イタリアにやってきて2日が経った。
南イタリア、ナポリは観光地と言う事もあって廃墟や廃屋などは見つからない。しかたがないので部屋を借りて自前の遮光の施している。手製ということもありうっかり棺の外に出るのは危険だったが、ディオは慣れているようで日中はバスルームなどで本を読んだり、棺で寝たり、気ままに過ごしていた。
ディオはそれでよかったが山井はそうはいかなかった。
「DIOさん…ちょっとこれ尋常じゃないですよ…」
山井は汗をぬぐいながら部屋に帰ってきた。つい先ほど近場の喫茶店で色々調べ回ってわかったが、どうやら街にはギャングが多数存在し、そのギャングたちの多くがスタンド使いのようだった。なぜギャングかどうかわかるかというと、服装が明らかに常軌を逸していたからだ。派手な色だけでは飽き足らず、穴だらけだったり仮面をつけていたり、もう滅茶苦茶だった。
山井は人間とスタンド使いの違いをようやくみつけたらしい。スタンド使いだけ、以前彼女が見た肉腫の悪夢が貼りついているらしい。
室内をいじくってもいい場末のホテルなだけあって治安が悪いようだった。
「正気を失うかと思いました」
「…正直ここまでスタンド使いがいることは想定していなかった」
「空港で気配を探ろうとした時は、スタンド使いはいませんでした。ですが市街に入ってからはもう気配とか曖昧なものでは把握できない人数なんです。これだけあたりが多ければ息子さんにもすぐ会えそうですね」
「ああ、それはわたしも同意見だ」
ディオの予感も同じことを告げている。息子の気配を感じる。このナポリに。
「あとこれは私の勘ですが…土地には因縁というものが染み付きます。自分の運命が他者と密接にからみつく事があるならば土地も然るべきだと思うのですよ」
山井は自分の手のひらで自分の頬を触った。彼女がものをきちんと考えるときの癖で、それは自分がまだ人間の形を保っているかどうか確かめているようだった。
「痕跡を探しましょう。今ここに拠点を置いているのならば、昔一度はここに来た事があったり、暮らしていたり、事件に巻き込まれたり…そんな事があっても不思議ではないでしょう」
そう言い終わると、山井はサイドテーブルに置いてある林檎を一個掴み、齧る。
「永遠は天国でしょうか」
「いいや、なぜ?」
『火山灰に沈んだ街には永遠が横たわる』
山井はベッドに広げっぱなしの旅行雑誌から言葉を拾ったらしい。
「…ポンペイ遺跡って一夜にして火山に飲み込まれたらしいですね」
「ヴェスヴィオ火山だろう。…この宿の屋上に行けば見れると思う」
「一瞬にして生き埋めにされて、肉体が朽ちた後に残った空間に石灰を流し込んまれて晒され続けてるそうじゃないですか。それってもう永遠じゃないですよ」
「発掘されてからは風化し崩壊していく…確かに永遠でなくなっている。だが、生き埋めにされた本人には永遠のままだ。彼らの時間はそこで止まって、二度と進みえないのだから」
「私たちが勝手に意味をつけてるだけ?」
「雑誌とはそういうものだ」
「はー、吸血鬼かっこわらいさんは言うことが違いますね」
「話を振ったのは誰だ?」
「ソドムとゴモラの伝承にも似てますよね。灰で埋められた死人たちは皆、塩の柱」
山井はそう締めくくるとベッドに倒れた。
「……日が沈みますね」
「ああ。体力は残っているか?」
「ええ。…話をしてたらすごく遺跡に行きたくなったので行きましょうよ」
「そうだな…『食事』ついでに行こうか」
「約束ですよ」
「ああ、約束だ。…シャワーを浴びたら出かけよう」
…
「スミマセン、この遺跡へのバスはどれですか?」
夕暮れ時に観光地に行く人間、それもアジア人の女性一人を見て、男は目を丸くした。そして次に「なるほど、アジア人にしてはなかなか悪くない」と思った男は優しく僕が送ろうか?と提案する。女は嬉しそうに笑い、拙いイタリア語で礼をいう。
