俺が不知火群島国に転移したキッカケは、トラックだった……と、言っても別にトラックに轢かれたのではない。
トラックの中に積んであったアレを手にしてしまったからだと、今になって思う――
世はまさに大アイドル時代。
テレビを始め雑誌にネットにラジオ、あらゆるメディアがアイドル達の戦場となり、その番組やコーナーの数は今尚増加の一途を辿っている。
ちょっと足を伸ばしてショッピングモールや遊園地に行けば、毎週のようにアイドルイベントが開かれ、ご当地アイドルや地下アイドルが己の知名度を上げるべくしのぎを削っている。
歌や踊りや演技だけがアイドルじゃない。
無人島を開拓する者もいれば、熊や虎といった猛獣を調教する者、漫画家になって連載を持つ者、ロボット製作を学びロボコンに出る者。
他者と被れば己のキャラクター性が薄まる、それを危惧する業界の不安が、アイドルの活躍の場を際限なく広げている。
最早本業はなんだろう? と、行くところまで行ってしまったアイドルも数多い。
さて、そんなアイドル充満時代において、アイドルを目指すアイドル研修生の数はどうなっているかと言うと……
「飽和」どころか「破裂」するくらい大変なことになっている。
デビュー出来るのは一握りも一握り、他は夢半ばに、というやつだ。
で、俺こと三池拓馬はと言うと、実力は……あると思う、いやあるはずだ。
ジャパニーズという事務所の研修生である俺は、レッスン以外にもいろいろやっている。
ギターはガキの頃からやっているし、ボイトレは毎日欠かさずやっているし、演技やダンスの自主訓練にも余念はない。
人気芸人のラジオ番組は毎週録音し、彼らのキレッキレのトーク内容はなぜ面白いのか、と分析もする。
口の上手さは自分を売り込むために使えるし、いずれバラエティ番組に出演することでもあったらきっと役立つはずだ。
そんなたゆまぬ努力の一環として、あの日も俺は駅前でストリートライブをするべく、自転車を走らせていた。
「おっ、拓馬センパイじゃないっすか! チッス!」
もうすぐで駅、という所で信号待ちをしていると、歩道から高校時代の後輩が声を掛けてきた。
「ヒロシか、久しぶりだな!」
「どもっす! センパイは何して……あ、これから駅で
金色の短髪をワックスで立たせたヒロシが、俺の担ぐギターケースに目をやる。
「そんなところだ」
「センパイかっけーっす! 俺も楽器やっておけばモテたのになぁ。聞いてくださいよ、今日のナンパ、三十人に声を掛けてメアドゲットは一人だけっすよ」
「成果があっただけマシだろ」
「センパイは良いっすよね。高校時代からモテて、今はアイドルの卵でさらにイケてきた感じで。女にも苦労しないんでしょ。今、何人と付き合っているんすか?」
信号が青になった。歩行者が歩き出す。俺も進みたいのだが、ヒロシの自虐は止まってくれない。
早々に話を切りたいところだが、この後輩特有の人懐っこさが俺を押し留めた。
「誰とも付き合ってないよ」
事務所のレッスンや小さい仕事と、自主練習、それに生活費を稼ぐためのバイトで、とてもじゃないが女性と付き合う暇はない。
それに女性関係というのは爆弾だ。頑張って築いてきたキャリアを一瞬で爆発させる。
事務所の先人たちが苦笑いで語る、女性にまつわる失敗談を聞き続ければ、女性との付き合いには及び腰になってしまうのは無理らしからぬことだ。
「拓馬センパイ、俺どうやったらモテるんすかね?」
と、なおもヒロシが会話を続けようとした時だ。
鼓膜を揺らす大音量がした。
――事故だ。
フラフラ蛇行運転していた大型トラックが車道からはみ出し、俺たちのいる所と反対の歩道に乗り上げ、最後には横転してしまったのだ。
運転手が飲酒か居眠りか、はたまた持病の発作でも起こしたか……原因は分からないが、惨状が生まれてしまったのは間違いない。
「マジかよ」
「ヤベっす! べっす! っべ!」
事故自体は派手なものだが、幸いにも巻き込まれた車や人はいないようだ。
しかし厄介なこともある。
