『男女比 1:30 』 世界の黒一点アイドル   作:ヒラガナ

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何でもするって言ったよね

夜が訪れた。

広大な中御門家の敷地は、ほとんどが黒ずんでいる。それが余計に、本宅となる寺や離れの明かりに温かみを与えていた。

各ポイントを繋ぐ回廊には、蛍光灯が絶やさず付けられており、光の道を作り出している。宇宙を横断して別の惑星に行く気分を味わいながら回廊を通り、俺は中御門本宅の寺に移動した。

 

現時刻は二一時過ぎ。

政務が終わってから訪ねようとしていたら、こんな時間になってしまった。

 

俺たちを歓迎してすぐ、由良様は議会や細々とした打ち合わせに出席するため屋敷を後にし、先ほど帰宅したばかりだ。やはり多忙を極めているようだな。

 

アポイントは昼間のうちに取ったものの、夜も遅い。

明日、改めて訪ねようかな、と思っていると。

 

「三池様さえ良ければ、今からでもお会いしたいと由良様はおっしゃっています」

と、シルバー世代らしきやや腰の曲がった使用人さんが言付けにやって来た。

年末の老人ホーム襲撃事件で、老人がトラウマになりかけている俺だが、この人から犯る気は感じられない。

南無瀬組の離れに来るのは既婚者だけ、と言っていた由良様の言葉は正しいようだ。

 

遅い時間に女性の部屋に行くのは気が引けるが、由良様からの好意を無碍(むげ)には出来ない。

 

俺は南無瀬組と共に離れを出て、由良様の執務室へ向かった。とは言え、大人数で顔を出すと由良様が気疲れするかもしれない。

部屋に入るのは俺だけで、南無瀬組のみんなは廊下で待機してもらう。

 

「何かあったら大声で叫んでくださいね。まっ、三池さんの声なら針が落ちるくらい小さな物まで聞き取れますけど」

 

「いざとなれば、三池氏の服の擦れる音からでも状況は察せられる。任せてほしい」

 

聴力が超力へと進化している音無さんと椿さんには悪いが、出番はないだろう。清楚がインフレしてストップ高連日更新の由良様に限って、『いざという時』になるはずがない。

 

 

軽くノックして「こんばんは、三池拓馬です」

 

「開いております。どうぞ、お入りくださいませ」

 

国主の執務室に入るのに緊張していた俺だが、由良様のお声を聞けば、あら不思議。

羽毛布団のごとく柔らかいソレに心が和んで、「失礼します~」と自然体で入室出来た。

 

由良様は政務用の机の横に立ち「ようこそ、いらっしゃいました。ご多忙な拓馬様を長くお待たせしてしまい、申し訳ありません」と深々と頭を下げてきた。

 

それによって清楚な彼女の巫女服や垂髪が、しな垂れる姿に俺は『ワビサビの神髄』やら『いとをかしの極意』を魂で理解する。素晴らしい。

 

「……あ、いえいえ急にお会いしたいと言ったこちらに非があります。すみませんでした」

 

国主に謝罪させていては、小市民製の胃がもたない。負けじと頭を下げる。

 

「拓馬様に落ち度はありません。全てはワタクシの不徳のいたすところです」

「由良様は何も悪くありませんよ。領主に国主でお忙しいのに、俺のために時間を作って頂き有り難いです。非難する気持ちなんて」

「いえ、悪いのはワタクシですから」

「だから、俺が自分勝手だっただけで」

 

俺たちは、しばらくぺこぺこ頭を下げ続け、謝罪合戦に明け暮れた。

そして、ふと今の状況を客観視して。

 

「あ、あははは」

「ま、まあ、お恥ずかしい」

 

とバツが悪そうに笑い合った。

 

 

これだよ、こんな()れったくも甘酸っぱいやり取りに俺は飢えていたんだよ。

逃げるか喰われるかの世知辛い日常とは大違いだ。ああ、ゆったり由良様との時間を堪能したい。

 

