「ジョルノ…」
「ミスタ…随分こっぴどくやられたな」
すっかり元の光景に戻った城の庭は今までの赤色が嘘だったように緑が生い茂っていた。ぼうぼうに伸びた雑草が靴に絡みつく。空条承太郎に運ばれてきたミスタに治療を施すと、彼はすぐに目をさました。
「ウワァァーン、ミスタ死ンジマウォー!」
「ジョルノ、早ク手当シテヤッテクレーッ!」
「わかってる…ヤマイヨルを倒したんだな?」
「ああ、楽勝だったぜ…つってもまあ、スタンド無しって考えるとかなりやられた。…ディオの方は?」
「……わからない。だが、きっともうこの世にはいないだろう」
「なんでわかるんだ…?」
「山井夜のスタンドの正体が割れた。とにかく、今は休んでくれ。彼らの調査が終わったらはっきりする」
ヘリの音が静寂を切り裂き、朝日が登り始めた空に影をつくった。着陸したヘリからはSPW財団のロゴが入った服を着た軍隊風の男たちが駆け寄ってきた。
医療班と思しき人間がかけより、軍隊風の男たちは城の方へ駆けていってしまう。
「SPW財団のものです。後処理は我々に任せて貴方がたはひとまず…」
「ああ」
そう言いつつ、ちらりと城の方へ眼を向ける。
最上階の火はもう消えていた。何もかもが嘘だったかのように静かで、穏やかな朝だった。
ミスタは担架に固定されてヘリに載せられる。その人垣の向うから何かを抱えた空条承太郎が軍隊風の男達に囲まれつつ何かを話しているのが見えた。
「お早く」
医療班の男に促され、ミスタは視線を切った。耳に残るのはヘリコプターの轟音だけだった。ヘリが地上から離れ、男たちが小さな点になるまでジョルノは地上を見つめ続けた。
すこし、視線があったような気がした。
「………」
2001年9月末日。町の人間を含め2000名以上の行方不明者を出した一連の神隠し事件は、犯人の死亡により人知れず幕を閉じた。
―山井夜のスタンドに関する考察ー
『Komm, du suse Todesstunde』…和訳して『来たれ、汝甘き死の時よ』。
バッハ作曲の『有限の肉体からの脱出と、魂の永遠を渇望する。』というテーマの全6曲からなる教会カンタータ。その一曲目
ディオは山井夜のスタンドにそう名付けた。彼女の手記の表題となったその言葉は、まるで故人のために刻まれた墓碑だった。
ジョルノとミスタがヴェネツィアくんだりまできて、通されたのはごく平凡なホテルのスイートで、相手がマフィアの不文律とかそういったことに関心がないというのはすぐにわかった。
邪魔な家具が排され、椅子とテーブルとプロジェクターが置かれた部屋には、山井夜の書き記した手記が大写しになっていた。
行間も字間も滅茶苦茶な文字の羅列は、日本語が一切読めないミスタでも気持ちが悪くなるほどだった。字のバランスが崩れ、筆圧も疎ら。よくある合皮の表紙の手帳は、塔の二階、書庫に置かれた彼女の荷物の一番上にあったらしい。
「…あの女の生まれ故郷の行方不明事件も、結局は“ディオ”の虐殺への協力だったと見て間違いない」
全ては手記に書かれていた。狂人の頭の中身をほんの少し焼き付けたようないびつな手記。修辞と信仰と幻想に彩られた人殺しの日記帳。
「あのスタンドの正体は至ってシンプルだ。『死者の国』を喚び出すだけ。肉片やらスタンドが使えない現象は付随する現象に過ぎない」
空条承太郎は淡々と話を進めた。ジョルノは相槌を打つ。スライドはSPW財団の男によってどんどん移り変わっていく。
「…とんでもないスタンドだ。ありえない。…そう言いたいところだが…」
「死者の国が飲み込みにくかったら、人ならざるものでも亡者でも、異世界の化物でもなんでもいい。とにかくこの世ならざる理のものを呼び出す力だ。あるいは大きな穴だ」
スライドに悪夢の残滓が映る。ジョルノは現場に投入した部下たちに撮影を命じていた。ビデオは彼らが無残に解体される様子までしっかり写していた。
