シュインというドアの開閉とともに、藤丸立香はレイシフト場へと入る。
するとその中央で何やらデータを確認していると思しき男が、藤丸に気付くと片手をあげて緩やかな笑みを浮かべた。
男性にしては長めの橙色の髪を後ろ手に一つにまとめ、見るものに柔和な印象を与える顔つきをしている男は、このカルデアを現在取りまとめているロマニ・アーキマンだ。
「ああ、藤丸君。悪いね、休憩中だったのに呼び立てちゃって」
「おはようございます、ドクター。なにやら、また新しい特異点が発生したって聞きましたけど…」
藤丸の言葉に、ロマニアーキマンことDr.ロマンは右手を自分の後ろ首にやりながら、困ったような顔でうなずく。
「うん、まあそういうこと。ついさっき、新たな微小の特異点が発生してね。
まだ現段階ではどれほどの影響を及ぼすかはわからないけれど、放置しておくわけにもいかない。藤丸君とマシュにはこのまえキャメロットの修復をしてもらったばかりで申し訳ないのだけれど、またレイシフトしてもらうことになるだろう」
「もちろん大丈夫ですよ。まあ、まかせてください!いつものことですから!」
気合十分といった感じにガッツポーズをとる藤丸に、ロマンは苦々しげに息を吐く。
「本来、こんな生死のやり取りに少年がなれる様なことはあっちゃいけないんだけどね。まあ、指揮を執っている僕が言えることではないのだけど…とりあえず、なんにせよ詳しいことはマシュが来てから話すことにしよう」
「マシュはまだ来てないんですね…あれ、同じタイミングで召集をうけたマシュはともかくとして、ダ・ヴィンチちゃんはいないんですか?てっきりドクターと一緒に説明をしてくれるものかと思っていたんですけど」
「ああ、ダヴィンチにはいま工房で特異点の解析をしてもらっているよ。今回の特異点は正直少し厄介でね…もう少し詳しく調べてもらっているんだ」
「厄介…?」
ロマンの言葉に藤丸がいぶかしげに首をかしげていると、背後のドアがスライドして、今度はマシュがレイシフト場へと入ってきた。
「失礼します、マシュキリエライト、遅れました」
マシュはそういって慌てて藤丸の隣に並んだ。
「やあ、おはようマシュ。いや大丈夫だよ、ちょうどこれから詳しく説明するところだ」
「おはようマシュ」
「はい、おはようございます。先輩、ドクター」
マシュが藤丸ににっこりと微笑むと、藤丸も淡い笑みを返す。いつものやり取りだ。
ロマンはそんな二人を嬉しそうに少しのあいだ見つめていたが、フルフルと首を振って表情をまじめなそれに切り替えた。
「さて、二人がそろったところで今回の特異点について話をしよう。まず先に言っておくと、今回の特異点はかなり異質なものとなる」
ロマンの言葉に、藤丸がはいと手を挙げる。
「異質なものって、もともと特異点ってそういうものじゃないですか?」
「そうだね、特異点と呼ぶくらいだ。もともと正史とは違う異常なものをこそ、僕らは修正しに行くわけだからね。
でも今回の特異点は、その中でも飛びぬけているといっていいだろう」
マシュがこれから待ち受ける言葉にごくりと唾を呑む。
「まず今までと明らかに違うのはその時代だ。なんと年号は2015年、場所はアメリカ合衆国最大の都市、ニューヨークを指し示している」
「2015年!?」
「ニューヨークですか!?」
藤丸とマシュがそれぞれ驚きを見せる。
それも無理はないだろう。本来特異点とは過去に起こった歴史的な出来事を捻じ曲げられた事象。
2015年といえば、広義で見たときに過去と定義するのも難しいほどの直近の年だ。何か世界を揺るがすほどに大きな事件がその年であったわけでもない。
どう考えたところで、その場所、その年で特異点が発生する原因が考えられないのだ。
「そう、二人の驚きはもっともだと思う。だが異質なのはこれだけではないんだ。いま『指し示している』といっただろう?