車に乗って通じるようで通じていない会話を交わすうちに、女はこのまま夜の車で何が起きるか期待しているかのようなこびた笑みを浮かべ始める。
車を停めても不思議がらずにこちらにあつい眼差しを向ける女に口づけをし、華奢な肩をそっと押した。女は抵抗なくシートに倒れ、薄い唇を舐め、じっと目を見つめる。
色っぽかった。イタリア人ではまずありえない子供のような体型とのアンバランスさも相まって、男はより欲情を煽られる。
もう一度キスしたその瞬間に腹に強い衝撃を感じ、ついで全身がおぞけ立つような異物感に支配される。
絡み合う舌を引っこ抜き、己の腹を見ようとした。
しかし女は舌にがぶりと噛み付いた。
鈍い痛みと下に走る鋭い酸っぱい痛みとで男は完全にパニックに陥り、女からなんとか離れようと体をよじった。しかし体は舌ではなく腹の部分で押さえつけられ、逃れることは叶わない。
脳を巡る血が急速に失われ、体の穴という穴から何かが流れていくのを感じた。それは射精に似ていた。女にすべてを吸われるようなその感覚に異様なまでの快楽を感じた後、男の命は尽きた。
「はぁ。貞操の危機でしたよ」
女は自分の上に落ちてきた男の亡骸を重たそうにどけて、自分の口から流れる男の血を拭った。男を死に至らしめたそれは首筋に走る痛々しい傷跡を撫ぜながら、悪びれずに言った。
「キスくらい」
「ファーストキスだったんですが…」
「嘘だろう」
「嘘ですが」
こうして獲物を誘い出すのは山井で、襲うのはディオの役目だった。
殺された男は腹に大穴を開けているが出血は少なかった。ディオに血を吸われた肉体はカラカラとまではいかないが大量出血などで周りを汚さない。
「まあでも、キス程度で車が手に入ってよかった」
山井は男を車からどけ、路傍の草むらに足で蹴り飛ばしてからハンドバッグにしまっていた折りたたみナイフを取り出し、雑に顔面に突き刺した。
真っ白な肌はゴムのようにナイフの刃にひっかかり、べろりと剥ける。その下にある頬肉もまた血の気がなく、映画に出てくる作り物の死体のようだった。
山井は次いで背中にもナイフを滑らせ、背骨に沿って切れ込みを入れる。ジーンズを剥がすのは面倒くさがり、上から数度ナイフを突き刺すにとどめた。
切り取り線のような加工でも、山井のスタンドは姿を見せる。
濃密な血の匂いがあたり一面に充満し、死体のすぐ下に血溜まりが広がる。紙細工のような色の手がぬら、と粘液をぶら下げながらでてくると切れ込みに沿って男を解体していく。ぶつぶつと千切られていく人体はある段階を超えると単なる肉にしか見えなくなり、それが転じて普段食べる肉もまるで人間だったかのような錯覚に陥る。
男が散り散りになる様子を山井はぼうっと見ている。それが終わるまでディオは周囲を観察していた。
終わった頃に車のそばに戻ると、山井は車を点検していた。
「車、運転したいですか?」
「いいや」
「やったー」
喜ぶからにはうまいのかと思ったが、期待は見事に外れた。山井は新車のように磨かれた車体に3つも傷をつけ、終いには廃車にした。
生まれてるはずの年数から年齢から推測し、ナポリの中学校を中心に回り始めて早くも5日が過ぎた。
今日はネアポリス地区まで聞きこんだら終わりにしようと、山井は日傘をさしながら手にした落書きだらけの地図を見て大きくため息をつく。ため息をつきながら一番近場にある中学校へ足を向ける。
学校が近づくにつれ学生服姿の少年少女が増えてくる。
山井は全員の顔が入るように無差別に写真を撮りまくる。アジア人なおかげでカメラを振りかざすのはさほど不自然に見えないのが救いだった。しかし山井は早くもその作業に飽きを感じていた。あの怪物の子どもがのんきに中学校に通ってるとは思えない。
