今年も肉食物語にお付き合いくださりありがとうございます。
皆さま、良いお年を。
不知火群島国に帰国し、空港からその足であたくしは中御門の炎ターテイメントテレビを訪ねました。
さて、注文通りに撮影セットは出来ているかしら。
廊下を進んでいると、
「きゃ! 天道美里さんよ!」
「まさかこんな所で会えるなんて感激! てっきり国外にいるかと思っていたわ」
「わたし、大ファンなの。サインとかもらえないかな?」
あたくしの周りが一気に姦しくなります。帽子を取って変装を軽くすればこの有様。仕方ないわね、ワールドワイドな女優・天道美里には喧噪がどうしても付き纏うものですから。
やれやれと思いつつ、テレビ局の奥へ向かうと……あら、あたくしが高く買っている脚本家の先生を発見。
「こんにちは、寸田川先生。お久しぶり。お加減は……あまり良くなさそうね」
気軽に挨拶を始めたものの、あたくしは内心引いてしまいました。
「ふぇふぇふぇ、これはこれは美里さん。本日はお日柄もよくご健勝でふぇふぇふぇ」
ヤバい。その感想しか出てこない。
パイロットフィルム対決であたくしを倒す、と息まいていた寸田川先生はいずこへ……息をしているのかも怪しいほど先生からは生気が放たれていない。
「あれ……ここはどこ? ボクァは編集室にいたはず」
「編集室って別の棟でしょ。夢遊病患者でもあるまいし、パイロットフィルムに熱を上げるのも大概にしてきちんと眠りなさい」
「眠っていますよボクァ。ここ数日で十回は心臓を止めて深い眠りに落ちましたから、うふぇふぇふぇ」
「誰がそこまで迫真の睡眠をしろと……って、さすがに冗談よね?」
「ふぇふぇふぇ」
本気の目をしているわ。この一か月間で先生に何が起こったの?
変態の称号を欲しいままにする彼女が、実は天道家に匹敵するほど由緒正しき家系の生まれだと知った時は驚きました。
中御門当主が礼儀作法の指南役として重宝するほどの名家から、なぜ寸田川先生のような問題児が現れたのか……幼少期からあらゆるマナーを叩き込まれた事への反動かしら。何事もやり過ぎは禁物といったところね。
寸田川先生に初めて会った日、あたくしは彼女が脚本家として大成するだろうと確信しました。
人間を描くことに非常に長けており、人の悲喜こもごもを感動的に仕上げる手腕は駆け出しのレベルを優に超えている、これは傑作メーカーになるぞと昂ぶりを覚えたものです。
寸田川先生は変態ぶっていますが、彼女の本質は真逆。どこか高貴な視点から人の良心を優しく表現する――それこそが寸田川先生の真骨頂。
なのに反骨精神の暴走か、彼女は人の暗部や『毒』に固執した作品を好んで……勿体ないにも程がありました。
あたくしが無名の頃から目にかけ、正しき道に修正しようと試みても先生は意固地になるばかり。
酒に酔って無垢になった先生は良かったわ。不気味なほど素直になって、己の持ち味を存分に発揮し名作を書いてくれる。それに比べて
このパイロットフィルム対決は好機かもしれないわね。酔った先生の『親愛なるあなたへ』で毒に塗れた先生の作品を浄化する。そうすれば、先生の濁った目から多少の曇りは取れるかしら。
あたくしが、そんな都合のいい未来を想像していると、寸田川先生が少々理性的な顔つきで言いました。
「ふぇふぇふぇ、美里さん。ボクァは今回の撮影で大いに反省しましたよ」
「反省?」
あたくしがどんな手を尽くして説得しても「これがボクの脚本道だってばよ」と譲らなかった寸田川先生が反省!?
「反省なら猿でも出来るから猿にやらせてボクの道を行く」と世迷言を吐いた寸田川先生が反省ですって!?
「人間は毒を含んでこそ人間らしくいられる、ボクァはそう思っていました。でも、それは毒の恐ろしさを知らない幼児の戯言だったんです。決して手を出してはいけない猛毒が世の中にはあるんですね、ふぇふぇふぇ」
「え、ええ。そうかもしれないわ」
寸田川先生の真意が読み取れず、あたくしは生返事をしました。
この驚天動地の変化は祈里チームの撮影が原因? あの子は一体どんな作品を撮ったというの……?
