身体が熱く、それでいてダルい。
「ん……んん」
倦怠感を引きずりながら、俺は眠りから覚めた。
ぼんやりとする視界に入ってきたのは、見知らぬ天井――ではなく。
「あっ、おっはようございま~す。お元気ですか~」
こちらを覗く音無さんだった。
俺が病院のベッドに寝かされているのをいいことに、横から遠慮なく覆い被さっている。
ち、近い……ただでさえ瞳の大きい彼女のドアップには、迫力を超えた凄みがあった。
「凛子ちゃん、ハウス」
「むぎゅ!」
相方に襟首を掴まれ、音無さんが引っ張られる。
「ちょ、げぼげぼ……い、一瞬息が止まったよ!」
「視漢をするなら三池氏の寝ている時だけと決めたはず。それ以上はマナー違反」
「アディッショナルタイムは?」
「ないです」
何やってんだか……
寝起きの頭に、騒々しいダンゴたちのやり取りは
静かにしてくださいよ、と文句を言おうとしたが――二人の目の下にクマが出来ているのを見て、言葉を引っ込めた。
随分心配かけてしまったようだ。
体調管理はアイドルの基本だと言うのに……俺ってやつは。
自分の不甲斐なさを恥じながら、俺は一度状況を確認することにした。
今は、コンテストの翌日か。
コンテストが酒乱会場になって、それから――
俺はダンゴたちに両脇を抱えられ、コロシアムを後にした。
途中、出演者控え室前を通った時に。
「トム……トム……やっと私の下に帰ってきてくれたのね。もう絶対放さない」
太めのクッションを抱きしめ床に転がるメアリさんと、
「お父さん、ダメだよ。あたしたちは親子なんだよ……でもそういう関係もありっちゃあり」
いつの間にか隠し撮りしていたミスターの写真に顔面を突っ込ませる紅華がいたが、もちろんスルーした。
二人とも酒癖悪いな。
車に乗せられ、俺は男性の受け入れ設備がある、東山院きっての大病院に連れて行かれた。
お忍びでいきなりやって来た男性アイドルのタクマ。
誰が俺を診るのか……病院内は水面下で殺気立ったらしい。
病院関係者の間でどんな殺伐な攻防があったのか詳しくは知らないが、結局診察を請け負ったのは、この道四十年の大ベテランの女医さんであった。
この選定には真矢さんも関わっている。
真矢さんは考えた。
若い医師だと俺のフェロモンにやられ、触診と称して念入りにジョニー回りを攻め、嫌がってもここは正直ですよ戦法を取ってくるだろう。
ならば、性欲が枯れたご高齢の先生を登用してはどうかと。
もっともそんな意図があって選ばれたベテラン女医さんだったが、俺を触診していくうちに性春を取り戻し、最終的には南無瀬組からヤキを入れられることになった。
恐怖の診察については思い出したくないし、南無瀬組が女医さんにどう落とし前付けたのかは語りたくもない。
診察結果だけ言うと、俺の症状は過労による発熱であった。セキや喉の痛みがないのは幸いだが、ツラいものはツラい。
「無理もないわ。元々、東山院に来た一番の目的は拓馬はんの休養とリフレッシュやったのに……トムはんや芽亞莉はんたちのイザコザにごっつぅ巻き込まれて、トドメにあのコンサートやからなぁ……自分が情けないで、何がマネージャー兼プロデューサーや。もっと拓馬はんに対してビンカンにせな」
「あたしや静流ちゃんが付いていながらお身体を無理させてしまって……ううっ。これはもうセキニンを取るしかありませんよね! ねっ!」
「本当に申し訳ない。お詫びとして、私が付きっきりで看病する。手始めに人間毛布になる」
組員さんたちも俺を心配し、こぞって文字通り人肌脱ごうとしてくるので、丁重にお断りした。
精も根も尽き欠けているのに、これ以上精を絞られそうな行為はNGで。
そうして、病院の男性用豪華ベッドで一晩寝て、今に至る。
コンテストはあれからどうなったんだろう?
怪しげな雰囲気のザマスおばさんは?
幼なじみに執着しているメアリさんは?
交流センターで俺を応援していたトム君やスネ川君たちは?
ついでに末期のファザコンを患う紅華は?
こちらの心労を配慮してか、真矢さんたちは何の情報もくれない。いい加減、現状を知りたいところだ。
俺はベッドから身体を起こした。
広々とした病室には俺以外の患者はいない。
男性は基本的に個室で、VIP待遇の扱いを受ける。
俺と音無さんと椿さんの三人だけでは、空間を余らせているように感じてしまう。
「あの、真矢さんは?」
「真矢氏ならミスターが潰したコンテストの後始末で動き回っている」
「ってことは、コンテストは狙い通りに延期になったんですね」
「……う、うむ」
「らしいんですけど……」
二人の歯切れが悪い。
「な、何かあったんですか?」
昨日、椿さんが言っていたことが脳裏をよぎる。
ザマスおばさんにとって、コンテストの延期は大きな痛手ではない――挽回の手立てを用意している可能性がある。
まさか、ザマスおばさんが良からぬことを仕掛けてきたのか!