 

ザ・和式の中御門本宅だが、由良様の政務室は上質の絨毯が敷かれ、洋風の棚や机が置かれている。さすがに畳に正座して政務をすることはないか。足が痛くなるし、効率が悪いもんな。

 

政務机の前には歓談用の椅子とテーブルがあり、俺と由良様はそこに座った。

 

「お茶を用意しますね」

 

「あっ、おかまいなく。あまり長居するつもりはありませんから」

真夜中と言ってもいい時間である。由良様はお疲れのようだし、今夜は彼女の要望を聞くだけにしよう。

 

「……そうですか」

 

ん、由良様がホッとしたような残念なような、とても複雑な顔をした。だが、すぐに平常時の穏やかな笑顔を浮かべて、言葉を続ける。

 

「屋敷の者から聞きました。『ワタクシにお願いがある』との事でしたね、どのようなご用件でしょうか。生活にご不満を感じたのでしたら、遠慮なくお申し付けくださいませ」

 

「不満なんてまったくないです。あの、まずは、南無瀬組に住まいを提供して頂きありがとうございました。由良様のおかげで、安心してアイドル活動に専念することが出来ます」

 

「ふふふ、拓馬様の一助になれて心が満たされる思いです」

 

性人の世界において、由良様の聖人ぶりはあまりに眩しい。南無瀬組以外の女性が近くにいると、すぐにパンツの中で縮み上がるジョニーが「いじめない? この人、いじめない?」と人を信じる勇気を取り戻しつつある。

 

人間不信すらも取り去る光……このお方なら。

俺は、包み隠さず言った。

 

「今回の事で、お礼をしたいと考えています。由良様は金銭を欲していないそうなので、俺が出来ることで返したいです。ご要望を何でもおっしゃってください」

 

「……何でも」

由良様の笑顔が凍り付いた。

 

そして、しばらく顔を伏せ「……ワタクシハ……チガウ……」聞き取れない小声で呟いた後、真剣な面持ちになって「いけません」と(たしな)める口調を俺に向けた。

 

「拓馬様は男性で、しかも魅力溢れるお方。そのような物言いをみだりにおっしゃるのは、公共の場を裸で闊歩するのも同義です。お気を悪くさせてしまい申し訳ありませんが、どうかお言葉には気をつけてくださいませ」

 

「由良様」

 

凄い人だ。どこまでも俺の事を考えて、嫌われるのを覚悟で忠告までしてくれるとは……

こみ上げてくる嬉しさに任せて、俺は快活な声を出した。

 

「確信しました。由良様は信頼出来る人です。こんな事をみだりに言ったりはしません。他でもないあなたなら安心して、ご要望に応えられます。さあ、何でもおっしゃってくださいっ!」

 

「っ……」

 

再び由良様は顔を下に向けて「……ダメ……ユノ……ジャナイ……ワタクシハ……」何やらブツブツ言っている。

 

しまった、性急過ぎたか。由良様は真面目なお方だ。俺の常識外の要求に混乱していらっしゃるのかもしれない。

 

「いきなりの話で驚きましたよね。回答は後日伺いますから、考えて頂けると助かります」

 

俺は由良様が落ち着くまで、またぺこぺこと頭を下げるのであった。

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

「要望は今度に、ですか。へぇ、由良様ってご先祖様とは違って我慢強い人なんですねぇ」

 

「三池氏に何でも出来る権利。最適解を導くには、長時間の考察を必要とするから妥当な結果。性犯罪者上等なら即答だが」

 

「まあ、改めて拠点提供のお礼を言えたことやし、今晩はこれで十分やろ。さっ、拓馬はん。明日に備えてそろそろ休むで」

 

由良様の政務室を出て、南無瀬組と合流した俺は離れへと戻った。

 