トラックのリヤドアが事故の衝撃で開き、詰め込まれていた荷がいくつも路上に散乱して、騒動に拍車をかけている。
「た、大変だ! 救急車、それに警察も」
「早く運転手を助けた方がいいんじゃないか?」
「でも、ガソリンに引火して爆発したら」
「おい、写メ撮っている暇があったら救助手伝え」
後続の車や周りから人が集まり、普段静かな国道が騒然となる。
数人の男性が倒れたトラックによじ登り、運転席を開けようとするので、俺は「やべやべ」しか喋られなくなったヒロシを連れて、協力することにした。
と、その前に自転車を目立たない物陰に寄せ、その下にギターケースを置く。
どうか盗まれませんように。
その願いが叶ったのか、意識不明の男性を運転席から運び出し、駆けつけてきた救急隊に渡した後……充実感のある汗をかいた俺が元の場所に戻っても自転車とギターは健在だった。ふぅ、と一安心。
「メッチャ凄かったっすね! 俺、マジ興奮しちゃいました! 早速今の事故をブログに書かなきゃ!」
ブログやってたんだ、ヒロシ。
意外とマメな後輩を一瞥し、俺はこれからのことを考えた。
どうするかな、この騒動で時間を食ってしまった。今から駅に行ってライブすると帰りが……そうなると明日のレッスンが……「って、あれ?」
すぐ横の茂みに何かある。
あれは……トランク? しかも結構物々しいやつだ。
トラックから落ちた物かな?
路上に散らばって交通を邪魔していた荷の多くは、警官たちが回収したようだけど、こいつは他の物より遠くに飛んでしまったから発見されなかったようだ。
何が入っているんだろ……黒く重厚なトランクには気品が漂っている、中身は高価な物だったりして。
俺は近付いてトランクに手を伸ばした。
いやいや盗むつもりはさらさらないよ。
だのに思わず周囲の警官やヒロシの目が、こっちに注がれていないかきょろきょろ確認してしまうのは人の性ってことで。
「ん?」
取っ手を掴もうとしたところで、トランクが僅かに開いていることに気づいた。
茂みに突っ込んだ衝撃で鍵が壊れてしまったのか?
ゴテゴテの外観の割には粗末な造りだな。
半開きというのはいけない。中身が気になってしまうじゃないか。
少しだけ覗いてみたくなった……別に取るわけではないぞ。
ゆっくりトランクを茂みから引きずり出し、おっと手が滑った、という感じで蓋をオープンしていくと――そこには肌触りの良い絹で包まれた、トロフィーがあった。
奇妙なトロフィーだ。
腕と足をくねらせたブロンズの人型が台座の上に立っている。
万博のパビリオンに陳列されそうな良く言えば前衛的、悪く言えば創作者のセンスを疑う造形だな。
それにしても結構大きい。片手ではとても持てない。
「なんすかそれ?」
ヒロシがひょこっと顔を出し、まじまじとトロフィーを見つめる。
なんすか、と言われても何だろう。トロフィーなのだが、こんなクネクネ人間を巡って競い合う競技や種目には見当がつかない。
「センパイ、台座に何か書いてあるっすよ」
確かに何か文字がある。しかし、辺りはすっかり夜になり、暗くて読めない。
ヒロシがスマートフォンの明かりを貸してくれたので、それを台座の側面に向けてみると。
「えーと、『願い』か?」
刻まれていたのはシンプルな二文字。
「願い、っすか?」
「ああ。お祈りにでも使うんかな?」
大切に保管されていたようだし、見た目に反して御利益があったりして。
「ならセンパイ、それをこっちに渡して欲しいっす! 俺、モテるよう願いますから!」
単純な奴だなぁと思いながら、ヒロシにトロフィーを手渡そうとする……あ、でもその前に、せっかくだから俺も祈っておくか。
こういう願掛けは意外と馬鹿にならないからな。
俺の願いは決まっている。
――トップアイドルになりたい。
そう念じた瞬間、トロフィーが光り輝いた気がした。
幻か目の錯覚か……いずれにしても、確かめる術はなかった。
手からトロフィーは消え、俺は一人であの路地に立っていたのだから。