その特異点となるニューヨークは、すでに僕らの知るそれとは大きくかけ離れている」
その時、ピピッと通信音が入った。ロマンの隣にホログラムが展開され、柔らかな笑みを浮かべた妙齢の美しい女性が映り込む。
『はーい、そこからの説明は私からさせてもらうよ。みんなのダ・ヴィンチちゃんさ』
その美しい容姿にはそぐわない軽快な口調は、すでにこの場においては日常そのものだ。
「レオナルド、何かわかったか?」
『おいおい、天才を侮るなよ?時間さえくれればこのくらいちょちょいのちょいさ。
さて、二人にもわかるように、まずはこれを見てもらおうかな?』
ダ・ヴィンチがそういうと、二人の前に大きなホログラムが展開される。
それはどこかの地図の様であったが、そこが具体的にはどこを示しているのか二人には心当たりがなかった。大きな都市のようではあるのだが、周囲は囲むようにして海で隔絶されており、一つの大きな橋のみがその都市と他をつなぐバイパスであった。これではまるっきり陸の孤島である。
そして何より異常なのはその中央にぽっかり空いた黒点であった。空白の地帯があるのではない。そこにはただただ、大きな穴のみが存在しているのだ。
このような地形の都市があっただろうか、と二人が首をかしげていると、ダ・ヴィンチが意地の悪い笑みを見せた。
『それはね、君たちにこれからレイシフトしてもらうニューヨークだよ』
さらりと述べられたその言葉に、マシュは待ったをかける。
「ちょ…ちょっと待ってください。ニューヨークですか?この隔絶された都市が?
私もニューヨークの簡易的な地形は把握していますが、間違いなくこんな地形はしていなかったはずです」
『うん、いいリアクションだ。そう、これは我々の知るニューヨークとは、すでに大きくかけ離れている。
ニューヨークを取り囲むように展開された海。その下には何かとてつもなく大きな生物の生体反応を感知している。
都市部の中央には虚のようにぽっかりと空いた大穴。そこからは神代と同じだけの魔力濃度を検知した。
あまりにも異常、世界がひっくり返ったと形容しても足らないほどの天変地異といえるだろう』
ダ・ヴィンチの淡々とした説明に、聞いている3人は徐々に顔をゆがめていく。
なんだそれは。もはや土地そのものが神代回帰したのではという程の異常事態だ。
『だが、何よりももっとも異常なのは、そのような地獄の具現ともいえる環境下で、人の営みが当たり前のように行われているという点なんだ。
カルデアからのぞける範囲において、2015年のニューヨークという地点は、唯一人理の灯が興っている』
「ちょっと待ってくださいよ!歴史が崩壊している以上、そのさきに未来は続かない。その前提があるからこそ、僕らは歴史のゆがみになる特異点を修復しているんですよね!特異点なのに当たり前に人の営みが続いているって、その時点で矛盾していませんか!?」
あまりに荒唐無稽な話に、藤丸は思わず大きな声を上げる。その疑問に対して答えたのはロマンだった。
「ああ、藤丸君の言うとおりだ。僕らの使命はあくまで崩壊した世界をもとの形に戻し、正しい未来へとつなげること。
どれだけ異質な空間であったとて、そこで正しい人の営みがあるなら僕らが関与する必要はない。だが、そう安易に考えるには難しい魔力をそこで感知した。
その魔力とは、特異点を崩壊させ人理を揺るがす尖兵」
ロマンはそこで一度話を切り、藤丸とマシュの目をもう一度見つめなおすと、その言葉を口にした。
「魔神柱だ」
*
そこは隔絶された空間だった。あちこちに趣味の悪い装飾華美の家具道具が置かれているくせに、部屋全体の景観は杳として知れない。
ただの人間であれば、その空間にいるだけで神経をおかしくしそうな歪な場所であったが、呼び出されたソレはまるで堪えた様子もなかった。
