ミリシタの美奈子のアイドルコミュ第一話に触発されて書いたので、そちらも合わせてお読みください。
*pixivで重複投稿しています。
ソースの匂いがする……これは確か大阪のメーカーのものだったと思う。ウチの焼ききそばや野菜炒め用に納品してるのものと同じだから分かる。お父さんは絶対にこれじゃないとダメだって豪語してたけど、確かにこれで作る焼きそばは美味しいんだよね。
ってなんでこんな所でこんなに濃厚なソースの匂いがするの!? だってここって……765プロライブシアターの控え室だよ!? いくら私が料理好きでも控え室と調理場を間違えたりなんか……しないよね?
「よーしそろそろ出来上がりやな。ほな頂きまーす」
答え合わせ。焼きそば作ってる女の子がいました。どこから持ってきたのか分からないけど、テーブルをホットプレートで占拠してました。それにしても、材料を混ぜ合わせたり盛り付けをしたりするコテ捌きはなかなかのものだった……
「あの~すみません。控え室でオリエンテーションをやるって聞いてきたんですけど、ここで合ってます……よね?」
でも見とれて呆けに取られている場合じゃないので声をかけることにする。
「うん、はふんふぁっへるほおもうふぇ」
「ごめんなさい食べてる途中でした」
頬を膨らませながら焼きそばを食べる様子が可愛い。こんな所で焼きそば作って食べるなんて、よっぽどお腹が空いてたのかな。って服にソース跳ねてる! 口元汚れてる! うう~、お世話好きの血が騒ぐ~! 気がつくと私は控え室から走り出していた。
えーとまずは染み抜きに必要なものを揃えて、その後で口元を拭うためにハンカチを濡らして……あっ、焼きそばを詰まらせたりするかもしれないから給湯室でお茶を作ってあげよう。
「ん~~!! んん~~~!!」
「た、大変!」
準備を終えて控え室に戻ると本当に喉を詰まらせていた。必死に胸元を叩いてその場でじたばたしている。手早くお茶を渡してあげて背中をさすってあげた。
「あ~死ぬかとおもた~。ありがとうな!」
「もー、アイドル生活初日から心臓に悪いですよ~」
「アンタ……いえ、あなたも新しくお入りの人でございますですの?」
「今更標準語!? しかもなんかおかしいですよ!」
「標準語って何の事なの、かな? これは東京弁ではなくって?」
思わず吹き出してしまった。標準語どころかエセお嬢様になっちゃってるよ。そんな私の様子がお気に召されなかったのか、エセお嬢様は頭をかきむしりながら頭を降り始めた。
「だ~もう! だから東京弁ってややねん! マスターするまで使うやめややめ!」
「その方が良いと思います」
「ていうかそのケイゴやめてくれへん? ウチら同期やと思うしなんかこそばゆいわ」
本当に背中をかきながらそんな事を言う。リアクションの面白い子だなぁ。
「あ、あなたも39プロジェクトの?」
「そ。大阪が生んだ大スター横山奈緒や。よろしゅうな!」
『未来の』とか『になる予定』とか言わず断定しきって胸を張る横山奈緒さん。その自信がちょっとうらやましい。
「ええと、じゃあ~、うーん」
「んん~?」
私は……まだそんな風にまでは思えていない。一人でもアイドルをやっていこうって決めたばかりで、今後の目標なんてまだ定まってはいない。でも、そんなんじゃダメだよね。私はもう、39プロジェクトの佐竹美奈子なんだから!
