【完結】Kill・Yの病   作:ようぐそうとほうとふ

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はじめてゼロを発見した人の聡明さには感心するが、ゼロのない世界に生きていた人がある日突然、ゼロについて理解できるんだろうか?

昔の漫画で脳に損傷を受けた人が、世界を正常に認識できなくなる話がある。

私は自分に見えるものについて他人に打ち明けようとする時、いつもそのことを思う。

昨日見た夢の話をする時に似ている。

今時の子供は、魚の腸を見たことがない。

事切れる刹那を、今際の時を知らない。

みんな自分の思ってることすらうまくいえないのに、異常な世界を仔細に表現して’感じるまま’に伝えることができるだろうか。

 

 

 

バイクを走らせていると、景色より無駄話の数々が脳裏によぎる。火葬場目指して一直線の田舎道。家から30分。

その途中幾つかの国道を経由するが、どこも人影はない。

死体から生えた男と二人乗りして、時たま通るトラックの明かりに照らされる私。

まるで歩く怪談だ。

たまらなく愉快になる。

「自動車ですら革新的だと思ったが、ロボット、そして宇宙。進歩についていけん」

本棚にある、ホコリまみれの漫画本を読んで彼はそうつぶやく。

そういえば宇宙とは重力も空気も何もないところだと聞いたけれど、実際にはものすごい寒いらしい。

「ロボットを見るまで、生きていられるんでしょうか」

「人間をやめればいい」

「…あなたもサイボーグだったらよかったのに。替えがきく」

「ごめんだ」

 

私も彼も夜型なので、寝物語は朝日が差し込むまで続く。

彼の優秀な部下の話。私の読む本の話。

エジプトの誰にも知られてないピラミッドの話。庭に咲いていたなでしこの話。不思議な力を持つ人たちの話。私の見てきた異形の話。

 

「お前が見てる世界は、ひょっとしたらスタンドかもしれない」

「あなたもあるんでしたっけ」

「見えるか?」

「あなた自身が異形に見えますよ」

「ふむ…」

 

千夜一夜物語のように昔話を重ねていくと、まるで過去を共有しているみたいだ。言葉を紡ぐのが苦手でも彼はそれなりにこちらの意図を汲んでくれる。私が話に行き詰まるとそれとなく次へつなげてくれる。

「地獄のような日々でした」

「地獄なんてない」

「天国もないでしょう」

天国についてよく話した。キリスト教の天国とは違う考えを持っているようだった。

 

「天国についてアメリカの友人ともよく話したが、まずお前の意見を聞きたい。天国とはなんだ?」

「天国…」

 

帝王学そのもののような性格のくせに、友人がいるとは。意外そうな顔をしていたんだろう、彼はその友人についてよく話してくれた。日々過ごせばわかるが、化け物のくせに人間らしいところがある。そのせいで殺人…もとい食事の後始末に付き合わされても憎めない。

彼のしていることはまごうことなき殺人であり私の仕事は死体遺棄だった。いや、正確には『何らかの力によって死体を消している』のだが。

 

「どうやら貴様のスタンドはヴァニラと似たタイプのようだな」

「ああ…えっと…なんか吸いこむ感じのやつですよね」

 

私が切れ目を入れた死体は広がった血だまりへとっぷりと沈み、消える。

 

「まだ判断しかねないが、少なくとも死体をどこか別の世界に消してることには変わりないからな」

「…はあ」

「だが気になるのは、死体を消す際に必ず起きる別の事だ。…自覚した事は?ないだろうな。まあ不便は今のところない。が、もっとそのスタンドを知る必要はありそうだ。」

「そうですか」

「いいや、より多くの経験を積んで行けという事だ。恐らく貴様のスタンドは発現して間もないのだろう。まだまだ不安定で底が知れん」

「そうですか…」

 

殺して奪うこととただ奪うことの間には大きな壁が存在する。私には人間が人間の姿に見えず、大体が肉の芽を体中に張り巡らせ、そこらかしこに肉腫が生えてる醜悪な塊に見えるわけだが、それでも生き物だ。

私は、まだこの手で生き物を殺したことがない。

ただ、死ぬのを目の前で見てるだけ。

 

一番最初にこの能力が顕現したのは、まだディオという男が夢か現か判断できずにいたころで、一家殺しの報道がまだ世間に需要があった時のことだった。

 

「混ざったものが好きなんです。

混ざったものがね…食べ物ならハンバーグが一番好きだし、コーヒーには必ずミルクと砂糖を入れるし、乗換の多い駅をわざわざ経由したり、スクランブル交差点にわざわざいって右往左往行き交うぐちゃぐちゃの人々を眺めます。氾濫があれば見に行きます。利根川のそばに家を建てましたので、それはそれは便利です。

川はいいですよ。上流から河口へ至るまで、実に様々なものが混じっています。ゴミから下水から、どこかの工場の出す有害な薬品とか…そういう、いろんなものがぐちゃぐちゃに混ざり合って、最後には海に辿り着くんです。」