昨日の今日で、こんなに早く!?
言いにくそうに下を向く音無さんと椿さんに、詰め寄ろうとするも……
先にコンコンというノックの音が鳴った。
「タクマ殿、起きているでござるか?」
南無瀬陽南子さんの声だ。
「ええ、どうぞ入ってください」
「おおっ、目が覚めたようで何よりでござる」
入口が開き、陽南子さんが姿を見せる。
「気分はどうでござるか?」
「まだ気だるいですけど昨日よりはマシですね……俺より陽南子さんは大丈夫なんですか?」
陽南子さんは、先輩である芽亞莉さんチームを応援するため、あのコロシアムにいた。耳栓なしでガッツリ俺の歌を聴いたはずだ。
「しばらくはフラフラしたでござるが今は万全! 心配なさるな。ははっ……それにしても見事にやられたでござる。音に聞くタクマ殿の歌唱、どの程度か見定めようと思っていたのでござるが、拙者のような半端者では無理でござった。歌を聴いた瞬間、身体中が熱く制御不能になって、気づけばグッスリ眠りこけていたでござるよ」
「陽南子さんは直接関係ないのに、巻き込んでしまったみたいですみません」
「いやいやこれも得難い経験でござった。それより、コンテストが延期になったことを殿方たちに伝えてきたでござるよ。皆、タクマ殿に大いに感謝していたでござる」
「トム君たちが……そうですか、良かった」
良かった、そう思っていいんだよな?
音無さんと椿さんの表情は晴れない。
「そして、これを受け取って欲しいでござる」
陽南子さんが色紙を取り出す。不知火群島国の文字で大量の寄せ書きが載っている。
「タクマ殿が疲労で倒れたと伝えたところ、殿方たちがこうやって謝罪と感謝の気持ちを文字にしたのでござるよ。タクマ殿に無理をさせたことを悔いてござった」
色紙を手に取る。
最近、俺は不知火群島国の言葉を勉強しており、色紙に書かれた言葉の中で二つだけ読み取ることが出来た。
『ありがとうございます』
『ごめんなさい』
筆跡からして、全員がこの二つの言葉を残している。
どの文字も筆圧強めで滲むように書かれており、トム君たちの気持ちの大きさを感じずにはいられない。
コンテストは延期になった。
冬休みにトム君たちは無事帰省して、それぞれの夢に向かって活動する。
俺はきちんとサポート出来た……?
「あっ、真矢さん」
「真矢氏……」
ダンゴたちの声で色紙から顔を上げると、頭が痛いのか、こめかみを押さえる真矢さんが入室していた。
「アカン……やっぱりダメや」
開口一番に真矢さんは悲痛の言葉を口にした。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「き、帰省禁止ってどういうことですか!?」
「どうもこうも、仲人組織が正式に決定したもんや。今回のコンテストが延期になったんで、年末にもう一度コンテストを開き、そのまま優勝チームと男子たちが交流生活を開始するんやて。せやから、トムはんたちは冬休みも交流センターから出られへん」
「年末に? コンテストをやるんですか? 強行過ぎますよ!」
なぜだ!?
年末は、誰でも忙しい時期だ。
婚活に燃える女子なら他の予定を蹴ってでも参加するだろうが、審査員のみなさんを召集するのは大変だろう。
会場設営のスタッフを用意するのも一苦労なのは明白だ。
それに優勝チームとトム君たちはそのまま共同生活――年末年始を実家に帰らず過ごすと言う。
なぜそこまで急ぐ必要がある?
「無理せず、冬休みが明けてから改めてコンテストをやれば良いじゃないですか?」
「出来ない」
俺の提案を椿さんがバッサリと切った。
「私たちは杏氏を甘く見ていた。彼女は常に交流センターの男子を監視して、冬休みの職業体験計画を察知していた。故に、帰省は不可能。仲人組織が必ず潰しにかかる」
「どうして!?」
男子たちのささやかな夢を邪魔するなんて、いくら何でも酷すぎる。
何の理由があってそんな非道なことを!