「ではディオはいったいなんだったんだ。彼はたしかに、あなたの殺したディオだったんだろう」
「あの『ディオ』は山井夜のスタンドの行きつく先の顕現だった」
承太郎が言うと、手帳の該当箇所がスクリーンに映る。狂気じみた天国論の書かれた手記は、その歪んだ筆致がむしろ真実味を醸し出しており、狂信者のような痛々しさと、物悲しさに包まれている。
「死者の肉のみ召喚できる山井のスタンドは…やがて魂をも喚ぶことかできた。つまりは黄泉がえり、死者蘇生だ」
「死者蘇生なんてものが実現したら、それこそ世界のすべてがおかしくなる」
「…バカらしい。あいつの妄想じゃねーのか。クージョーサンはディオと話したわけでも触れたわけでもないんだろ」
「ああ。遠目で確認しただけだ」
「かりに、あいつのスタンドが死者蘇生も可能だったとしても…偶然に奇跡が重なって、よりによってディオだけが『黄泉がえり』なんて正直信じらんねー」
「僕も同意見だ。…だが、ここ一ヶ月妙な死人も出ていないならディオはもうここにはいない…。山井よるのスタンドとともに消えたと考えるのが妥当だ。魂はあっても、肉は彼女のものだから」
「その山井自身も、同じ肉へと還ることを望んでいた…そうだな」
承太郎の言葉に、ミスタはスライドから目をそらし頷いた。
「ああ。あいつは死人に殺されたがっていた。だが…あのスタンドは、山井夜を迎えなかった」
「それで…」
「ディオが、手をかけたんだと思う」
ミスタの意識があったのはそこまでだった。
ー私は私である以上、絶対に救われないー
ミスタが覚えている最後の言葉は絶望に満ち溢れていた。ディオが、一定の絆を感じた彼が何もせずに彼女を捨て置くとは考えられなかった。
「…遺体が残っていたということは、結局駄目だったんだろう」
ジョルノが呟いた。スライドが、うつ伏せの山井夜の死骸をうつした。血の抜けきった真っ白な肌。投げ出された四肢と、その下に広がるどす黒い血。
「頭蓋骨がなかったか?」
承太郎の言葉に、スライドを触る男が慌てて資料を探した。山井夜の死骸が、様々な角度で映される。気持ちが悪くなる。
「いいえ、写真にもリストにもありません」
大写しになった、解剖後の山井夜の写真。ぽっかり空いた腹腔のそばには走り書きのようにメモが追加されていた。
右肺、右脳、肋、胃腸等欠損多数。(外傷なし)
「……気分が、悪い」
と、ジョルノは一言言った。欠損部位と、頭蓋骨の骨ーまさに、ディオが“生えてきた”骨ーの喪失。にわかに背筋が寒くなった。
「……まったく…」
ようやく、あの不気味な悪夢に理屈を持って向き合えると思った途端これだ。山井夜の引き起こした事件は宙ぶらりんの不気味さだけ残して何もかもなかったことにしようとしてる。
「まだ終わってないのか?」
「いや、終わったよ。ただ…またいつか始まるかもしれないというだけだ」
「やれやれだぜ。が、どちらにせよもう俺たち生者にできることは無い」
空条承太郎は立ち上がる。それ以上、言えることは何もなかった。死は何もかもを曖昧に奪い去っていく。山井夜は死のヴェールに隠れ、こちらをじっと見ているのかもしれない。
「……空条さん…」
帰ろうとする承太郎に、ジョルノは声をかけた。
「なんだ?提携とかの話は担当のとやってくれ。SPW財団にはすこし世話になってるだけなんでな」
「いえ…あの時は、助けてくださってありがとうございました」
「……俺は俺のためにやっただけだ」
そうして、事件は曖昧な幕引きをする。犯人死亡、容疑者不在。全容不明。遺体消失。残ったのは傷跡と、後味の悪さと、狂人の手記だけ。
彼女の遺体は、財団側が保管し、世間的には失踪者として扱われる。
尋常でない数の行方不明者…いや、死者をだした彼女の一連の行動について、ジョルノは許す気もないし、認める気もない。ただ相応しい罰は受けたのだと思う。