「ふぇじゃ、ボクァは編集作業の続きを死に戻りますんで」
「あ、あの身体には気を付けてね」
「ふぇふぇ、人間って身体は無事でも心がやられると簡単に逝けるんですよ、これ豆知識」
それだけ言って、寸田川先生は儚い背中を晒して廊下の向こうへ消えていきました。
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あたくしは、かつてない不安を持て余しながら翌日を迎えました。
タクマ君に会って不安の正体に見当を付ければ、この胸騒ぎが収まるかもしれない。そう期待していたのに……
「今日はよろしくお願いします」
現れたタクマ君は、一か月前に挨拶を交わした彼とはどこか違っていて……
その違和感は台本の読み合わせをする段階でどんどん露骨に明らかになっていきました。
おかしい、タクマ君はあたくしの『息子』役なのに。
「お母さん」と口にする彼からは親への情愛が感じられない。
天道家は男児に恵まれていないけど『もし生まれていたら――』の心持ちの下、あたくしは最大限の愛情で演じている。
それなのに彼の「お母さん」は『他人の家の母親にお情けで親子プレイをしてやっている』感が出ていて、あたくしのプライドはズタズタだわ! こんなのあたくしの息子じゃありません! どこの家の子よ!
タクマ君は仕事に私情を持ち出す不真面目な子ではない。それくらいは分かります。と、なれば彼は『前の役を引きずっている』のでしょう。
読み合わせの後、あたくしは南無瀬組を――特に歌流羅を詰問しました。タクマ君の身に何があったのか、と!
ネタバレを避けるような拙い言い分を聞き終えて、あたくしは憤りを抑えられませんでした。
歌流羅! あなたって子は!
タクマ君が役に憑かれているのを承知なら、どうしてもっと本気で追い払おうとしなかったの!
憑依型の役者は自分と登場人物を同化させるきらいがあります。やり過ぎれば精神の均衡が崩れ、最悪人格に影響が出るかもしれません。世界には役にのめり込み過ぎて、多重人格になってしまった実例もあるのです。
歌流羅だってソレに類する病で苦しんでいるのに、タクマ君を見す見す危険な状態にしてしまうなんて。
いくら天道家を辞めたからと言っても許せることではない――あたくしは説教しようと歌流羅を睨みつけ。
「……っ……っ……」
歌流羅の絶望に満ちた顔を見て――『やってしまった』と後悔しました。
歌流羅だってタクマ君を元に戻そうと全力を尽くしたことでしょう。しかし、相手は黒一点アイドル。同性相手なら出来る荒っぽい療法も、彼には出来ない。
歌流羅はタクマ君と一年間を共に過ごしてきました。その間に育んだ絆の深さと中毒症状の酷さはどれ程のものか。それを考慮すれば、歌流羅や南無瀬組がタクマ君に強硬手段を取れるはずがないのです。
その点を無視して苛立ってしまうとは無様なことね、天道美里。
「ごめんなさい」
あたくしは歌流羅たちに短く謝罪しましたが、歌流羅の顔は依然青いまま。ちゃんと届いているのかしら。
ともかく、この場でタクマ君と一番遠い関係のあたくしが何とかするべきでしょう。
あたくしならタクマ君に強引な方法を取れますし、最悪彼に嫌われてもショック死は免れるでしょうし。
「役の事ならあたくしに一日の長があります。ここは任せてください、タクマ君を元に戻してみせましょう」
大見得を切り、ボーっと事の成り行きを見ているタクマ君に聞こえないよう。
「これから多少手荒いことをします。でも、タクマ君を傷つけることはありませんので、南無瀬組の方々はどうかご自重して傍観してね」
南無瀬組は納得の出来かねる表情をしましたが、タクマ君の異変に苦心している手前、渋々あたくしの意向に従ってくれました。
さて、気張りますわよ。天道美里!
長らく芸能界の大家として君臨する天道家には、演劇に関するあらゆる技術が受け継がれています。
その中には役に憑かれた者から役を取り去る秘術も存在するのです――と言えば格好が良いですが、要は『
「タクマ君!!」
彼の眼前で予備動作なく声を張ります。
「いいっ!?」
驚いて目を大きく開き、後退しようとするタクマ君。そうはいきません。
すぐさま彼の両肩を強く掴み、行動を阻止します。
ガタッ!