「ふぁあ」

慣れない環境のためか、いつもより早く眠気が押し寄せている。さっさと寝間着になって、寝床に行こうかな……とする俺に。

 

「タクマ様。少々、よろしいでしょうか?」

 

離れから由良様の政務室へのルートを案内してくれた使用人さんが話しかけてきた。由良様の言付けもしてくれたシルバー世代の使用人さんだ。

 

「失礼を承知で申します。由良様は私欲を露わにしないお方でございます。待っていても、ご自分から要望を言うとは私には思えません」

 

「え……?」

 

戸惑う俺に、使用人さんは、

「タクマ様には由良様のことをもっと知ってほしい。私たち使用人の総意でございます。お時間がよろしければ、老いぼれの話に付き合っては頂けませんか?」と、ただでさえ曲がっている腰を曲げて、お願いしてきた。

 

俺の中の敬老精神が、この人の願いを聞き届けるよう声を上げる。

それに由良様の事か……時々、不自然な動きをするあの人の本心に興味がない、と言えば嘘になる。

 

「分かりました。これからお世話になる由良様のこと、俺としても知りたいと思っていました。お話、よろしくお願いします」

 

そう答えると、使用人さんはシワの多い顔にさらに深いシワを刻みながら笑い、「ありがとうございます」と深いお辞儀をした。

 

 

個人の情報をみんなで聞くのは不躾な気がする。空気の読める黒服さんたちは居間から出て行き、俺の他に護衛役のダンゴたちと真矢さんが聴衆となった。

 

「私は由良様のお世話を幼少の頃より担当しております」

しゃがれた声を張って、使用人さんは喋り始めた。

 

「あのお方は、物心ついた時からワガママを言わず、誰に対しても笑顔を振りまく天使でございました。それに責任感も強く、若干十八歳で当主になってからは、領民や国民のために身を粉にして働いております」

 

十八歳、高校を卒業する歳で、んな重責を背負うなんてたまらないな。俺なら間違いなくギブアップするぜ。

 

「由良様のお母さん、前の当主の方はどうしたんですか? 十代の子に当主を任せるだなんて」

 

「そ、それは……」

 

言いにくそうな使用人さんに代わって、真矢さんが口を開く。

 

「前当主は、ある日、突然いなくなったんや」

 

「いいっ!? それって……」

俺の脳裏を誘拐やら暗殺やら物騒な想像が駆け巡った。領と国の代表が行方不明になるとは大事件じゃなかろうか。

 

「ああ、拓馬はんの思っている事とはちゃうで。一緒に旦那はんも消えたし、書き置きがあったそうやしな」

 

「……はっ?」

 

俺のポカン顔を見て、ツヴァキペディアが活気づいた。

 

「解説する。中御門家当主の蒸発。これは歴史的に見て、珍しいことではない。元来、結婚相手を独占し、愛欲をぶつける中御門当主は、子どもが政務をこなせる年齢になると仕事を放棄する」

 

「んんっ?」

 

「不知火群島国の各当主は独占欲が強い。南無瀬領主の妙子氏も、陽之介氏を独占しているが、中御門の当主はあれの上位互換だと思っていい。聞くところによれば、常に政務を投げ捨てて夫とイチャイチャしたい欲求にかられているそう」

 

「要するに、由良様が大きくなったから『後は頼んだ。私は旦那と性春を取り戻す!』ってことです。前当主さんは旦那さんを引っ張って、世界のどこかで悠々自適な隠居生活をしているんでしょう。いやぁ、偉い人の考えることはぶっ飛んでますよね」

 

あはは、と笑う音無さんだが、いやいや全然笑えねぇよ!