彼女は「肉体と魂の調和」を目指し、そのルールにのっとった『天国』へ、全てを導こうとしていた。その夢は潰え、彼女自身は天国に拒絶された。
たまたま、奇跡的に一度だけ発現した『黄泉がえり』の対象が何故DIOだったのか…
それはきっと神の気まぐれのまま決まった『運命』なのかもしれないし絶対的『引力』により決まったものか…
それを知ることは叶わないだろう。
ただ唯一わかるのは、死者と生者を分かつものは意外と脆く、もしかしたらまだ気づいていないだけで大きな穴が空いているかもしれないこと。その穴の向こうから、山井夜が虚ろな眼差しでこちらに手招きしているかもしれないということだけだった。
「また、死人が溢れ出してきたらどうする?」
「あー…その時は、迷わず墓場に送り返してやる。同じことを何回もやるほど暇じゃないんでね」
ミスタの言葉にジョルノは微笑んだ。そして、決意する。取り返しのつかない災厄は、芽のうちに摘んでおこうと。
ありとあらゆる邪悪を取り除こうと。
………
岸辺露伴は、手記を閉じた。
疲れがどっと襲ってくるし、思い出したみたいに喉の乾きと空腹が痛いほど訴えてくる。だが、やすみようこの家でものを食べることは、即ち彼女にプライベートを覗かれることを意味する。
「漫画のネタに、なりそうでしょ?」
「バカ、なるかこんなものが」
事実でも妄想でも、こんな暗慘としたものが受けるほどに世間は閉塞していない。第一、こんな身勝手な虐殺が正当化される世界など、人の世には存在しない。そもそもの倫理観が違うのだ。
「なるわ。だって、今度それをネタにした小説が発売されるから」
「なに?」
「賞を受けるのも決まってるよ。初刷りも結構あるわ」
「へーそうかい。病んでるな。こんな露悪的なものを商業にする意味っていうのが僕にはよくわからないが」
「露伴先生は口裂け女、好き?」
「いきなりなんだ」
「GHQが流した噂だとか、誰かの考え出した嘘話だとか言われてるでしょ」
「ああ、それは人面犬じゃなかったか?」
「なんでもいいわ。私はね、目が見えなくなってからとみに思うのよ。言葉には、人間の想像力にはまだ私達の認知し得ない力があるって」
「へえ、珍しく気が合うな。で、それと今までの会話にどんな関係が?」
「つまりね、私はこの手記を書いた子を、誰にも知られずに消えたこの子を、蘇らせたいの。彼女の言葉を借りるなら、そうね…肉でも魂でもない、影として」
「何を言い出すかと思えば…」
「あら?さっきは同意してくれたのに」
ようこは笑う。人をおちょくるような笑い方。…大嫌いだ。
「はっきり言って、ありえないね。なぜなら人面犬も口裂け女も、未だ存在しないからだ。あんたの小説一本で世界が変わるとは思えない」
「そのとおりね。でも種をまいておけば…誰かが育んでくれるかもしれないでしょう」
「馬鹿げてる」
荒唐無稽だ。この女のやることなすこと、すべてが今生きてる自分たちから遠く離れた絵空事ばかり。だからこそ彼女は芸術家足り得、この漫画家岸辺露伴と話せるのだ。
彼女のような想像力を持つものが千人いれば、あるいはこの手記の執筆者をも顕現できるのかもしれない。
「馬鹿は嫌いだ。僕はもう帰る」
「夕飯をごちそうするわ」
「言い間違えた。僕は、君が嫌いだ」
「ふふふ…」
やすみようこは笑った。僕は笑い返さない。
……
そして、イタリアでは郊外の子どもたちの間ではある噂が流行り始める。
「一人で夕方遊んでるとね、歌が聞こえてくるの」
「歌?おとぎ話ってきいたけど…」
それは他愛もない怪談。どこにでもある、少し怖い話。
「天国、って…行きたい?」
夕暮れ時、一番濃い陰のなかに赤子を抱いた女の影が現れる。そして若い女の声で問いかけるのだ。“天国へ行きたくない?”と。
「行きたい、かも」
そう答えた子どもは戻ってこない。茜色の夕日のなかに滲む影に消える。
そういう、悪い噂が。
………