南無瀬組が殺気を全開にして、あたくしへ飛びかかろうするのを『タクマ君を戻すためです。大人しく見ていなさい!』と目で威嚇します。
「しっかりしなさい! いつまで他人に身体を渡しているの! あなたは誰? 答えなさい!」
「だ、だれって……そりゃ、たくま」
「ああ!? 聞こえません! 自分の事なのよ! 堂々と胸を張って己を主張しなさい!」
あたくしは彼の両肩をバンバン叩き、さらに腕、腰、太もも、背中を何度も
本当はお尻もヤリたいですが、殺されそうなので思い止まります。
それにしてもさすが男性アイドルと言うべきか、叩く場所から小気味いい音が鳴り、手や耳が幸せになるわね。
「ファー! タクマさんの身体をあれだけ弄ぶなんて!」
「万死? 万死モノよね、コロコロしていいよね」
「ハァハァ、タクマさんの身体が鳴らす音……イヒィ」
まずいわ、南無瀬組からのプレッシャーが高まっています。これは早々に決着を付けなくては。
「もう一度! あなたの名前は!」バンッ
「た、タクマです!」
「全然魂が入っていません! もっと声を出して!」バンッ
「あ……あ……お、おれは……タクマ……た、拓馬ですッ!!」
その時、あたくしはタクマ君から抜けていくモノを感じました。
ドス黒く、何かに病んだ男の子のような、悪霊めいたものが抜けていくのを……
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
VR映像を見ている感覚だった。
一人称視点で、紛れもなく俺の目の前で起こっている出来事の数々なのに、どこか他人事で現実感がない。
クズさんによるオカズ要求事件以降、俺はあやふやな感覚の中で生きていた。
その『あやふや』が美里さんによって吹き飛ばされ……ようやく俺は自分の目で周りを見て、自分の頭で物事を考えられるようになった――で。
「はははあがあががあがぐぐぐにゅうううううれめおおおおおおおおあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!」
圧倒的な後悔に襲われた。
やっちまったってレベルじゃねええええええええ!!
由良様に「あなたをオカズにしたい!」ってキメ顔で催促したり、南無瀬組の面々に「オラにオカズを分けてくれ!」とハチャメチャしたり、ヤンデレ探究者と化して南無瀬組員やスタッフを逝き地獄に落としたり……
どうやって謝る? 謝っても許されない悪行だよね、あれもこれもどれも! 謝罪行商で性計を立てる他ないんじゃないかぁぁぁ!?
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
床に丸まり、頭を抱え、懺悔の叫びを上げ続ける俺は――ふっと、場違いな安らぎに包まれた。
「いいの、いいのよ、タクマ君。あなたは何も悪くないわ」
優しい、どこまでも優しい美里さんの声が心を包む。
温かい、どこまでも温かい美里さんの体温が身体を包み、俺の頭や背中を撫でる。
「あなたは自分の出来ることに全力で取り組んだのよ。誰もあなたを非難しない。もし、難癖を付ける輩がいたら、あたくしがやっつけちゃうわ。だから、ゆっくりでいいの――ゆっくりでいいから自分を許して立ち上がって」
俺は涙に濡れる顔をよろよろと上げた。
目の前には膝を突いて、俺と視線を合わせた美里さんがいる。母親のように深い愛情を浮かべた美里さんが、全てを許容する大らかな笑みを向けている。
不知火群島国に来て一年。これほどの愛情を受けたことがあっただろうか。
ダンゴや真矢さんや南無瀬組の人々も俺に優しくしてくれるが、そこには肉欲が潜んでいた。俺を愛してくれているが、同時に俺を食べたい欲望がどうしても見え隠れしていた。
美里さんにはそれがない。美里さんは肉々しさの一片もなく、俺を抱きしめている。
これは、この感覚は……
「か、母さんっ――」
まさに母親の愛情。
遠い昔、小学校の学芸会でセリフを間違え危うく劇を台無しにしそうになったことがある。劇が終わり、自分の失敗を悔やみ涙する俺を、母さんは温かく抱きしめ泣き止むまで頭や背中を撫でてくれた……今の美里さんのように。
日本に残してきた母さん。会いたくても会えない母さんへの想いが爆発してしまう。
抑えなきゃと思うけど、封印していた望郷への念も合わさり感情の決壊を止められない。
「母さん、母さん! ああああああぁぁあああ!!」
「いいのよ、タクマ君。存分に泣きなさい」
「母さぁぁぁあああん!!」
「イイ、イイのよ、
情けない俺の行為を、美里さんは文句一つ言わずに受け入れてくれる。相変わらず優しい手つきで……なんかちょっとピクピク震えながらも撫でてくれる。
美里さんと俺は『親愛なるあなたへ』だけの
けど、それを演じている時だけは本物の母子のような強い絆で結ばれる。俺の願望だけど、そう思えたんだ。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
タクマ君を天道家に取り込むことは出来ません。
それは天道家の滅びを意味しますから。
とぅくん……とぅくん……とぅくん……
なのに、どうしてなの?
タクマ君が「母さん」と言った瞬間、あたくしの細胞全てが叫んだのです。
「タクマ君はうちの子よ!」と。
とぅくん……とぅくん……とぅくん……
ダメ、ダメよ、天道美里。
タクマ君は危険な子なの……本当の息子にしてはいけないのよ!
とぅくん……とぅくん……とぅくん……
ああ、でも鼓動が止まない。
あたくしの中で何かが目覚めるのを止められないのぉぉぉぉ!
とぅくん……とぅくん……とぅくん……
とぅくん……とぅくん……とぅくん……
とぅくん……とぅくん……とぅくん……