ひでぇ! 国のトップがそれで良いのかよ! と叫びたい。

が、真矢さんも椿さんも音無さんも「まあ、そんなもんでしょ」みたいな顔をしているので、俺は押し黙るしかなかった。

 

何回も言っているけど、もうやだ、この世界。

 

「ごほん、それにしても由良様の当主就任は通常より早いものでした。それだけ由良様が優秀だったと言えるでしょうが……その弊害として、あのお方は結婚相手を見つける暇なく政務に集中する事になってしまいました。嘆かわしいことでございます」

 

使用人さんの目が潤んでいる。由良様の過酷な境遇に心を痛めているのだろうか。

 

「由良様は、中御門家の当主でありながら責任感が人一倍強いお方です。歴代の当主様とは比べるまでもなく、突然変異と断言しても構わないほどに。ですから、結婚適齢期になっても男性より国民を優先し職務に汗を流して……あんなお美しくお優しい方が結婚せず、お子を残さないだなんて、国家最大の損失ではございませんでしょうか!」

 

使用人さんが声を荒げる。彼女は由良様のことを当主としてだけでなく、孫のように見ているのかもしれない。

 

「っ、申し訳ありません。つい激昂してしまいました。ともあれ、由良様は責任感だけでなく優しさも人一倍の方。私たち使用人を叱責することは一度もなく、分け隔てのない優しさを『与える』慈愛の人でございます。だからこそ、『もらう』のには慣れておりません」

 

どうやら、話が本題に指し掛かったようだ。

 

「それで、俺の『何でもする』に応えられない、ってことですか。何をもらえばいいのか分からないから」

 

「ええ、由良様は人の好意に甘えるのが苦手なのでございます。ここは一つ、タクマ様の方から由良様に提案をして頂けないでしょうか?」

 

提案か。そう言われてもな……前に真矢さんにやったようなマッサージでもするか? お疲れのようだし。

いや、相手は国主の由良様だぞ。軽々しく触れちゃダメだろ。それに俺のマッサージであられもない姿になった由良様は見たくない……ような凄く見たいような。とにかく、俺の理性が危ないから性的なものは止めておこう。

 

「う~ん、何にしましょうか?」

 

「まあまあ拓馬はん。悩むのは話を全部聞いてからでも遅くないやろ。なっ、使用人はん。わざわざ、こない話をしようとしたんや、もしかして拓馬はんにやってもらいたい事があるんとちゃうか?」

 

「さすがは南無瀬の苗字を受け継ぐ方でございますね。お察しの通りです」

使用人さんが敬服して頷いた。

 

「三池さんにしてもらいたい事って……あっ、三池さんと由良様をドッキングしようと企てているとか! 仲人的なお節介ですか! ダメです! あたしの目の黒いうちは、そんな不埒な計画は許しませんよ!」

「ペロッ……これはネトラレ案件。後続からの追い上げ、逃げ切りゴールは私と凛子ちゃんの精神が壊れるのでNG」 

 

「タクマ様は、今をときめく全未婚女性のターゲット。由良様とくっ付けようだなんて、大それた事はこれっぽっちしか考えておりません。タクマ様のお力を借りたいのは、現在由良様が頭を悩ませている案件に対してでございます。今夜の帰りが遅くなったのも、その会議が膠着したためだと聞き及んでおります」

 

「案件? 政治的なことですか、アイドルの俺に協力出来るとは思えませんが?」

 

「いえ、適任の案件です。タクマ様でしか現状を打破出来ないと愚考します」

 

「なんや、けったいな方向に話が向かってへんか?」

(いぶか)しむ真矢さんの視線を、長年重ねてきた(つら)の厚さで()ね退けて使用人さんは告げる。

 

「至極真っ当な国家事業でございます。タクマ様は由良様のために何でもする、と言いましたよね? では――」

ソファーに座っていた彼女が、俺の方へ前傾姿勢になった。礼儀正しく、気の良さそうだった顔に、俺は老獪(ろうかい)さを見た。

 

「由良様と晩餐会(ばんさんかい)にご出席するのはいかがでしょうか? 晩餐会と言っても緊張するほどではありません。ただ、海外の要人の方々がご出席する程度の盛大な晩餐会です」

 


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