「……あづ…」
イタリアの日差しは強い。
日本のだって馬鹿にできないがこんな一日中外にいたら長年培ってきた美白が真っ黒になってしまう。
金曜日。王宮前の階段の片隅で日傘に体を隠しながら山井は日本から持ってきた本を読んでいた。
手紙で予告した通りの場所を観光できる画期的なシステムにしたのだが、一日中見ていられるほど観光できる場所でもない場合を全く想定してなかった。
夕方までこうして読書をしたり、ぼーっとしたりして時間を潰している。日本でも日々こうして時間を潰していたとはいえ屋外となると疲労がたまる。
あと黄色い日傘とかノリで書いてしまったが、黄色い傘は結構目立って恥ずかしい気持ちになる。
「やるの私だって忘れてたよ…」
ため息をついて日傘をたたみ、少しでも涼しそうなカフェへ移動することにした。今日はもう見つけてもらうのはやめだ。
初め一週間は楽しかったが、二週目ですでに飽きている。
注文したコーヒーを一口飲んでカフェインの恩恵を感じる。クーラーの冷たさも相まって暑さでぼうっとしていた頭が冴えてきた。
思えばこうして外で頭が冴えた状態になるのは自分にとって革命的だ。ディオが現れる前、自分は数種類の安定剤と精神薬で常に頭が朦朧としていた。外に出るときはその倍の頓服薬を用い、なんとか正気を繋いでいた。
自分はこれまでの人生の半分以上を霞のような時を過ごしていたのだ。そう考えると自分がまるで産まれたての胎児のように思える。頭蓋から生えてきたディオと同時に私もまた母の子宮から生まれ直したのだろうか。
私は、ようやく食べ物の味を感じている。素晴らしいことだ。
そうしてようやっと気付いたがどうやらこの付近に一人、スタンド使いがいるようだ。
スタンドらしき肉塊がやけに視界に入るのだ。手紙を届けたうちの一人だろうか。ジョルノ・ジョバァーナ直々の偵察ならばいいが、手紙を渡した人物が届けずに張っているという可能性もある。
金曜日の手紙を渡したのは
「誰…だっけ」
山井は致命的に人の顔を覚えるのが苦手だった。
しかたがなく、周囲をカメラのズーム機能を使って窓の外を見てみる。
わかっているという警告の意味も含めているが、それがきっかけで攻撃されたらこちらの負けはほぼ確定している。
自分のスタンドを発動させれば、スタンド攻撃による捕縛、または直接攻撃は免れる。しかしこんな喫茶店でスタンドを発動させて周囲の一般客を巻き込まないでいられる自信はない。虐殺は手順に含まれていなかった。
もし今見張っている人物が自分を殺すつもりならとっくに殺してるし、捕まえるつもりなら喫茶店にいれば問題ない。日が暮れるまで居座って、ディオが迎えに来たら横を通ってかえってやってもいいだろう。
山井は喫茶店の中の電話を借りてホテルにかけた。何回かコール音がしたあと、ディオの声が聞こえる。
「迎えを頼んでも?」
二つ返事でオーケーだった。
山井は読みおわってしまった本をもう一度読む他なく、漠然と無為な時間を喫茶店で過ごした。注文しないと追い出されるのでどんどんコーヒーとサンドイッチを頼み、かさんでいく領収書をみて、ディオに金も持ってくるように頼めばよかったと後悔した。
ディオが来てから周りを見回したが、スタンド使いの気配はなかった。結局その日はディオも山井も有り金を全部コーヒー代にかえてしまい、帰りがてらの食事後みっともなく死体から財布を漁る羽目になった。
深夜になってようやくホテルに帰ることができた。ドアを開けると、テーブルの上にたくさんのトランプがバラまかれていた。タワーを作っていたらしい。
トランプタワーは崩れていた。そして作っていた本人はすぐにベットに寝っ転がってクーラーのリモコンをいじっていた。
「やり方、変えるべきですかね」
「いや。ジョルノという人物像を聞く限りお前をいきなり殺したりはしない。だが今後はわたしの迎えを待って帰ったほうがいい。居所を知られて昼間に襲撃されてはたまらないからな」
「そうですね。…トランプタワーは出掛けてる間に崩れたんですか」
「出かける前に崩したんだ。今日の成果は?」
