「…………はぁ」
「三池様」
「…………はぁ」
「三池様、心中お察しします。ですが、あまり憂いのある表情をされると、女としてたぎるモノがありますからご自重ください」
「…………はぁ、なんでこんなことに」
助手席の窓ガラスにため息を吐く。ガラス越しに見えるのは、中御門の街並み。
天を突くようなオフィスビルが群になってそびえ立っている、東京の一角と言われても不思議ではない光景だ。
そう、街並みは東京とあまり変わらないのだ――が、人に注目してみるとどうだろう?
女、女、女。
どこを見ても女性しかいない。こんなの日本の、いや地球のどこの国の風景とも異なっている。
天道家での話し合いの結果、俺は不知火群島国という知らない国に迷い込んでいることが判明した。
祈里さんやメイドさん側からしても、俺が外国人で誘拐された可能性があると分かり、急ぎ『
ジャイアン中御門支部に送られた俺は、改めてこの国の説明を受け、最低限の常識を叩き込まれた。
そして嘆いた。
やべぇ、やべぇよ、この世界。
やったー! ハーレム世界だぁ! なんて思えるわけねぇ。
男にとってはディストピアもいいところだ。複数人と結婚するのが強制だったり、一人で出歩くことも出来ないなんて不自由過ぎるだろっ!
説明の最後に、
「では、三池さんの住まいについてですが……」
ジャイアンの職員さんが話し出した――その時。
「それには及びません」
と、支部の一室に乱入してきたのが、天道家のメイドさんだった。
「三池様は我が天道家で引き取られていただきます」
「はぁっ!? 何を勝手に! 三池さんは私たちジャイアンの方で安全に保護することになっています!」
「どうせ未婚女性で囲むつもりでしょう? でしたら、天道家に住まわせるのも同じではありませんか」
「しかしですね、天道家の皆さんに男性を保護するノウハウがあるか疑問です。そもそも第一発見者とはいえ、男性の身柄を預かる権利は――」
「ご託はいりません。あなた、天道家が毎年どれだけの寄付金をジャイアンに払っているのか、ご存知ないのですか?」
「そ、それは……」
「来年の寄付金の額が楽しみでございますね」
何やらメイドさんと職員さんの間で怪しげなやり取りがあった結果、俺はメイドさんが運転する車で再び天道家に向かうことになった。
「到着でございます」
天道家の屋敷に着いた時には、すっかり夜になっていた。屋敷の窓から生活の明かりが漏れている。
「今夜は三池様の歓迎会でございます。祈里様の他に、三女の
「次女の人はいないんですか?」
「あの方は……お呼びしてもすぐお越しいただく所にはいないのでございます」
「そうなんですか」
不知火群島国の芸能界に古くから君臨する天道家。長女の祈里さんは引退したようだけど、妹さんたちは頑張っているらしい。
次女さんは中御門にいないってことか。群島国家だもんな、移動が大変で来られないんだろう。
にしてもトップアイドルの家系か……アイドル事務所の研修生としては
メイドさんに先導されて、屋敷の玄関を開けると――
「おかえりなさぁい!」
パタパタと天使が駆け寄り出迎えてくれた。ん、よく見るとツインテールをなびかせた少女だった。可愛すぎて天使と誤認してしまったぜ。
「お兄ちゃんが拓馬お兄ちゃんだね。わぁ、すっごくカッコいい!」
おうふ、そんな愛らしい外見でお兄ちゃんと呼ぶのは反則だぜ。
「咲奈様、まずはご挨拶を」
「あっ、そうだね。男の人と話すのはお父様以来で、拓馬お兄ちゃんを困らせちゃったかな……てへっ」
これはいけません!
天道家の四女らしき少女が舌をちょろっと出して「てへっ」を仕掛けてきた。くそぉ、出会って十秒でロリ道に堕ちてしまいそうだ。
「天道咲奈です。はじめまして、拓馬お兄ちゃん」
ぬっ! 気をしっかり持つんだ。少しでも油断したら「どぅふふ、お兄ちゃんですぞぉ」とか言ってしまうぞ。第一印象を最悪にするわけにはいかん!
「み、三池拓馬です。こちらこそはじめまして」
なさけなしの理性を総動員して、俺は良きお兄ちゃんを演じてみせた。
と、そこへ――
「へえ、祈里姉さんから連絡をもらった時には、お見合い連敗続きでついに男性の幻覚を見るようになったのかと思ったんだけど、本当にいたんだ」
もう一人の女性がやってきた。年齢は俺と同じくらい、赤毛のショートヘアーにアスリートのような鍛えられた身体……そして、初対面でも感じるカリスマ性。
この人が三女か……
「あたしは天道紅華。拓馬さんは外国人なんだって? 慣れない環境で大変だろうけど、遠慮なくあたしらを頼っていいからね」
「あ、ありがとうございます」
おお、凄くまともでしっかりしている人!