「私は佐竹美奈子、よろしくね横山さん」
だけど口上なんて考えてなかった私は啖呵を切れるわけでもなく。結局普通に挨拶するしかできなかった。なんか出遅れた気がしてちょっとへこんでしまった。
「オーケー美奈子やな。私の事も奈緒でええよ」
『奈緒ちゃん』が握手を求めてきたので私も手を差し出す。さっきまでコテを握っていたからかな。彼女の手は少し汗をかいているみたいだった。
「あ、大阪の女の子って自分のこと『ウチ』って呼ぶんだと思ってた」
「は~東京モンはすぐそうやって決めつける~」
「ご、ごめん」
「まあええよ。私も東京モンの事よく知らんから勘違いしてるとこあるかもしれんし」
それとも、汗をかいていたのは私のほうだったかもしれない。こうして奈緒ちゃんと話してる間にも他のメンバーやプロデューサーさんがやってきて、私のアイドル人生が始まる。その緊張感で冷や汗をかいてしまったのかもしれない。
「オリエンテーション初日から熱い握手……なんかそういうの良いですよね、スポ根みたいで!」
「あっ、ずっと手を握ってたみたい。ごめんね奈緒ちゃん」
「い、いや気にせんでええって」
雑談をしている間も手を離していなかった事を、いつの間にか入ってきていた女の子に指摘されてようやく気付いた。慌てて手を離して声のした方を振り返ると一人の女の子がいた。大きな眼鏡の下から見えるぱっちりとした目が可愛い。真面目そうに見える外見も相成って、765プロの秋月律子先輩が連想された。
「うわーここが控え室!? ダンスできちゃうくらい広いね!」
「プロレスはさすがに……いやそもそも相手がいないか……」
「控え室ではダンスもプロレスも野球もダメです! ほら、所さんも何か言ってあげてよ」
「えー何か壊したりしなければ別にいいんじゃない? ていうかさっきから言ってるけど恵美でいいってば~」
「野球がダメって先手打たれちゃった、ちぇ~」
「つまりサッカーはオッケーって事だよネ!」
眼鏡の女の子の後ろから続々と人が入ってくる。一番後ろにはオーディションの時に見かけたプロデューサーさんもいるし、そろそろオリエンテーションの時間が近づいているようだった。
「あ、あの……な、何か匂いがしませんか……?」
雑誌の専属モデルと言われても間違いじゃなさそうな派手めの美人さんが、発言の許可を求めるように控えめに手をあげてつぶやいた。ていうか匂いって……
「あっ」
奈緒ちゃんがぽかんと口を開けていた。
「すんませんすんません! ちょっとお腹減ってたんで事務員さんにホットプレート借りて焼きそば作ってたんです!今から片づけとか換気とかするんで!」
「ごめんなさい! もうちょっとだけ待っててくださいね!」
奈緒ちゃんが慌てて片づけを始める。私はホットプレートなんて使ってないんだけど、家事全般が好きなので自然と彼女を手伝っていた。
「ああったわし使っちゃダメテフロンはがれちゃう!」
「えっそうなん!? でも鉄板がボコボコになってる方が老舗っぽくて味があると思わへん?」
「お店とおうちは別! 洗い物はやっておくから奈緒ちゃんはテーブルをお願い!」
「は、はい……」
それに、放っておくと大変なことになりそうだったしね……
そんな私達の様子を見ていたみんなが、誰かに言われるでもなく片づけを手伝ってくれていた。換気のため窓を開ける人、消臭スプレーを取ってくる人、テーブルを乾拭きしてオリエンテーションの準備を始める人。
それぞれの分担をカチューシャをした女の子が振り分けて、みんなが率先して動いていた。
なんだか良いな、この雰囲気。まだ名前すら聞いてないけど、みんなとはすぐに仲良くなれるような予感がしていた。
開始前こそドタバタしたけど、オリエンテーション自体は大きな問題もなく終了してその日は解散となった。
所恵美さんは田中琴葉さんと島原エレナさんとファミレスへ。高山沙代子さんは福田のり子さんや永吉昴さんと公園で汗をかきに。といった具合にみんな早速気が合いそうな仲間を見つけていたようだった。
そういうところでもオリエンテーションは成功だったと思う。そして私はというとーーー
「まずはレッスン、次に先輩のバックダンサーをやりながら経験を積んで、センターを目指すのをひとまずの目標とする……奈緒ちゃん、聞いてる?」
「聞いてる。めっちゃ聞いてるで。ふわぁ……」
研修中ずっと眠気と戦っていた奈緒ちゃんを連れて私の家、というか佐竹飯店に向かっている所だった。
アイドルとして大事な一歩なのに爆睡してたとかなら無視してたんだけど、必死に話を聞こうとはしていたからちゃんと教えてあげる事にした。直前にお腹いっぱい焼きそばを食べてたんだから眠くなる気持ちは分かるしね。
というかオリエンテーション前に焼きそばを食べたのにもうご飯が欲しいなんて相当な食いしん坊さんのようだ。とても鍋のふるいがいがある子を見つけてしまった。
うふふ、ここは私が全身全霊をかけて特盛りメニューを振る舞ってどんどん大きく丸く……
ダメダメ、奈緒ちゃんはアイドルなんだから私の趣味を押しつけちゃいけない。
だけど、プロデューサーさんは大きくしがいがありそうだったなぁ。仕事が忙しくて栄養価(カロリー)が足りてなさそうだったし私が何とかしてあげないと!
