『男女比 1:30 』 世界の黒一点アイドル   作:ヒラガナ

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古き良き家庭の力

CMは二つのパートから成る。

 

まず漁師パート。

役者ではなく、実際に漁をする南無瀬漁業組合の方々が出演する。

 

荒波の中、漁に出た彼女たちは滴る汗か、はたまた水しぶきを受けたのか濡れた顔を苦渋で滲ませ海を睨む。

海中に仕掛けた網を回収する時は巻き上げ機を使わず、全員が一丸となって網を引く。

若い漁師がへばりそうになるとベテランから叱責が飛ぶ。

 

短い時間ながら、船上の厳しい現場が表現されていた。

 

対してもう一方のパートは、打って変わって静寂に満ち――

登場するのは一人の男性。

彼は『割烹着(かっぽうぎ)』を身につけ、台所に立ち、まな板の上に載せた魚を見ながらため息を吐く。

 

夜になった。

心許(こころもと)ない光量の電灯の下、テーブルには晩ご飯の茶碗や皿が置かれ、その隙間に肘を突き壁に掛かった時計を見る彼。

 

終始、物憂げな表情の彼だったが『チリンチリン』と音が鳴ると、一転して顔を綻ばせ早足で玄関に向かい横開きの扉を開けた。

 

「おかえりなさい」

慎ましいが内心喜びに溢れているのが容易に読みとれる、そんな彼のアップが映され――

 

『過酷な日々の中でも、私たちには帰るべき港がある』

 

と、いうテロップと共に『漁師募集中』という大きな文字と漁業組合の連絡先が画面下に表示される。

 

そして最後に、差し出されたお猪口(ちょこ)に笑顔で酒をつぐ男性の姿でCMは終了。

 

 

なお、漁師パートと割烹着の男性パートは交互に挟まれる構造となり、外で働く者とそれを待つ者の対比が強調された。

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

広告代理店の人が持ってきた映像データを、漁業組合事務所のテレビで視聴する。

 

『二十五秒』の短い映像。

室内の誰もが一秒でも見逃さないよう集中して観ていた。

 

 

夜明け前には出港する漁師が夜に帰宅するのは遅過ぎるではないか、とか。

男性を守るはずのダンゴの姿がまったくないのは不自然ではないか、とか。

 

色々突っ込みどころは多いが、フィクションなので大目に見て欲しい。

 

 

「良いCMですね、漁師であることをこれほど誇らしく思ったことはありません」

サザ子さんがハンカチで目尻を押さえながら感想を言う。

 

「すべてはタクマさんを始め、漁師の方々のご協力があってのことです。今のパターンの他にも微妙に演出を変えたものを幾つかご用意しております。どのパターンが最も良いかはそちらのご意向に従います。キャッチフレーズにご不満がありましたら、まだ変更は間に合いますから私までご連絡ください」

 

広告代理店の人は事務的な言葉の後に「初の男性出演のCMに携われて私共としても大変意義のある仕事です。ご依頼していただき誠にありがとうございます」と、感情を乗せた声で礼を言った。

 

「ふーむ」

 

「妙子姉さんはどう思った?」

 

この場にいるのは五人。

俺、真矢さん、広告代理店の人、サザ子さんの四人は何度も打ち合わせをし、実際に撮影したことでCM内容や意図を熟知している。

対して、妙子さんだけは完全初見である。視聴者視点で意見を欲しいので、これまでCM関連の情報から遠ざかってもらっていた。

 

「凄まじい内容だねぇ。既婚者のあたいでも胸にズドンと来る。特に三池君とあのエプロンの組み合わせは破壊力が抜群だ、よく思いついたもんさ」

 

「俺の国では、古くからある典型的な家事の格好でしたから。不知火群島国でもウケるみたいで一安心ですよ」

 

あのエプロン……俺に解決案をもたらしたのは、南無瀬邸の台所に掛かっていた割烹着だった。

割烹着と言えば、女性が家事をする際に着る衣服として使われてきたもの。

昔を舞台にしたドラマではよく観るし、サザ子さんのお母さんも着てそうだし、まさに古き良き家庭の象徴と言えるだろう。

 

割烹着を台所で発見するまで、俺の頭は自分が漁をするありきでを考えていた。だが、そんなことをする必要はなかったのだ。

積極的に前に出ずとも目立つことは出来る、あえて後ろで控えるからこそ伝えられることもある、そう割烹着は教えてくれた。

 

不知火群島国における割烹着は、長い歴史があるわけでもなく単にエプロンの一種としか見なされていないそうだ。

この世界の女性は男性の目を引くために派手な格好を好む傾向にあり、大人しいデザインの割烹着に人気はない。

 

「うちもあのエプロンを着た拓馬はんを見た時は、頭をハンマーでかち割られたみたいなショックを受けたわ。地味な家庭着を男性が着用すると、より内向的に見える。それが巧いこと家で妻や子を待つ印象を強めているのかもしれへん」

 

「小難しい理屈はなしにしても、あの格好は女性を癒す効果がありそうだねぇ。CMを流すだけで世の女性のストレス軽減が出来そうだ」

 

癒す効果か。

俺が最初に割烹着姿を披露した音無さんは、癒されるどころか浄化されたらしく「わたしは音無凛子。好きなものはサンサンと降り注ぐ太陽の光と小鳥のさえずりです」と関わるのが非常に面倒くさい人になってしまった。

どこぞのアルプスの少女のように、南無瀬邸の庭を天真爛漫に走り回るところを目撃した時は、これはもうダメかも分からんね、と思ったものだ。

 

「しかし、このCMはウケ過ぎるんじゃないか。確かに漁業の厳しさは伝えているが、それ以上にエサが美味しすぎる。考えなしに群がる連中が出そうだぞ」

 