「さっきも言いましたが一人こっちを探ってきているようですね。でも殺されなかったし、無理に接触しようともしてこなかった」
「危険に晒して悪いな」
「はあ。今度は楽な方法でやりましょう。私の仕事、多すぎ」
「しっかりと働いてくれ」
「…この化物」
ディオは笑い、山井は睨む。
しばらくしてから山井は顔をそむけ、トランプを片付けて眠りについた。
……
黄色い日傘にランチバスケット。アームカバー。
曜日と場所と滞在時間。
これに該当する人物が一人浮かび上がった。水、木、日の予告通りにその場所に張っていればすぐにわかる。
その人物の写真を眺めながらジョルノは首をひねった。そこに写るのは全く見覚えの無い、アジア系の女だ。ディオ関連の人物かとポルナレフに尋ねるも、彼も見覚えがないと言っている。
【《月曜日 ナポリ大聖堂に行こう 日傘をさして、ランチバスケットは大きめに》】
もし彼女がナポリ大聖堂に現れたら『DIO』の使いと認識し、声をかけ次のとっかかりをつくり、場合によっては拘束し連れていく事になるだろう。
「…ポルナレフ。どう思う?」
「手紙に書かれた特徴と合致する以上あたるべきだ」
「そうだな。だが…」
白すぎる肌に長い黒髪。本当にただの観光客にしか見えない。そのうえひどく幼く見える。こんな人物がディオ・ブランドーとその足元に続く殺戮の轍の上に立っているとは思えなかった。
月曜日。ナポリ大聖堂。
シーズンが終わりに近いせいか観光客はめっきり減っているとはいえ、いつもどおり外国人で混雑していた。
午前11時…早くもランチに行こうとする人ごみの中黄色い日傘を揺らして一人の女がその中に入っていく。
ジョルノはそれを確認すると、ミスタに手でサインを送る。
段取り通りに行くと、ミスタが接触し異常がなく穏便に事が行きそうな場合のみジョルノが合流する。しかしもちろん穏便に事が行くなんてことは考えていない。
「…………」
冷たい石造りの建物内には観光客がちらほらといるものの、人の体温を感じさせないしんとした空気が漂っている。
ミスタは懐に携えた拳銃をいつでも取り出せるようにしつつ、教会内を歩く。
黄色い傘は仕舞ってしまったらしく、目印にならないのでなかなか目的の女が見つからない。周りを見回しながらあるいてるうちにどんどん人気の少ない方へ行ってしまう。
女の写真を取り出し、顔を再度確認する。
拡大コピーされた横顔をじっと見、いまいち事情を飲み込みきれてないながらもジョルノに与えられた役割を果たすべくその顔を瞳に焼きつける。
『彼女を見つけたら攻撃はせずに、普通に話しかけてぼくの名前をだしてみて様子を見てくれ。攻撃してきたら殺さずに拘束だ』
ジョルノの言葉を反芻し、教会内を探す。
すると大きく開けたホールのような空間の中心に、白い壁から滲むような黒い髪が見えた。
それは背中を向けており、カメラで天井部分を撮影しているようだった。
ミスタは銃を服の上から押さえ、一息つくと意を決してそっちへ歩いて行く。
女は変わらず撮影を続けている。
カメラを持ち上げる腕にはアームカバー。そしてランチバスケットとたたまれた日傘も足元に置かれていた。間違いない。
「……オイ」
「…………はい?」
声をかけると、女はちゃんと反応した。
バスケットからは旅行雑誌がはみ出している。ごく普通の観光客にしか見えない。念のため写真を引っ張りだし、目の前の顔と見比べる。同じ顔だ。
「お前か?手紙を配達してんのは」
「手紙?」
「すっ呆ける気か?手紙通りに律儀に行動してるのはしっかり把握してるぜ」
「……あ、ああ…!ジョルノさんに届いたんですね!」
思いの外あっさりと駆け引きが終わってしまった。
しかも緊張感も何もなくどこかほがらかな雰囲気だ。拍子抜けどころじゃない。
「うーん…なんというか…お父さんには似てないですね…」
「俺はジョルノじゃねぇ!」
「あ?そうですか。よかった…聞いてたのと全然違うから戸惑っていました」
「…詳しく聞いてはねーんだがよ。うちの組織の下っ端に手ェだしたって事忘れてねーよな?」