「美奈子、説明しながら他のこと考えてへん?」
「えっと、プロデューサーさんとの今後についてちょっと」
「え……まさか一目惚れ?」
「ちょ、ちょっと待ってそんなんじゃないよ!」
事務的な説明をしながら考え事をしてたせいで、奈緒ちゃんからの質問に反射的に答えちゃった。
プロデューサーさんは確かに頼りになりそうなかっこいい大人だなーって思うけど……いやいやそういう事じゃなくて!
「ほんまに~?」
「ほんとほんと。プロデューサーさんは頼りになりそうだけど頼りにならなさそうだなって思うし」
「んん? なんか日本語おかしない? 東京弁特有の言い回しなん?」
(仕事は出来そうだから)頼りになりそうだけど(がっちりしてない体型だから)頼りになさなさそう。何も間違った事は言っていない。
「そ、それよりなんであの時焼きそば食べてたの?」
あからさま過ぎる話題のそらし方に奈緒ちゃんは顔をしかめたけど、「私らアイドルやしほどほどにな」と釘を刺してから話題の切り替えには同意してくれた。
ほんとそういうんじゃないんだけどなぁ、今のところは。
その後は他愛の無い雑談をしながら佐竹飯店へと向かう事になった。
道中の会話で奈緒ちゃんの人となりは何となく分かった。奈緒ちゃんが総菜コーナーの焼きそばが気に入らなくて自分で作ってしまうと思うくらい、食に並々ならぬ情熱を持っていること。引っ越しの荷ほどきしようとしてはマンガに熱中してしまうようなダメな子ぶり。
「ああ、私達は出会うべくして出会ったんだね……」
「え、なんでいきなり演劇始まってんねん」
「えへー何となく」
「わけわからん……」
料理が得意で世話好きな私の友達としてはうってつけの子だったんだもん。実際に言ってみるとちょっぴり恥ずかしかったので、先導するようにして前に出てにやけた顔を隠すことにした。
「それよりまだ着かへんの? もうお腹ぺこぺこやわ」
「もうすぐだから、ほらあそこ」
「ほお、人目見ただけで分かる……あれは美味い店のオーラや……」
あごに手を当ててしたり顔でつぶやく奈緒ちゃんはさながら名探偵かグルメリポーターのつもりだったようだけど……
「それ、店前の行列を見て言ってるよね?」
「もーそこはノッてくれるところやんかー」
私の実家はガイドブックで星を取ったりはしないけど、地元の人に愛されるお店として結構人気がある。だからお昼ご飯と晩ご飯のピーク前後には行列が出来たりする事もあった。
私が有名になれば『あのアイドルの生家に取材!』みたいな感じでテレビで取り上げられたりするのかな。繁盛はしてるから宣伝はそんなに必要じゃないんだけど、お父さんの味を色んな人に知って貰う機会が増えるのは嬉しいと思う。
「しょうがないなー。じゃあ折角だし食レポの練習っぽくしてみる?」
「お、ええやんそれ!」
そんな事を考えていたからか、なんだか気分が乗ってきちゃって提案をしてみた。
予想通り奈緒ちゃんはノリノリで、エアマイクを片手に早速インタビュアーのフリをしはじめた。
私は突っ走って演技を始めてしまった奈緒ちゃんを追うようにして本物の食レポではない事を説明してまわる。
行列には常連のお客さんが多く、「デビューおめでとう」とか「本当にこういう仕事できるようになればいいねー」とか色々と応援されてしまった。
そんなつもりは無いのに宣伝して回ることになっちゃったな。
