「タッくん! どこに行っちゃったの~?」
「拓馬さん! まだ試したい組み合わせが108通りあるから姿を見せてよ~」
拓馬です、絶賛逃亡中の拓馬です。
『こんな家にいられるか、俺は日本に帰らせてもらうぞ!』がスローガンの拓馬です。
現在、俺は屋敷の一室に身を隠している。
電気を点ければ見つかる恐れがあるので、暗闇の中で体育座りスタイルだ。
だんだん目が闇に慣れてきたおかげで、辺りの様子が分かってきた――ここは、談話室だろうか?
部屋にはくつろぎに特化したような椅子やテーブル、それに時代掛かった本棚やレコードのような音楽機器が置かれている。
壁際に並べられているのは高級そうな調度品で、部屋自体のランクを上げるのに一役買っていた。
「……えっ?」
調度品の中で、俺の目を釘付けにするものがあった。
いや、まさか……こんな所にあるはずが……
信じられない気持ちを引きずりつつ、ソレに近づく。
トロフィーだ。
台座の上に、腕と足をくねらせた人型が鎮座するトロフィー。
不知火群島国に来る直前の記憶で、俺はこいつを手にして――いつの間にか中御門の路地に立っていた。
まさか、このトロフィーが転移の原因なのか?
慎重に手に取り、まじまじと観察していると……
「不知火の像にご興味がおありですか?」
「ひうっ!?」
危うくトロフィーを落とすところだった。
振り向くと談話室の扉が開いており、メイドさんがひっそり佇んでいる。
「し、不知火の像、ですか?」
「正確には、不知火の像のレプリカでございます」
メイドの説明によると、不知火群島国には年間で芸能、スポーツ、科学技術など各分野で輝かしい功績を残した人を表彰する行事があるそうだ。
表彰式では国宝の不知火の像に触る名誉が得られ、おまけとしてレプリカが授与されるらしい。
このレプリカは祈里さんが引退前に手に入れたもの……つまり、祈里さんが年間で最も活躍したアイドルと認められた証拠と言える。
「不知火の像には、『大いなる幸福をもたらす力』があるとされています」
大いなる幸福か、俺を日本に戻す力くらいありそう――と、思ってしまうのは希望的観測だろうか。
「あ、となると、表彰された祈里さんは大いなる幸福を得ないとおかしいですよね。けど、婚活は上手く進んでないとか」
「――ふ、そこが良いのではありませんか。さすがは、不知火の像。何がオイシイかよく理解しておられます」
心の内が透けるような歪んだ笑みを浮かべるメイドさん。もうこの人はダメかも分からんね。
「じゃあ、もし俺がレプリカじゃない本物に触ろうとするなら……」
「三池様がアイドルとしてデビューして、天下を取るしかないと思われます」
運命的なものを感じた。
アイドル研修生の俺が日本に帰るためには、この国でトップアイドルになるしかない。
何というお膳立てだろうか。本当にトップアイドルになれたなら、これほどのサクセスストーリーはない。
日本にいる家族や友人たちのことを想う――別れも告げずにこんな所に来てしまった俺を、みんな心配しているかな。
この国でアイドルとなったらと夢想する――世界初の男性アイドルだ、きっと目立ちに目立てるだろう。
「俺、やります。この国でアイドルとして一旗揚げてやります」
「ほうっ!」
メイドさんが新しいオモチャを見つけたような、愉悦感大盛りの視線を俺にぶつける。
くそっ! 負けてたまるか。
なるんだトップアイドルに。日本に帰るためにも、目立ちたいという己の願望のためにも。
そして、何より――
「あっ、タッくん! やっと見つけた。ほらほら、お姉ちゃんと一緒のお布団に入ろうね~」
「それよりファッションショーの続き! 今夜は寝かせないわよ拓馬さん!」
なぜか豹変してしまったこの姉妹からオサラバするためにも――
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翌日。
俺は居間に天道家の人々を呼んだ。
「ひゃったいんなぃをちゅるのれしゅか?」
「一体何をするのですか、と祈里様は申しております」
「みなさんに集まってもらったのは他でもありません。ここで、歓迎会の時のリクエストに応えたいと思います」
「リクエスト?」
咲奈さんが小首を傾げる。萌えキュンを誘う仕草なのに俺の心は平穏だ。
もう俺も咲奈さんも出会った頃には戻れない。大人になるって悲しいことなの。
「一曲披露させてもらうってことですよ」
ギターを取り出し、
「へえ?」
紅華さんが好奇の目つきになる。昨晩、人を散々着せ替えダディにした時とはまた異なる
先輩アイドルとして俺を値踏みするつもりか。
いいだろう、好きに評価してくれ。
アイドルデビューを決意した以上、天道家の皆さんの見立ては是非参考にしたい。
やるぞ、俺。
トップアイドルの家系がなんぼのもんじゃい! ここで縮こまっているようで、不知火の像をゲット出来るものか!
