Fate/Digital traveller 作:センニチコウ
休み明けの月曜日というのは総じて憂鬱なものだ。
それは学生といえど変わらない。
「ふ、わぁ……」
口元を抑えあくびを噛み殺す。
家を出て数分。目的地である校舎が見えてきた。
月海原学園。私の通っている、普通の高等学校だ。
しかし、今日はいつもと違って校門の辺りが少し騒がしい。
なにかあったのかと少し焦ったが、登校してきた生徒が黒い制服の生徒に呼び止められているのを見て安心する。
ああ、そういえば今日から/今日も学内風紀強化月間だっけ。
「っ?」
一瞬、ノイズが走ったかのように思考が乱れた。
不快感に頭を抱えるが、自分が何を考えていたのか思い出せない。
思い出す必要もないことだと思うが、なにかがひっかかる。
「おはよう! 今朝も気持ちのいい晴天だな!」
「お、おはよう、一成」
なんだったかと考え込んでいた私に、彼は元気よくあいさつしてきた。
柳洞一成。
この学園の生徒会長であり、私の友人だ。
……友人?
私に、人間の?
再び乱れた思考は、すぐに一成の言葉に引き戻された。
「ん? どうした、そんな驚いた顔をして。今日から学内風紀強化月間に入ると言っておいただろう」
その言葉に違和感を感じる。
原因はすぐにわかった。
聞いてもいない情報を突然、しかも決まっていたかのように話し出したからだ。
──気味が悪い。
さっきまで友人だと思っていた彼に、私はそんな感情を抱いた。
たった一言、されど一言。小さな違和感が、気味の悪さを胸の中で肥大化させていく。
言葉が出ない私を見つめながら、彼は言葉を続けた。
「では、まずは生徒証の確認だな」
それでも言われるがまま、懐から生徒証を取り出す。
名前は? と知っているだろうことを聞かれた。
視界がぶれる。眩暈で一日目の朝に戻されそうになる意識を、なんとか繋ぎとめた。
昨日まではそれで曖昧にされていた質問に、はっきりと答える。
「クレア・ヴィオレット」
「よろしい。天災はいつ起こるかわからんものだ」
そう言って、一成は検査を続けようとする。
しかし、私はもう限界だった。
あまりの気味の悪さから逃げ出すように走り出す。
乱暴に押しのけられた彼は、それでも自分の役割に徹する。
「次は鞄の中身だ……ノート、教科書、筆記用具……」
誰もいない虚空に話しかける姿は、まるで人形のようだと思った。
*
授業を受け、友人と話して、また授業を受ける。なんの変哲もない普通の日常。
そう、今まで普通の日常だと思っていた。
けど、違う。
校門での出来事からなぜかそう思うようになった。
話しかけてくる友達にすら気味の悪さを感じてしまう。教室から逃げ出すように廊下に出ても、それは消えてくれない。
この校舎、いや、この世界にあるすべてが偽物に見える。
早くこの気味の悪い世界から逃げ出してしまいたい。
しかしどうやってここから抜け出すのか。その方法はわからないし、思い浮かびもしない。
なら、このままこの世界にいることを許容する?
……いいや、だめだ。それだけはしたくない。
わからないのなら調べればいい。ただそれだけのこと。
もしかしたら、出口が見つかるかもしれない。
「よし」
そうと決まれば即行動。考える材料が少ないときは、行動して情報を集めるべし。
誰かにそう教わった覚えがある。
「……あれ?」
誰かって、誰だっけ?
いや、わからないからそう表したわけだが、考えても全く出てこないのはおかしい。
誰かだけではない。いつ、どこで教わったのかも思い出せない。
言葉ははっきりと思い出せるのに、それ以外は朧気にすら出てこない。
ただ忘れただけ。それで終わればいいのに、私は必死に思い出そうと頭を捻る。
そして、気づいた。
気づいて、しまった。
「あ、れ……」
私の母親は誰だ。父親は、兄弟はいたのか?
家はどこにある。今朝、ここまで来る道はどんな風景だった。
私は、一体どんな人生を歩んできた?
