由良様が焦って帰った、数時間後。
俺は気疲れしていた。
南無瀬組の人たちが、ずっと病室にいるのだ。
誰一人部屋から出ようとしない。「片時も離れないぞ」という気迫を纏って、俺をガン見している。
これで疲れない方がおかしい。
もう限界だ、俺は男性特別病棟の休憩室へ逃げた。
そこは女性の入室が禁止で、くつろげる空間となっている。
休憩室の前で捨てられた子犬のような目になる南無瀬の人々に、
「ちょっと気分転換してきます」
颯爽と別れを告げて、俺は室内のソファーにドカッと座った。
部屋には他の男性はいない。夕食が終わった時間だから、みんな自室に戻っているのだろうか。
まあ、好都合だ。
これからの事を考えると、誰の耳もない方が良い。
俺は携帯電話を取り出した。
ボーイズハント中は電池切れで使い物にならなかったが、今はフル充電している。
起動させるとメールと電話の着信ありのメッセージが百個以上あった。
やっぱり凄く増えている。
南無瀬組が傍にいる今、俺に連絡を取ろうとするのは彼女しかいない。東山院に来てから、連絡を取り合っていなかった。きっと荒れているだろうな……
結局、一人っきりになれても心は休まらない。
俺は覚悟を決めて、着信相手――
『タッくん!!』
コールは一瞬、すぐに咲奈さんの大声が俺の鼓膜を揺らした。
『なんで連絡してくれなかったの! お姉ちゃん、タッくんの事が心配で心配で、もう夜も眠れず二徹しているんだよ!』
「ご、ごめん。携帯の電池が切れていたんだ。それに――」
自分より半分しか生きていない少女に平謝りだ。
気勢を上げる彼女が少しでも平静になることを願い、言い訳の言葉を並べる。
籠城事件に巻き込まれたことを言うと、咲奈さんの中の庇護欲が爆発しそうなので、穏便に体調不良で寝込んでいたと説明する。
嘘は言ってないぞ、ちょっと言葉が足りないだけだ。
「――と、言うわけで連絡が出来なかったんだよ」
『そう言う事なら仕方な――』ほっ、納得してくれたか。
『――くないもん!』ダメだった。
『タッくんにだって言えないことがあるのは分かるよ。アイドルで、男の人だから、しゅひギムってあるもの。でも……」
「で、でも?」
『お姉ちゃんね、とっても悲しい! どうして紅華お姉様とアバンチュールな関係になっていたの!?』
な、なにぃ。俺がミスターだってバレているのか?
「く、くれかおねえさま? それって、天道紅華さんのことかな? えっ、その人と俺があばんちゅーる?」
『誤魔化さないで、タッくんのことなら丸っとお見通しなんだから!』
咄嗟の言い逃れは咲奈さんには通じなかった。
『ミスターってタッくんでしょ。匂いでバレバレだもん!』
「においって、そんなバカな?」
『お姉ちゃんなら映像からでも感知できるもん!タッくんの香しい匂い!』
悲報、俺のお姉ちゃん、知らない間に人外化。
最近、周りの人たちが人間を卒業し始めている。誰かこの卒業ラッシュを止めてくれ。
『さあタッくん、キリキリ吐いて。紅華お姉様とただならぬ関係なの? 不純異性交遊なんて認めない!』
「変な関係じゃないよ。紅華とはたまたま仕事で知り合って」
『くれか……ふぅん、呼び捨てなんだ』
ヒエッ! 咲奈さん怖いよ。十歳の女の子が出しちゃいけない修羅場用ボイスだよ。
『後で、紅華お姉様にもたくさん訊かなきゃいけないね』
そう咲奈さんが呟いた時である。
『いやあああああああっ!!』
電話の向こうから女性の悲鳴が聞こえた。
こ、これは……紅華の声!?
「さ、咲奈さん! 今のって紅華――さんの叫びですよね。何かあったんですか? そもそも紅華さんが天道家に帰っているんですか?」
『そうだよ。でも、気にすることないよ』
「気にするなって、んな無茶な。紅華さんは警察に捕まったんじゃ?」
『うん、今日のお昼まで捕まってたの。それを祈里お姉様が罰金を払って連れ戻したみたい。交流センターに入ったのは悪いことなんだけど、タッくんの授業を手伝ったことで、許してもらえたんじゃないかな?』
この国の刑法は知らないが、罰金だけで済むものなのか……ふと、メイドさんの顔が浮かぶ。
あの人だったら警察を懐柔して罪を軽くすることくらい出来そうだよな……って、考えすぎか。いくら彼女が暗躍ならお手のものって雰囲気を出していてもそこまでは無理だろう。無理だと思いたい。
「紅華さんが釈放されたのなら、メイドさんも?」
『あの人も一緒に帰ってきたよ。紅華お姉様の暴走に付き合って大変だよね』
咲奈さんの言い方からして、問題を起こしたメイドさんを解雇するつもりはなさそうだ。昔から仕えて天道姉妹の世話をしてきたそうだし、もう家族の一員扱いなのかもしれない。
「それで、今の悲鳴は何だったんですか?」
『タッくんってやけに紅華お姉様のことを気にするんだね。やっぱり二人は……』
ええい、面倒くせぇな! こうなったらアレだ!