「聞いてください、『ぎゅっとあなたをハグしたい』」
俺が選んだ曲は、平成が始まって間もない頃ある男性バンドが世に放ったドストレートなラブソング。
穏やかな曲調ながら熱い曲だ。
あなたをハグしてずっと一緒にいたい、という男らしく飾らない歌詞が、スッと聴く人の心に染み渡る。
男の歌を知らない人たちにとっては最適な入門曲だろう。
何より自分の中で一番上手く歌える曲がこれなのだ。天道家を前にして、出し惜しみする余裕はない。
ピックを持った手で弦を弾く。その指がぎこちない。緊張というやつは本当に厄介だ。
落ち着け、この曲は世界で俺しか知らないんだ。多少音を外しても気づかれないはず。そう自分に言い聞かせつつ、
「この街に新しい季節が来て」歌い出す。
「「「!?」」」
咲奈さん、紅華さん、メイドさんの目が見開いた。
これは、良い反応なのか?
「ぎゅっとあなたをハグしたい~」
歌はサビの部分が最も高音になる。そこでボーカルは声を振り絞るように愛を唄う。
咲奈さん、紅華さん、メイドさんは三者三様の反応を見せている。
紅潮したり、涎を垂らしたり、口元を『~』のように歪めたり……悪いリアクションではないようだが。
だが、一人だけ歌い出した時からまったく表情を変化させない観客がいる。祈里さんだ。
フニャフニャ女郎とは何だったのか、まるで鉄仮面だ。感情が見えない。
男の歌だろうが関係ない、芸は正当に評価する――という真剣さが彼女から伝わってくる。
これが芸能界の天下を取ったという天道祈里の本当の姿、本当のトップアイドルなのか。
ちくしょう、一瞬でも良い。祈里さんの心を俺の歌で動かしたい。
そう躍起になって歌い上げたが、最後まで祈里さんはノーリアクションだった。
演奏後。
「すっごい、すっごく良かった、感動したよタッくん! ねね、早速お姉ちゃんとハグしようよっ、ぎゅっとハグ!」
「ぎ、技術的にはまだまだだったけど、悪くない曲だったわよ……あのさ、もっと大人っぽい曲はないの? 30代とか40代の人が歌いそうなやつ」
咲奈さんと紅華さんが、己の欲望を混ぜつつ上々の評価を寄せてくれた。
「…………」
しかし、祈里さんだけは無言のままだ。ずっしりと椅子に座ったまま俺を見続けている。
「あの、祈里さん。俺の歌はどうでしたか? 良かったら何かコメントが欲しいんですけど」
「…………」
なんだよ、一言くらい良いじゃないか。俺の歌は評価に値しないっていうのかよ。
「祈里さん」と、俺が詰め寄ろうとしたのを、
「三池様、お待ちください」メイドさんが止めた。
そして、スッと主に近寄り、ペタペタとその身体を触り――こう言った。
「祈里様の呼吸が止まっておられます」
「「「え゛え゛っ!!」」」
急いで祈里さんを椅子から降ろし、
マジで呼吸が止まっている!
「ま、まだよ。まだあわわわっわてる時間じゃないわ」
「今慌てなくていつ慌てるのってくらい慌てる場面だよ! 紅華お姉様!」
騒然となる紅華さんと咲奈さん。
俺もパニックになってしまいそうだが、落ち着くんだ、とにかく落ち着くんだ!
こう言う時は、えとえと……そうだっ!
