘリは十中八九ヤマイヨルたちの味方ではない、がパッショーネのものでもなかった。
「っ…」
呻き声が聞こえ、踊り場にその足が転がるのが見える。軋む体を無理やり動かし扉へ急ぐ。ホールから地下へ続く扉だった。
ノブに手をかけた瞬間、銃弾がすぐにその扉の隙間から飛ぶ。ミスタはとっさに身を隠しながらそこにころがっていた肉の塊を盾に進み!お返しだと言わんばかりに暗闇に数発打った。
「い…ったいんですけど…!」
ヨルの怒り声が闇から聞こえた。一発扉に弾丸が突き刺さる。そして湿った肉を踏みつける音…階段を駆け下りていったようだ。
「何がいてぇだクソ女…」
ミスタは自分の口から垂れる血を拭いながらフラフラの足取りでそれを追った。
想像していたよりも大きな血溜まりが広がっていた。肉たちのものではないだろう。色がずいぶん明るいし、温かい。
これで逃げ足は止められたか?いやむしろあいつの怪我のせいか空間の濃度が高まったというか…
ミスタは地下の、より密度を増した肉の世界を見回す。海の底にいるみたいな圧を感じる。そしてすぐ後ろになにかの気配を感じる。
振り向いた。だが、そこには虚ろな暗闇がひろがるだけ。
声がした。そこにはちぎれかけた腸がぶらんとぶらさがりぼたぼたと血と内容物を床に滴らせてるだけだった。
腹の奥に、強烈な異物感がある。ミスタは頭を振って霞む目を擦った。
ヤマイヨルの血を追わねば。
地下通路は来たときと同じ、一本道だ。時間を稼ぐのならば、そしてあのヘリコプターから逃れるのならばうってつけの道だ。しかし狩人に追われてるとなると、一本道は命取りだ。
ミスタは薄明かりの灯る廊下の先に、ぎこちなく前進する影を見つけて一発撃った。人影はあっさりと地に伏した。
……
ヘリコプターのライトが二人を照らした。小さなヘリの横には銃がついていて、こちらを狙っている。先ほど塔から聞こえたのはこの銃声か。ディオの頭にヤマイヨルの死が過るが、変わらず広がる屍の大地に不安は払拭された。
よくよくとどめを邪魔される運命らしかった。
機銃がディオめがけて火を吹いた。
ジョルノはそれを見てすぐに立ち上がり駆け出す。肩口を止血し、がむしゃらに走った。
「ミスタ…」
ヘリコプターの援軍、とはいえ吸血鬼がその程度で死ぬとは思えなかった。ジョルノは急いで予め決めておいたある民家に駆け込む。
スタンド使いでない部下が拠点にしてるはずの家だった。灯り一つと持っていない家の廊下には何かが這いつくばった跡があった。
銃火器と無線のおいてある部屋まで行くと、その血痕の主が横たわっていた。
「ボス…」
「怪我は」
「ばらばらなんです…」
他の村人と同じように気が触れてしまったらしい。血まみれの彼の腹部を見ると、既にそこから肉と筋が根を下ろしていた。ジョルノは目を背ける。
「待っていろ、決着がついたら迎えにくる」
「まっさらな、かいがんせん、と、そら、なみうちぎわ、」
ジョルノは黙る事しかできなかった。武器を調達し、ヘリコプターに気を取られているディオの目を逃れ、城跡に戻る…なかなか無茶なプランだ。だがやはりスタンドが使えるようになるのが急務だ。
「ここが死に場所でいいのか?」
冷淡な声が聞こえ、ジョルノはゆっくりと振り向いた。
玄関にディオの姿ががほのかに赤い光を浴びて暗闇から浮かび上がる。ヘリだ。ヘリコプターが墜ちて燃えている。
炎に照らされ夜闇に佇むその姿はまさしく悪の帝王。そしてこの醜悪な肉の世界とあわせたこの風景はいうならば『吐き気を催す邪悪』だ。
「抵抗を諦めて、楽になってしまえ。いくらついこの間あったとはいえ子殺しは気分のいいものではない。せめて苦痛なく殺してやる」
「…諦めるわけにはいかないな。友がまだ戦っている」
「ほう?ならば銃器で殺せないこのわたしをどう殺すつもりだ」
…万策尽きたわけではない。手元にあるショットガンで撃ちつつ、背後の窓を破り脱出。炎を目くらましにするように走り、城へ。
だがそれが一体どれほど自分の寿命を伸ばせるか、わからなかった。数分、あるいは数秒?