自分のことも、家族のことも。何一つとして思い出せない。
その事実に背筋が凍る。不安と恐怖が津波となって襲ってくる。
このままではいけない。先程より大きくなった思いに従い、早急に動き出す。
違和感の強い場所を探すんだ。
校庭、弓道場、体育館。校舎の外にあるあらゆる場所を歩き回るが、特に気になる所はない。
となると、残るは校舎内だけ。昇降口から中に入り、まずは教会に向かってみる。
教会の中は校舎とはまた違う違和感を感じたが、直感的にここが出口ではないと思った。
一通り見て回る。しかし、やはり出口らしきものは見当たらない。
少し落胆しながらも次へ行こうと教会から出た。
「? 子供?」
教会と校舎を繋ぐ広場。そこにある噴水の向かい側に、見覚えのない少女がいた。
噴水越しでも分かる、真っ赤な瞳。
少女もこちらに気づいたのだろう。
子供らしい大きな目が瞬きを繰り返してる。そしてほんの少し考え込んだ後、にこりと輝かしい笑顔を浮かべた。
癒されるような元気な笑顔に、こちらも微笑み返す。
そして、一瞬の瞬き。
噴水の向こうにいた少女の姿は消えていた。
「え?」
周りを見渡す。
少女は校舎に入る扉の前でじっと私を見ていた。
「お姉さん、こっちだよっ」
そう無邪気に笑った少女は、扉を開けて校舎へと入っていく。
慌ててその後を追いかけた。
少女は昇降口辺りで立ち止まっていた。しかし、私の姿を確認すると再び走り出す。
私も走り出すが、元々距離があったせいか追いつくことができない。そのまま追いつけず、少女は廊下の角を曲がり姿を消してしまった。
だがあの角は何もない行き止まり。なぜそんなところに逃げ込んだのか疑問はあるが、捕まえて事情を聞けばいい。
角を曲がる。
そこには少女がいる。
「なっ!?」
はずだった。
しかしそこに少女はいない。今まで来た道を振り返ってみても、少女の姿はなかった。
なにが起きたのか理解できない。確かに私はあの少女を追いかけていたはずなのに。
もう一度少女が消えた場所を見る。
そうして、気づいた。
どうしてさっきは気づかなかったんだろう。見ただけでこんなにもわかるのに。
なにもないはずの壁は、明らかに他とは違った。
歪で、冷たい気配。
怖じ気づく足を奮い立たせ、一歩を踏み出す。
ここが
根拠はない。ただ、見失った少女は恐らくこの出口の向こうへ行ったのだ。
それならば消えた理由も分かる。
なぜあの子が私をここまで連れてきたのか。流石にその理由まではわからないが、もし機会があればお礼を言わなければ。
最後に、後ろを振り返る。きっと今なら引き返すこともできるだろう。
気味の悪さも、気づいた違和感も。引き返せば記憶の奥底にしまわれる。
でも。
自分が誰なのか、なぜ記憶がないのか。
それを確かめるには行き止まりの奥に行くしかない。
ここにいたら終わってしまう。なにも始めないで終わるのは、絶対に嫌だ。
うるさいくらい音をたて始めた心臓を落ち着かせるよう、胸元にあるペンダントを強く握りしめた。
大切なこのペンダントも、誰から貰ったか思い出せない。
けれどこれの存在を確かめると勇気が出る。頑張れる。
これを贈ってくれた送り主も確かめなければ。記憶がなくともなんとなく分かる。
とても大切な人だったんだと。
「……行こう」
口に出し、決意を固める。
なにもなかった壁に扉が表れる。もう怖じ気づくことはない。
扉を抜ける。そこは先程までいた校舎とはまるで違っていた。
見た目は普通の用具室のように見えるが、室内を蠢く空気が背筋を冷やす。
特に異質な空気を醸し出しているのが壁に寄りかかっている人形だ。
無機質なのに、生きているようにも見える。
「ようこそ、新たなマスター候補よ」
唐突に、誰かの声が部屋に響いた。
それと同時にあの人形が嫌な音をたて動き出す。
気持ち悪い。しかし先程まで過ごしていた日常よりはましだ。
むしろ、私はこちらの気持ち悪さのほうが慣れている。
そんな気すらした。
