CMに釣られて漁師になろうという人の大半が、漁師に対して思い入れもなければ決意もない。
そんな人たちが3K現場に飛び込めばどうなるか……姉小路さんは言っていた。
「無駄に体力があるあちきらでさえ、しんどいと思うことは一杯ありますよ。船からの荷降ろしとか網の入れ替えとか。特に今は夏だから炎天下の中の仕事はフラフラになりますね。まあ、漁師の人たちのように夜明け前から漁に出なくてもいいからまだ楽なんですけど……え? 覚悟と根性のない素人に務まるか? う~ん、休み時間に消えそうで怖いですね」
応募者の全員が悪いと言っているのではない。
きっとやる気も元気も素質もある人だっているだろう。
しかし、玉石混交に集まった初心者をきちんと教育する余裕が漁業組合にあるのか?
面接をして厳選しようにも、少し話をしただけで漁師に適正がある人を的確に見抜けるとは思えない。
急に来なくなる人、事故を起こす人、人間関係をひっかき回す人。
それが数人ならまだいいが、CMの効果で膨大な人数が来た場合のことを漁業組合は考えているのだろうか?
「サザ子はんにとっては常時募集しても人が来んかった漁師希望者が、どかんと殺到するのは大歓迎なんやろうな。前回と今回打ち合わせして分かったわ、サザ子はんら漁業組合は拓馬はんの女性ホイホイ効果を甘く見過ぎとる」
俺の考えを補足するように真矢さんは、起こるであろう混乱について話す。
漁師を目指して大量に脱サラする人が出現し、漁業以外の分野で人不足が出ること。
人が多い分、実地教育が疎かになり海難事故へのリスクが高まること。
漁獲量が増えすぎて南無瀬漁の生態系に影響が出てしまうこと。
「あとは漁船や漁具を人数分揃えられるか、なんて細々した混乱もありそうやな……これらは悲観的な見方かもしれへん。せやけど、起これば厄介なもんばかりや」
「回避する手立てはないんですか?」
「原因は、CMの中で拓馬はんが『楽しそうに』漁をしていること。もっと過酷なところをアピールすれば漁業組合の門を叩く人は減るやろ。覚悟のある少数の応募者、これが理想やねん」
CMは良い所をとにかく宣伝するものだ。
それをネガティブに伝えるだなんて、まるっきり発想が逆転している。
「じゃあ、俺が汗水垂らして苦労しながら漁をするところを……撮れば……って」
言っていて声がだんだん小さくなってしまった。
「拓馬はん、気付いたみたいやけどそら無理やで。男性をあえて苦しませるCMを流そうものなら漁業組合に人やなくて批判が殺到するで。漁師募集どころじゃなくなる」
酷使を禁止された俺を使いつつ、漁のネガティブ面を宣伝しつつ、絶妙な数の募集者を集める、か。
やべっ、どんなCMにすればいいかまったく想像出来ない。
漁業の悪口を俺が言いまくるCMにするわけにもいかないし。
「そしてな、一番の問題があるねん」
「ぐえっ、これ以上何があるんですか!?」
「拓馬はんのCMで集まり、なんやかんやあって無事立派な漁師になったとしてもな。ある日、ハタッと気付くねん」
「な、なにを?」
「漁師になっても拓馬はんとお近づきになれたわけやない。漁師の拓馬はんはCMの中だけの幻やって。それで鬱になる人が出てくるかもしれへん」
それは最初っから承知で応募してくれ……
この世界の女性は男性のことになるとリミッターがぶっ壊れるのか、頭の緩い行動を取りがちになる。
今、真矢さんと討論している内容だって、日本でなら「んなアホな」と一蹴するような話だ。
が、不知火群島国の女性はいつも俺の予想の斜め上を行く。
最悪の事態を想定し、最悪より酷いことになる心の準備をしないといけない。
「まっ、こうやって話し合っているけどな」真矢さんは沈んだ場の空気を払拭するように声を張った。「CMの後の混乱なんてうちらに責任はない。拓馬はんは漁師希望者を漁業組合に集める。それできっちり仕事はこなすことになるんや」
そうかもしれない。
でも、それなら真矢さんが割り切れない表情をしていたのはなぜだ?
