「タクマしゃん! かいて! コレかいて!」
あどけない口調の、あどけない女の子が一枚の用紙を差し出してくる。
「おっなになに? 何を書けばいいのかなぁ~」
膝を曲げ、女の子と同じ目線になって用紙を受け取る。内容は――
『けいやくしょ
タクマさんは、わたしをショウガイのダンゴとしてみとめるモノとする。
たしょうのボディタッチはコミュニケーションの一つとしてみとめるコトにしよう。
ダンゴだからおなじトコロにすむのをみとめてね。
クーリングオフはあつかっていないので――』
そこまで読んだところで、俺の傍に待機していた椿さんが用紙をもぎ取った。
「書類の内容も体裁もNG。子どもの戯言はチラシの裏に書いて、どうぞ」
さらに女の子自身も襟首掴まれ持ち上げられた――
「ダンゴになるにはとってもキツーイ訓練や現実を乗り越えなきゃダメなんだよ~。甘い体液だけ吸いたいお子ちゃまは、おととい来やがれだね」
コメカミをピクピクさせる音無さんによって。
「え~~ん、タクマさんの思い出にしてね~~」
覚えてやがれの変化系を捨て台詞に、女の子は南無瀬の組員さんの手で保護者の元へ連れて行かれた。
「ごめんなさいねぇぇ、子どもぉたちには不用意なぁん接触や勧誘をしないよう伝えておいたのにぃぃ」
俺のレギュラー番組にして活動初期からお仕事させてもらっている『みんなのナッセー』、そのフロアディレクターを務める
彼女はビルダー方面に恵まれた体型、野太い声、顎がうっすらと青くなっていたりと(地球基準で)男性的だ。
実際、性格は穏和にして理性的で(肉食世界基準で)男性っぽい。だが女だ。
夜道で男と間違われて襲われた事もあるらしい。だが女だ。
乙姫さんの人となりについて深く考えないようにしている。
ただでさえ複雑なジェンダー問題に貞操観念逆転要素が加わって『男らしさとは、女らしさとは……肉食とは草食とは……うごごごご』と、頭がショート寸前になった上での経験則だ。
「しゃーない、子どものやる事やさかい――なんて言うにも限度があるで。今日で五人目やないか! どうなってん、おたくの教育は!?」
「ぐふぅの音も出ないわぁん……」
「まあまあ真矢さん、乙姫さんたち番組スタッフにそこまで求めるのは酷ですよ。ほら、我が子をけしかける保護者も居ますし」
おもいで作りと称して我が子を強漢魔にする母親。相変わらず狂った倫理観が胸を張って練り歩く世界である。
おかげで俺の胃はボロボロだ。おもひでぇぼろぼろである
さて、番組側を庇うのは凹む乙姫さんを不憫に思ったから――もあるが、後ろめたさもあった。
今では名ばかりになった
以前の一般襲撃女児は本能の赴くままに跳びかかる衝動型だった。
しかし、最近の子は違う。ヒャッハーしているものの、さっきの女の子のように未来を見据えて動いているのだ。たとえ内容が拙くても、俺との未来プランを温めているのだ。それも大抵は自身がダンゴかプロデューサーになっているプランを。
どう考えても『タクマといっしょう』の悪影響です、本当にすみませんでした。
「1シーン撮っている間に子どもが一人、また一人と出禁になって消えていくわぁん。このままじゃぁ、撮影が出来なくなっちゃうぅぅ」
「拓馬はんを別撮りにするか、子どもらに
古巣である『みんなのナッセー』のスタジオが狂気で包まれている。いや、元から狂気だったけど、度合いや瘴気が濃くなっている。
どうしてこんな事になってしまったのだろう……
男性に勇気を、女性に安らぎを与えるために俺は世界初の男性アイドルになった……ような気がする。最初の
大丈夫か、俺?
トップアイドルとなり、正式なプロセスで不知火の像へ触れて、日本に帰還する。
その思いが先行して、結果ばかり優先していないか? ファンや世界へのアフターケアが雑になっていないか?
一度、立ち止まって今後をしっかり考えないと取り返しの付かない事に……
ひたひたと忍び寄る
「
野太い女声? がスタジオに響いた。
聞き覚えのある声、と言うか目の前の乙姫さんにソックリな声だ。
「お久しぃー! 突然来てごめんねぇん!」
発声者はスタジオの入口に立っていた。
乙姫さんと同じく、ジェンダーの垣根を股下に置くような佇まい。もしかして彼女?は――
俺の予想を固めるように、乙姫さんが声を上げた。
「あらぁやだぁん!?
