『男女比 1:30 』 世界の黒一点アイドル   作:ヒラガナ

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黒一点アイドル式サイン会

「お疲れさまです」

 

「ヒョォ! た、タクマ君! なんでここに!?」

 

「差し入れですよ。はい、これどうぞ」

 

そう言って袋に入ったパンを渡す。ただのパンと侮ることなかれ、開店一時間前から行列を作る有名パン屋の人気商品だ。

 

それを受け取ったのは、委員長さんのお姉さん。

ファンクラブ運営のスタッフとなった彼女は、動きやすいラフな服装で、設営業者に指示を出しながら忙しく会場のセッティングをしている。

歩きながらでも食べられるパンを差し入れにしたのは、正解だったようだ。

 

アイドルたる者、スタッフとの信頼関係を厚くしなければならない。スタッフに嫌われるようでは良い仕事は出来ないし、新しい仕事のお声を掛けてもらえなくなる。

日本の事務所では散々言われてきたことだ。

 

「お、美味しいです! タクマくんからこんな美味しいパンをもらって、私、私は……うっ」お姉さんは毎度のように崩れ落ちそうになったが「……う、ぐぬぅ、はぁ!」と持ち直した。

気絶癖を克服したのか、成長しているんだなぁ。

 

 

 

さて――

 

ここは、南無瀬市民体育館。

南無瀬領では最も広い体育館である。バスケットコート六面分のフロアを貸し切って俺のサイン会は開かれる。

と、言ってもいきなり大人数のファンを呼ぶわけではない。まずはモニター百人を動員して、サイン会が滞りなく行えるかのテストをする。

 

「セッティングの状況はどうですか?」

 

「そ、それは」

 

お姉さんが口を開いたところで、

 

「まあまあ、タクマさん。お忙しいところ、私共の様子を見に来て頂きありがとうございます。それに差し入れまでご用意してもらえるだなんて」

 

こじゃれた中年の女性が柔和な笑みを浮かべて、会話に入ってきた。

この人も運営スタッフなのかな?

 

「ゲエッ」

ん、お姉さんからイメージに合わない声が出たような……まさかね。

ガチガチに固まったお姉さんの様子からして、中年女性は運営の中では立場が上の人なのかもしれない。

 

「俺のために、スタッフのみなさん頑張ってくれているんです。そんな恐縮せずに、差し入れを受け取ってください。はい、どうぞ」

中年女性にもパンを渡す。

 

「タクマさんは偉ぶらず謙虚な方ですね。こんなに有名になりましたら、傲慢になっても不思議ではないですのに」

 

「はは、俺なんてまだまだですよ」

 

謙遜ではない。

日本のアイドルたちと自分を比較すれば、とてもじゃないが天狗にはなれない。

ファンクラブ特典の活動ではトーク力の低さを痛感したし、成長しなければならない点が一杯だ。

俺はまだまだ発展途上、そう肝に銘じて頑張らねば。

 

それにこの世界の女性に対し、傲慢な態度なんて絶対に無理だ。

彼女たちをネガティブに追い込めばどうなるか……

プッツンして俺を強漢(ごうかん)せんと襲いかかってくるかもしれない。ブルブルである。

 

「ふふふ、あ、そうでした。セッティング状況でしたね。まず、モニター席に関してですが――」

 

中年女性は、設営に携わっていない俺にでも分かるように噛み砕いた説明で、しかし要点はしっかり押さえた報告をしてくれた。

ちょっと話しただけなのに、その有能さが伝わってくる。

こんな頼もしい人が運営にいてくれるとは、有り難いことだな。

 

「よく分かりました。ありがとうございます」

 

「いえいえ、私たちはタクマさんとファンの架け橋です。困ったことがありましたら、何でもおっしゃってください」

 

「はい、その時はぜひ! じゃ、俺は差し入れを他のスタッフや業者さんにも配るんで、これで失礼します」

 

お姉さんと中年女性に一礼して、その場から離れる。

笑顔で見送る中年女性と、まだガチガチなお姉さん。

なんだか不思議なコンビだな。

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

「ここにおったんか、拓馬はん」

 

パンを配り終えたところで、真矢さんがやってきた。

 

「こない人の多い場所で、一人になったらアカンやん」

 

「一応音無さんと椿さんがいますよ。ほら、あそこに」

 

差し入れする際に、両脇をダンゴで固めて接近するとスタッフに余計なプレッシャーを与えてしまう。そこで、ダンゴたちには十メートルほど距離を置いて付いてもらっていた。

 

「それに運営の人たちって、俺のことを如何わしい目で見てこなかったですよ。みんな信頼出来そうで安心しました」

 

