今年も主人公の貞操に優しくない物語を提供出来るよう頑張ります。
『咲奈の調子が悪くなったのは……そうね、去年の年末からかな? 思い詰めた顔をする事が多くなったのよ』
去年の年末と言えば、東山院の一件と『せいなる夜』が立て続けに発生し、かつてない忙しさに俺の目が回りに回っていた時期だ。
その影響で、咲奈さんとのレッスンが延期になりがちだった。
俺の塩対応に、彼女のお姉ちゃん回路が深く傷ついたのだろうか。
『演技の方でも影響が出ているみたい。リテイクを繰り返して、収録現場の人たちに迷惑をかけた、って落ち込んでいたわ』
「あの咲奈さんが……」
本当に俺が原因なら、責任を感じてしまう。
『長い役者人生、スランプの一つや二つはあるもんよ。どこぞの
大事な妹の不調。天道家の長女と三女は、己の経験を活かし、カウンセリングやフォローに努めているようだが、回復の兆候は見えないらしい。
『タクマに頼むのは
「……ああ、そうだな」
紅華の奴、ファザコンで脳をやられていると思っていたが、妹を大切にしているんだな。ちょっと見直したぜ。
『ありがと。咲奈が元気になったらお礼をするから……手渡しで』
「やっぱ直接会う気なのか、お前」
かと言って、脳はしっかりファザコンに侵食されている紅華だった。
ファザコンとの電話を終えた俺は、スイートルームならではの豪勢な照明器具をぼんやり見ながら悩んでいた。
スランプの原因は、弟成分の不足にあるのだろう。だって咲奈さん、不治のブラコンだし。
と、なればスランプ解消は簡単だ。弟成分を咲奈さんの中に注入して満たしてやればいい……ん、こう言うと、いかがわしいな。
以前、舞台で一緒になった時に「お姉ちゃん」と呼んで激励したことがあった。あれをもう一度するのだ。
――さて、手段は明確なのだが。
俺は未だに、咲奈さんへ電話をかけるのを躊躇っている。携帯は手中にあり、指を少し動かせば通話まで持っていけるのに。
「これで、またブラコンが悪化するんだろうな」
はぁ、ため息をつく。
「タクマお兄ちゃん」と己を慕う純真無垢だった少女へ特殊性癖を付与し、効果が薄れないよう時折重ね掛けして魂に刻みつける。なんと悪逆非道な行いか。
その業の深さに気が滅入りつつも……
萌え演技のため二割と、咲奈さんが気懸かり八割の心に後押しされ、俺は彼女の電話番号を押した。
コール音がニ十秒ほど鳴り続ける。
この時点で異常である。
いつもの咲奈さんなら三コール以内には『もしもしタッくん! お姉ちゃんだよ~~! 連絡うれしいよ~~!!』とテレビ電話越しに満開の笑顔とハイテンションな声を浴びせてくるのに。
これは、思った以上に気を引き締めないとダメかもしれないぞ。と、俺が警戒レベルを上げていると。
『……もしもし』
薄っ!?
テレビ電話に映った咲奈さんは薄かった。元気がないとか、思い悩んでいるとか、そんな次元ではない。
久しぶりに電話をしてきた俺に対し、頑張って微笑んでいるが――まばたきした瞬間、消えてしまいそうなほど存在が希薄になっている。
咲奈さんのトレードマークの活力に富んだツインテールは、柳の木のように両サイドからしな垂れ、キラキラだったドングリ眼からは光も闇もなく『無』が浮き出ている。
『あっ、タッく……た、タクマさん』
タッくん呼びを自ら止めた……だとっ!?
