籠城事件二日目。
前情報通り、『鬼ごっこ』が行われることになりました。
「『鬼ごっこ』? ふざけんじゃないわよ、あたしのお父さんに手ぇ出したらタダじゃおかないから!」
ルールを携帯で確認しながら、紅華様が怒りを露わにします。
ミスター様が手を出される可能性。ルールを正しく読み解くと、ありえますね。
女子生徒たちが秘密の抜け穴を使って交流センターに侵入するにしても、外からではセンターに繋がる扉を開けることが出来ません。
扉を開ける任を帯びた女子生徒側の人間が、交流センター内に潜り込んでいるはずです。
情報によれば、籠城事件に巻き込まれて捕まった女子がいらっしゃるとか……おそらく、そのお方がスパイなのでしょう。
そして、そのスパイこそがミスター様の『鬼』になるかもしれません。ミスター様が危険です。最悪、私が何とかしなければ。
「……紅華様。そろそろ『鬼ごっこ』の開始時間でございます、お静かに」
「……分かったわよ」
私たちは茂みに身を沈めました。
ここは、東山院市交流センターから数百メートル離れた山中です。
すぐ近くに電線の中継点である鉄塔が建てられており、その足下には飾り気が皆無の小さな建物がありました。何も知らない人が見れば、送電施設の一種と思うことでしょう。
ですが、あれこそが交流センターに繋がる入口なのです。
十二時を過ぎて五分ほど経った頃。
草をかき分ける音や足音と共に五人の人物が姿を現しました。
防犯銃対策の重装備をしている女子生徒が三人、仲人組織の制服を着ているのが二人。
ここからでは会話までは聞こえませんが、仲人組織のお方が建物の鍵を開け、女子生徒だけが中に入っていきました。
残った仲人組織の二人は、『鬼ごっこ』が終わるまで秘密の抜け穴が部外者に使われないよう、入口で警備するご様子。
そう来ましたか……
彼女たちが再び入口に鍵をかけて交流センターの方へ戻る可能性も考慮していましたが、なるほどなるほど。
では、プランBで行きましょう。
私は用意しておいた卵ほどの大きさの石を、仲人組織の方々の視界に入らないよう注意して放り投げました。
石は建物から三十メートルほど離れた草むらに吸い込まれ、小さくない音を立てます。
警備をしていた仲人組織の二人は音に反応し、
「!? …………! …………」
「……! ……」
何やら会話を交わした後、片方が草むらを偵察に向かいました。
――それからしばらく経っても、草むらに行った方は戻ってきません。
残った方は見るからに落ち着かないようで、苛立ちや焦りが遠目でも分かります。
頃合いですね。
私はもう一度石を掴み、先ほどと真逆の方向に投石しました。
再び草むらに音が響きます。
「!? ……! ……!?」
入口の方は飛び上がるほど驚いております、ナイスな反応です。草むらに消えた仲間を必死に呼んでいますが、反応はありません。
やがて決心したのか、入口に残っていた方も様子を見に草むらへ入り――
――帰ってきませんでした。
「参りましょう」
「うん」
隠れていた茂みから立ち上がり、私たちは警備が解かれた建物に進入しました。
中には地下へ続く階段が備えられています。
先を覗いてみると、電気が通っているようで仄かに明るくなっています、懐中電灯の出番はなさそうですね。
私が先頭、紅華様がそれに続く並びで、私たちは慎重かつ迅速に歩を進め始めました。
「ねえ、訊いていい?」
秘密の抜け穴は、その名前に相応しい坑道となっています。周囲をゴツゴツした岩に囲まれ声が反響するため、紅華様は声量に気を遣いながら尋ねてきました。
「何でございましょう?」
「さっきの警備員さんたち、何で草むらに消えたままだったの? まさかトラバサミとか仕掛けていたんじゃ?」
「そのような危険な物は使用していません」
人の心で戯れても、人の身体では戯れない。
私の信条でございます。傷害犯など頼まれてもなるつもりはありません。
「双方の草むらには本をわざと落としておきました。警備していたお二人は、その本に釘付けになって戻って来れなかったのです」
「本? なんの?」
「タクマさんのグラビア本です」
私メイキングその二。
タクマさんを特集する書籍はもちろん、出演番組の一場面をプリントして切り取ったり、咲奈様とのレッスンをこっそり撮影した物を集めて、毎晩せっせっと編集した自慢の一品です。
タクマさんの全体写真に好きな衣装の絵を被せる、という着せかえ付録などの遊び心も加えています。
おかげさまで、アンダーグラウンドの同士たちから好評を頂き、続巻製作が決定しました。
ご興味のある方は非合法組織への接触をお願いいたします。
