朝、廊下で見知らぬ男性とすれ違った。
いや、よくよく見ればその人はおっさんだった。
ただでさえひょろっとした体型が、棒や箸のように細くなっている。ゲッソリした顔からは死相すら出ているぞ。
最近のおっさんは料理を振る舞うことにハマッて、生き生きしていたはず。
昨晩も「これは僕が作ったのだよ。どうだね、美味しいだろ?」と食卓に並んだ己の一品を元気に解説していたはずなのに。
たった一晩で何があったんだ?
今にも崩れ落ちそうなおっさんを支えて、わけを訊くと「ミ,ミイケクンノ……」と声まで細くして語ってくれた。
苦労した聞き取りを、まとめるとこんな感じになる。
・昨晩、俺の音声ドラマのサンプルを南無瀬夫婦が聴く。
・妙子さん、自分たちは本物の幼なじみなのに、音声ドラマのようなシチュエーションをやったことがないと
・おっさん、深く考えもせずに、では今からやってみたらどうかと提案しちゃう。
・おっさん、寝た演技をする妙子さんを優しく起こそうとして、無事布団に引きずり込まれる。
・萌え上がった女傑による、搾取搾取アンド搾取。
という綺麗な流れを辿り、おっさんは精気と生気を搾り取られた。無茶しやがって。
おっさんという予想外の犠牲は出たものの、俺の初の音声ドラマは完成した。
製作にあたり、南無瀬組やファンクラブ運営、収録スタジオとたくさんの人々に協力してもらった。
関係者のみなさんには本当に感謝である。
音声ドラマはファンクラブ特典になるのだが、無料配布というわけではない。
「そらファンクラブ開設記念で無料配布にした方が宣伝効果はあるやろうけど、入会者が多過ぎるねん。全員にタダで配ろうもんなら、いくら製作コストが低い音声ドラマでも大出費や」
また、すでに続編も企画されているそうで、有料販売しないとシリーズ化は予算的に厳しい、とのこと。
真矢さんのもっともな考えによって、音声ドラマはファンクラブ会員限定の商品として売り出される運びとなった。
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世界唯一の男性アイドル・タクマのファンクラブ。
その発足告知は、南無瀬組のホームページにて行われた。
同時にファンクラブサイトが運営によって創設され、南無瀬組のサイトより詳細なタクマの情報が得られる場所となった。
そう言えば委員長さんのお姉さんも、前の会社をアディオスして運営の一員になったらしい。
「まっ、『華麗に』とは行かんかったけどな」と真矢さんがこぼしていたから、何かしらのトラブルはあったみたいだ。
今度お姉さんに会った時に、詳しい話を聞ければいいなぁ。
「開設初日から入会希望メールや電話がわんさか来とるで。運営はてんてこ舞いさかい、南無瀬組から応援を出したところや」
俺の部屋を訪ねてきた真矢さんは、ややお疲れ気味だった。忙しそうだ。
真矢さんに座布団と冷たい麦茶を用意してから、
「俺に手伝えることはありませんか?」と言ってみる。
「拓馬はんの出番はもうちょっと先や。『あれ』をやってもらうから覚悟しておいてな」
「『あれ』って、音声ドラマを聴いた人たちが家に引きこもらないための……」
先日行われたモニターの試験によって、音声ドラマは女性たちをベッドに縛り付ける効果があると判明した。
この引きこもり量産特典が世に広まれば、経済が死に、不知火群島国が崩壊するかもしれない。
冗談みたいな分析結果に笑うしかない。
ファンに満足してもらおうと頑張った結果、生物兵器を作ってしまった俺の心中を誰か察してくれ。
音声ドラマの悪影響を防ぐ、そのための策を真矢さんは考案して、現在実現に向けて動いている。
「『あれ』については南無瀬テレビの許可が得られたで。向こうとしても願ってもない申し出やったようや。うちらの話に鼻息荒く食いつきよった……そんで」
真矢さんが横に置いていた紙袋に手を突っ込んだ。
「これが、拓馬はんの衣装や。サイズが合っとるかちょっと確認してくれんか?」