以前南無瀬邸の廊下で話した『市場破壊』のように、社会を混乱させたことで俺へのヘイトが高まり、今後のアイドル活動に悪影響が出るのを嫌っているのか。
依頼人である漁業組合の人々が、CMによって大変な苦労を背負うのが忍びないからか。
御免だ。
ベストでないと分かった上で仕事をやって、それでやっぱり予想通り悪い結果を招くのは。
アイドルはお客さんやクライアントを喜ばしてナンボ。俺はまだまだ駆け出しだけど、アイドルとしての最低条件くらいはクリアしたい。
だから、俺は。
「代案を考えようと思います。新人アイドルが先方に意見するなんて身の程知らずなんでしょうけど」
「なに言うてん、拓馬はんは世界唯一の男性アイドルやで。その意思は尊重されてしかるべきもんや。依頼者だろうと無視は認められへん。それで、なんかアイディアあるんか?」
真矢さんは広告代理店と漁業組合のプランを真っ向から否定しなかった。それは代案が浮かばないからなのだろう。
批判だけなら誰でも出来る。みんなを納得させるだけの良案なくして偉そうに言えることはない。けれど。
「今はまだありません。数日だけでもいいんです、猶予をください」
ポンと簡単に出せる妙案があるなら、先に真矢さんが思いつくだろう。
凡人の俺には頭を捻る時間が必要だ。
「了解や。男性だからこそ見えてくる解決策があるかもしれへんしな。サザ子はんたちには、うちからもよ~く頼んでみるで」
真矢さんは考えなしの俺に落胆することなく、むしろ後押しするように力強く肯いた。
漁業組合の事務所に戻り、CM後に起こるであろう混乱とそれに対する代案を考えさせて欲しいとお願いする。
サザ子さんは、そんなことまで俺に考えさせるのは申し訳ない、応募者は何とか組合で対処する。そう言ってきた。
しかし、質の良い応募者を集められるプランがあるのなら、今のプランを破棄することに抵抗はない、とのこと。
広告代理店の人は、CMプランの変更など日常茶飯事なので決められた締め切りまでならお好きなように。という姿勢で俺の話を受け入れ、ついでに広告代理店が使っている絵コンテ用紙まで提供してくれた。
こうして、数日間だけだが俺はCMの変更案を考える任に就くこととなった。
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眠れない。
CM時間は三十秒。複雑な話には出来ない、見た瞬間に理解できるものにしなくては。
漁をしながら、漁業の厳しさを伝えて、でも我が身は綺麗なままにする。
これらの難問を突破するのは、どんなストーリーか?
そんな思考を延々と繰り返し、ノートや絵コンテにアイディアを書いては消し、熱暴走するほど脳を使って案を捻りだそうとしたのだが徒労に終わり。
そして布団の上に倒れて一時間。
疲れているのに眠気がやってこない。
CMへの不安が眠りの世界へ行くのをストップしているのだろう。
かと言って、また机に向き合う気力は湧いてこない。
あ~どうするかなぁ。
ボーッと天井を眺めていると、ジョニーから生理現象を伝える信号が届いた。
気晴らしにトイレでも行くか。
廊下に出て、のっそのっそと歩き出そうとする。
不意に。
この間も同じようにトイレへ向かおうとしたなぁ、と思い出す。
確かあの時は――
「み・い・け・さん♪」
「ひえっ!」
振り返ると気色満面な音無さんがいた。
椿さんもそうだったが、なぜダンゴたちは気配を殺して俺の背後を取りたがるのか。
「トイレ、行くんですよね?」
「え、ええ。はい」
俺が肯定すると「っし!」と音無さんは拳をグッと握った。
寝間着姿でポニーテールを下ろした外見は普段と違って非常にセクシーなはずなのに、行動がアレ過ぎてドキドキも何もあったものではない。
「ではでは! 参りましょう、さあ参りましょう、今すぐ参りましょう」
なんなの、このハイテンションな音無さんは?