「それはこの先で君の剣となり、盾となる
進め、と。
私の求めるものはこの先にあると、声は続ける。
ああ、もとよりそのつもりだ。ここまで来て引き返すなんて馬鹿なことはしない。
奇妙な従者を引き連れ、壁のノイズの先へ行く。そこはもう校舎の面影はなにも残っていなかった。
先ほどまでいた部屋も異質な雰囲気だったが、あちらの方がまだ校舎の面影はあった。
ここは校舎というより
いつ物陰から怪物が出てきても驚きはしないだろう……いや、驚くけど。
アイテムフォルダ、
まるでゲームのチュートリアルのような説明を受けながら、通路を通り抜けていく。
そうして辿り着いたのは、息が詰まるほど綺麗な空間だった。
穢れたもの、害意あるものは寄せ付けない荘厳さ。この場所こそがゴール。そう思えた。
この場の空気に圧倒されながらも、何かないかと周囲に目を向ける。すると、少し離れた場所で倒れている女子生徒が目に入った。
声をかける。返事はない。
もう一度、さっきよりも大きな声で呼びかける。けれどやはり返事はない。
いやな予感が頭をよぎる。
恐る恐る近づき、横たわる身体に触れて気づいた。
────冷たい。
身近に感じる死の感触に血の気が引くのがわかる。
傍らに蹲るドールはピクリとも動かない。その様子を見て、先程のダンジョンで男が言った言葉を思い出した。
自身を守るものであるドールの敗北。それはすなわち、死である。
あの声は確かにそう言っていた。
疑っていたわけではない。でも改めて現実を突きつけられ、言葉を失ってしまう。
呆然とその死体を見つめていると、突然傍らで佇んでいた人形が動き出した。
慌てて彼女から距離をとる。
こちらのドールが私を守るように前に踊り出ると、主のいない従者はこちらに向かってくる。
「っ
咄嗟に指示を出す。
相手の攻撃をギリギリ防いだドールが反撃した。
だけど敵はふらつく様子もない。元のステータスが違いすぎるんだ。
こちらが10なら相手は100。そう言ってもいいくらいの差だ。
でも、だったらなんであの女子生徒は負けたんだ?
こんなにも戦うものが強かったなら、例え指示が粗末でも大抵は勝てるはず。
それとも、これよりもっと強いやつと戦っていたのか?
戦闘から意識を外した途端、バキンと嫌な音が響いた。
慌てて思考に沈んでいた意識を前に向けるが、もう遅い。
こちらのドールが片腕を失っていた。よそ事に気をとられているうちに、攻撃を受けてしまったのだ。
自分の失態に思わず舌打ちをする。
「次は左からの大振りがくる。潜り込んで
後悔している暇はない。
次の攻撃を受けてしまう前に指示を出す。
そうして戦い続けて、どれくらいの時間が経ったのだろう。恐らく一時間も経っていないが、精神は既に疲労しきっていた。
「っ避けて!」
一瞬の気の緩みが、残っていたドールの片腕を砕かせる。
もう両腕は使えない。
「……はっ、ぁ」
恐怖で乱れる呼吸を整える。
大丈夫、まだ両足が残ってる。足があれば戦える。
よく敵を見ろ。隙をつけ。
ダメージは微弱でも通っているのだ。負けなければ勝てる。
───────諦めないの? と、突然誰かの声がした。
私をここまで導いた男の声じゃない。冷たく、どこか幼さが残る少女の声だ。
声だけでも分かる存在感に、冷や汗が背を伝う。
それでも、その問いに答えるべく口を開く。
「諦めないよ」
そうだ、諦めない。諦められる訳がない。
なぜ、と再び少女は問いかけてきた。先程よりも声が近くなった気がする。
いや、今はそんなことどうでもいい。この問いに答えなければ。
なぜと少女は聞いた。そんなの決まっている。
「私はまだ、なにも取り戻していないから……!」
覚えているのは名前だけ。それも本当に親につけられたものなのか定かではない。
大切な人がいたはずだ。培った思いがあったはずだ。
それを、私はすべて忘れてしまった。
偽りだったとしても、確かに平和だった日常を捨ててここまでやってきたのは、全てを取り戻すためだ。
なのに今更諦める?