姉らしき人の方へ駆け出す乙姫さん。そうそう、乙姫さんは三つ子だった。
末妹の
で、次女の乙姫さんが南無瀬領で子ども番組のフロアディレクターをやっている。
じゃあ長女の
スタジオ入口に立つ甲姫さんは普通のレディーススーツを身に纏っていて、職業を察するのは難しい。
ただ……
「なんか変だな」
甲姫さんの筋肉でレディーススーツがはち切れんばかりになっている、その程度のことを変と言う繊細さはとっくに捨てている。
それより乙姫さんも丙姫さんも肉食世界では希少な人格者だ。
その姉である甲姫さんが……少なくとも服装はまともな彼女が、俺の居るスタジオにアポなしで来た? なんか変だ。
「妹のコネまで利用するとは、なりふり構わんってことかいな……」
真矢さんが表情を曇らせながら呟く。
「真矢氏、もしやキューピッドの先兵?」
「キューピッド全体の判断にしては方法が稚拙や。痺れを切らした一派が動いたんやろ」
「どうします? 目的はどうあれ、手続きも無しに三池さんへ近付く不届き者です。お帰り願っちゃいます?」
「それがセオリーやけど、キューピッド内のグダグダに付き合うんも何やし……」
真矢さん、椿さん、音無さんの視線が俺に集中する。
ああ、はいはい、このパターンね。
「キューピッドとか、一派とか、知らない単語が出てきましたけど、結局のところアレですよね。『また俺何かやっちゃいました?』ですよね?」
「せや」
「うむ」
「はい」
「分かりました。今日の仕事は『みんなのナッセー』の撮影だけです。それが終わったらお話を聞きましょう。その、キューピッドとかいう組織の」
身から出た錆ってやつだ、じゃあ仕方ない……よな。俺は胃をスリスリしながら嫌な予感を受け入れた。
肉食世界にも『キューピッド』という言葉があった。
それは人名であり、もっと言えば神話に出てくる少年の名前で、なおかつ地球の神話に登場する同名少年のように愛にまつわる伝説的存在だ。
地球のキューピッド少年は、恋の矢で恋人たちの恋愛を成就させる。やり方の是非はともかくファンタジーである。
それに比べて肉食世界のキューピッド少年は肉々しい。
遥か昔、アヘルという都市があった。そこに住む女性は性欲旺盛で、故に強く、周囲の都市から男を奪って栄華を極めていた。
その究極がアヘルの塔である。富と力と男を我が物とした象徴に、アヘルは男〇を模した塔を建てようとしたのだ。
しかし塔は「はっ? うらやまけしからん、もう許さねぇからなあ」と神の怒りに触れ、中折れする事になった。
ついでにアヘルの男たちは神の世界で保護された、もちろん無期限で返却予定はない。
こうしてアヘルは滅びを待つのみとなった……かに思えたが、そこで登場するのがキューピッド少年である。
彼は神の魔の手、もとい救いの手から逃れ、自身の故郷復興に人生を捧げた。
もう少し言うと「僕が皆さんのお相手になって、アヘルを継ぐ子どもたちを作ってみせます!」と宣言して、生涯をかけて己の体液をかけまくったのである。
キューピッド少年の心とアレは、どのような相手でも決して折れなかったという。
細部と陰部に目をつぶれば良い話に思えてくるから困る。遠距離から媚薬を注入してくるカップリング過激派よりも、こっちのキューピッド少年の方が尊敬できてしまう。
俺でもそう思ってしまうのだから、当然肉食世界の人々はキューピッド少年を讃え、その存在は子孫繁栄の象徴となった。
人口維持組織『キューピッド』は
国の数だけ政治形態はあれど、必ずどの国でもキューピッドは置かれている。
それだけ男女比が偏りまくった世界では人口維持が難しいのだろう。
東にブチ切れる既婚女性が居れば「ワンナイトラブだから」と説得し、未婚女性と旦那の(上手く
西に男性誘拐グループがあればぺんぺん草も残らないほど無に還し、男性を妻の元に戻すか、または自分の伴侶にした。
キューピッドの涙ぐましい活動によって、今日も世界は維持されている。組織の人々がキューピッド少年のような太く固い心根を持つ限り、世界が続いていくのだ。
今日も、明日も、これからも――――とは限らない。
「そ、そんなつもりは無かったんです。まさか超少子化になってしまうなんて……ううぅ」
不知火群島国の『キューピッド』は設立以来最大の危機を迎えた。ついでに元凶である俺も、いつも以上の窮地へと追い込まれてしまった。