1853年・皇紀2513年7月14日
黒船来航、ペリー提督が日本皇国へ初上陸。
艦隊の威嚇行動に対し幕府直轄の水軍部隊(屋形船のような船5から6隻)で警戒行動をとる。
ペリーの要求した条約に関しては、当時の征夷大将軍が病気で臥せっていると伝えて回答に1年の猶予を得る。*1
7月23日
幕府は全国から製鉄、鉄鋼、鉄砲鍛冶、大砲、造船、絡繰、種類を問わずに技術者を大量に召集し、黒船に対抗できる軍艦、更には新型の大砲や鉄砲の研究、開発を命じる訓令を出す。
同7月30日
アメリカの軍艦を目の当たりにした幕府は秘密裏にオランダからの軍艦購入を征夷大将軍の勅命により決定、オランダへその旨打診する。
また、それに合わせて大型船の建造を禁じていた大船建造禁令が解除されている。
同年11月初旬
幕府が集めた技術者集団による開発奉行所が設置され、本格的に技術開発が始動、奉行は水野忠清であり、彼は後に発明家として有名になる田中久重と大砲に詳しい宇都宮三郎を与力に任命しそれぞれの分野の研究開発を命じる。
同年12月15日
田中久重と宇都宮三郎が酒に酔って設計した大砲8問と鉄砲5問をつけた人力の絡繰で動く船(屋形船に人力の歯車で動くスクリューをつけたもの)が横須賀湾にて進水し、そして同時に沈没する12.15事件が発生、*2宇都宮三郎が冬の海に投げ出されるが生還、後に救命胴衣、防寒具、救命筏の先駆けとなるものを思いつく。
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1854年・2月初旬
オランダから蒸気船が幕府へ贈呈され、横須賀に到着、幕府はこの蒸気船の技術を解析するよう命じると同時に、海軍、陸軍の改革、海軍兵の訓練のためオランダから派遣されていた教官による海兵の育成が始まる。
再度の黒船来航も当時は将軍家慶が事故で急死したため、その事もあり条約交渉が出来ないと説明、要約すると約束通りの時期に来いと暗に幕府はペリーに伝えてペリーは憤慨しつつも再度の出直しとなる。
同年4月初旬
幕府海軍の国産艦の開発、設計が開発奉行所に命じられ、開発、設計の為の研究開始。
同4月中旬
国産蒸気機関車1号が初走行、走行距離250mで故障(車輪が取れた)
同年5月中旬
改良型国産蒸気機関車が実用に足る性能を発揮して試験走行を故障なく成功させる。線路は標準軌
同年6月初旬
幕府海軍初の蒸気船のみで編成された艦隊が発足、幕府親衛艦隊と命名される。ただし艦数僅か3隻、大砲各艦1問のみを装備した小型蒸気船のみの艦隊であった。
同6月中旬
オランダから寄贈され練習艦扱いだった蒸気船"観光丸“を幕府親衛艦隊臨時旗艦とし、再度の黒船来航に備え幕府海軍は準備を開始。
同年7月初旬
再度の黒船来航、幕府親衛艦隊ほか各藩からの応援部隊として送られてきた海軍部隊が出迎えペリーを驚かせる。
ペリーの艦隊は当時としては大艦隊である9隻もの艦隊であり、ペリーは全艦を江戸湾へ入れようとするが、幕府側はそれを拒否、一時的に幕府艦隊とペリー艦隊で睨み合いとなるが、 ペリー艦隊と協議し5隻までの湾内への進入となる。
同7月中旬
一時的に緊張した日米だが、交渉は友好的に進んだ。
しかし来航していたアメリカ艦隊の一部、蒸気船2隻と帆船3隻が安房国(千葉県)洲崎を砲撃した。
交渉期間中に礼砲や祝砲は数回あり、いずれも空砲だったが、今回は違った。
これは洲崎を警護する備前岡山藩陣地への砲撃であった。
艦船の砲弾は陣地の手前10メートルほどの海中に落下、備前藩は非常召集を行い大砲5門をもって砲撃、帆船3隻に命中した。
蒸気船2隻は逃走したが、幕府親衛艦隊により追撃され砲撃戦となり幕府親衛艦隊の1隻が撃沈され数十名が戦死するも蒸気船1隻を撃沈1隻を中破させ拿捕している。
また、備前の守備隊は舟艇で帆船への乗船を試み、反撃を受けて300名ほどが死傷したが、帆船3隻とも拿捕している。
同年8月
ペリーは正式に幕府側に対し先の戦闘に着いて謝罪をする。
幕府は賠償金を求めたが拒否される。
代わりに日本皇国に拿捕された米国軍艦の所有権の放棄をペリーは幕府に伝え、幕府は米国軍艦を帆船を含めた4隻入手することとなる。
米国軍艦が洲崎を砲撃した理由は不明、(砲撃を命じた艦長が戦死したため)
日米和親条約締結、鎖国解除となる。
同年10月
幕府海軍国産軍艦の設計開始
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1855年・1月中旬
幕府海軍国産軍艦設計完了、建造開始
同年4月1日
オランダからの海軍教官団到着、横須賀海軍学校開設
同4月中旬に舞鶴海軍学校、佐世保海軍学校、箱館海軍学校、長崎海軍学校(後の呉海軍学校)開設
同年5月初旬
艦船搭載の新型大砲完成
同5月初旬
ライフリング付きの鉄砲試作、不発
同6月初旬
ライフリング付き鉄砲再度の試作、開発奉行所の壁を貫通、田中久重の作った模型を破壊、宇都宮三郎が殴られる。
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1856年・8月
幕府海軍待望の国産蒸気軍艦が進水。"冨士"と命名される。