「分かりました」
受け取ったのは、黒いローブ。
フードまで付いていて、頭からすっぽり全身を真っ黒に染められる。邪神の信徒が好みそうな怪しさだ。
ローブは部屋着の上から羽織れるので、たとえどこぞのダンゴに着替えを覗かれても恐れるものはない。
「ふふふ、三池さんったら今度はどんなコスするんですか?」
「見てから脳内ファイル保存余裕でした」
おっと、早速現れやがった。
ローブを装着している間にいつの間にか部屋に侵入したダンゴたちが、熱い視線を向けてくる。
自前の座布団まで持ち込んで、すでに居座りモードだ。
「あんたら仕事はどうしたんや?」
「やだな~、ちゃんとやってますよ。ただ三池さんの部屋から香ばしい気配がしたので駆けつけたんです」
「三池氏は隙あらば萌えを開拓するから油断ならない。素晴らしきフロンティア精神」
ダンゴたちの行動にお小言を並べても今更仕方ない。魚に陸上の歩行を教える人はいないだろ。
「それより、どうですかこの格好?」
両手を開き、黒のローブをアピールする。
「露出度のなさは遺憾の意だが、ミステリアスな感じはグッド。謎のベールを(物理的に)はぎ取らなきゃいけない使命感が湧いてくる」
「どこかの宗教の人みたいです。三池さんが教祖になったらマサオ教だって相手になりませんね。すでに信者数なら相当なものですし」
今回の俺の仕事着は、二人が言うミステリアスな宗教家を気取ったものではない。
この服装は――占い師を
南無瀬テレビの朝と言えば、『南無瀬モーニングニュース』、地域の情報を重点的に取り扱うローカルニュースのお手本のような番組である。
その一つのコーナーをこの度、俺は受け持つことになった。
やるのは、衣装を見れば簡単に予想出来ると思うが『占いコーナー』だ。
日本のニュース番組で出てくる占いと言えば、星座や誕生月ごとに運勢を占い、適当にラッキーアイテムを紹介するものであった。
不知火群島国でも通用するかちょっと試してみるか。
「音無さんや音無さん」
「はいはい、なんでしょうか三池さん?」
「音無さんの今日の運勢は、
金運:☆☆
健康運:☆☆☆☆☆
仕事運:☆
恋愛運:☆☆☆
ラッキーアイテムは貝殻。仕事が上手くいかない日ですが、無駄に健康なので大丈夫です」
どうだ?
初めてにしては、悪くない占いっぷりではないだろうか?
そう思って周囲の反応を見ると……
真顔になった音無さん。
と、彼女の腕をガッチリホールドする椿さん。
そして、『あちゃ~』と額を押さえる真矢さん。
あれれ~おかしいぞ~
いきなり不穏な空気になっちゃったけどどういうこと?
「あかんで拓馬はん!」
「うえっ!? 今の占いの何が不味かったんですか?」
「恋愛運や」
真矢さんが言うには、不知火群島国において恋愛に関する占いは
この世界は恋愛が
そこをほじくり返して動揺を与えるのは残酷な行為だと見なされる。
世知辛えぇ……
「けど、男の拓馬はんが恋愛運を占うと、もしかしたらって淡い期待が生まれるんや。見てみ、音無はんのあの姿を」
真矢さんが指さした先では、
「ラッキーアイテムを集めなきゃ! 貝殻! 貝殻! そうすれば、恋愛運がさらに上昇して三池さんとフラグが立つ!」
「冷静になって、凛子ちゃん。ん、冷静になっても普段の凛子ちゃんではお話にならない……冷静に狂って、凛子ちゃん。季節はずれの潮干がりをしたところで立つ物も勃つ物もない」
近場の砂浜に突撃しそうな相方を押さえつけて、安心と信頼の腹パンを始める椿さん。いつもながら良い音を出している。
その光景を見ながら、俺は決意するのであった。
「恋愛運は削除します。ラッキーアイテムも面倒くさいことになりそうなんでポイッで」
「賢明な判断やな」
やたら簡素化しそうな占いコーナーであるが、予定では毎朝七時くらいに放送される。
出勤、登校前に観て、それから家を出るのに良い時間帯だ。
テレビを観ようとすれば、起きるしかないわけで、音声ドラマの世界に浸っていられない。
