信徒名『クルッポー』こと『北大路まくる』さんに会おう。
北大路の次期当主様が遠い所を訪ねてきたのに、顔も合わせずお帰り願うのは不敬であるし。
一応、モニター試験唯一の生還者にして不性感者ということで安全そうだし。
「まあ、当主同士のメンツもあるさかい、妙子姉さんの顔を立てると思えば……はぁ」
真矢さんは不服そうにしながらも、俺の決定に消極的賛成の立場を取ってくれた。
「三池さんにイヤらしい視線を送ってきたら、未来の当主だろうとお命頂戴です! あたし、職業差別はしませんから!」
「ダンゴは権力に屈しない。なお、三池氏には喜んで屈するので強気攻め推奨」
素行以外は優秀な音無さんと椿さんが傍にいれば、最悪な事態は避けられるだろう。
そういうわけで、俺たちは北大路さんの待つ場所へと向かった。
南無瀬組長・執務室。
190を超える巨体を上等な椅子に沈めた妙子さん――その隣で北大路さんは静かに直立していた。
由良様と同じ巫女服。同じ黒の垂髪。だが、纏う雰囲気はまったく異なる。
由良様が周囲を浄化させるほどの清楚オーラを放っているのに対し、北大路さんは思わず身構えてしまうほどの近寄りがたいオーラを垂れ流していらっしゃる。
美しい容姿ではあるのだが、意思の強さを誇るように太い眉と固く横一文字に結ばれた口が、(肉食世界において)やんわりコミュニケーション至上主義の俺を憂鬱にさせる。
いや、ただの頑固一徹ならまだいいのだ。腫れ物を触るように応対すれば何とかなるのだから。
でも、北大路まくるさんは普通じゃない――ここに来る前に観たモニター試験の映像が、彼女の特殊性を十分過ぎるほど示している。
「無理を言ってすまないねぇ、タクマ君」
妙子さんが入室した俺を歓迎した。南無瀬組以外の人が居る場では、俺を「三池君」と呼ばない妙子さんである。
「紹介しよう。北大路まくる女史、現北大路当主の娘にして次期当主さ」
「お初にお目にかかる、小生は北大路まくる。危急の用件故に会談の約束を取らなかった不作法をお許しください」
きびきびと頭を下げる北大路さん。謝罪と同時に圧力も受けてしまうな。
「いえいえ、お構いなく。ちょうど時間も空いていましたし」
初対面の相手は刺激しないに限る。それは日本でも不知火群島国でも通用する処世術だ。
「タクマ殿のご厚意には感謝の念に堪えない」
タクマ殿……うっ、頭が……!
かつて俺を「タクマ殿」と呼んだ『あの人』の顔が一瞬脳裏をよぎる。が、ストレスに苛まれる日々で培われた精神防衛機構が「それを思い出すなんてとんでもない!」と、回想を素早く中断してくれた。
ふぅ、前に俺をタクマ殿と呼びつつ語尾が『ござる』な子に会った気がしたけど、別にそんなことはなかったぜ。
俺が人知れず記憶消去している間も、北大路さんは喋り続ける。
「タクマ殿には昨年も多大なご迷惑をおかけしたと言うのに、再びお手間を取らせてしまう我が身を恥じるばかりです」
「昨年? 北大路さんとは初めてお会いしたと思うんですけど」
「言葉が足らず失礼。北大路としてではなくマサオ教徒として羞恥を覚えているのです。昨年、信徒の一人が卑劣
ああ、
あいつはマサオ教の中でも高位の信徒だったようで、男性擁護が存在意義のマサオ教の名を大いに傷つけた。
事件後、マサオ教のお偉いさんたちが事件の火消しに大騒ぎしていたっけ。テレビの謝罪会見で観たマサオ教の人々の悲壮な顔が思い出される。
――そう言えば、あの頃に。
「拓馬はん、マサオ教から直接会って謝りたいって話が来とるんやけど」
「えっ? 俺がジャイアン事件に巻き込まれたのは、世間的には伏せられているんじゃ?」
「マサオ教は事件の全容解明と被害補償に動いとるさかい、その過程で拓馬はんのことを知ったみたいや。うちの方でこれ以上情報が漏れないよう手配しとくわ」
「ありがとうございます。それと、直接会うのは止めておきます。今回の事件で悪いのは、ぽえみとその仲間です。同じ信徒だからって謝ってもらう必要はありませんよ」
「寛容やなぁ、拓馬はんは。その方がええかもしれへん。マサオ教徒らな、申し訳ない気持ちを表現するために被害男性の前で熱々の鉄板や針山の上で土下座しとるそうや。狂気の沙汰でトラウマもんや」
