泥のような眠りから覚めると、頭が重かった。
窓の外は赤みがかった夕暮れ時。どうやら長い時間、俺は爆睡してしまったらしい。
身体の方も泥の如き粘り気で重い――が。
「あっ、起きました? おっはようございま~す!!」
「グッモーニン、三池氏」
粘り気の原因は疲労だけでなく、隣室から照射されるダンゴたちのタダレた視線にもあるようだ。
「……おはようございます」
昨晩、南無瀬領を縦横無尽に走り回り、最後に一つの村を壊滅させたと言うのに、二人とも底抜けに元気だな。
それにしても――
「きゃっ、三池さんからの熱い眼差し」
「一夜を共に駆け抜けてフラグが立ったか」
「じゃあ今夜も共にして、掛けたり、抜いたりできるかな?」
「企む価値はある」
音無さんも椿さんも平常運転か。俺の指を舐め尽くした事で、究極進化を果たし一時的コミュニケーション不可になっていたが、その名残はなさそうだ。
『せいなる夜』から生還した俺は、南無瀬邸へ帰り風呂を頂くや、早々布団に入った。
何も考えたくなかったし、北無瀬村の惨劇を思い出したくなかった。
「そうそう三池氏」
「なんです?」
「妙子氏から伝言。起床したら組長の執務室に来てほしい、とのこと。もう少し休んでから行く?」
「いえ、今から向かいましょう」
まだ布団の中で眠りを
俺は身支度を整え、音無さんと椿さんを従え組長の部屋を訪ねた。
「本当に助かったよ。いくら礼を重ねても足りないくらいさ」
妙子さんが両腕を広げて、俺を大いに歓迎した。
「三池君の奮闘がなければ、過激な未婚団体によって南無瀬領は負傷者で溢れ、道や住居が破壊されていただろう」
毎年、過労死間際まで追いつめられる『せいなる夜』の後始末から解放されたためか、常に威厳を湛えていた妙子さんの顔が子どものように朗らかだ。
その様子に、今更ながら自分の中で達成感が湧いてくる。
「俺だって南無瀬組の一員です。組のために出来ることなら喜んでやりますよ」
サンタクマース大作戦を決行したのは間違いじゃなかったんだ。
貞操を燃やした強行軍には確かな意味があったんだ。
多少の犠牲は大事の前の小事で、仕方ないことにしていいんだ。
「まったく君という子は……」
妙子さんは目頭を押さえて、しばし沈黙した。それから……
「楽にしてくれよ。昨晩の報告を聞きたいだろ」
促されて、俺は来客用の椅子に腰をかけた。音無さんと椿さんが椅子を挟んで控える。
「一番に伝えるべきは北無瀬村のことだねぇ」
「ええ、俺としても気になります」
村ぐるみでこちらを襲おうとしたんだ、しかも衝動的ではなく計画的に。無罪放免とはいかないだろう。
「襲撃に関わった村人たちは音無と椿によって無力化され、駆けつけたあたいたちによって拘束された」
「私たちに掛かれば強漢魔の百人や二百人など造作もない」
「なんてったって三池さんの信頼厚いダンゴですもん!」
両隣のダンゴたちが胸を張ってドヤ顔をする。
そんな二人を妙子さんは何ともいえない表情で見た。
勤務態度がアレなため俺専属のダンゴとして不安だが、ここぞという時に頼りになるので切るに切れない――というジレンマが見え隠れする表情だ。
「ごほん、ともかく捕まった村人たちなんだが……全員を刑務所送りにするのは現実的じゃない。一つの村が経済活動を止めてしまえば、南無瀬領の立ち行きに影を落としかねないからねぇ」
「それはそうですね」
「と、なれば例年の特別措置を適応するのがいいだろう」
「特別措置?」
「例年の『せいなる夜』で発生する大量の逮捕者も刑務所に入りきれないからねぇ。重犯罪者を除き、罰金と一定期間のボランティア活動を義務づけるのが定番なのさ」
なるほど、落とし所としてはベストでなくてもベターではありそうだ。
「ただ、被害者である三池君の意向も考慮する。君の受けた精神的ダメージが大きいのなら、村人たちへの罰をもっと重くするが」
「いえ、異論はありません」
北無瀬村の人々は長年『せいなる夜』のせいで、未婚者たちに嫌がらせを受けてきたのだ。
今回、鬱憤が間違った方向に爆発してしまった。彼女らの非行は肯定出来ないが、同情の余地はある。
それから俺は、妙子さんから詳しい報告を受けた。
南無瀬領のどの地域でも大きな暴動は起こらず、未婚団体よりサンタクマース部隊に襲われた被害者の方が多いらしい。
素直にごめんなさいである。
もっともサンタクマース部隊に襲われた者で警察に被害届けを出した人はいないとのこと。
サンタクマースのプレゼント先に選ばれた名誉と、プレゼントのクッキーで被害者は満足しているらしい。
さすが不知火群島国の肉食女性たち。男に関われるのなら細かいことは気にしないようだ。
「何にしても、穏やかな新年を迎えられそうさ。改めて礼を言う、ありがとう三池君」
礼で始まった妙子さんの話は、締めも礼で終わった。
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「……ふぅ」
「三池君が無事帰ってきた記念さ、存分に食べてくれたまえ」と、気合の入ったおっさんの豪華ディナーをたいらげた俺は、腹ごなしに南無瀬邸の廊下を歩いていた。
