『男女比 1:30 』 世界の黒一点アイドル   作:ヒラガナ

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【最期に見た光景】

たんまが荒れている。机上の筆記用具を払い落とし、椅子を蹴り倒し、クッション相手に格闘を演じている。

男性がこれほど怒りを露わにするとは……作り物とは言え、ショッキングな光景である。たんまの不遇に同情すれば同情するほど胸が痛い。わりと本格的に痛い。血の巡りが悪くなって四肢の感覚が鈍くなる。ぬっ、これは油断すると一気に逝く。

 

「潰してやる! 姉さんたちに近付く害虫はボクがこの手で! 潰してやる!」

 

お気に入りのミカド君(中御門のご当地キャラ。プリティな男の子。股間がやや膨らんでいるのがチャームポイント)のぬいぐるみをギュッと掴みながら、たんまは殺意を満載にして気勢を上げた――そして。

 

「か、かっと」

寸田川氏が息も絶え絶えになりながら撮影を終了させる。

 

い……逝き残れた……のか?

 

厳しい、本当に厳しい戦いだった。この場に存在出来ることが奇跡のように尊い。私はやったのだ、ダンゴとしての職務と生物としての命を放棄せずに耐えきったのだ。

 

「ふ、二人とも無事かい?」

腹ばいになった状態で寸田川氏が尋ねてくる。まず、当人が無事ではない模様。

 

「身体の各部位がチアノーゼ気味なものの、生きているという点では無事」

【歌流羅】バグがなければ即死だった。バグにより私の神経が一時的に鈍化、おかげでたんまの悪意から心を守ることが出来た。長年苦しんでいるバグに助けられるとは皮肉がきいている。

 

「眼福にはリスクが伴うものでございます。けほっけほっ」

メイドが満足げに言う。何気に吐血しているのだが、この場において血が流れるなど些細なことである。

 

「今日ほど『生』を感じた日はないね。ダンゴ君とメイド君もそう思うだろ? 五体満足ならこのまま生存を祝して街に繰り出したい気分だけど……さすがに今はゆっくり休みたい」

 

「激しく同意」

「はい、ゆっくり秘蔵映像の編集作業に勤しみたく思います」

 

私たちは弱々しい笑みを浮かべ、生を謳歌した。まあ――

 

「あっ、ちょっと待ってください」

必逝仕事人を相手にしている時点で、生など蜃気楼の如く儚いものである。

 

「なんか、違うんですよね」

 

「た、タクマ氏。違うとは何が?」

む、むおぉ。折れる、私の生存フラグがポキポキしてりゅのぉぉぉ。

 

「このシーンのたんま、ヤンデレらしくないんですよ。感情のまま暴れて恋敵の殺害予告だなんて、まるで狂犬だ」

 

「ボクの脚本がそんなに変かい? ヤンデレは愛に狂って暴走するものだと解釈したんだけどね」

 

「そう、愛! 今のシーンからは愛が()えません! ヤンデレはサイコパスやメンヘラとは異なります! 同じ凶行に走るとしても、その根底には対象への深い愛があるはずなんです!」

 

どうしよう、三池氏がヒートアップしてきた。

 

「し、しかし、これまでのシーンでたんまが姉妹に愛情を抱いているのは表現してきた。『深い愛』と言うなら十分では?」

 

三池氏を(なだ)めにかかる。撮り直しなんぞさせない。私も寸田川氏もメイドも虫の息で、撮影続行は死と同義。

 

「けど……」

 

「いけないなぁ、タクマ君の主張は具体性に欠けている。ヤンデレをヤンデレたらしめるのは『対象への深い愛』か。大変興味深いが、そんなあやふやなモノでは誰も動かないよ」

「うむ。抗議は代案を以て良しとする。実に残念、タクマ氏に代案があるなら私も命を賭けて協力したのだが」

すまない、三池氏。私はあなたを最後まで護衛する任務がある。三池氏の本意に背いてでも、逝くわけには……

 

「代案ならあります」

 