「安心しろ。このナイフで脳天をしっかり刺せば…すぐに死ねる」
ディオは一歩一歩こちらへ歩み寄る。
ぐしゃ、と肉を潰す足音とともに。
「さらばだ、ジョルノ・ジョバァーナ」
ジョルノはナイフを振り上げたディオの手を撃った。散弾がディオの左上半身にばらまかれ、左手とナイフが千切れ飛ぶ。赤黒い血が床に落ちる前に、ジョルノは窓を破り裏の植え込みに落ちた。
これで死ぬわけはない…。
だが走った。まだ熱い銃身を握りしめて走る。すぐに背後に気配が追いついてくる。それでも走る。
何かが風を切る音が聞こえた。先程刺された肩口が熱を持った。次は背中に衝撃が走り、ジョルノは体制を崩して転ぶ。
その瞬間、エンジン音が轟いた。ジョルノはその音の元を確認する。
「やはり墜ちたか」
バイクに跨がり燃えるヘリコプターを見て、帽子を深く被り直す男がいた。ディオと同じくらいの体格。白い学ラン風のコートは汚れ一つない。
「……どうやら話には聞いていたよりも数倍胸糞悪いスタンドのようだな」
「あなたは…」
男の変わりに、揺らめく炎の向こう、こちらに向かってきたディオがつぶやいた。
「空条…承太郎」
…………
倒れた人影のもとへ行くと、そこにあったのは人間の形にこねくり合わされた肉だった。
「クソ…」
小賢しい真似を、とつぶやこうとした途端にまた嘔吐感がわき、腹から登ってきたものをそのまま吐いた。
血とともにでてきたのは、絡まりあったいろんな色と長さの髪の毛だった。
それにまた吐き気を催され、思わず手で口を覆いたくなる。何とかこらえ、神経を研ぎ澄ました。浅い呼吸音が聞こえる。上下左右から…ああ、畜生。だんだん肉塊と人間の区別がつかなくなってきた。
ヤマイヨルの血痕はそこで途切れている。そこで急に、ミスタは直感的に左へ体を傾けた。そして刹那、ミスタの頭があった場所を弾丸が通り抜けた。
「ヨルッ…!」
肉片の中からひょっこりと、まるでふざけてるみたいにヨルが顔を出していた。簡単な罠に引っかかってしまった。やつは途中で引き返し、肉塊になりすましたのだ。
ヤマイヨルは臓物にまみれて、ニコリと笑った。
「はーい」
ドン、ともう一発。今度は右手を撃ち抜いた。銃が落ち、ミスタはその場に倒れる。ヨルは駆け寄り、拳銃を蹴飛ばした。
頭から爪先まで血油で汚れたヨルは、まるでたった今生まれたばかりの赤子のようだった。成熟した肉体とのコントラストでクラクラする。
手が焼けるように痛い。ここまでボロボロにされたのはいつ以来だろう。頭まで霞んできた。
ヤマイヨルは銃の引き金を引いた。弾切れらしく、カチカチという音しか出ない。そうわかると銃を捨て、どかりとミスタの上に跨がった。
ヨルもヨルで肝臓のあたりから血がどんどん流れ出していた。ぎこちなく左手でナイフを取り出し、ミスタに突きつけた。
「勝っちゃった…けいさんがい」
「……最後まで気を抜くなよ」
「殺される相手に忠告ですか。優しー」
「馬鹿、警告だっツーの」
ヤマイヨルはしばらく会わないうちに正真正銘の狂人に成り果てたらしい。二人とも血塗れだった。屠殺場の中で泳いだみたいだ。いや、それも比喩と言うにはあまりにも直接的か。非現実的で忌まわしい光景だった。しかし悍ましいほどそれが相応しく思える。
「安心してください。私が連れてってあげますから…」
「あぁ?どこにだよ」
「……運命の…至る場所…」
「墓場っていうんだ、そういうのは」
「解ってますよ」
「お前はなんもわかってねーよ」
ヨルがぽかんとした顔をしたのも同時に、ミスタは力を振り絞ってまだ自由の効く左手でヤマイヨルの頬を思いっきり殴った。
「油断するなって言ったろーが!」