渡り廊下は全面ガラスで覆われ、冬の冷気の付け入る隙間を与えない。だが、廊下から眺める夜の庭園には枯れ枝が目立ち、間違いなくそこに冬が滞留しているのを示していた。
「穏やかな新年を……か」
妙子さんの言葉を思い出す。もうすぐ年が変わる。
不知火群島国に来て、半年が経った。
これまでも激動の日々だったが、来年は他の島での活動が増えていき、忙しさは増すだろう。
ホームである南無瀬領のファンに手一杯なのに、これから先、俺はちゃんとやっていけるのだろうか……
「拓馬はん、どないしたん?」
思った以上にボーッとしていたらしい。気付けば、間近に真矢さんが立っていた。
「憂いのある顔して、悩みでもあるんか?」
「悩みと言いますか……あ、そうだ。真矢さんに訊きたいことがあります」
「なんや?」
「他の島の動きについてです」
サンタクマース大作戦の終了後、南無瀬領の巷はプレゼントをもらえなかった未婚者で溢れた。
彼女らは声高に不満を訴えたが、南無瀬組とタクマファンクラブから『タクマのサイン付きクッキー』が後日販売されると発表され、混乱はひとまず収まった。
しかしである。
今回、蚊帳の外であった他の島のファンはどう思っているのだろう。
「サンタクマースお宅訪問の権利すらなかった東山院とか中御門のファンが、負の感情を持っていないか心配です」
「そらバリバリ持っとるやろ」
「で、ですよね」
「他島の不満が溜まっとる今、年明けからの
「中御門……」
不知火群島国の政治、経済、文化の中心地。
流行の発信源、エンターテイメントの街とも言われる場所だ。そこで活躍せずして、トップアイドルにはなれない。
「中御門言うたら、拓馬はんと因縁がある天道家の本拠地でもある。呑まれんよう頑張ろうな」
天道家。今、一番聞きたくない単語だ。
実は――サンタクマース大作戦の発表直後。
咲奈さんと紅華からひっきりなしに俺の携帯へ電話がかかってきた。
多分、姉と娘の立場から俺の身を案じているのだろう。
重要な作戦の前に、ブラコンとファザコンの相手などしていられない。
携帯の電源を切って放置した俺を誰が責められようか。
んで、先ほど携帯チェックをしたら二人とも三十件近くの留守電を残していた。
どうしよう、再生するのが怖い。折り返し電話するのはもっと怖い。
天道家と関われば、漏れなく性格のひん曲がったメイドさんが付いてくる。「うぷぷ、愉悦」と主人を主人と思わない人物だ。
天道家とは仕事場だけの付き合いを徹底しよう。
「それに、あのいけ好かない脚本家も中御門にいる。拓馬はんに近づかんよう警護せな」
いけ好かない脚本家。以前、『魔法少女トカレフ・みりは』の舞台でお世話になった、おむつ標準装備の変態脚本家、
そういえば、俺を主役にした話を書きたい、とか言っていたな。名誉なことだが、俺の貞操に優しくない脚本になるのは確定的に明らか。叶うなら避けて通りたい。
考えてみると、中御門には危険人物しかいないな。滅茶苦茶不安になってきたぞ。
「まあ、それでも――」
同時に、身体の一部が熱くなるのを感じる。
「燃えますよ。多くの人が今以上に俺に期待してくれる、俺に注目してくれる。アイドル冥利に尽きます」
「拓馬はん……」
「これから先、無茶してご迷惑をかけることもあると思いますが……真矢さんのご支援、どうかよろしくお願いします」
「もちろんや! うちが拓馬はんをスターダムに押し上げつつ、しっかり守るで!」
真矢さんの狐目が細くなり、力強く、そして美しい笑みとなっていく。
俺たちは未来に思いをはせ、互いを励ますように微笑み合った。
「任せてな。トップアイドルになる拓馬はんの夢、必ず実現させるさかい……如何なる手を使っても」
なんと力強い言葉だろうか。最後の部分を聞かなかったことにすれば、これほど頼もしいことはない。
俺は若干笑みを震わせながら、真矢さんを見つめた。
「あ、ところで音無さんと椿さんを見ていないですか? いつもなら俺の軌道上にいるのに」
「あの二人なら、組員はんらに武道場へ拉致されたで」
「はっ?」
「二人は、拓馬はんの指を舐めるという役得をもろたやろ。それについて、組員はんらに思うところがあったみたいや」
「ええっ!? いやでも、指を突っ込んだのは俺の落ち度ですし。その後、村人から俺を救って大手柄だったじゃないですか!」
「せやね。やからリンチはせんよ。そない陰湿なこと妙子姉さんが認めるはずないし。あくまで稽古や、二対多数での稽古」
「エェ……物は言い様ェ」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
真矢さんと別れ、自室へと歩いていると。
「三池君、ちょっといいかい?」
妙子さんに話しかけられた。その手に携帯電話が握られている。
「休む前に悪いねぇ。電話で君と話したいというお方がいるんだ」
「電話……? え、誰ですか?」
「由良様だ」
由良様、中御門の領主の由良様か! この世界で絶滅危惧種の清楚な人!