「さて次のお客さんはー。おー、これはまた可愛らしいお嬢さんがたですねー」
「お嬢さんとか言うけど私たちほぼ同い年でしょー」
「まあそれはそうなんやけどこういうテンプレって大事やと思うねん」
「テンプレとか口に出しちゃダメだよ」
軽快なノリで次々と声をかけていく奈緒ちゃんを追いかけていくと行列の最後尾までたどり着く。
彼女はそこで見覚えのある制服を着た女の子達と仲良く談笑している。
彼女たちは私の同級生で、一緒に39プロジェクトのオーディションを受けた私の親友だった。
「あ、美奈子。やっほー」
「記念すべきアイドル人生の門出をお祝いに来たよ」
「ありがとう、皐月、咲」
私だけ受かってしまった手前、まだ大手を振って喜んだりはできないけど自然に答えられたと思う。
「3人は友達やったんか。なら改めまして、39プロジェクトの横山奈緒です。美奈子には初日からお世話になりっぱなしで仲良くさせてもろてますー」
私達の様子を少し遠巻きに伺っていた奈緒ちゃんが、会話の間をぬって入り込んでくる。二人はさっきまで談笑してたのもあって乱入を快く受け入れてくれたようだった。
「そうなの! 奈緒ちゃんったら控え室で焼きそば作ってたんだよ? あとこれが東京弁だーとか言ってドラマに出てくる胡散臭いお嬢様みたいな……」
いや、ちょっと待って。
これって、早速出来たアイドル友達の事をアイドルになれなかった友達に自慢してる感じになってないかな。そんな当てつけのような話をされたら二人が傷つかないとも限らないじゃない。
「えと、立ち話もなんだし中にはいろっか。客席は満席だろうから家の中に案内するね」
「ふむ……そういう事ならお邪魔させてもらうわー」
無理矢理だけど話を切り上げて中へ入るように促す。咲と皐月は誤魔化せたのかそのまま中へ入っていったけど、奈緒ちゃんは一瞬首を傾げていた。
「美奈子ー! ちょっと手伝ってくれー!」
換気扇の音なんてお構いなしの大音量が店内に響きわたる。入店早々お父さんに呼び止められた。
外に行列ができるほどの店内は当然あわただしい様子で、お母さんだけじゃなく弟まで配膳で動き回っていた。
「ちょっと待って! 友達を部屋まで案内してくる!」
「それなら友達を優先してやりな!」
店の仕事をするのが好きだから自分から手伝う事も多く、忙しい時はお父さんから頼ってくれるようになった。
だけど子供にとって大事なのは勉強と友達だからそちらを優先させなさい。昔からそう言いつけられていたので、こういう時はお手伝いをする必要はない。
「なんかいつもより忙しそうだし今日は帰ろうか?」
ないのだけど、店の様子を見た皐月から提案をされてお父さんへ即答ができなかった。二人とは放課後から夜まで私の家で遊んでいた事もよくあったから、店の忙しさもよく理解してくれている。ここで帰ってもらったとしても分かってくれるはず。
そもそも、もし家にあげたとしても何をしゃべればいいんだろう。私はーーー
「そういう事なら私らで手伝えばええやん」
私の思考を遮るように発言をしたのは奈緒ちゃんだった。突拍子のない発言に私も含めた3人は目を丸くする。
「いやー接客の中からファンとの交流のヒントも見つかるしれへんし。それに」
「それに?」
私が聞き返すと、奈緒ちゃんは人差し指同士を突き合わせながら顔を伏せてしまう。
「お手伝いしたらまかないとか出えへんかなーって。アカンかなぁ?」