さすが妙子さん。このCMの問題点にすぐさま気付くとは。

 

俺が割烹着を使う考えを伝えた時も真矢さんは簡単に認めてはくれなかった。

しかし、『男性が自分の帰りを待つ』アイディアを捨てるにはあまりに惜しい、ということで……

 

「妙子姉さん、このCMの持ち時間は三十秒なんや。んで、今観た映像は二十五秒。残りの五秒を何に使うか分かるか?」

 

「……いや、見当がつかん」

 

「サザ子はん、例の物の準備を」

 

「まだ全種類とは行きませんけどけど、いくつかのサンプルなら間に合いましたよ」

 

サザ子さんが脇に置いてあった紙袋から出してテーブルに置いたのは――鮮魚の缶詰、貝類の詰め合わせ、干物や昆布、魚肉ソーセージなどなど。

 

一目で分かる特徴として缶詰のフタやパックの表面に割烹着姿の俺がプリントされている。

 

「こ、これは!?」

 

「南無瀬漁業組合はんは魚を市場に卸すだけやなく、特産品として販売もしているねん。それを拓馬はんの写真を使ってブランド化をするんや。CMの最後の五秒はこれら商品の宣伝に使う。もちろん商品は、漁師でない一般人でも平等に買えるで」

 

「なるほど。視聴者にまず商品を買わせ、一度割烹着の三池君を食べてもらい欲望を吐き出させるんだな。そして、淑女モードになってから、漁師を目指すか冷静に考えてもらうわけか」

 

「せや。商品に付いている割烹着拓馬はんでスッキリ満足する連中は漁師に応募せん。これで『漁師が過酷なことを承知してなお熱意を持つ人』をある程度絞り込むことが出来るんや」

 

真矢さんが一字一句を大切にしながら語る。

 

「さらに、ブランド化することで、漁業組合の資金源が増える。これから集まる漁師希望者のために漁船や漁具をあらかじめ用意したりと、金が必要になる場面が多くなる。そうでなくても人が増えれば飛んでいく金はマシマシや。貧すれば鈍、金は余裕をもって用意しておいて、起こる問題には迅速に対処するねん。もっとも数に限界のある魚介類の販売だけではとてもお客の注文に耐えられんから、漁業と関連性が薄いハンカチやタオルの販売もやろうって検討中や……市場を破壊せん程度にな」

 

「これほど南無瀬組の人に手を回してもらい、本当に感謝です。組合の方でも希望者の選別や教育を徹底的にやらせてもらいます。ワタクシの筋肉に賭けて」

 

割烹着を着ればイケるんじゃね?

と出した俺のアイディアが、気づけばえらい大事(おおごと)になっている。

目立つのが好きな俺でも、この世界における男性アイドルの影響力の高さには震えてしまう。

あと『俺を食べる』なんて会話が普通に交わされることにも震えてしまう。

 

「あ、それとですね。最後にコレを」

紙袋の奥に手を突っ込んで、サザ子さんが出したのは藍色の小さなお守りだった。表面に書かれているのは不知火群島国の言葉で『安全祈願』。

 

この『安全祈願』の字、少し崩れた感じになっている。それはワザとやったのではなく、元となる字を書いたのが不知火群島国語に不慣れな俺のためだ。

 

「どうです、タクマさんの筆跡を再現してみたのですが」

 

「再現度高過ぎて不格好になっていませんか? もっと練習して書けば良かったかなぁ」

 

「ええねん。多少おかしい方が味がある」

「三池君の頑張った感は伝わってくるぞ」

「タクマさんの人となりが出ているようで、大変よろしいかと」

 

真矢さん、妙子さん、それに広告代理店の人までもがフォローしてくれたが、誰も不格好な字じゃないですよ、と否定してくれなくて、俺は人知れず心を痛めた。

 

「真矢、これは非売品なのか?」

 

「せや。お守りは組合関係者にしか渡さへん。拓馬はんに釣られて漁師になった人が無理せんように戒めるための物やからな。お守りの文字は拓馬はんの筆跡で、お守り袋の中には割烹着姿の拓馬はんの写真が入っとる一品やで」

 

「もし、これをCMで紹介しようものなら、私でも漁師になろうと決意するかもしれませんね」

 

広告代理店の人がしみじみと言う。

 

「ってなわけで、お守りはしばらく極秘や。漁師の大量募集が終わって、応募者が漁師見習いを卒業した辺りで、こっそり関係者に配る手筈になってんねん」

 

なおこのお守りは大変御利益があるらしく、真矢さん曰く身につけているだけで、俺が身近にいると錯覚させ鬱病から守るそうだ。

安全意識を植え付け、やる気を出させ、メンタルケアまでするとは恐るべしお守り効果。

 

 

「そろそろ時間ですね」

 

サザ子さんに言われて時計を見ると、確かに時間が迫っていた。

 

まだおやつ前だが、漁師のみなさんにとっては終業時刻である。

通常ならこのまま帰宅する彼女らだが、今日はCMを観ていただき、複数ある演出パターンから良いものを選んでもらうことになっている。

CMの漁師パートは彼女たちの協力なくして完成しなかった。だから、CMの重要な決定は漁師の方々の意思に(ゆだ)ねたいのだ。

 

「近くの公民館で上映会の準備をさせていますので移動しましょう。それと、タクマさん。お願いの件ですが……」

 

「ええ、大丈夫です。ちゃんと準備はしています」

 

「無理を言って申し訳ありません」

 

恐縮するサザ子さんを「まあまあ」となだめつつ、俺は今回の仕事の締めについて頭の中で段取りを確認するのであった。


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