「オフィスラブや」
「オフィ、オフィスラ……えっ?」
一瞬、真矢さんが言ったことが理解出来なかった。
「オフィスラブですよ。職場で男性と出会って恋に落ちる。はぁ~、漫画やドラマでは定番ですけど、現実ではありえないですよね~。あれっ? ちょっと待って。ダンゴのあたしにとって職場は三池さんの隣。つまり、あたしは毎日オフィスで男性と会っている……後は三池さんを落とせばオフィスラブ完遂ってことじゃ……うむむむ」
神妙な顔でアホを言い出した音無さんはみんなから無視され、会話は続く。
「仲人組織は、男子たちと受け入れ先の従業員が結婚するのを恐れているんや」
そんな、たかが数日の職業体験で結婚なんて……と、冗談で流せないのが不知火群島国の恐ろしい所だ。
受け入れ先の女性は、基本男性との接触のない飢えた人たちだろう。自分のテリトリーにカモが嬉々としてやって来る、狙わないわけがないか。
「トム氏たち側から見れば夢の場所で働く女性、最初から好感度が高い。さらに、結婚したとしても『家庭に入れ』と言わず、夢を応援してくれるかもしれない。お見合い指定校の女子と結婚するより明るい未来が見える」
俺の頭の中で、夢であったお菓子屋で働くトム君の姿が浮かんだ。
厨房では奥さんが美味しそうなケーキを焼いていて、それをトム君が商品ケースに並べていく。
若夫婦の仲睦まじい光景だ。
壁に向かって「トム、トム、トム……」と病みっぷりを披露していた許嫁の人と一緒になるより幸せなのは言うまでもない
「トム君たちにとっては外で相手を見つけた方が良い気がしますね。けど、男子校の生徒がお見合い指定校以外の人と結婚するのはオーケーなんですか?」
俺の質問に椿さんが首を縦に振った。
「肯定。男子校は未婚の男子が入る場所。卒業するまでに必ず一人以上の女性と結婚しなければならない。そして、お見合い指定校はそんな男子校とお見合いする権利を有する学校――が、ここで失念しそうになる事実がある。それは、
「お見合い指定校はあくまで男子と結婚しやすい場所ってだけや。男子が外で結婚相手を見つけても問題ないねん。せやけど、それで問屋が卸せんのが仲人組織や。あそこはお見合い指定校の女子と男子をくっ付けるのを存在意義にしとるさかい」
だから、トム君たちを帰省させないのか。
男子の夢や幸せを何だと思ってやがる!
「んで、うちがさっき杏はんの所へ行ってな、コンテストを潰した謝罪ついでにコンテストの再開が急過ぎるんやないか……ってそれとなく抗議したんやけど。アカンわ、すでに男子の実家にも帰省中止の話をつけとる」
「何ですか、その行動の早さ! まるで、コンテストが延期になるのが分かっていたみたいじゃないですか!?」
いよいよもって、あのザマスおばさんが不気味に見えてくる。
「言うまでもないかもしれへんけど、次のコンテストで拓馬はんの出演は認められんって。うちらに出来ることはもうないねん」
重い空気が病室に漂う。
俺たちはザマスおばさんに敗北した、のか……
「でも、おかしいですよね」
オフィスラブから覚めた音無さんが首を傾げながら言った。
「そこまで手際の良い領主様なら、どうして昨日三池さんにコンテストを潰されたんでしょ? 三池さんの歌の力だって知ってそうなのに」
っ、音無さんにしては鋭いことを!
確かにそうだ。
年末に無理してコンテストを再開するより、最初から延期しないよう計らう方が遙かに面倒が少ない。
ミスターを歌わせなければ済む話なのに……なぜ、ザマスおばさんは俺をステージに上げた?
上げなければ、今頃優勝チームの女子が交流センターに引っ越し始めるところだっただろうに。
狡猾なザマスおばさんが、俺の歌の効果を把握していなかったとは考えにくい。
一回目のコンテストを延期にしなければならない理由でもあるのか……
分からない、ザマスおばさんの狙いがまったく分からない。
「よろしいか、領主殿の真意を考えるのも大事でござるが、それよりも対処すべき危急の事態があるでござる」
南無瀬組アイドル事業部の話し合いから一歩引いた所にいた陽南子さんが声を上げた。
「危急? 何や陽南子?」
「コンテスト再開の決定は今し方行われたでござるな。と、なれば殿方たちの所にも連絡が行っているはず……帰省が禁止、夢を追えなくなった殿方はどうなるでござろう?」
「あっ……」
手元の、トム君たちの感謝と謝罪が詰まった色紙に目が行く。
「領主殿は殿方の夢を軽く見過ぎでござる。拙者は何度か殿方たちと会ったから分かる、みな本気で、人生を懸けて夢に向かい邁進してござった。それが断たれたとなれば……自傷行為に走るお方が出てきても不思議ではござらん。否、最悪の場合――」
俺は毛布を蹴飛ばした。
拓馬はん! 三池さん! 三池氏!
俺を止める声を無視して、ベッドから降りる。
「……っ!」
立つのはまだ苦しいか。でも、寝ている場合じゃない。
「行きましょう、交流センターに!」