そして上目遣いになりながらこう言ってきた。どうやら冗談で言ってるわけじゃないみたい。奈緒ちゃんの提案に二人も乗る事にしたようで、私に何をしたら良いか質問してきた。
「ええと、私は厨房に入らないといけないから3人は配膳と後片づけをお願いできる? メニュー表覚えてないだろうから注文はお母さんに回してね。それで手が空いたら洗い物も手伝って」
「よっしゃ! 任せとき!」
「でも奈緒ちゃんは洗い物禁止ね。シンクを泡まみれにする光景が目に浮かぶ……」
「う、さすがにそんな事はないと思う……よ?」
3人への説明も終わったので、予備の三角巾とエプロンを渡して作業に取りかかる。予備が足りなくて私は厨房用のじみーなナイロンエプロンだけど。うう、機能性重視だから可愛くない……でもホールに出てるみんなにこれを着せるわけにもいかないし、ガマンガマン。
厨房に入った私はみんなが一気に持ってきた食器類の洗い物に専念する事にした。洗い場を溢れさせるわけにもいかないし、熟練の技術で次々料理を完成させていくお父さんに割って入ると逆に邪魔になりそうだったからね。
洗い物が一段落したタイミングでお手伝いに入ろう。
ホールは会計と注文をお母さん、注文と配膳の手伝いを弟、配膳と片づけと奈緒、咲、皐月で回すことで一気にお客さんの回転率が上がっていた。回転率が上がれば行列が捌けるのも早くなる。ピーク対応はいつもより早く終わりそうだった。
「お皿の波になんて負けないんだから!」
そのぶん洗い場が大渋滞を起こしていた。
一人でやるのはちょっと無茶だったかなー? とか思っちゃったりもしたけど文句を言う暇があったら手を動かす! よし、もう一息頑張るぞー!
「美奈子、あっちはもう二人に任せて良さそうだし手伝うよ」
「ありがとう皐月ー! 助かるよー!」
そんな折りに助け船が入った。店内はもう落ち着いてきたようで、奈緒ちゃん達がお客さんと談笑しながらゆっくりと後片づけをしていた。
「じゃあ私が洗い物やるから美奈子は洗った食器を拭いていって」
「え、良いよ私が洗い物を」
「だーめ、あなたのその手は商売道具なんだから。肌荒れしたらどうするの」
「あ、うん。ごめん……」
問答無用で腕を引っ張り上げられて手荒い場まで連れて行かれた。
「ハンドクリームは後でもいいから、洗剤を洗い流してしっかり手を乾かしてから戻ってきてね」
「うん、ありがとう」
商売道具、か。そうだよね。
料理人のお父さんが毎日包丁を研いで切れ味を保つように。アイドルの私は毎日スキンケアとかを気をつけなきゃいけないんだ。
皐月はいつだってこんな風に、みんなでアイドルになるための具体的な方法を色々考えてくれていた。漠然とアイドルへの憧れを募らせていた私とは違う、とっても真剣だった。
「おかえり。洗い終わったものはそこに置いてあるからお願いね」
「うん、ありがとう」
再び洗い場に戻ってきた私は、皐月と一緒に黙々と作業をこなしていく。
二人が無言で作業をしているので、洗い場には水の流れるザーッという音と食器を布巾で拭くキュッキュッという音しか聞こえてない。
……こんなの違う、私はもっと話がしたいのに。でもなんて切り出せばいいの?
『今日からアイドル活動頑張るね』
『これからも皐月達のアドバイスを参考にしていくね』
それともーーー
『私だけアイドルになっちゃってごめんね』
分からない。皐月と咲のために私がかけてあげるべき言葉はどれが正解?