すなわち占いコーナーは、トリッパーたちに覚醒を促す目覚ましなのだ。
コーナーの終わりには「今日も元気に行ってらっしゃい。二度寝はダメだぜ☆」と言うことにもなっている。
椿さんがグロッキーになった音無さんを引きずって隣室に引っ込んでからも、占いコーナーの件を詰めていく。
「占いコーナーの時間は二分や。収録は一週間分を一気に撮るんやけど、一放送二分なら拓馬はんの負担は軽く済むやろ」
某ニュース番組に毎日出ている某オリーブオイルの人もそうだが、小コーナーは撮り溜めされることが多い。
数分のコーナーのために多忙なスタッフが毎回集まるのはナンセンスなので、妥当な方式だ。
が、撮り溜めというのは何となく
そのため出演者の服装を細かくチェンジしたり、背景セットを少し変えたりと、同じ日に一気撮りしたと気付かせない小細工をする。
注意深くニュースのコーナーを観察してみるといい。
ある日を境に出演者の髪が一気に伸びる、という珍現象が発生したら……ああ、収録日が変わったんだなぁと分かるはずだ。
その点、占い師の衣装は優秀である
何しろいつも同じ黒ローブなので、収録中に何度も着替える必要がない。
髪の問題についても、フードをするので視聴者に気付かれにくい。もっとも俺の顔までフードで隠れると視聴者が怒るので、被り方は撮りながら調整しなければならないが。
ともあれ、音声ドラマを流布すると同時に、俺の新たな仕事が始まる。
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「音声ドラマはダウンロード販売せんで、パッケージ販売のみにする。ジャケットは、枕元で微笑む拓馬はんの写真を使うで。ファンとしては形に残るグッズの方がええやろ」
ファンクラブ限定製品ということで、違法ダウンロードの対策には力を入れなければならない。
音声ドラマを記録するCDのような媒体には、当然のように強力なコピーガードが施されている。
「あと音声ドラマを販売するのは当面、南無瀬領だけや。拓馬はんの占いコーナーは南無瀬領でしか放送されんし、ファン全員分の生産が間に合ってないしな。他の島のファンには音声ドラマ以外の写真や小物の限定商品でしばらく我慢してもらうわ」
それに販売地域を制限すれば、音声ドラマの威力が俺たちの想定以上だった場合でも、被害が出るのは南無瀬領だけで済む。
真矢さんがあえて言わなかったことを、自分の中で噛みしめる。
ファンクラブ特典一つで大騒動だ。
世界で唯一の男性アイドルになると、心配することが多くて大変である。
しかし、悪いことばかりでもない。
特典のおかげで、ニュース番組に毎日登場することが出来るようになった。
毎朝お茶の間にお邪魔出来れば、世の女性たちは俺に慣れていくだろう。
そうすれば、男に対する面識なさにテンパった奇行に走る女性は少なくなるはず……なればいいなぁ。
「せや、最後に伝えたいことがあんねん。新たな企画や」
「ぽんぽんアイディアを持ってくるなんて、真矢さんって凄いですねぇ。どんな企画なんです?」
「むふふ、そ・れ・は・な」
ピンと伸ばした人差し指を口元に当てて、真矢さんは可愛らしく言った。
「『サイン会』を開こうと思ってんねん。せっかくの音声ドラマや。それに拓馬はんのサインを書いて、ファンに渡すイベント。どや、おもろそうやろ?」
「サイン会って……え、本当に出来るんですか?」
「ファンクラブを作ったのにファンとの交流イベントがないのは、拓馬はんとしても悲しいやろ。うちがお膳立てするで」
「でも……」以前音無さんと椿さんに交流イベントを行うのは「ない」と即答されている。警備上難しいようだが実現可能なのか?
「拓馬はんの心配はよう分かっとる。まっ、うちに任しとき……ふふ、手段はいくつもあるさかい」
なんだか、真矢さんの最後の言葉が怖く聞こえた。
大丈夫だろうか、俺の安全も、ファンの身も。