「どうして俺に?」
「『せいなる夜』のお礼が言いたいそうさ」
「お礼……中御門の領主様が、ですか?」
「『せいなる夜』は由良様のご先祖様が残した風習だからねぇ、例年の南無瀬領の被害にあの方は心を痛めていた。ここだけの話なんだが、毎年被害額の一部は由良様からの寄付で
「そうだったんですか……」
相変わらず慈悲深い人だ。
「分かりました、話します」
「ありがとう! 今から電話するが、心の準備はいいかい?」
「は、はい。どうぞ」
この国で一番偉い人と電話か、緊張する。
俺が深呼吸している間に、妙子さんが電話をかけ「ええ、いま隣にいます。代わります」と由良様に取り次いだ。
「も、もしもし、お電話かわりました。三池拓馬です」
『夜分失礼します。中御門由良です』
小川のせせらぎの如く穏やかでしっとりしたお声が、俺の鼓膜を揺らした。
『お加減はよろしいでしょうか? この度は、ワタクシの先祖の不始末で拓馬様にご無理をさせてしまい、大変申し訳ありませんでした』
辛そうな声だ、おそらく電話の向こうで由良様は沈痛な面持ちでお辞儀をしているのだろう。
「そ、そんなそんな。由良様が謝ることじゃありませんよ! 俺が勝手にやったことですから」
『ですが、先祖の由乃……様が軽率なことをしなければ、そもそも拓馬様が危険なことをする必要はございませんでしたのに」
少し引っかかった。由良様が口にした『由乃』のイントネーション。由良様が持ち合わせているとは思えない侮蔑の感情が一瞬聞こえた気がした。
「親の罪が子に及ぶなんてあってはいけませんし、何百年も前の人のことで由良様が苦しむことはありませんよ」
『た、拓馬様……やめてください。優しい言葉をワタクシなどにお掛けになるのは』
いたく感激しているのか由良様の声が波打っている。
ワタクシなど、って。由良様は自分に厳しいのか、自己評価の低い人なのかな。
このまま謝罪と許しの応酬は不毛だし、何より暗い。
俺は明るい未来の展望について、話題をシフトすることにした。
「そういえば!」
『は、はい? どうかいたしました?』
「俺、来年から中御門に進出するんですよ」
極秘事項だが、領主の由良様なら言っても構わないだろう。
『まあ! そうなのでございますか』
ようやく由良様の声に明かりが灯る。
「一生懸命に活動しますから、よろしければ応援をお願いします!」
ちと領主相手に図々しいかと思ったが、由良様ならこれくらい社交辞令で済ませてくれるだろうと踏んでの発言である。
『ええ、ええ。ずっと応援しています。テレビに映るのでしたら拝見しますし、どこかでライブをするのでしたら時間を作って駆けつけますから』
「あ……はあ、ありがとうございます」
社交辞令を社交辞令で返してくれたのかな……?
それにしては、好意がふんだんに含まれた言葉である。前に東山院の病院で会った時も思ったが、由良様ってもしかして俺のファンだったりして。
もし、そうなら中御門進出のヤル気がドンと上がるな。
中御門にいるのは危険人物ばかりだと思ったけど、そのトップである由良様はとても清楚な人だ。
温和な彼女のお膝元なら、俺……上手くやっていける気がする。
『せいなる夜』が終わっての清(楚)なる夜。
気を利かせて席を外した妙子さんに感謝しながら、俺は由良様との電話を楽しんだ。
第3.5章『せいなる夜の黒一点アイドル』 終
→ 第四章『