私が765プロに入るって決心して以来、そういう話題はなるべく出さないようにしていた。今だってアイドルの事は話さず適当に雑談でもすれば良いんだ。
だけど、じゃあどういう話題で行こうかと悩むうちにそれすらも出てこなくなってしまった。
「ねえ、あの横山奈緒って子、すごいよね」
「え、うん。そうだね」
代わりに話を聞りだしてきたのは皐月の方だった。
でもなんでいきなり奈緒ちゃんの話になるんだろう。
洗い物の手を止めてはいないので、顔はシンクの方にうつむいたままで表情はうまく読みとれない。
でも『すごいね』の一言には色んな感情がこもっているように聞こえた。
「接客なんて未経験だったみたいなのに、初めての仕事に物怖じしないしお客さんを乗せるトークも上手い」
「そうだったんだ」
何も考えずひたすら洗い物をしていたからホールの様子はあまり見てなかったけど、何となく想像はついた。
彼女は人と仲良くなるのが抜群に上手い。まだ出会って初日なのにもう友達だと思えている私自身が証拠だ。それはアイドルをやっていく上で必要な才能だと思う。
「やっぱりああいう子がアイドルになるんだね。そりゃ私が落ちるわけだ」
皐月の自虐に対して、私は返すべき言葉を持っていなかった。だから黙って話の続きを聞くのが正解だと思う。
彼女長年の付き合いによる経験から間の意味を汲み取ってくれたようだ。
彼女は一体何を言うつもりなのだろうと、皿を持っている手に思わず力が入ってしまっていた。
「でも、良かったよ。横山さんが39プロジェクトのメンバーで。あの子ならきっと美奈子の良いライバルになってくれる」
握りしめた手は、まったく動かせなくなっている。それに対して皐月の手は動いたまま作業を続けていた。
私は大丈夫だから、気にするような事は何もない。そんな風にふるまってくれている。オーディションに落ちて辛いのは皐月達のほうなのに、今も私の事を気遣ってくれている。それだけ私が頼りなかったんだろうな。
まず咲が何か思いついて、それに皐月がツッコミを入れて、私はその2人を執り成す役割だった。
自分からどうやったらアイドルになれるか提案することはなかった。そんな私が一人でアイドルをやっていけるか心配で、今日もわざわざ来てくれたんだろう。
「分かってる。奈緒ちゃんには絶対負けない。39プロジェクトのみんなにも!」
「うん、その意気だよ」
だったらもう心配させるような事があっちゃいけない。アイドルはみんなを楽しい気持ちにさせる存在なんだから。みんな楽しく……そうだ。
「それでもってみんなとも友達になる! ライバルで友達としてみんなで楽しく。それもアリだよね!?」
みんなと競い合ってみんなと助け合う! これが私のアイドルとしての基本方針だ。そう決めた。きっとこうしてスマイルの輪を広げていく事がアイドルとして大事なことだと思うから。
「はは、そう来たか。うん、それでこそ美奈子だよ。……これからはファンの一人として応援するからね」
「ありがとう! 皐月は私のファン第二号だね」
「は? 私が第一号じゃないの?」
「俺がみんなのファン第一号だからなってプロデューサーが……」
「アイドルとしての才能を見抜いてたのは私の方が先なんだからファン第一号は私に決まってるでしょ」
ファンだと言うことを強調するのは、決別の気持ちだと感じた。3人で仲良くアイドルを目指していた夢みたいな時間は終わったんだと。
アイドルの悩みはアイドルにしか分からない。だから新しい仲間を作れ。
これがともにアイドルを目指した友達としての、最後のアドバイスだった。
私達の話が一通り終わる頃にはすっかり客足も落ち着いてきていた。
お父さんから手伝いは良いからみんなを客間にあげて何か作ってやりなさいと言われたが、皐月と咲は用件は終わったと言ってそのまま帰ってしまった。ありがとうね、二人とも。これからは二人にとって自慢の友達になれるように頑張るから。
また改めてお礼をしなくちゃいけないなと思いつつ、奈緒ちゃんのために鍋を振る準備に切り替える。料理は愛情。奈緒ちゃんのために料理を作ろうって時に、皐月と咲に浮気してちゃダメだよね。
ええと、奈緒ちゃんの好きそうな味付けは……やっぱりあれかな?