「詳しく聞いてない貴方も下っ端なんじゃないんですかね」
「ンだとォ…もしかしてテメーオレの事しらねーのか?」
「はあ。でも手紙を見てきたっていう事はやっぱりジョルノさん由来の方ですよね?」
「ジョルノはそうそう簡単に出てこれる立場じゃねーんだよ。だからオレが代理できた」
「そうですか…そうですよね」
女はそう言うと屈んでランチバスケットから手紙を一通取り出し、差し出した。例の封蝋がなされている。
「なんにせよ私のナポリ観光もここまでですね…これ、ジョルノさんに手渡ししてほしいのですが」
「なんだ?また暗号か?」
「いいえ。強いて言うのならば招待状ですね」
「招待状…?」
「差出人はあくまでもジョルノさんに会いたいだけなんですよ」
「胡散くせーな…敵か味方かもわかんねーお前の飼い主から招待状?笑わせる」
「私も来るわけないって思ってますよ。でも違うんです。無理矢理でも来させてやるつもりなんでしょう」
「はァ?来させる…?なんだこれからまだ何か暗号でもだそうってーのか?」
「いえいえ、今回は直球で行きますよ」
やけに会話を長引かせる。そして胡散臭い。穏便に済ませるつもりがあちらにあるのか測りかねるくらいにこの女の漂わせている雰囲気は不気味だ。不気味というか、気持ちが悪い。
容姿は悪くないし、それ意外もごく普通の女という感じだ。しかしこの女から滲みでるなにかは生温く濁った汚水のような、そんな生理的に相容れないものを感じさせる。
「招待状の場所にこなかったときはもちろん別の手を考えるしかないですが…そうですね。ギャングを殺しまくるとか」
「……どうにも気に入らねえな…その態度」
「ごめんなさい。イタリア語まだ全然下手なんです。ではまた」
そう言うと女はランチバスケットを持ち上げて背を向ける。
「ま、待てッ!このまま返すとでも思ってるのか?」
「…返さないっていうんですか?まさか…ナンパですか?」
「アホかァテメーーッ!」
「え?」
山井はふざけている様子ではなかった。叫んでいるミスタのほうがおかしいんじゃないかと言いたげな目で見ている。…逆に何故こいつはナンパなんかされると思っているんだろうか。ナランチャを彷彿とさせる馬鹿さ加減だ。
「じゃあ一体何の用ですか?私、この仕事が終わったら別のとこ行こうと思ってて…」
「バカにしてんのかコラ!なんで怪しいお前をほっぽってオレは手紙受け取るだけで終わるんだッつーの!」
「そ、そんな事言われても。戦うとか無理なんですが」
「拍子抜けにもほどがあるわッ!」
「じゃあなんですか?私を倒して人質にでもするんですか?」
「…それだッ!それしかねェ」
「え、うそ」
山井はビビりながらあわあわと手を動かし、色々迷った結果傘をかまえた。
「か、傘で戦うのかッ!!てめーのスタンドは傘なのか!」
「違いますよ!危ない空気だからなんとなく構えただけですよ!」
じり、と傘を構えるヨルに対して拳銃を抜く構えに入るミスタ。
しんと静寂に包まれながら二人は互いの動きを観察する。少しでも動いたらなにか食らわせられる気がする。そんな緊張感がホールを包み込む。
「……ミスタ…何かあったのか?」
ジョルノは中々教会から戻ってこないミスタにしびれを切らしていた。
教会に入ってから1時間は経過している。
なにか事が起きて今苦戦を強いられている最中なのだろうか?いくら巻き込む人数を減らすためとは言え、ミスタを行かせたのは間違いだったか…。
相手は『DIOの使い』なのだ。当然スタンド能力者かある程度の戦闘技能は持ち合わせているだろう。
「仕方ない…行くか」
ジョルノは車を降り、教会へ向かう。
教会に入ると、いつもより人は少ないながらも普段通りの静かで荘厳な造りに目を見張る。
どうやら目立って騒ぎは起きてないようだ。
歩きながらミスタを探すもなかなか見つからない。どんどん観光客が向かわないような場所へ歩いて行くと、大きなホールで傘を構えた写真の少女とミスタがいた。
「………」
ミスタは拳銃を出していないしスタンドで戦い合ってるわけではないようだ。
なら何をしてるというんだ…?