そうか、ここが私の逝き場所か。

 

「ヤンデレを表すポイントは『葛藤』です。先ほど寸田川先生はおっしゃいましたね。『ヤンデレは愛に狂って暴走するもの』と。その解釈をよく分析してみてください。『愛に狂う』という事は、狂う前は常人だったと言えます。ヤンデレというのは頭のネジが飛んだ異常者ですが、根っからのサイコパスではありません。ちゃんと社会的常識を持っていながら『葛藤』の末、対象への深愛を優先して常識を投げ捨てた者がヤンデレとなり得るのです!」

 

三池氏が早口でメッチャ熱く語り始めた。それが葬式で耳にするマサオ教の説法に聞こえるのは、私の死期が近付いているためだろうか。

 

「つまり、たんまの慟哭シーンには『葛藤』が必要なんですよ! 『葛藤』がなければ愛が視えません! ああ、お三方の言いたいことは分かります。御託はいいから代案を出せ、ですよね。たとえば、机の上の物をなぎ払う場面。そこに『葛藤』を入れます」

 

三池氏が床に散乱する筆記用具を拾い集め、机の上に並べ直す。

さらに早乙女姉妹の写真入りフォトスタンドを、ベッドの枕元から机上に移動させた。

 

「後は……お三方はここにいてください。すぐ戻ります」

三池氏が駆け足で部屋を出て行った。いったいどこへ? 私たちが顔を見合わせて首を捻っていると。

 

「お待たせしました!」

言葉通り、三池氏はすぐに帰還した。その手には故・咲奈演じる早乙女家三女が見ていたアルバムが握られている。

 

「これでいいかな」

三池氏はアルバムから早乙女家と婚約者の集合写真を抜き取った。幸せそうな三姉妹と婚約者、そして仏頂面のたんまが映っている。先日のリハーサル時に撮った物を、今回小道具として用意したのだ。

 

「この写真も机にセットして……っと。よし、たんまの慟哭シーンをもう一度やってみましょう! お三方は配置についてください」

 

テイク2なんてヤダ、とは言えない空気である。

 

「良い、人生だったかな……母さん、先立つ不孝をお許しください」

「人間が思考の袋小路にドはまりして『葛藤』する姿は、愉悦の根源に通じます。それを撮れるのなら私の命など安いものです」

 

寸田川氏とメイドは死を受け入れたようだ。粛々と職務を全うすべく動き出す。

 

 

テイク2。

三池氏が深呼吸して目を瞑る。自分の身体を完全に『たんま』へ明け渡す動作のようで、見ていて気持ちの良いものではない。

 

 

「なんだよアイツ! ボクの家族を誑かして! クソックソッ!」

開眼した時、三池氏はたんまに()っていた。

机の上の集合写真を手で押さえつけ、油性マジックで婚約者だけを黒く塗り潰していく。お前のような異物が早乙女家に入るのは絶対に認めない! 声にしなくてもたんまの内面が如実に出ている。

 

こんな場面を婚約者役の故・ジュンヌ氏が見たらあの世でショック死するのではないか、と心配になる。

 

「ははっ、ざまぁみろ!」

婚約者を真っ黒に抹消し、調子に乗ったたんまは写真を投げ捨てる。その勢いで机上の筆記用具や小物を次々と払い落としていたが、早乙女家姉妹のフォトスタンドの前で手が止まる。

「……あ、ああ……」

狂気に取り憑かれていた目に理性が灯される。

 

「……ご、ごめんなさい。ごめんなさい。ぼくは、そんなつもりじゃなくて……あっ!」

思い出したかのように、最初に投げ捨てた写真を慌てて拾うたんま。

 

「姉さんたちが居る写真に、ぼくはなんて酷いことを……」

憎き婚約者が映っていたとは言え、写真には愛すべき姉妹も居る。それを捨てた自分にたんまは絶望する。ずっと「ごめんなさい、ごめんなさい」と、写真に頭を下げて返事なき許しを乞う。