そも、それを呼び出す魔術師の工房というものは、往々にして奇怪なものだ。いまさらその程度では驚くに値しないのだ。
ねじれた柱のような形状をしたそれは、自身を呼び出した目の前の男に声をかけた。
「…応えよ。
応えよ。我を呼びし者は汝なるや。我の力を乞いし者は汝なるや。
わが名はキマリス。魔術王ソロモンの創りし72柱のうちのひとつ、キマリスである。
さあ、我を呼び出し異形の男よ。貴様は我にいかなる破滅を望む?」
それは一目見てわかる異形だった。
ねじりあげられた柱のような形状に、きれいに配置されたまがまがしい目。そしてそのうちには、途方もない魔力が秘められていた。
魔神柱というものが存在しないこの世界において、それは世界の異物そのもといっても差支えがないだろう。
だというのにその柱に問われた男は、まじまじと魔神柱の全体像を観察した後に、がっかりだという風にため息を一つ吐いた。
「なんだい?その面白げのないフォルムは。ソロモンが創った使い魔っていうから、期待して召喚したのに、出てきたのはてんで面白味のないぼうっきれじゃないか」
「…なに?」
キマリスは自身が受け取った言葉を疑った。
この男は今なんといった?
言うに事欠いて、この暴虐の悪魔を指して面白味がないだと?
キマリスの疑問を気にすることもなく、男はその場をうろつきまわる。
「まずフォルムが単純すぎる。悪魔って言うくらいなら、もっとおどろどろしくしているべきだ。くわえて、言葉があまりに稚拙だ!古典すぎるだろう、もう少し美辞麗句というものを学ぶべきだ!」
仮面をかぶったその男は、大きな声で怒鳴り散らす。それはまるで、買ってもらったおもちゃが期待外れで、癇癪を起す子供のようでもあった。
あまりにも軽薄、あまりにも軽率。
サーヴァント数騎を相手にして余りある魔神柱を眼前にして、この緊張感のなさである。
仮にも自分を呼び出した以上、相応の魔術師であろうその男は、しかしただの子供の様にキマリスの目には映った。
その無防備さにさしものキマリスも言葉を紡げずにいると、ぐるぐると周回していた男は突然その場に立ち止り、ポンと自身の手を打った。
「そうだ!気に入らないなら適当にいじってしまえばいいじゃないか!なにせ材料はいいんだし、遊び放題だ!さすが天才だぞ!ぼく!」
そういって、うれしげに残虐な笑みを浮かべると、男は再びキマリスのほうへと向き直った。視線こそ仮面に隠れて見えなかったが、そのまなざしは、間違いなく獲物を見つめる狩猟者のそれであった。
改めてその男を正面から視認して、こんどこそ魔神柱は瞠目する。自分を呼び出した目の前の男、魔術師であるべきはずのその男には、魔術回路と呼べるものが一切備わっていないのだ。
まさか、自分は魔術師ではないものに呼び出された?
たどり着いたその結論にキマリスは戦慄する。
出来る出来ないの話ではない。本来は、ありえないのだ。
召喚するということ自体が本来魔力を消費して行うことだ。さらに呼び出すのがソロモンの悪魔ともなれば、それに必要な魔力は並みの量ではない。
それが、何一つ魔術回路を持たない男に呼び出されるなど、あっていいことではない。
「貴様…名は?」
その視線に気圧されて、キマリスは尋ねる。いや、正確に言うならば、そう問わずにはいられなかった。
目の前のあまりにも不可思議な、魔神柱の魔力よりも悪質な眼差しを向ける男が何者か尋ねずにはいられなかったのだ。
男は問われて、その邪悪な笑みをますます深め応えた。どこまでも軽薄に、どこまでも軽率に。まるで目の前の獲物が、おいしそうで仕方がないとでもいう風に。
「堕落王、フェムトだよん」
最低最悪の暴虐の子供が今、最も手にしてはいけないおもちゃを手に入れた。
A.D.2015 人理定礎値:ー
狂騒血魔戦線 紐育