「よ、余計に会いたくなくなりますね、それ……」
――真矢さんとこんなやり取りをした。
女性の焼き土下座や刺し土下座は――いや、老若男女問わず見たくない。
「北大路さんの謝罪、確かに受け取りました。これにて昨年の一件は後腐れなく終了です」
「まだ口で謝意を述べただけです。小生、謝罪のための道具一式を用意して」
「終了です!」
北大路さんが鉄板や針山を持ち出す隙を与えず、電光石火にして話題を終わらせた。この手に限る。
「被害を被ったタクマ殿がそこまでおっしゃるなら、小生は口を
北大路さんは不完全燃焼気味に「ううむ」と唸っているが、さっさと話を進めよう。
「それで何の御用ですか? わざわざ北大路の次期当主の方がいらっしゃるほどの依頼が?」
「……それを話す前に、お願いがあります。小生のことは『クルッポー』とお呼びください」
「うぇ、な、なぜに?」
「依頼にも関わる故に
「マサオ教のお名前を出すってことは……依頼内容は北大路家じゃなくてマサオ教が絡むものなんですか?」
「タクマ殿の慧眼に小生、感服いたします。しかし、依頼関係なく『クルッポー』と呼んでいただきたい。まくるは親に付けられた名。クルッポーはマサオ様から
正体あらわしたね。真面目系堅物キャラだった北大路さんのメッキが剥がれ出した。
クルッポー。口にするのも恥ずかしい名前だが……
「分かりました。クルッポーさん、依頼について聞かせてください」
俺がそう言った瞬間。
「ぐふっ!?」
北大路さんが血を吐いた。しかも結構な勢いで、なかなかの量を。
組長執務室のお高そうなカーペットが赤黒く染まっていく。
「だ、大丈夫ですか?」
「真矢、すぐ病院に連絡するんだ! それと医療知識のある組員を呼べ」
「了解や」
「タクマ氏は私たちと退出を。まくる氏に近付くのはNG」
「だね。ここに居れば、クルッポッポをもっと刺激しちゃいそうだし」
緊急事態に俺たちは、それなりに動転した――そう、それなりだ。
「ご、ご心配なく。病院への連絡は要りません。この程度の出血、小生にとっては蚊に吸われたようなもの」
ハンカチで口元を拭きながら、クルッポーは再び直立の姿勢を取った。
「妙子様、執務室を汚してしまい申し訳ありません。清掃と弁償は北大路の名にかけて必ず」
「汚した件は気にしてないが、本当に病院に行かなくていいのかい?」
「はい、今の吐血は病でも怪我でもありません。小生の惰弱な心を正すために、自戒機能が作動しただけのこと」
「じ、じかいきのう?」
妙子さんだけがクルッポーの狂った言動に付いていけずにいる。俺もモニター試験の映像を観ていなければ、クルッポーに
俺がクルッポーの吐血を見るのは、これで二度目だ。
「聞きしに勝るタクマ殿の傾国ぶり。小生、長年の信仰と修業によって、一般信徒より数段上の精神力を得たと
その羞恥心があるなら、何故もうちょっと常識を持ってくれないのか? これが分からない。
「
「儀式? ま、まあすぐに終わるなら……タクマ君もそれでいいかい?」
「どうぞ。依頼の話もまだですし、手短にお願いします」
妙子さんは人が良いな。変態に変態する隙を与えるなんて――内心思うが、普段からお世話になっている妙子さんに意見するのはどうもね。
「妙子様、タクマ殿、皆様のご厚意に甘えさせていただきます」
クルッポーは礼を述べると、執務室のソファーに移動した。そこには彼女の私物らしき風呂敷のようなバッグが置いてあり。
「マサオ様、未熟な小生に貴方様の教えを――」
狂信めいた口調のクルッポーにより風呂敷が開かれた。
中身は数体の木彫りの像で――もっと言えば、30センチ前後の『男性』の像ばかりで――さらに言ってしまえば、どれもこれも美形な顔立ちと均整の取れた体型と豪奢な衣服を着た像で、製作者の愛が辺り構わず噴出されていた。
「今の気分としては、『マサオ様・情熱と哀愁の日々』でしょうか」
木彫の像の一つを丁重に取り出し、クルッポーは頬ずりをする。
これから始まる儀式は、ただの人形遊びだ。ただの、人類には100年くらい早い高度な人形遊びなのだ。
俺、自室に帰っていいっすか……