「……」
なんだか異常なまでに緊張感があるせいで変に言葉をかけにくい状況になっている。
もしや高度な心理戦や精神攻撃をしかけるスタンドの使い手なのだろうか。
「……ぐっ」
写真の少女が突如唸り、傘を取り落とした。
ミスタががばと、拳銃を抜きかける。
決着がついたのか!?と思いジョルノもすぐに援護できるように体制を整えた。
「手の筋肉が…限界です…」
「拳銃の方が重いのになさけねーやつだな」
「女相手にイキるなんて…」
「ちょっ……」
我慢対決なのか…?
理解しがたい状況に一瞬頭がくらっとした。しかしここでたちくらんでる暇はない。
「ミスタッ!取り押さえろ!」
「!」
少女が驚いた表情でジョルノの方を向き、ミスタは脊髄反射で少女の方へ駆けだす。
「わっ…」
少女はワンテンポ遅れてだがワンピースのすそを翻し、中からメスを引き抜く。
メスを持った右腕を真っ先に取り押さえ、力づくで組みふせる。頭一つ分低い女の体は簡単に固い大理石に叩きつけられる。
「ジョジョ…!」
「なにやってるんだミスタ」
「なんか夢中になってた…すまない」
女は足をばたつかせて抵抗するが形だけのようでまったくミスタは動じていない。
「いきなり地面にたおすなんて…流石ギャング、汚い手口!」
「うるせー黙ってろこのッ!」
「君が手紙の差出人か?」
「……あなた…ジョルノ・ジョバァーナ…?」
少女は目を丸くしてじっとジョルノの顔を見つめている。
「やっぱりお父さんにはあんまり似てないんですね…」
「本当に父親を知っているのか?」
「ええ。仲良しです」
「何の話をしてるんだ?ジョジョ」
「…ミスタさんでしたっけ?先ほどの封筒、ジョルノさんに見せてやってください。せっかく会えたしここで返答もらえた方が手っ取り早い」
「命令すんじゃねーよ。悪いジョジョ、オレのポケットに封筒があるからとってくんねーか?」
「ああ」
ジョルノはミスタの尻ポケットから一通の手紙を引っ張り出す。
同じ封筒に同じ封蝋…確かにこの女が配達人だったようだ。
「……」
慎重にその封を開け、中のたたまれた便箋を開く。
そこには以前のような簡素で汚い文字ではなくやけに綺麗な文字で
《金曜日。ローマグランドホテルスイート》
と一行書かれていた。
「これは…」
「招待状ですよ。…日付がないのは勘弁して下さいね。いつ会えるかわからないもので」
「なるほど。ここに来れば会えるというわけか」
「そうですよ裏を返せばそこ以外で会う気はありませんって事です」
「はあ?お前は自分の立場がわかってねーのか?」
「実はちょっとよくわからないのですが。え?まさか殺される?」
「たとえばだが、自分に危害を加えるかもしれない危険が目の前にあったらどうにかして動きを封じたりもしないのか?」
「…………ああ、わかりました。そう言う事ですね」
女はやっと理解したらしくがっかりしたような顔を地面にこすりつける。
「ですが私が無事に帰らない場合、私の主人が暴れまくるかも…」
「脅しのつもりか?」
「いえ、これは脅しですよ。私が死んだらむしろ暴れる口実ができて喜ぶでしょうね」
「随分親しいんだな…わかった、じゃあ今日一日だけお付き合い願う事にして夕方には帰ってもらうとしよう。これなら…怒りもしないだろう?」
「な…」
「そりゃステキなデートになるな。よかったじゃねーか、バカ女」