登下校の時間以外は観光に使った。どうせホテルに戻ってもすることはない。
日が沈む前に部屋に戻り、『狩り』の前にしっかりシャワーも浴びて着替えて眠った。
ディオは山井の収穫を確認し、自身も着替えてしばらくクーラーという文明の利器の心地よさを甘受した。
山井は相当深く眠っているらしく、結構物音をたてても微動だにしない。
死んでいるのかと一瞬不安になり脈を確認したが、いたって健康な肉体をしていた。
「…ぐっ」
よるが突然唸った。どうやら夢を見ているらしい。
寝がえりで仰向けからこちら向きに体勢を変えた。表情が陰ってよく見えない。
「ああ」
まるで何かへの返事のような寝言を発した途端、どろ、となにか生温かいものがディオの手に絡みついた。
ぞっとして手を振り払うと、山井の体が接したシーツの面がじわ、と血を滲ませたように焦げ茶色に染まる。そしてその染みから汚水を吐き出すような音を出しながら血の塊がぼたぼたとシーツを汚していく。
久々に見る山井のスタンドの暴走だった。ただ不快な風景がじわじわと部屋を侵食していくだけで直接攻撃を加えられたりはしないとは言え、こんな空間に一日閉じ込められたら発狂しそうだった。びちびち…と血管のようなものが音を立ててベットを中心として部屋を包み込んだ。
彼女の見ていたという世界がこれだとしたら、幼いころに直面するにはあまりにもグロテスクだった。
山井の足元で真っ白い腕が何本か彷徨うように床から生えてゆらゆらと揺れている。ごぼり、と血のたっぷり詰まった肉袋のようなものも出現する。
山井はディオとの食事のおかげで随分スタンドを制御できるようになった。だがそれでも時折無意識に能力を使ってしまうらしい。
山井は安らかな寝息を立てている。彼女の目覚めと共に肉壁は消え去るはずなのだが、あまりの安眠っぷりにいつも起こすのをためらう。
「…ふがっ」
日が沈み切った頃、山井はようやく目を覚ました。
目を覚ます直前にあの肉片と血は例のごとく床や壁に吸い込まれるように消えた。
一週間夜の街を歩けば、なんとなくその町に住む人の顔を覚えられる。山井はスタンド使いにしかついてないどろどろとしたグロテスクな肉を見て日々吐き気を訴えていた。
しかし徘徊自体は好きなようだった。
「私、あることをとっても心配していたのです」
「なんだ?」
「貴方は私にしか見えないなにかなんじゃないかと。でもほら、グラスは二つあるし、店員はがめつくチップを倍請求する。貴方はここにいるんですね」
ホテルのそばのピアノバーで、山井はデザートのソルベを食べながら嬉しそうに言った。ディオは自分をそんな曖昧な存在だと思っていたらしい山井を見て軽く微笑んだ。
今まであった人間はどこか狂っていたがこれはとびっきり壊れていて面白い。狂いつつも高潔な人間とはまた違った趣のある性格だった。
さきほど食べた皿をボーイが片し、上物なのに穴だらけのスーツを着たギターでも弾いてそうな美少年が壇上に上がり、ピアノを弾き始めた。
ゴルトベルク変奏曲、アリアだった。
「ああ、彼はお客のことなんて気にしない奏者みたいですね」
「気楽だよ」
「私もピアノが弾けてたら、ああいう風に気持ちを音に乗せられるんでしょうか」
「お前に気持ちがあるのか?」
「貴方こそ。心に傲慢以外なにかありますか?」
「慈愛ならある。お前が生きてるのが証拠だ」
「へえ、ならば私にもありますね。貴方が生きているのが証拠です」
山井がソルベを嘗め尽くすと店員は食後酒を進めてきた。適当に持ってくるように言うと、曲調はがらりと変わりチェンバロ協奏曲、アリオーソへかわっていた。バッハにご執心らしい。
酒が運ばれてくるころにはシチリアーノに代わっていた。