『今年になって話すのは初めてだよね? あけましておめでとうございます』
咲奈さんが、とある属性の紳士たちを死に追いやるキュートなお辞儀をする。しかし、今の俺のハートはキュンキュンするどころかギチギチと締め付けられた。
お、俺のせいか。ここまで咲奈さんが薄くなったのは俺のせいなのか。
「あ、あけましておめでとうございます……お、お加減がよろしくないみたいですけど、いかがなさいました?」
『ふふ、タクマさんったら変なしゃべり方。お姉ちゃ……私は元気だよ。にぱー』
お持ち帰りしたくなる笑顔、と世間で言われたのは今や昔。子どもがやっちゃいけない幸の薄いスマイルに、俺は恐れ
咲奈さんが性癖を曲げてまで『お姉ちゃん』から『私』になろうとしている。
ありえない、ブラコン重病少女が回復傾向に向かうなんて。
『今日はどうしたの? 私とお喋りしたくなったのなら、嬉しいな』
「も、もちろん咲奈さんの声が聞きたくて電話したんだよ」
『わぁ、感激』
文字にすると会話が弾みそうな『わぁ』だが、実質は生気ゼロの『わぁ』である。会話が地面に横たわって動いてくれず、やりにくい事この上なし。
さっさと弟成分を注入する予定だったが変更だ。
今の咲奈さんは何を考えているのか読めない。劇物の『弟』を出すのは時期尚早である。
俺は、正月に南無瀬組で開催された『チキチキボードゲーム大会 ~優勝者にはタクマの膝枕~』という取り留めない世間話からアプローチを始め、咲奈さんの様子を窺うことにした。
話し手・俺、聞き手・咲奈さんで会話が紡がれること十五分ばかり。
正月の出来事から開始された俺の話は、時を進み、ついに中御門進出へと到達した。
これまで咲奈さんに大きな反応はない。
せいぜい『チキチキボードゲーム』の勝者がおっさんになってしまい、男二人の膝枕という絵的に厳しいものになったが「……アリだな」と組長の妙子さんを筆頭に組員一同から思わぬ好感触を頂いた、という話に「ちょっと分かるかも」と小さく肯いたくらいか。
ともあれ。
『タクマさん、こっちに来ているの?』
「今日着いたんだ。早速テレビ局に挨拶したり、ドラマのオーディションを見学したよ」
『ドラマを……そうなんだ』
咲奈さんが目線を下げた。ドラマという単語に自身のスランプを思い返してしまったのかもしれない。
想像以上の高重力下に会話はまったく弾ませる自信が湧かない。
話を引き延ばすのにも限界があるし、こうなれば様子見を止めて、思いっきり仕掛けるか。
「それでさ。今度のドラマが俺の初出演になるんだけど、色々悩むことが多くて……咲奈さんにレッスンをお願いしたいんだ」
『レッスン……!』
電話の小さな画面でも、咲奈さんの幼い顔が強ばったのが見て取れた。
「以前みたいに天道家のとっておきのメニューで、何卒ご教授を――」
俺は強い思いを込めて、最終兵器を投入した。
「ぜひ、お願いします!
沈黙が俺たちの間に訪れた。
弟成分を喰らった咲奈さんは、顔を伏せてしまい身動きしない。
喜んでいるのか、苦しんでいるのか、それすらも分からない。
もしかして、俺はとんでもなく悪い手段に訴えてしまったのでは……
自責の念が頭をもたげ出した時である。
『もう、ダメなの……』
咲奈さんが顔を上げた。
目を潤ませ、ギリギリのところで涙を堪え、何とも言えない穏やかな表情で。
『もう、私はタクマさんのお姉ちゃんになる資格がないの』
「えっ……」
そんな資格、元からないよ。と言いたいが、空気を読んで黙る。
『ごめんなさい、急に変なこと言って。私、らしくないよね。おかしいよね』
「えっ……」
むしろ正常になったんじゃないかな。と言いたいが、十歳の子をマジ泣きさせる趣味はない。
『お姉ちゃんでない私じゃ、タクマさんに偉そうに言えることなんてないよ。だから、レッスンは出来ないの。ごめんなさいっ』
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
咲奈さんは何度も頭を下げ、『こんな私だけど……タクマさんにとって暇つぶしの相手でもいいの。また連絡してくれたら、とても幸せです』と薄幸美少女ぶりを遺憾なく発揮させて電話を切った。
「………………何なんだよ」
俺は暗くなった電話の画面をしばらく眺める。
「やっとブラコンから普通に戻れたのに、なんで辛そうな顔をするんだよ」
咲奈さんには借りがある。演技指導や日々のトレーニング法などレッスンしてくれた借りがある。
彼女の苦境を放置して「きゃわわん」とか「くゅきゅ~」と萌え演技を探究するほど、俺は恩知らずではない。
南無瀬組や紅華や……下手すればメイドさんの力を頼るかもしれないけど、やるだけやってみよう。
俺は意を決すると、迅速に行動を開始した。