「人工呼吸だ!」
「お止めください! トドメを刺すおつもりですか! 三池様が接吻かましましたら祈里様のチキンハートが破裂してしまいます」
「いいっ!? す、すんません!」
「皆様、ここは私の指示に従ってくださいませ」
メイドさんが冷静かつ的確な指示で救急車を呼び、応急処置を施す。
そうしているうちに、サイレンの音が近づいてきて――
祈里さんは駆けつけた救急車によって、市内の病院に運ばれていった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
さらに翌日。
中御門総合記念病院の入院患者用個室に俺たちは集まった。祈里さんの見舞いのためだ。
「迷惑をかけましたわね」
薄桃色の患者服を着た祈里さんがベッドから身体を起こす。
「祈里姉さんが男にフニャフニャなのは知っていたけど、今回は極め付けね。あたしの寿命まで縮むかと思ったわ」
「うう……祈里お姉様が死んじゃうかと思ってほんとのほんとに怖かったんだから。はやく元気になってね」
「ええ、不甲斐ない姉でごめんなさい」
(見た目)美しい姉妹たちが(経緯はともかく)美しいやり取りをしている。それに口を挟むのは気が引けたが、加害者の俺がだんまりなのもいけないよな。
「俺の歌のせいで興奮させてしまったようで、誠にすみませんでした」
「三池さんに落ち度はありません。すべては私の未熟が招いたことですわ」
頭を下げる俺を、祈里さんは優しく許してくれた。
その心の広さに感謝するも、俺はどこか違和感を抱いた。これは……
いち早くメイドさんが気付く。
「――はっ!? 祈里様。三池様と普通にお話し出来るようになったのですか?」
「あら、あらあら! 本当ですわ」
そうか、祈里さんの言語が理解できる。違和感の正体はこれか!
メイドさんがこの珍現象を分析する。
「どうやら、死の淵からよみがえったことで、耐男性能力をパワーアップさせたようでございます」
ん、サ〇ヤ人かな?
「私が、男性とこんなにお話しが出来るなんて……ありがとうございます! 三池さんの、あの天にも昇るような素晴らしい歌のおかげですわ」
「はぁ、どうも……」
実際、天に昇りかけていた人にそう褒められても、とても微妙な気持ちになってしまうのですがそれは……
「三池さんはアイドルとしてデビューしたいそうですわね。分かりました、天道家が全力でバックアップしましょう」
「本当ですか!?」
「ええ、元アイドルの私がしっかりプロデュースしますわ」
よっしゃ! 祈里さんの支援があれば、スムーズにアイドルの仕事がもらえそうだ。
日本の研修時代じゃ考えられないとんとん拍子の展開だな。
「三池様のマネージメントは私が務めさせていただきます。よろしくお願いします」
えっ、メイドさんが……アイドルのマネージメントなんて出来るの? と顔に出た疑問に返事がくる。
「問題ありません。書物で勉強しました。十分にこなしてみせましょう」
べ、勉強って。俺たち会ってまだ二日しか経ってないよね。そんな短い時間でマネージメントを、それに普段の仕事はどうするの――と心配になるが、メイドさんならどれもこれも支障なくやってくれそうなイメージがある。
「わぁ、タッくんアイドルになるんだ。じゃあ、お姉ちゃんの舞台に出てみない? 一緒に頑張ろうよ!」
「拓馬さんならあたしの強力なライバルになるかもね。負けないわよ!」
「はいっ! よろしくお願いします!」
俺は天道家の皆さんに向かって、元気に言い切った。
ここから始まる物語。
きっと道の先には思いもよらぬトラブルが目白押しなのだろう。嘆き悔やむことが日常になってしまう恐れもある。
だが、走り出したからには簡単に止まるものか。
さあ、アイドルを始めよう!
「三池さんを天道家に繋ぎ止めれば……私にも結婚のチャンスが」
「タッくんと一つ屋根の下……ふふ、弟は姉のものなんだよ」
「父のお古だけじゃダメだよね。思い出は塗り替えるもの、新しい父親像を築くためにもコレクションを増やさなきゃ」
「うぷぷぷ、愉悦対象が増えました。楽しい日々になりそうでございます」
やべぇよ、やべぇよ。
どいつもこいつも独り言がデカいよ。
なるべく早くトップアイドルになって不知火の像を手にしてみせるぞ。
さ、さあ、アイドルを始めよう(震え声)。
以上でIFストーリーは終了です。
次回から三章に戻ります。