男性が沈痛な表情で写真に謝り続ける。弱者生活安全協会(ジャイアン)やマサオ教の関係者が観たら発狂不可避の衝撃映像である。一般女性でも感情移逝で遠い世界に旅立ってしまうだろう。

 

「姉さんたちの幸せを思えば結婚した方がいいのに。理解しようと頑張っているんだけど、どうしても嫌なんだ。ごめんなさい、馬鹿な弟で。ごめんなさい、愚かな兄で。それでもぼくは――みんなと居たい。誰にも邪魔されず()()()()に……」

 

葛藤の末、常識や倫理を切り捨て、たんまがヤンデレとして覚醒する。恐ろしいシーンなのに根底にある深愛が、私の胸と脳をフットーさせる。ぐつぐつぐつぐつ。あと、たんまの深愛が祈里姉さんたちに向けられている事実に頭の血管が弾ける。ブチブチブチ。

 

「ぼくらの世界はぼくらだけが居れば良いよね。だから、姉さんたちに近付く害虫はボクがこの手で潰すよ」

 

脚本のたんまは「潰してやる!」と豪語していたが、こちらの演技では軽い口調である。虫を潰すのに感情的になる必要ある? と言わんばかりの表情が『愛に狂った』を正しく表現していた。

 

 

 

「――ふぅ~、だいぶヤンデレに近づいてきました」

たんまが三池氏に戻った。通常なら「カット」の声が上がってから役を解くのだが、上げる者が天上へ上がってしまったので自主的に演技を終了させたのである。

 

寸田川氏はもういない。(むくろ)だけが床に横たわっている。両手の指を胸の前で交差させ、祈りのポーズで倒れているのが実に暗喩的。

ヤンデレに手を出した(とが)を背負って寸田川氏は旅立たれた。

 

「――うぷぇ」

撮影カメラをテーブルに置いたメイドが糸の切れた人形のように崩れた。

「これが、私の終わりでございますか……うぷぷ、らしい終わり方でございますね」

 

「あなた……」

ふらつく足で傍まで寄り、「大」の形で仰向けになるメイドを見下ろす。

 

「そんな目で見ないでくださいませ。年長者から逝くのは自然な流れです。最期に主人と言葉を交わせて、わたしは幸せでございます」

「私はもう、主人では……」

「歌流羅様はいつまでも、私の敬愛すべきお方……あの時、家を出るあなた様を止められず、苦悩しましたが……すばらしき出会いをなさったようですね。本当によかった……」

 

吐血しすぎたためかメイドの顔が青い。言葉に生気がなく、今にも昇天しそうだ。

 

「さいごに歌流羅様、お願いがあります」

「なに?」

「私の家に天道家の方々を撮った、すぺしゃるディスク(愉)があります。それを私の墓に」

「分かった、処分する」

「えっ? いえ私の亡がらと共に墓に」

「焼いて葬る」

「そう、そうではなく……」

「迷わず逝って、どうぞ」

「……ふ、ふふ。さいごの願いをぶった切られて、冷たい目で看取られるのも……ゆえ……ちゅ」

 

メイドは半笑いを浮かべたまま、その生涯を終えた。来世では歪んだ性根が修正されていることを期待。

 

 

「あれぇ~、二人ともダウンしちゃいましたか。困ったなぁ」

二人の人間を逝かせた感想がそれか……モンスターと化した三池氏と相対しているのは、もう私しかいない。

 

「たんまの慟哭シーンなんですけどね。もうちょっと愛を深堀りしたいんですよ。具体的には――」

三池氏がヤンデレのアイディアを喜々と実演しながら説明する。

 

ヤンデレ。女性を狂おしいほど愛してくれる男性。初めて聞いた時は、なんて素敵なファンタジーと思ったが……こんなにも危険な代物だったとは。

ヤンデレを世に出してはいけない。世界が逝き絶えてしまう……それは分かっているが。

 

私はメイドが遺した撮影用カメラを担いだ。重い、耐え切れず倒れそう……だが、踏ん張る。

私は三池氏のダンゴ。世界の危機よりも、三池氏の思いに応えるのが使命。

 