手を引いて強引に進み出す彼女に、疲れた俺があがなえるはずもない。
「はい、到着です! どうぞどうぞ心行くまで用を足してくださいな」
トイレのドアを開けて、ハリーハリーと入るよう熱心に勧めてくる。これ、一歩間違えばセクハラじゃね?
出すもの出して外へ出ると、さらに笑顔マシマシな音無さんが迎えてきた。
「もうよろしいですか?」
「は、はぁ」
「ではでは、続いて台所に参りましょう!」
「えっ、どうしてですか?」
「ほへっ?」何を言っているのこの人、という顔をする音無さん。
いや、そういう顔をしたいのは俺の方だから。
「だって三池さん。夜中トイレに行ったら帰りにおにぎりを握らないと気が済まない人なんですよね?」
なにその特殊なシチュエーションで発揮される変態性。
激しく首を横に振って『ねーよ!』という気持ちを最大限に表現すると。
「ええっ! じゃどうしてこの前は握ったんですか!?」
どうやら音無さんは、俺がおにぎりを握った先日の出来事だけを聞いて、それに至ることになった理由までは知らないらしい。
だとしても、俺を『夜中トイレの帰りに絶対おにぎり握るマン』と誤解するのはいかがなものか。
妙子さんのために料理を作っていたおっさんの心意気に感銘を受け、さらにいつもお世話になっている黒服さんたちにお礼がしたくておにぎり握りました。
ということを伝えると、音無さんの周囲に張られていたハイテンションオーラが目に見えるほどハッキリと砕け散った。
「そ、そんな……あたし、三池さんお手製のおにぎりを食べたくて食べたくて、三池さんが夜中にトイレへ立つのを一日千秋の思いで待っていたのに」
人の生理現象を心待ちにされても本当に困るから止めてください。
ゲッソリとなった音無さんを見ていると、なんだか悪いことした気分になる。
まあ、なんだ。音無さんと馬鹿なやりとりをしたからか、重々しい頭が少し軽くなった。
このままさらにリラックスするために、料理をするのは良いかもしれない。
「それはそうと。俺、小腹がすきました。台所に丁度いい具材があったら何か作ろうかなぁ~、もしかしたら作り過ぎちゃうかもな~」
あなたのために料理をしますよ、って音無さんにダイレクトアタックしたら薬物キメたように暴走するからな。ここは変化球だ。
「ヒャハ! その時はあたしが残さず平らげますから心配ご無用ですよ!」
相変わらず立ち直る速度はピカ一である。
「俺の料理を食べるなら、もし具材を使ったことがバレて料理班の人に怒られる時は一蓮托生ですからね」
「もちろんです! あたしが矢面に立ってお守りしますよ!」
なんてことを言い合いながら台所に行く。
さすがに今夜はおっさんの姿はない。最近、腰の痛みが引いて歩けるようになったみたいだし、早く完治するのを願うばかりだ。
台所の電気を点けて、中を見渡した時――
ある物に目が留まった。
次の瞬間、俺の脳内に衝撃が走った。
おっさんと妙子さん。
黒服の人たち。
そして、日本にいる俺の家族。
それぞれの顔が頭をよぎる。
これは、このアイディアは!
「あの、三池さん。大丈夫ですか?」
呆然として立ち尽くす俺に、音無さんが声をかける。
それに答えるより先に、俺は思考を走らせた。
見えた気がする。
新しいCMのストーリーが。
これなら俺が酷い目にあう描写なく、漁業の厳しさを伝えることが出来る。
それ以上にこのストーリーには大きな力が秘められている気がする。
だがイケるのか、不知火群島国に受け入れられるのか。
日本人的感覚が通用するか分からない。
検証が
「音無さん!」
「は、はい!? な、なんでしょ」
「今から俺がやることを見て、率直な感想を聞かせてください」
「何を言っているか分かりませんが分かりました」
「頼みます!」
俺は台所に足を踏み入れ、『それ』の前まで行き、慎重に手に取った。