『性の6時間』というものがある。
12月24日の21時から12月25日の3時までの6時間は、日本のカップルが一年でもっとも愛を深め合う(オブラート)と言われている。
この言葉が生まれたのはインターネットの掲示板らしいが、詳しいことはわからない。
わかるのは、『性の6時間』が恋人なしでクリスマスを過ごす人々を自虐と憤怒と諦念の
そのためだろうか、クリスマスが近づく季節になると――
『朗報・今年のクリスマスは中止』という偽広告がインターネット上を賑わす。
また、『クリスマスは爆砕しろ、カップルは自重しろ』と書かれた横断幕を持ってデモをする人たちも出てくる。
しかし、これらの行動は無論ネタだ。あくまで己の境遇を笑い飛ばそうとやっているのだ。
本気でクリスマスをぶっ潰そうとする危険人物なんていない。
――それが、俺の常識であった。
「ぼ、暴動ですか……」
不知火群島国で磨きぬかれた震え声で問い直す。いつもより余計に震えています。
「『せいなる夜』で、ごっつおっかないのは
「その暴徒共が狙うのは男性より、むしろ既婚女性なのさ。あたいにまで殺気を飛ばす輩が現れるんで参っちまうよ」
妙子さんがヤレヤレと言いながら腕組みをする。ギチギチと太い腕が絡まり合って音を出す。未婚女性の何人があの腕に抱かれ召されたのだろうか。
「なぜに既婚女性を……?」
「気持ちはわからんでもないわ。毎度ぎょうさん甘い蜜を舐めとる既婚女性が、倍プッシュで美味しい想いをする夜や。ご近所の既婚者宅が一晩中ラブチッュチッしとると思うと、家ドンの一つくらいしたくなるで」
肉食女性の中で穏健派の真矢さんでも家ドンか……
真矢さんたちが、『せいなる夜』の一例を教えてくれた。
まず、当夜になると南無瀬領の街や村や離れ小島に至るまで、様々な場所から未婚グループが現れる。
彼女たちの出で立ちは千差万別、だがどれも異様だ。
オカルト結社のように黒い覆面に黒布で全身を隠した団体、ピエロのように顔面真っ白にして目尻と口元を紅化粧した集団、真冬だというのにクジャクのような羽を背中に付け水着のような軽装で練り歩くサンバ連中。
それぞれ方向性の違いを見せつけながらも、彼女らは近場の既婚者邸宅へ向かう。
ターゲットの家を取り囲むと、踊り狂ったり、呪歌を熱唱したり、勝手にガーデニングしたりと思い思いの行動を取り、既婚者たちの合体を全身全霊をもって妨害する。
『赤信号、みんなで渡れば怖くない』の精神で彼女らは暴れ回る。
領中で同時に発生するので、南無瀬組や警察の対応が遅れてしまうのも事態悪化に拍車をかけるそうだ。
こうして朝まで破壊を楽しんだ彼女らは「おつかれっした~」「また来年」と帰っていく。溜まりまくった鬱憤を晴らしたことでその顔はスッキリしたものらしい。
そして、壊された既婚者住宅と、トバッチリを喰らった周辺の家屋が残されることになる。
なお、無事朝を迎えられるかは保証されていない。途中で警察に逮捕されたり、南無瀬組にヤキ入れられる団体も多数ある。
朝まで生き延びられるかのスリルに酔いしれる未婚女性もいるらしく、ほんと救えない状況だ。
「何百年も続くさかい、伝統行事と化しとるわ。一年分の恨みツラミ妬みを放出する年忘れみたいなもんやね」
「こんなおっそろしい年忘れがあってたまりますか!」
「はは、せやね。世界有数のナイトパレードとも言われとるで、もち皮肉でな」
真矢さんが自嘲する。南無瀬の苗字を持つ身として、思う事は多々あるのだろう。
「幸いなのは人的被害が少ないことだ。毎年のことだからねぇ、既婚者側はあらかじめ警備員を雇って守りを固めたり、他の島に避難したりするんだよ。と言っても、未婚女性や警官が怪我するから楽観は出来ない。何より南無瀬領が被る被害総額が……ガガ……ガガ……ガガガガァ」
妙子さんが壊れたラジオになって、雑音を流し始めた。
「い、いきなりどうしたんですか?」
「恒例のデスマを思い出したんやろ」
「デスマ?」
「妙子姉さんな、検挙した膨大な数の暴徒の処置や壊れた街の修繕なんかで年末年始は忙殺されるねん。ほんま、姉さんだから耐えられる仕事量で、一般人なら死んでまうで」
「ガガガガガ」
「可哀想に……生まれてこの方、穏やかな新年を過ごしたことはないやろな」
「かける言葉が見つかりません」
トラウマ発症中の妙子さんはそっと放置することにして――
真矢さんたちの言う通り、『せいなる夜』対策にタクマを使うのはあまり有効ではなさそうだ。
タクマは『男がいない寂しさ』を癒すことは出来るが、『既婚女性への嫉妬』を消すには向いていない。
彼女のいない日本男性で例えてみよう。
彼はクリスマスに女性アイドルのライブに行くことになった。それによってクリスマスを一人で過ごす寂しさから解放される。
が、ダメッ!