祈里さんはフニャフニャしているし、メイドさんは策謀の気配を常に纏っているしで今一つ信頼を置けなかったけど、紅華さんなら信用できそうだ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
その後の歓迎会。
三女の紅華さんと、四女の咲奈さん、そして未だに何を言っているのかよく聞き取れない長女の祈里さんと食卓を共にする。
出てくる料理はどれも初めて味わうものばかりだったけど、「腕によりをかけて作りました」とメイドさんが言うだけあって美味だった。
あらかたの料理を平らげたところで、
「拓馬さんはニホンって国でアイドルをやっているんでしょ?」紅華さんが尋ねてきた。
「えーと、正確にはアイドル事務所の研修生です」
「似たようなものじゃない。ギターを担いで来たって言うし、一曲披露してくれないかな? あたし、男性の曲って聞いたことがないの」
「面白そう! 私も拓馬お兄ちゃんの歌が聞きたいなぁ」
「わぁひゃしも、きょひありんすわ」
しまったな、紅華さんと咲奈さんが積極的だ。祈里さんは意味不明だ。
正直この話題になって欲しくなかった。
芸能界の大家である天道家の皆さんの前で、つたない俺の歌が通用するとは思えない。
「ふ~ん、こんなものなんだ」と落胆されたらどうしよう。と、ネガティブなことを考えてしまう。
「もう夜で近所迷惑になりますし、また後日にしませんか?」
俺の口から出たのは、逃げの言葉だった。
「当家の防音は完璧ですよ」
「でも、俺って熱唱するタイプですから」
メイドさんに苦しい言い訳をする。
「まあ、拓馬さんがそう言うなら今夜は止めておきますか。無理言って、ごめんね」
「ごめんなさい、拓馬お兄ちゃん」
素直に謝る紅華さんと咲奈さん。
良心が痛む、後でメイドさんにギターの練習が出来る場所を聞いてみよう。
こうして、歓迎会はお開きとなった。
豪邸である天道家には客間がある。その一つを宛がわれた俺が、ベッドに腰かけてリラックスしていると――
「ねえ、拓馬お兄ちゃん。ちょっといい?」
コンコンと可愛らしいノックと共に、咲奈さんの声が聞こえてきた。
「君に向けて閉ざすドアを俺は持っていないよ」と、キザ過ぎる文句を吐きそうになる口を制御して「はい、なんですか」と簡素な言い方でドアを開ける。
すでにお風呂に入ったらしくピンク色のキャワいいパジャマを着た咲奈さんが、ドアの向こうに立っていた。
萌え死ぬ、という言葉の意味を俺は魂で理解した。
「えとね、お願いがあるの」
「な、なんだい?」
「読み合わせに付き合ってくれないかな?」
読み合わせとな?
咲奈さんが言うにはこうだ。
再来月から咲奈さんが所属する劇団の公演があるらしい。演目は『魔法少女トカレフ・みりは』、人気アニメを舞台化したもの、とのこと。
咲奈さんは主役の『みりは』という魔法少女を演じる。さすがは天道家の一員、俺の半分しか生きていないのに主役をやるとは。
「それでね、拓馬お兄ちゃんに『マサオ君』のセリフを読んで欲しいの」
マサオ君とは、みりはの幼なじみでヒロイン役である。
歌を拒否した手前、この申し出は断りにくい。
「分かった、いいよ……あっ、でも俺、この国の文字が読めないんだけど」
「じゃあ私がまず読むから、拓馬お兄ちゃんはそれをメモしてね」
そういうわけで、俺は自分用に台本を書き換え、読み合わせに挑んだ。
「うわああ、来ないで、来ないでよぉ!」
「助けてぇ、みりはちゃ~ん」
「ううぐすぅ、怖いよぉ」
「ありがとう、みりはちゃん! みりはちゃんがいて本当に良かったよぉ」
マサオ君、情けなさ過ぎない?
読み合わせする場面は、怪人にマサオ君が襲われ、みりはが救出するところだ。
いくらヒロイン役とはいえ、こうも泣き言ばかり喋るのはいかがなものか?