業務用の1,8Lの容器が並んでいる調味料スペースから取り出したのは、大阪の地ソースだった。豚肉、キャベツや人参などの野菜を火の通りやすい順番に炒めていき、キャベツのシャキシャキ感が残っているうちにソースを回しかけて味を絡ませたら皿に盛る。最後にかつおぶしをかけて、豚肉と野菜のソース炒めが完成する。
焼きそばの具抜き版って言われそうな感じだけど、ごはんのおかずにしても結構美味しいんだよね。回鍋肉みたいなド定番では無いけど、実際に頼むお客さんも結構いる。
それに、偏見かもしれないけどやっぱり関西人にはソースだよね。
「お父さん、スープと杏仁豆腐一人前だけもらっていくねー」
一言ことわりを入れてから、作り置きのスープを一人前だけ小鍋に移し替えて温め直す。その間に白いごはんと杏仁豆腐を盛りつけて、スープが温まった頃に溶き卵を投入する。穴あきおたまで一気に流し入れると綺麗な糸状になった。これで完成だ。
とりあえずリビングで待って貰っている奈緒ちゃんに届けてから後片づけをしてしまおう。
「おおー来た来たー! 早速頂きまーす!」
奈緒ちゃんはしっかり手を合わせてから勢いよく食べ始めた。
「じゃあ私は後片づけしてくるからどんどん食べちゃってね」
「はーい! めっちゃ美味いでこれ!」
奈緒ちゃんは口に入っている物を全て飲み込んでから返答する。口元はソースで若干汚れているけど周囲に飛び散らせている様子はない。控え室で焼きそばを食べていた時のソース跳ねは作っている時に付いたかもしれない。箸遣いやマナーはちゃんと守っているし食事中のお行儀は意外と良いようだ。
っと、いけないいけない。あまりの素晴らしい食べっぷりに見とれちゃっていた。
火鍋は使ったらなるべく早く手入れをしないといけないので、すぐさま後片づけに戻ることにした。
手早く片づけを済ませ戻ってきて、ものすごい勢いで食べ続けている奈緒ちゃんの様子を眺める。
じーっと見られて食べづらそうにしていたけど、食欲が勝ったのか一気に完食させて早く終わらせることを選んだみたい。ご飯粒一つ残さず完食して「ごちそうさま」と手を合わせてくれたのでお粗末様でしたと返す。
「さて、お腹もいっぱいになったしそろそろ真面目な話しますか」
「補習の続き? でも家に来るまでの間でほとんど話し終えちゃったけど」
お手伝いや友人との出会いでうやむやになっていた当初の目的だけど、元々そんなに説明する内容もなかった。
どちらかいうと家に招いてご飯をごちそうするのが主目的だ。それで世間話でもしてもっと仲良くなりたい気持ちが強かった。
「その話じゃなくて、えーと、ここじゃあれやから部屋まで案内してくれへん?」
「え? 良いけどちょっと待っててね」
普段なら自分でやるところだけど、友達と話すからと言ってお母さんに皿洗いを押しつけて自分の部屋へ向かう。私の案内でクッションに腰掛けるまで、奈緒ちゃんはずっと無言だった。なんだかちょっと空気が重い。
「それで話って……?」
「宣戦布告や。劇場のセンター公演、絶対うちが一番乗りしたるからな」
奈緒ちゃんは良いライバルになれると言っていた皐月の言葉が思い出される。
彼女の瞳には決意、というよりは野心がの火が灯っている。
この業界で生き残るためにはこれくらいの意気込みが無いとダメなだよね。誰かのお世話をしてあげるだけじゃなく、自分自身ももっと売り込んでいかないと。
「私だってステージを幸せの満腹フルコースにするっていう目標があるんだから。センター公演は真っ先に達成しなきゃいけないんだからね」
「ほう、美奈子もなかなか言うやんか」
見つめ返すと奈緒ちゃんも迎え撃ってくれる。それはお互いの情熱を受け止めあうことで相乗効果が生まれ、更に熱く上がっていくようで……
「あ、口元にソース付いてる」
「あ、これは失礼しました。って、ここはもっと火花バチバチさせるとこやろ!」
「だって気になるんだもーん」
でもあんまり長続きしなかった。常に全力で燃えてると一瞬で燃え尽きちゃうし、私達はこれくらいのノリがちょうど良い気がする。