『お願い、教えて。
『かはっ』咲奈さんがボディにいいのを喰らったように息を吐き、その後『も~う、しょうがにゃいなぁ、タッくんは! いいよ、何でも訊いて』と猫なで声になった。
チョロっ! けど、多用は危険だな。咲奈さんとこれ以上姉弟の仲を深めるのはまずい。
「紅華さんはなぜ悲鳴を? もしかして警察の厄介になったから、家族内でお仕置きをしているんですか?」
『やだなぁ、そんな野蛮なことするわけないよ~…………お姉様がタッくんをキズモノにしない限りは(ボソッ)』
何やら恐ろしい発言が小声でしたようだが、俺は聞かなかったことにした。
『あれは発作なの』
「発作? 紅華さんって病気持ちなんですか?」
『ううん、東山院から帰ってきてからあの調子なんだ。ず~んって落ち込んでいたと思ったら、いきなり大声で叫んで身体を丸めちゃってさ。お医者様の所に連れて行こうとしたんだけど、紅華お姉様は嫌だってワガママ言うの』
あいつ、覚えていたんだな、赤ちゃんプレイを……そりゃ、発作を起こしたくもなるか。
『もうどうすればいいか困っちゃうよ』
『簡単でございます』
電話から出来れば聞きたくなかった声がした。メイドさんだ。
『きゃっ! びっくりした』
『申し訳ありません。居間の方から咲奈様の楽しそうなお声がしましたから、ついお邪魔してしまいました。電話の相手はタクマさんですね』
『そうだけど、なに? 代わって、と言ってもダメだよ』
『いえいえ、めっそうもありません。それより紅華様とお話しさせるのはいかがでしょうか?』
『お姉様と……』
『紅華様の発作の原因はタクマさんにあると思われます。紅華様を正気に戻すのなら、タクマさんに任せるのが一番です』
『あなた……色々と知っているみたいね』
『否定はしませんが、当事者の二人に話を訊いた方が有意義ですよ。そのために、まずは紅華様を元に戻しましょう』
『ううん…………はぁ、分かった。そういうことでお願いね、タッくん』
あれれぇ、俺の意思をガン無視して話が決まっちゃったぞ。
今すぐ電話を切りたいけどダメ?
咲奈さんとメイドさんの足音がする。
居間から紅華の部屋に移動しているようだ。
やがて、部屋をノックする音、そこへ――
『いやああああああああ!!』
また、紅華の叫び声。
『紅華お姉様、ノックが聞こえてないみたいね』
『では、マスターキーを使って勝手に入りましょうか?』
『うん、そうして』
軽やかに紅華のプライバシーは侵害された。ガチャリとドアが開く気配がする。
『お姉様、ちょっと電話に出て欲しいんだけど』
『いやあああああ!! 夢よおおお!! あれは悪い夢だったのよおお!!』
ドタバタと電話の向こうが騒がしい。
紅華の奴、相当テンパっているな。
『こほん、紅華様。タクマさんがお話ししたい事があると申しております』
いえいえ、一言もしたいとは申しておりません。
『ああああぁぁ……あ? た、タクマ? タクマがいるの!?』
『ええ、電話の向こうに』
『貸して!』
電話がもぎ取られる音と共に、
『いくらよ?』
「いくらって、何が?」
『映像データよ! あんたが持っているんでしょ! あ、あんたとあたしの……その……父娘の触れ合いの』
映像データか、メイドさんにもらったデジカメは病室に置いてある。まだ手は付けてないが。
「持っているけど、欲しいのか?」
『はぁ!? 誰が欲しいって言った! あたしのスキャンダルになりかねない映像だから大金はたいてでも取り戻したいのよ!』
スキャンダルって……お前、不法侵入ですでにスキャンダルの真っただ中だろ。映像データのことは後回しにして逮捕された件の火消しを頑張れよ。
『なに黙っているの。あっ、要求するお金のことで悩んでいるのね! いいわよ、いくらでも出してやろうじゃない! プラチナカード所持者を舐めんじゃないわよ!』
あかん、紅華さんがクレカさんになっとる。
「落ち着け、金なんていらない。データならわざわざ送らなくても俺の方で処分しておく。それでいいだろ?」
言った瞬間、しまったと思った。
失言だ、データを処分すると約束しても、向こうにしてみれば信用できるわけがない。
案の定、『はぁ!?』と紅華は激昂したが――
『な、なによ、タクマにとってあの映像は簡単に処分できるものなの……あたしは、あんたの膝枕が忘れられないのに』
予想外に、涙混じりになっていく。
罪悪感がハンパない。なんか、ほんとすいません。
「悪い、処分は言い過ぎた。ちゃんと返すからな」
『ほんと……ほんとに?』
「ああ、もちろん!」
なだめようと必死な俺の耳に、
『やっぱり二人は仲が良いんだ。それに膝枕ってなに?』
お姉ちゃんのひんやりとする声と、
『うぷぷぅうぅしゅ』
とても楽しそうなメイドさんの噴き出し音がした。
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ブラコンとファザコンの姉妹対決は壮絶なものだった。
二人とも己の
俺が如何に弟として素晴らしいか。
俺が如何に父としてこれからシブいていくか。
二人の主張は平行線を辿り、決して交わることはなかった。
中心にいる俺は、と言えば。
「あ、ごめん。電池切れそう、じゃまた」と逃げ出すのが精一杯。
しばらく天道家からの連絡は着信拒否した方がいいかもな。
休憩するはずが、余計に疲れてしまった。
もう籠城事件やボーイズハントは終わったというのに、なんでこんなに胃を痛くしなきゃいけないのか。
もう今日は寝よう。そう思いながら休憩室から出る。
すると、南無瀬組のみんなが真剣な顔で待っていた。
何かありました?――と訊く前に。
「三池君、これからいいか?」
今まで姿の見えなかった妙子さんが来ていた。
彼女だけではない。
「僕たちの娘のせいで、君を傷つけてしまった。本当に申し訳ない」
おっさんと。
「……」押し黙る陽南子さん。
南無瀬家の家族が勢揃いしている。
どうやら寝る前に、最も重要な話し合いをしなければいけないようだ。