と思うが、この世界の男女感に当てはめるとこれが普通なのかもしれない。いかんなぁ、異文化理解しないと。
それより気になることがある。
「わぁ、拓馬お兄ちゃんって、セリフを読むの上手だね!」
と、練習開始直後は俺を褒めていた咲奈さんが……
「今のところ、もう一回いいかな? うん、もう一回……今度はもっと弱弱しく、私に頼り切る感じで」
何だかどんどん思いつめたような雰囲気になっていく。
俺が注文通り「うええぇぇん!? もうやだよぉ。みりはちゃぁぁん!」と、感情込めて言うと――
「んんっ!」と咲奈さんの身体が過剰に震える。
「はぁはぁ……」と息も荒いし、風邪だろうか?
「……なにこの新感覚……イイ、すごくイイ」
「あ、あの咲奈さん? 疲れているみたいだし、今日はこれくらいにしようか?」
「え……だ、だめだよ! もう少しで開きそうなの!」
「開く? な、何が?」
「新しい扉! もう半開きなの!」
なんかよく分からないけど、その扉って開けちゃいけない気がするよ。
「さあ! タッくん! もう一回最初から!」
ひぃぃ、なんか呼び方変わっているしコワッ!
ジョニーのあきまへんセンサーがビンビンに警報を鳴らしている。
俺の天使は一体どうしてしまったんだ?
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
咲奈さんとの地獄の練習が終わった。
「お疲れ様、タッくん。 じゃあ、お姉ちゃんと一緒に寝ようか」
と、俺のベッドにもぐり込む咲奈さん。
「いやいや、俺ってばまだ風呂に入ってないから」
「別にお姉ちゃんはそのままでも良いんだよ。その方がタッくんの匂いを強く感じることが出来るし」
「いやいや、こういうのはマナーだし。ってか、会ったその日に同じベッドはまずいよ」
「私とタッくんは家族なんだし、一緒に寝るのは当たり前のことだよ」
ダメだ! 話が通じねぇ!
ともかく風呂に入る、と言って俺は自分の部屋を出た。
メイドさんに頼んで別の部屋を用意してもらおうか……と考えながら廊下を歩いていると、ちょうど良いことに前方からメイドさんがやってきた。
「三池様、これからご入浴ですか?」
「あっ、はい。そのつもりです」
「では、これをどうぞ」メイドさんから手渡されたのは男物のパジャマだった。綺麗にアイロン掛けされているが、新品ではなさそうだ。
「申し訳ありません、当家にある男物の衣服は、先代の旦那様のお古しかないのです。明日、新品を買いに行きますから、今夜はこれで我慢していただけないでしょうか?」
先代の旦那様か。祈里さんたちのお父さんのことだよな。
たしか、今は海外に行ってしまってずっと不在だって聞いたな。
「わざわざ用意してもらってありがとうございます。有り難く着させてもらいます」
俺は快くお古のパジャマを受け取った。
「それでは私はこれで――」
メイドさんが会釈して通り過ぎていく。会釈した顔を戻した時、口元が笑っていた気がしたが……俺の見間違いだろうか。
あっ、それより部屋を替えてもらうのを頼むのを忘れていた。追いかけなきゃ――
「あれっ? 拓馬さん。こんな時間にどうしたの?」
メイドさんが消えた方へ向かおうとする背中に、紅華さんの声がかかる。廊下の向こうから彼女が現れた。
どうしたの、ってあなたの妹が俺のベッドを占拠して困っているんですよ。
振り返って、妹の蛮行を姉に説明しようとするも、それより先に。
「はっ! そのパジャマは!?」
紅華さんの目が一点集中で俺の手にあるパジャマを射抜いた。
「父のパジャマ……」
「あっ、これですか。メイドさんから借りたんです。すいません、俺の着替えがないもんで、今夜はこれを使わさせてもらいます」
「拓馬さんが父のパジャマを……」
考え込む紅華さん。
肉親の服を赤の他人に着られるのが嫌なのだろうか。
「――ちょっと付き合って」
「えっ、ちょ!?」
何を思い立ったのか、強引に俺の手を引き、紅華さんが向かったのは自分の部屋だった。
入口に俺を立たせ、洋服ダンスに手を突っ込み「これが良いかな、あっ、これも良いな」と、次々に服を取り出していく紅華さん。
その全てが男物だった。
「く、紅華さん? どうして、あなたのタンスに男物が?」
「えっ、ああ、全部父の物よ。捨てるのがもったいないからあたしが保管しているの」
もう着ない父親の服を管理する娘……これも異文化なのか?
「パジャマがコレクション漏れしていて、ずっと探していたんだけど。まさか他の人が持っていたとはね……と、さあ拓馬さん」
紅華さんがこちらを見た。
その目には覚えがある。つい先ほど咲奈さんがしていたのと同じ目だ。
「ファッションショーをしましょうか!」
俺のあきまへんセンサーが「もう勘弁してくださぁい!」と泣きながら、また警報を発令した。