同年9月下旬
"冨士"就役、幕府親衛艦隊旗艦となる。
同年10月初旬
幕府が全国の造船所の大拡張、新規建設を計画、資金調達に難航しオランダからの借金でどうにか計画を実行に移す。
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1861年・1月下旬
遂に幕府海軍は蒸気船30隻含む120隻の艦隊を保有する海軍強国となる。
同年2月
討幕運動も、時の将軍が即大政奉還
同年4月
倒幕派による反乱、倒幕派が朝廷に自身の側に着くよう要求も朝廷は幕府に反乱の鎮圧を勅命、倒幕派が逆賊となる。
同年12月
反乱鎮圧、廃藩置県、翌年から明治となる。開発奉行所が廃止され新たに皇国技術廠となる。
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1894年・7月
日清戦争開戦
同年8月初旬
黄海海戦を含む複数の海戦に完全勝利、清国海軍壊滅。
遼東半島制圧。
海軍増強計画として戦艦4隻、装甲巡洋艦8隻を整備する計画が始動。
同年11月
列車砲が初めて実戦投入、清国軍戦意喪失
同12月
日清講和、二国干渉、ドイツ、ロシアによる干渉、イギリス、アメリカと友好関係であり、フランスは両国の圧力により干渉せず。
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1900年6月
国産戦艦4隻が就役、それぞれ三笠、冨士、薩摩、鞍馬
同年11月初旬
装甲巡洋艦8隻が就役し計画が完結。
皇国技術廠が新たな戦艦の開発を開始。
現場兵士からの要望により航空戦兵器の研究開始し要望者を軍から技術廠へ出向という形で引き抜きを行う。
二宮忠八が皇国技術廠へ移籍。
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1902年・10月
皇国技術廠、飛行機を開発、組み立てが開始される。
同年11月
皇国技術廠、開発中の飛行機の運用研究にて、船での運用を構想に加える。
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1903年・6月
災害のため飛行機の組み立てに遅延発生。
災害対策に関して皇国技術廠が耐震構造と併せて災害時のシェルターの研究開始。
同年12月
アメリカのライト兄弟が飛行機での飛行を成功させる。
ただし、その5分前に日本が世界初の飛行を成功させていた。
皇国技術廠、飛行機を船に乗せる研究を本格化。
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1904年・2月
日露戦争勃発
日本皇国駆逐艦隊による奇襲でロシア海軍旅順艦隊半壊
1904年3月から8月
黄海海戦にてロシア海軍被害甚大
旅順要塞攻略のため重砲、列車砲が輸送され、旅順要塞陥落を成功させる。
司令官の乃木大将は二人の息子が重症を負い更迭される。
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1905年5月
日本海海戦にて日本皇国海軍艦隊戦艦4隻、装甲巡洋艦8隻の艦隊とロシアバルチック艦隊が激突、日本皇国海軍艦隊の完全勝利
同年6月初旬
複数の大規模会戦によりロシアコサック師団壊滅を始め主力部隊の戦力低下。
同6月下旬
ロシア皇帝と日本皇国皇室との会談、日露講和
同年10月
英国が新機軸の戦艦を発表、起工する。
同年12月
ロシア皇帝一家、日本皇国へ亡命
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1906年1月中旬
日本皇国、英国と同様の戦艦を起工
航空母艦の開発開始
前話について、話の展開次第でもしかしたら前話の一部、または全てを修正するかもしれません。
アンケート締め切りは5月15日までです。
今後登場させたい兵器第一弾 空中戦艦又は空母でどれを登場させれば良いですか?上位2つを登場させたいと思います。
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ラピュタのゴリアテ
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エースコンバット重巡航管制機
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エースコンバットアークバード
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エースコンバット空中要塞グレイブニル
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未来少年コナンのギカント
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ガンダムからガルダ級大型輸送機
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ラピュタからタイガーモス号