「悲しいことがあったんでしょうか。あ、今私の心に共感性が芽生えましたね」
奏者はバーを経営するには若すぎるように見えた。鍵盤を見るまなざしも草臥れ、どこか泣きつかれた後の子どもにも見える。あどけなさが傷跡から見え隠れするようなそんな少年は曲を弾き終わると誰にあいさつするでもなくバックヤードに引っ込んだ。
「行こうか」
とディオが窓の外を見ると、ある一台の車が目に入った。一目で高級車とわかる黒光りの車のカーテンの隙間に見える金色の髪。
直感した。
「見つけた」
「へ?」
山井は出しかけの財布を取り落とした。
車は去ったが、ディオはナンバーをしっかり覚えていた。
「明日からは忙しくなるな」
山井は「じゃあこれは貴方のおごり?」と尋ねた。
…
「どうした?貴様のスタンドはその程度か?」
運転手をしていたピアスの男は人気のない路地裏に追い詰められた。男は恐怖に満ちた表情でディオを見上げた。
「チクショウ…一体俺が何したっていうんだよ!!」
「なに、少し貴様らの組織の事を話せばもう関わりはしない」
このちんけな男のスタンド能力は地雷原を作り出す中距離タイプのスタンドだった。近距離に入って生殺与奪権を握ってしまえばもう反撃すらする気力が殺げてしまうようだ。随分腑抜けたギャングだ。
「昨日お前が送迎していた男の名は?」
「いうわけねえだろ、バカかよ」
ディオは先ほどと同じように、男の顔からピアスを一つむしり取った。
「ボスだよ!ボスなんだ!だから言えねえ、これ以上は」
「学ばないな」
男はディオが広げた手のひらを見て悲鳴を上げ、縮み上がろうとした、がそれは不可能だった。瞬きした瞬間、男の頸は締め上げられ、雨風で汚れた壁に叩きつけられていた。
「言ったら殺される?それとも知らないのか?まあいい、どちらにせよ貴様は再起不能になるのだ。少しでもましな入院生活のためにも洗いざらい吐くのが身のためだが」
「ふざけんな!俺を痛めつけたら組織が黙っちゃ」
「聞きたい答えが聞こえないが」
ディオは首から腕を離し、倒れこんだ男の背中を思いっきり踏みつけた。あばらが折れる感触がした。運悪く瓶を下敷きにしてしまったらしい。蹴り飛ばし仰向けになった体を見ると割れた破片が腹部に刺さっていた。
男はすっかり抵抗する気力を亡くし、泣きじゃくっていた。
「お前の口の堅さには感心した。どこまで黙ってられるか知りたいから協力してくれないか」
ディオはその弱さにイライラして、ガラスの破片を拾い、それをゆっくり一つずつ、無理やり開かせた男の歯茎に刺しこんでいく。
「あああああああああああ!」
男は悲鳴をあげながらもがく。しかし片手で持ち上げられているに等しい状態では、爪先がわずかに地面をひっかく程度だ。
ガラス片がたった2つ頬と歯茎を貫いただけで男は根を上げた。
「いう!いいまふ!!!やめて…!」
男は恐怖と痛みに顔をゆがませながら必死にガラス片の刺しこまれた口で言う。
「パッショーネ…パッショーネが組織の名前…!俺は下っ端だから、ボスの事なんてわからねえよぉ…!なんで俺なんだよオ…!ボスの事なら、『恥知らずのフーゴ』に聞けよ…!俺なんかに聞いたって…!」
わんわんと泣きながら発狂しかけたように男は言う。
タガが外れたように知っている限りの情報を吐露していき、しまいには自分の人生を語りだした。
「そうか、ご苦労」
ディオはガラス片を空中に投げた。男の目に表の路地の明かりを反射したガラスがうつった次の瞬間、そのガラス片は男の目に刺さっていた。
瞼を閉じられないほど差し込まれたガラス片を認識した途端、男は発狂したような悲鳴をあげようとし、のどいっぱいに死んだ野良猫の死骸を詰められた。すべてが一瞬のことだった。
男が状況を理解しようとすらできないうちに、ディオは夜の闇に消えていた。