 

フェチズムというのは人の理性を静かに麻痺させていくらしい。

男は遠路はるばる、一家バラバラ殺人の容疑者である私の家まで訪ねてきた。

仕切りに脂汗をハンカチで拭いながら、男は熱を持って語る。

 

「それはもう、美しいものですよ。僕以外にはきっと伝わらないでしょうが、とにかくそれは美しいというイデアそのものです。混ざって、ぐちゃぐちゃで、わけのわからないものが川の流れという秩序に組み込まれてぐちゃぐちゃのままに均衡を保つのです。それは自然の一部として重要な役割を持つだけでなく、我々の深層心理に根付く水という元素を包括しているのです。」

 

萎れた体。中年の、少してっぺんの禿げた男から不気味なまでにギラギラとした精気が放たれている。

手垢と手汗がべっとりと私の視線と交差した。

 

「あなたの家族は…」

 

口が歪んで、ニコチンで黄ばんだ歯が赤紫色のバサバサの唇の間からのぞいた。

 

「あなたの家族は、どんなふうでしたか」

 

にたり、べたり、と。私の指すような嫌悪の眼差しにも鈍感になってしまったらしい。いや、むしろその視線を楽しんでいるのかもしれない。

人が普通の形に見えるようになったにもかかわらず前にもまして人間は醜く見える。

 

「…私の家族はバラバラでしたけど。あなたの言うように混ざってはいませんでしたね」

「そうなんですか?あれだけ執拗に解体されていて、一つ一つがバラバラに並べてあったんですかね」

「……いえ、調理、されていましたよ…」

確かに肝臓のソテーには真っ赤でどろどろした経血みたいなソースがかかっててまだ湯気の出ている薄皮がつやつやと輝いた父の腸には指やら脂肪やら昨日食べたコーンやらが詰まっていたけど。

それはまだ混ざってるとは言えないだろう。

だって混ざるというのは…

 

「調理!猟奇殺人だとは聞いていましたが犯人は相当な異常者ですね。ああ、どんな料理が?」

お好み焼きのようなものは?もんじゃ焼きのようなものは?それとも、寄せ鍋みたいに一つの料理に?まさか、臓器ひとつひとつで満漢全席でしょうか?

 

混ざるというのは、私が以前見ていたようなそういう…

 

 

「あなたはそれを食べましたか?」

 

 

ぽた。

 

ふいに、男の口の端から赤黒い液体が垂れた。

先程出した紅茶だろうか。

そのシミは、ガラステーブルの上に広がって、広がってとろりとした水溜まりになる。

「え?」

男は異常に気づく。

その赤黒いシミがみるみるテーブルの上に広がり、とっぷりと暗い穴のようにどこまでも深く深くそこが沈んでいっている。

とろとろと口の端から、赤黒い何かが溢れる。

一筋、二筋。

男が口をおさえようとしたとき、堰を切ったようにそれは顔中の穴から溢れ出た。

ごぼり、と空気と液体の混ざった音と、胴が錆びたような生臭い匂いが広がる。

男はドロドロとした液体をはき続けている。私は呆然とそれを見た。

これは夢か?

内臓もあらかた吐き出したのではないか。どろどろした腐肉の塊を嗚咽を上げながら吐き終わると、男は紙の震えるような声で何かを囁いていた。

 

「なに…」

 

びくんと身体が跳ねると、また苦しそうな声でどろどろした臓物の出来損ないを吐きだす。

吐き出したものを見て、男は発狂したような声を上げて床を跳ね回った。

赤黒いゼリーのようなそれには、大量の指が混じっていた。

「ギャアアアアアーーッ」

私はどうしていいかわからなかった。腰を抜かして男の踊り狂うさまを眺めた。

どうして…?

その臓物と血と何がなんだからわからないぐちゃぐちゃの肉の塊は、私が以前視ていたような世界そのものだ。

しかしあれは私にしか見えない幻覚のようなものだった。

震える手で、男がぶちまけた肉を触った。

感触がある。あたたかい。

酸っぱい臭気が押し寄せる

顔にも血がついている。それをすくい取って、舐めた。鉄サビの味だ。

 

「こげげげこごごごごご」

 

男の、驚くほど間抜けな響きの断末魔で我に返った。

死んだ…?

殺した…?