それで彼女持ちの友人に対する嫉妬心がなくなったか、と訊かれれば……彼はこう答えるだろう。
「それはそれ、これはこれ」
己の幸福と、他人への嫉妬は共存出来るのだ。
「俺が『せいなる夜』の間ずっとテレビに出演しようと、暴徒たちを止めるのは難しいでしょうか?」
「今時、テレビは家におらんでも携帯やタブレットから観れるさかい、拓馬はんの映像片手にテンション上げつつ破壊を楽しむ輩が出るかもしれへんな」
一つ間違えれば火に油、というわけか。ならその火を鎮めるために――
「俺から未婚女性の人たちに注意喚起をしてみますか? 『せいなる夜』の間、人様に迷惑をかけるのはダメ絶対……って」
「そらええ考えやな。グッと我慢する輩も増えるで」
「我慢…………待ってください。注意喚起は最後の手段にして、もっと他の対策を考えさせてください」
未婚女性の暴動を肯定する気はないが、あれはあれでガス抜きの意味があると思う。
その機会を奪い、際限なく未婚女性に不満を溜めさせれば、さらなる厄災を招く恐れがある。
それに注意喚起は、不幸な人、厳しい境遇にいる人へ『現状に耐えろ』と突き放すようなやり方だ。
世の不平不満を解消するために立ち上がった黒一点アイドル・タクマとして、この行動は取りたくない。
「拓馬はん……外国人やのにうちらのために頭を悩ませてくれる、それだけで感謝してもしきらんで。せやけど、無理はせんといてな。相手は何百年も生き続ける悪習や、まともに対抗するもんやない」
「でも、このままではお世話になっている南無瀬組が正月返上のデスマ―チになってしまいます。そんなの見過ごせませんよ」
未だトラウマに呑み込まれている妙子さんの見るに堪えない様子が、俺に奮起を促す。
「気持ちは嬉しいんやけど、嫉妬にかられた未婚女性を
だよな、んな現実離れしたことが可能なのか……
『せいなる夜』――本当に強大な敵だ。日本の『聖なる夜』が可愛らしく思えるぜ。
不意に、日本にいた頃の『聖なる夜』の記憶が蘇る。
最近の『聖なる日』はアイドル事務所のレッスンだったりバイトだったりで、印象深い思い出はないけど、子どもの頃はワクワクした。
だって、クリスマスなんだぜ。
寝る前に枕元に靴下を下げて……あっ……
期待通りのプレゼントをもらえるかドキドキして……ああっ……
何より『あの人』に会いたくて、うとうとしながらも待ちわびて……あああっ!!
「あるじゃないかぁぁ!!」
「ひゃ!? どないしたんや拓馬はんっ!?」
「……あれ、あたいは何やってたんだっけ?」
俺の叫びに真矢さんはたじろき、妙子さんは意識を取り戻した。
「あるんですよ! 『せいなる夜』を平和に終わらせる作戦が!」
「なんやてぇ!?」「本当か!? 嘘だったらあたいは
「『せいなる夜』が性なる夜だか精なる夜だか知りませんが、この作戦が成功すれば『静なる夜』になるでしょう。街から人が消えます!」
「夢かっ!? お、教えてくれよ。一体どんな作戦なんだい!?」
妙子さんの食いつき具合が半端ない。よほど過去の『せいなる夜』で酷い目を見てきたらしい。
「作戦……それは」
いざ言おうとして、脳の冷静な部分が「待った」をかけてくる。
この作戦を遂行すれば、男性と既婚女性の安全は約束される。
南無瀬領の破壊もなくなる。
未婚女性の不平不満も吹き飛ぶかもしれない。
南無瀬組の人たちはデスマから解放されるだろう。
――だが、全てのシワ寄せは俺に来る。
俺だけが絶対絶貞の危機に陥る。それでも言うのか、それでもやるのか……迷ったのは一瞬だった。
ビビるんじゃねぇ! 俺はアイドルなんだ! 人々に夢や希望を届けるためなら身を粉にも干物にもしてみせる!
「それは……」息を吸い込んで――言い放つ!
「サンタクロース……いえ、サン