ヤマイヨルはミスタの上から落ちる。ミスタは賺さず状態を起こし、右手で倒れたヨルの肩口に全体重をかける。先程撃たれた右手の傷口が広がり、血が吹き出した。その血を浴びたヨルは目を見開き、起き上がれないことを悟るとナイフを再びミスタめがけて振る。
だがミスタはそれをわかっていた。ナイフを振り下ろしたヨルの華奢な手首を掴み、捻り上げる。ごと、と肩が抜ける音がして絶叫が轟いた。ナイフが落ちて床に転がった。
そのすきにミスタは転がった拳銃に手を伸ばす。ヨルは狂犬のように足をばたつかせ、取り落としたナイフを拾い上げた。
切っ先が腹に刺さるより前にミスタは横へ転げる。狙いを失ったナイフは空を切った。そしてまだ利く左手で、狙いをつける暇なくトリガーを引く。
銃声とともにヨルの伸ばした右手が爆ぜた。
「―――――ッ!!」
ヨルは目を見開き、飛び散る自分の指を見ていた。それでも止まらず、ナイフを振りかぶり、倒れかけたミスタにそのまま突っ込んできた。
骨と、肉の擦れる音。
くらくらする痛みとむせ返る血の匂いで現実感がなくなる。
ミスタは目の前でナイフを突き刺そうとする泣きそうな顔をしたヤマイヨルを見た。
そして、
「これで、正真正銘最後の一発…ッ」
銃口を、ヨルの額めがけて…
………
形を思い出せないのは、きっと魂を奪われたままだから。家族が死ぬ前、幼い頃から私のそばに佇んでいた異形の肉塊たちは、きっとその魂の姿だったんだ。
私は怖かった。魂を持つ人々が、心とか感情とか、あんなどろどろとした不定形のみにくいものを持つ人たちが。その恐怖が限界まで達した結果、私はこの肉の海に放り投げられた。
ディオの天国は死を含めた自己の完全な支配による精神的充足と解釈できる。達成できなかった彼らは魂を支配し損なって肉塊として私の足元にうごめいている。
私が思うに、真に恐ろしいのは形を無くすことではなく、私という形を知らずして死ぬことだ。
私は彼らのようにはならない。私にはディオがいるから。私の形を教えてくれた、美しい死体が。
ディオも肉の海にいる、夢の半ばで死んだ煉獄止まりの死体の一部だ。この美しい死体だけが、魂を得た。彼だけが己の肉体と魂を支配していた。
私はすべてを理解している。
すべての形なき死者は、魂を取り戻せば再び形を取り戻す。私の作り出す世界で。
蘇りだ。
ディオの天国はなし得ない。蘇った彼は結局私のスタンド能力により顕現している霞に過ぎないのだから、私が「天国などない」と認識している以上それは絶対に覆らない。私とディオの力関係はありとあらゆる引力がひっくり返ろうとも揺らぐことのない、ルールだ。
私が存在するからディオが今ここにいる。ディオがいるから私もここにいる。ただしディオは私なしに存在し得ない。私がないと思っているものは彼にとってもない。
そう、天国なんてどこにもない。すべての死者は魂だけ死に奪われて肉の塊となり私の足下へ広がってゆく。どこまでもどこまでもどこまでも。
私は解ってる。私もまた、死へ還元される朽ち行く有機物に過ぎないということを。解っている。だから、私はとても幸福だよ。
私だけが世界のすべてを知っていて、自分の行く末を完璧に理解し、それへまっすぐ進む事ができる。
ディオの運命論に従えば私こそが天国に辿り着ける者だ。
そう、私が私の見つけた結末へ進むことができれば、存在しない天国を顕現しうるのだ。ディオの目指す天国…意志あるもののみが掴み得る真の自由。
私が天国を掴み取れば、足元に広がる煉獄だって天国に変わる。
等しく肉の海に還元された世界へ行こう。私の目指す天国へ。
そうすればきっと、私は救われる。
私が救われれば、あなたも救われる。