慌てて立ち上がり、脈を取る。

しかし男の姿は変わり果てて、どこが首だか手首だかわからない。ぼこぼこと浮き上がった浮腫が脈打って、ぐるぐるぐちゃぐちゃと骨を砕きながら変形していく。

ゴキゴキと音を立てて関節は逆に曲がり、バチンと音を立てて筋肉が避けて筋が跳ね、バキバキと音を立てて頭蓋骨は反対側へ反り返っていく。

大脳の中に人間性が詰まってる。

生命の歴史の中で人間が蓄えてきたものが脳の中にとろとろと揺蕩っている。

その人を人としている何かがこぼれ出していく。どろどろ、とろとろと。

悪夢のような光景。

いや、以前視ていた見慣れた光景。

ひとしきり人間らしい要素が消え去って、ようやく男の蠕動は一段落したらしい。

ガラステーブルに広がる赤いシミから、にゅっと白い手が伸びた。

白い白い、死んだ魚の肚の色。

その白い手は、冒涜的に壊された男の肢体を手繰り寄せ、ガラステーブルに広がる沼の中へ堕ちていった。

鞄と、飲みかけの紅茶を残して、男は沼に飲み込まれてしまった。

「………」

今起きたことを上手く理解できなかった。

ただ身体が芯からしびれるような感覚と舌先に甘さだけが残った。

 

数分の沈黙ののち私はディオに泣きついた。

 

 

 

「カブト虫…らせん階段…ジョット」

 

ディオの冷たい唇が宣託のような言葉を紡ぐ。

「イチジクのタルト…ドロローサへの道」

天国へ行くための言葉らしい。彼はいつも、話が途切れると口ずさむ。まるでこぼれていく記憶をすくい上げすすり上げるように。

「スタンド能力。男が消えたのは、お前がそれを使ったからだ」

「あなたの時を止めるとかいう、そういうやつですか」

「間違いないだろう」

「でも私はあなたのそういう能力を見たことがない。それにひょっとしたら、あの男がもうすでに幻で…私が狂ってるのかもしれない」

「…ここに来てから、スタンドは使えない。それどころか体も満足じゃない…けれどもここにいるわたしはわたしで連続性を持っている。その時点でもう、何かがおかしいんだ。その何かはお前以外に思い当たらない」

「…」

私は自分の額をおさえていた手を離してじっと見つめた。ベッタリと、あの日の家族の血がついているような気がした。

「…仮に、スタンドだとしたらこれは一体どんな力なんでしょうか。」

名前なんて意味があるとは思えないけど、私は何か形が欲しかった。

「まだ何とも言えない」

「名前…名前つけてくださいよ」

「名前か、それなら…」

 

このままいけば、男は行方不明扱いになるだろう。しかし疑われないためには目撃者を消さなきゃいけない。

私は男の残したバックをあさり、身分証を手に入れた。

男は大学教授だった。

私はちりちりした頭痛を感じながら、頭の片隅で後悔した。

それから数日後、私のスタンド能力がおぼろげながらつかめてきた。

あの男を殺して以来、家族の並んだ食卓と腐臭と肉塊に覆われた世界の夢がまた毎夜私を苛むようになった。

「…あ、ああ…あ…」

喉がひしゃげるような喘ぎ超えで目が覚めた。寝汗のせいで身体がベタついている。

しかしよく見ると汗だけのせいではなかった。首筋にべったりと血の跡がついている。

薄闇に目を凝らすと、床の下にとっぷりとくらい沼のようなものが広がっていた。

闇のそこから聞こえる声。じっとその黒に目を向けると絞り出すような声とともに微かな爪を引っ掻くような音がする。

耳を澄ますと同時に水面に真っ白な何かが浮いてきた。

ふいに現れた白に、思わず焦点をあわせた。異常な状況で目を逸らすことがどれだけ重要か経験で知っていたにも関わらず、私はそれを直視してしまった。

骨と、歯が。

前頭骨できれいに割れた顔面の肉と脂肪と骨で赤やらピンクやら白やらで彩られた斑の断面図からドロっと濁った眼球が髄液だか漿液わからない透明の液体を赤黒い血液と混ざりながらぷるぷる光るゼリー状の硝子体をはちきれそうなくらいに詰め込んで筋肉の残骸のような筋を垂らしながらブラブラと無様に一本の繊維でつながった上顎骨とその周りの肉を花のように散らした白い花弁のような歯と薄膜のような歯茎をまとわせ揺蕩い生々しい生きた血管がほんのちょっと脈打ち生き別れになったもう片方の眼球がこちらを

 

ぎょろり

 

と睨みつけた。

 

「あ、あ、あ…!」

 

咄嗟に、私は枕元の電気スタンドを掴んだ。

そしてすでに破壊され尽くしたぐちゃぐちゃのそれに振り落とした。

 

「スタンドの制御ができていないのだな」

「どうすればいいんですか」

破壊しつくした部屋に座りつくす私を見降ろし、ディオは酷く冷静な声で言う。

「定期的に使うことだな。普段使わずにいるから暴走するのだ」

「定期的に使うですって?猫でも殺せばいいんですか」

「そうはいってない。…そうだな、わたしも腹が減ってしょうがない。ここはひとつ、協力し合おう」

 

そうして私たちの団欒が始まった。

地獄は日常へ替わり、日常とはすなわち私にとっての正常な世界。元の形がわからないまでにこね回された肉塊たちは食事の時だけ現れる隣人となり、私はようやく狂気に線引きができた。

 

私は山井夜として人生を始めて歩き出した気がした。

 

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