そもそも諦めるくらいならここまで来ていない。あの偽りを許容した。
いつか終わりがくるとしても、そちらの方が幸せだろうから。
「ふーん、諦めの悪い人間って結構いるのね」
声が、近くなる。
ガラスの砕ける音がする。
同時に部屋に光が差し込んだ。光と共にやって来た何かが、私たちが苦戦していた敵をバラバラに切り刻む。攻防とは言えない、一方的な戦闘。
あれではもう活動することなんてできないだろう。
カツン、と甲高いヒールの音が部屋に響く。
「貴女以外に召喚される気配はないし、仕方ないわ」
黒い衣装を靡かせて、ヒールの音を響かせながら少女はこちらに振り返る。
綺麗な藤色の髪に、それを飾る青のリボン。
敵を切り刻んだ銀色に輝く鋭利な脚具。
いや、それは正直どうでもいい。
そう思えるほど、彼女の姿はすごかった。
「ろ……っ」
口から出そうになる言葉を飲み込む。
嫌な予感がしたからだ。
ともかく、彼女の姿はやばかった。
上半身はいい。手を隠しているのは少し気になるが、大した問題じゃない。
それより問題は下半身だ。隠されていない腹部。隠されている大事なところ。いや、あれは隠していると言っていいのか。
ああ、この感情はなんと言えばいいんだろう。
さっきまであったはずの空気が全て消え去った。
「問いましょう。あなたが私のマスターね?」
マスター。その単語の意味はわかる。ただ、なぜこの状況で使うのかがわからない。
だけど。
「……ああ、私が君のマスターだ」
頷かなければいけないと思った。
そうしなければ生きることはできないと。
目の前の少女は不快そうに顔を歪ませる。
けれどそれも一瞬。次の瞬間には、先程と同じ不適な笑みを浮かべていた。
「ええ、ええ。不問としましょう。これは仕方がないことだもの」
まるで言い聞かせるように呟いた後、彼女は言葉を紡ぐ。
「私はサーヴァント。貴女の剣となり、盾となるもの。生きたいのなら、精々私を楽しませなさい」
彼女がそう言いきった途端、右手に熱が走った。
鈍い痛みに歪む私の顔を、目の前の少女は楽しげに見ている。
ああ、楽しそうだ。うまく考えが纏まらない頭で、そんなことを思った。
「手に刻まれたそれは令呪。サーヴァントの主人になった証だ」
再び聞こえた男の声。
令呪。サーヴァントの力を強め、時には束縛する3つの絶対命令権。
痛みに耐え、その知識を無理矢理頭に叩き込む。
聞き逃しは許されない。
「同時に聖杯戦争本戦への参加証でもある。令呪を全て失えばマスターは死ぬ。注意することだ」
つまり、実質使えるのは二つというわけだ。使う場面はよく考えなければならない。
それから、聖杯戦争という言葉に疑問をもった。
聞き覚えはない。予想はできるが、それもどこまであっているのか。
「困惑していることだろう。しかし、まずはおめでとう」
男はそう言うが、声色は今までと変わっていない。
祝福する気が言葉からは伺えない。校門で会った一成と同じく、決められた言葉を喋っているように感じた。
それでも、言葉は続いていく。
「傷つき、迷い、辿り着いた者よ。主の名のもとに休息を与えよう。とりあえずは、ここがゴールということになる」
ゴール。
その言葉を聞いた瞬間、体から力が抜ける。
安心してしまったからだろう。再び立ち上がれる気はしなかった。
それでもやはり、言葉は続く。
「では、洗礼を始めよう。君にはその資格がある」
精神的な疲労にあわせ、右手からくる強い痛み。
今の私にそれが耐えきれる訳もなく、意識は次第に遠のいていく。
そんな中でも覚えているのは、冷たくこちらを見る少女の目と、私をここまで導いた男の最後の声。
「─────それではこれより、聖杯戦争を始めよう」