「また、タクマぁ?」
心底嫌そうな顔をする紅華様。
「それだけあの方には需要があるのでございます」
「ふん、あいつがどんなに人気だろうと、あたしは負けないわ。絶対、あんな奴に屈しないんだから」
「それはそれは、大変よろしいかと……うぷぷぷ」
ダメです、笑いが抑え切れません。
紅華様、私の敬愛すべきご主人様。
どうか、盛大に自爆してくださいませ。
その日が早く来ることを一日千秋の想いでお待ちしております。
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秘密の抜け穴である坑道を抜け、私たちはついに交流センターに潜入しました。
先を行っていた女子生徒の姿はございません。すでに警備ルームの占拠に向かったのでしょう。
「やっぱり監視カメラが付けられているわね」
紅華様が天井を睨み付けます。
「ですが、幾つかは動いていないはずです。そうでなければ、女子生徒の方たちが警備ルームまで隠密行動出来ませんから」
情報屋から頂いた交流センター内部の地図を分析し、どのカメラが無効化されているか見当は付いています。その安全ルートを中心にミスター様を探すとしましょう。
私たちは腰を落とし、壁際を移動し始めましたが……潜入行動に慣れていない紅華様が難点になります。
一時は誤って、稼働している監視カメラの視界内に入りかけたので、私が紅華様を庇って監視カメラに映ってしまうトラブルも発生してしまいました。
幸い、監視員の方には気付かれなかったようですが、このままではマズいですね。
「紅華様、申し訳ありませんが……」
「ここで待機しろ、でしょ。了解よ」
紅華様が無念そうに言います。
自分がお荷物になっていることを自覚して、駄々をこねない。誇れる美点でございますよ、紅華様。
「ありがとうございます。ミスター様を見つけ次第、すぐにご連絡しますので」
単独で動き始めた私は、行動範囲を一気に拡大しました。
稼働している監視カメラでも死角はあります、そこを突けば存外自由に動き回れるものです。
そうして、私は玄関近くの小部屋から争う男女の声を聞いたのでございます。
もしやミスター様!?
扉をそっと開けて、中の様子を見ると……
ミスター様が床に倒れ、その股間に女子が顔から突っ込んでおられました。
なんだ、これは……まるで意味が分からない。
私としたことが一瞬、思考が停止してしまいます。
ですが、その後の二人の会話を盗み聞きすることで、謎は解けました。
ほうほう、やはりミスター様はタクマさんだったのですね。あの女子はスパイだったのですが、タクマさんの股間のパワーで悟りを開いたと。
さすがでございます、タクマさん。
私にもその股間を提供してくださりませんか、痛くしませんから。
ミスター様を見つけたらすぐに紅華様に知らせて確保。
そして、『鬼ごっこ』に巻き込まれない安全圏にお連れする予定でしたが……
何だかこのまま放置した方が面白くなる気がしてきました。
無論、タクマさんが本当に襲われるのは私の本意ではありません……そこで。
「くそっ!?」
タクマさんが小部屋から飛び出して、私たちが侵入したあの扉へと走り出します。
私はそっと隠れ、タクマさんの背中に超小型の発信機を投げ付けました。
これでよし、でございます。
発信機によってタクマさんの居場所は常に分かりますし、盗聴機能もあるので、タクマさんの置かれた状況も把握出来るというものです。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
私の予感は的中し、女子生徒たちとタクマさんたち男子の攻防は俄然面白くなってまいりました。
起死回生でタクマさんが取った策は『公開授業』ですか。ああ、なんて心が躍る展開でしょう。
これを生で観察出来るとは、苦労して侵入したかいがあったというものです。
「お父さん……」
合流した紅華様が、セミナー室の扉の隙間から心配そうにタクマさんを見つめます。
「ミスター様ならきっと授業を成功させます。信じてお待ちましょう」
まあ、失敗したらしたで、若い男女の炎上っぷりを間近で見られるので私は満足です。
「信じて待つ?……いいえ、あたしも出席する」
なん……ですって!?
紅華様が扉をゆっくり開け、四つん這いになって中に入ろうとしています。セミナー室後方の扉なので、男子も女子も気付いていられないようですが、時間の問題です。
「い、いけません。男女対抗戦を部外者が妨害したとなれば罪に問われます。授業は全世界に放送されていますし、見つかれば言い逃れは不可能です」
紅華様が逮捕されたら、私の愉悦源が!