「はぁ……なんか気が抜けたしもう帰るわ。あんまり長居したら寝てしまいそうやし」
「そっか。じゃあ玄関まで送るよ」
奈緒ちゃんは部屋から出ると店舗スペースまで行って私の家族に挨拶して回る。
その礼儀正しさに両親はとても関心しているようで、弟は少し照れているようだった。家族ぐるみで長い付き合いになりそうだな。
そんな風に感じられる事に気持ちが弾んでいる私がいた。
奈緒ちゃんを玄関まで送り届けると空はすっかり暗くなっていた。時間も時間だしこれで今日はお開き。
「ほな、今後はお客さんとしてもたまに来ると思うからよろしく」
「うん、またお越しくださいませ、なんてね。えへへ」
そのはずなのに奈緒ちゃんはなかなか歩き出そうとしない。何か言い忘れてる事でもあるのか、指を組んだ腕を降ろして人差し指をもじもじさせている。
「じ、実はな。さっきのアレ。美奈子の友達にお願いされたからっていうのもあるねん」
「友達って、咲のこと?」
「なんか色々言われたで。話すかどうかは私に任せるって言われたけど……やっぱり話すわ」
皐月と咲はずっと前から、私の周りを立てる性分を気にしていたようだった。同時に、悔しい事にアイドルとしての才能は美奈子が一番である事も自覚していた。
このままだと自分たちのせいで美奈子の才能の芽が出ないかもしれない。だから、一人でオーディションを受けなければならない39プロジェクトに応募した。
自分たちがデビューする確率を少しでも上げたいなら、ユニットを前提にしたオーディションに美奈子をセンターにして挑むべきだったのに。
「もう、何なの二人とも……本当に人を立てるのってそっちの方じゃない……!」
「まあ、というのがあの子の言い分やけど。ホンマはあの二人にも意地があったんやと思うで。自分一人でも絶対受かってやろうって」
だからアイドルをやっていくためにはライバルが必要だって断言できた。
何しろ目の前に大きなライバルがいて、その子と一緒にアイドルになりたいから頑張れてきたんだから。
それが奈緒ちゃんの言い分だった。私も多分その通りだと思う。
決めた。私のこれからを通じて二人の気持ちに恩返していくからね。
「なんか、聞いててそういうのええなーって思ったわ。地元じゃ応援してくれる友達は多かったけど、一緒にアイドル目指してくれるような子はおらんかったから」
うらやましい。と小声で続けていたような気もするけど、何も言ってないかもしれないので追求はしない。その代わりにーーー
「奈緒ちゃん、あの……」
「あーあなんか別れ際に湿っぽい空気になってもーたなー! じゃあな、ばいばい!」
何か言おうとする私の言葉も聞かず、奈緒ちゃんは一直線に走り去ってしまう。去り際に見た表情は少し涙目になっているように見えた。
「奈緒ちゃんは私のライバル第一号だから!」
その場を離れようとする奈緒ちゃんの背中に向けて、思い切り叫んでいた。人通りは少なくなってきているとは言え、周囲に人がいる事に気づいて少し恥ずかしくなったけどそんなのは些細なことだ。
関西系の明るいノリで誤魔化されていたけど、奈緒ちゃんは私達と同じ思春期の女の子なんだ。たった一人で地元から上京してきて寂しくないわけはずがない。
そんな時期に私達が友情を確かめ合うような場面を見せてしまった。ライバル宣言もそんな私達の輪に少しでも割って入りたかったのかもしれない。
だから、同じ新人アイドルとして。見知らぬ土地で第一歩を踏み出した奈緒ちゃんに何か言ってあげたかった。
「てっぺんまでちゃんと付いてきいや!」
奈緒ちゃんは振り返って右手の親指を立てて応えてくれた。
それがたまたま街灯の真下で、まるでスポットライトに当たっているようだった。
そのステージはアスファルト舗装の道路でしかなく、そこを行きかう人は好奇の目を向けてくるばかりだけど。
いつかそれはアリーナやドームになり、そこを埋め尽くすファンは声援を向けてくれるようになる。
言葉にこそしなかったけど、二人でそう誓い合った。