「三池氏の満足いくまでリテイクするといい。私が付き合うから」

 

「ありがとうございます、椿さん! 最後までよろしくお願いします!」

 

身体はとうに限界に来ている。でも、視界だけはクリアだ。当然、三池氏をぼやけて見るなんてありえない。あなたの輝かしい演技を、私は最期まで追ってみせる。だから、三池氏は思いのままに振舞って、納得がいくまで逝かせて……

 

何度やり直したかは思い出せない。しかし、私が最期に見た光景は、充実した顔の三池氏だった――――

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

「あっ! やっと起きた! おっはよ~静流ちゃん」

突如、視界が開けて凛子ちゃんのドアップが私を迎えた。

 

「ち、ちかい……こ、ここはあの世?」

凛子ちゃんは私より先に逝った。あの世の入口で待ってくれていたのか。

 

「あはは、なに寝ぼけているの。ここはこの世で天道家のお宅だって」

「なぬ?」

「三池さんが蘇らせてくれたんだよ」

「蘇らせる……さらっと非現実的なことを」

「ほら、あれを見て」

 

凛子ちゃんに促されて、顔を横に向ける。その先にはメイドの逝体(いたい)があり――

「はい、じゃあ入れますよ~」

半開きの口へ三池氏が何かを突っ込んでいる。あれは……握り飯?

 

小さいサイズに握られたご飯が投下されるや否や、メイドの体がビクンビクンと震えた。

そして、握り飯を恐ろしい速度で咀嚼。無意識の状態でやっているのでホラー感が凄いことになっている――と、青白かったメイドの顔が血の通ったものに早変わり。逝去前より瑞々しい肌艶にまでなった。おにぎりに造血作用ってあるの?

なんという非現実的……が、三池氏のやることに現実性を求める方が非現実的か。

 

「いやぁ、相変わらずの効果だよね。三池さんの料理」

「三池氏の……うっ、そういえば私の口の中が幸せで満ちている」

「みんなを起こすために台所を借りて三池さんが一つ一つ丁寧に作ったおにぎりなんだよ。で、静流ちゃんもあたしもあんな感じで蘇生したわけ」

「くっ、覚えていないのが痛恨の極み。おかわり所望」

「ほんとそれ」

 

 

三池氏作の復活のおにぎりによって、逝った者たちはこの世に戻された。

祈里姉さん、紅華、咲奈も蘇生し、互いの健闘を称えあっている。その顔は朱色に染まっており、三池氏の味を覚えたことで中毒が悪化したことを示していた。

 

生き返ったことを喜ぶ者。三池氏のおにぎりを食べた幸せでアヘっている者。同僚の帰還に歓喜する者。逝き残ったためにおにぎりを食べられず悔し涙を流す者。

スタッフや組員たちの表情は様々であったが――

 

「皆さん、ご帰還おめでとうございます! 早速ですけど、撮影を再開しましょう!」

 

三池氏の一言で、みんな仲良く表情を固めた。

 

「な、なにを言っているんだい、タクマ君! もう撮るシーンなんて」

「ありますよ。ヤンデレに覚醒したたんまが、姉妹を襲ったり、しまっちゃうシーンが」

「そ、そこは刺激が強すぎるから、君の姿は撮らずに姉妹のアップと音声で誤魔化そうって決まったじゃないか」

「いいえ、ヤンデレの肝になる場面で、肝心のヤンデレが映らないのは肩透かしもいいところですよ。やるなら徹底的にやらないと」

 

寸田川氏の説得に聞き耳をもたない三池氏。や、()る気だ、徹底的に私たちを。

 

「安心してくださいね、皆さん。ダウンしても、またおにぎりを食べさせますんで」

 

天国と地獄のシャトルランをしろ、と言うのか……

逝くのは怖い。しかし、三池氏のおにぎりは食べたい。二律背反の感情に苦しみながら、私たちは再び死地へと足を踏み入れるのだった……


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