「分かってる。でももっと近くで見たい、聞きたい」
「冷静になってくださいませ。
「分かってる、家の方は大変になるかもしれない。でもね――」
紅華様がこちらを見ます。私は息を呑みました。
目の焦点が不安定に揺れ、狂気が垣間見えます。父欲しさに狂っておられる模様です。医者でも診断を断るほどの病みを感じてしまいます。
「『父親の授業参観に出るのは娘の義務だと思うの』」
「んなっ!?」
な、なんて……なんて……愉悦心をソソる台詞を言うのですか。そんな事を聞かされたら……お見送りする他ないじゃありませんか。
「行ってくる」
「――はい。行ってらっしゃいませ、紅華様」
ハイハイしながら室内に潜入する勇壮なる主人を、私は誠心誠意お辞儀をしながら送り出すのでした。
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――――天道家――――
「ただいまぁ」
「おかえりなさい、咲奈」
「はぁ、家は暖かいな、外はもう寒くて寒くて……って、何しているの、祈里お姉様?」
「テレビで男性による恋愛講座をやっているから観ているのよ。ふむふむ、勉強になりますわね」メモメモ
「へぇ、このオジサマが……」
「生放送のテレビに出るなんて見所のある胆力ですわ。年齢的に結婚して子どもがいそうなのが残念ね。そうでなかったらお見合いを申し込むのに」
「どうせ無駄骨に終わるんじゃないかな(ボソッ」
「何か言いました?」
「ううん、何でもない……それにしてもこの人、タッくんの匂いがする」
「タッくん? 匂い? え、これ映像よ」
「映像なんて関係ない。お姉ちゃんは弟のことを何でもお見通しなんだから」
「ワケの分からない事を言ってないで。ほら、外から帰ってきたら、うがい手洗いでしょ。行ってらっしゃい」
「ええぇ……」
「ええぇ、じゃない。早く行ってきなさい」
「……うん。あ、これお土産。まだ温かいよ」
「あら、缶コーヒー。ありがとう……ゴクゴク」
『お父さんのパートナー……それは、あたししかいないでしょ!』
「ぶはぁっ!? ごほごほぉヴぉおお!!」
「きゃあっ! 祈里お姉様、大丈夫!? いや、それよりもなんで紅華お姉様がテレビに!」
「あ、、あぁぁつううういいいい!! 服にこーひぃがああ!!」
「紅華お姉様がタッくんに急接近って! なにこれ、泥棒猫? ゆ、許せないっ!」
「しゃ、しゃくにゃさん。み、みずとフキンもってきてぇぇ」
「祈里お姉様、うるさいからちょっと黙って!」
「うう……ぐすぅ……」
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
――――仲人組織ビル 代表室――――
「今の所、上手く行っているみたいですね」
「ええ、さすがは拓馬様。見事なご指導です」
「どうだい、杏さん。女子と男子を無理矢理くっ付けようとするあんたの計画……崩壊しそうじゃないか」
「……そうザマスね」
「薄い反応だな」
「杏様。ワタクシの勘違いかもしれませんが、この光景こそあなたが求めていたものではありませんか? 拓馬様を追い詰め、あの方が起こす奇跡にご息女の未来を賭けたのでは?」
「考えすぎザマスよ。私は強引にでも少年少女を結婚させたかっただけザマス」
「……杏先輩」
「昔の呼び方は止めるザマスよ、妙子さん。私たちは同じ領主。先輩後輩の上下関係はなく、対等ザマス」
「ああ、すまないねぇ」
「お二人とも、今は授業を見届けましょう。この結末がどうなろうと、
『お父さんのパートナー……それは、あたししかいないでしょ!』
「なにぃ! あ、あれは天道紅華かい!?」
「ば、バカな! 交流センターには関係ない人物が入れないよう徹底しているザマスよ!」
「…………………」
「けど
「ま、待つザマス。授業は世界中で観られているザマス。下手に妨害するのは悪手、天道紅華の出方を見るザマスよ」
「あ、ああ。そうだねぇ……見たところ、授業に協力的みたいだし」
「…………………」
『ねっ、お父さん。あたしたちの愛の絡みを世界中に見せつけましょ!』
パリンッ。
「な、なんザマス!?」
「ゆ、由良様っ! お手元の湯のみが!」
「……あら? あらあら? もろい湯のみですね……割れてしまいました」
「も、もろいって……これ最高品質の陶器ザマスよ。硬さはかなりの物ザマスし、何より素手で……」
「なにか?」
「ひぃぃ! 何でもないザマス」
「それよりあの女性の処分は……ええと、捕まえて折檻ですか?」
「お、落ち着いてください由良様! 心穏やかに、ですよ! 穏やかに!」
「失礼な、ワタクシはいつも心穏やかですよ……それで、折檻ですか?」
「由良様ぁぁぁ!!」