「そら、うちと妙子姉さんがスカウトした人たちやから、人間性と理性の強さは保証するで」

 

「優秀そうな人が多そうですよね……ほら、あの人とか」

 

委員長のお姉さんや若手のスタッフに指示を飛ばす中年女性に目を向ける。

 

「ああ、あの人やな。彼女はスカウトしたわけやないんや。自分から売り込んで来よった」

 

「え? けど、運営の人材って極秘に集めていたんじゃ?」

 

俺の問いに、真矢さんが渋い顔をして言った。

 

「この前、うちがスカウトした女性がいたやろ。ファンクラブの運営になるためなら、上司に蹴りを入れてでも今の会社にケリを付ける、って豪語しとった」

 

お姉さんのことか?

 

「んで、その上司ってのがあのナイスミディな女性や。突然退職を願い出た部下の様子が不自然だったんで、カマ掛けたり誘導尋問したりしてファンクラブ運営の存在を知ったらしいで。ほんで、会社中に退職理由を広められて全社員の殺意の的になりたくなかったら、自分も運営に入れるよう便宜を図れ、って脅したんやって」

 

お姉さん! 

上司に蹴りを入れるどころか、思いっきり付け入れられているじゃないっすか!

 

「うちの方で面接してみたんやけど、合理的で有能な人やから採用したんや。早くも頭角を現して、運営スタッフのリーダーになってもうた。いやはや恐ろしい人やで」

 

真矢さんにそこまで一目を置かれるとは。

あの中年女性には敬意を払いまくろう、絶対に不興を買ってはいけない――華麗にアディオス出来ず、前の会社と同じようにこき使われているお姉さんの姿が、俺にそう決心させた。

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

運営スタッフや設営業者の力によって舞台が整った。

 

体育館奥に高さ二メートルほどのステージが築かれ、その上に仮設の平屋が建てられた。何の趣向もない立方体だが、プレハブではなくしっかりした造りである。

 

ファンは一人ずつ平屋に入って、中でスタンバイしている俺からサイン付きの音声ドラマをもらい、少し会話してから出ていく。そういう流れになっている。

なぜ、サイン会でこんな大がかりな物を用意する必要があるのか……と疑問に思ったが。

 

「大勢の前に拓馬はんが出ていったら、一斉にファンが突撃してきてモミクチャにされてまうわ。ダンゴや南無瀬組だけでは守りきれんかもしれへん。せやから頑丈な建物の中で一人ずつと会うようにするんや」

 

それならば、わざわざ建物を一から作らなくても体育館のどこか小部屋を使えばいいのでは……と思うかもしれないが、この平屋にはサイン会のための特別な内装が施されている。

 

平屋の外観は装飾が一切なく変哲もなかったが、内部は変哲だ。

一言で表すなら『刑務所の面会室』だろうか。

部屋を仕切るように厚いアクリル板が張られ、俺とファンが接触出来ないようになっている。それに合わせて平屋の出入口は俺側とファン側で一つずつ作られている。

ちなみに窓はなく、外から室内の様子は分からない。

 

アクリル板にはチケット売場のように通話口として小さな孔が放射状にいくつか空けられ、さらに音声ドラマのケースが通過出来るよう、細長い孔が作られた。

 

面会室と言えば、机を挟んで対面しながら話したりするものだが、ここはちょっと異なる。

机はある。ただし俺が待機する側だけで、長机の上にはサイン入り音声ドラマのケースが平積みされている。

椅子についてだが、ファン側にはどうしても椅子を置けない事情があるので、これも俺側にだけある。

 

 

「拓馬はん、どうやらモニターたちがフロアに入ってきたようや」

 

「いよいよですね、なんだかあたしまで緊張してきました」

 

「問題ない。やるべきことに変わりなし」

 

いつもの三人が、アクリル板で区切った部屋の俺側で待機する。

真矢さんはサイン会を間近で分析するため、ダンゴ二人は俺の護衛のためだ。

 

それにしてもこのイベント、サイン会と呼称しているが、ファンの前で俺がサインを書くことはない。

すでにモニター百人分のサインは書いているので、正確にはサイン付きの音声ドラマを渡すイベントだ。

 

こんなやり方になってしまったのにはいくつか訳がある。

 

まず、不知火群島国の文字に俺が不慣れなこと。

サインを書いた後にファンから『タクマから○○へ愛を込めて』って書いてください、と頼まれても困る。

人の名前を間違って書くのは失礼だし、それなら最初から書かない方がマシだ。

 

それに時間と体力の問題もある。

今回はモニター試験ということで百人だけで済むが、本番はもっと多くのファンを(さば)かなければならない。

すると、サインを書く時間が長大し、また膨大な量のサインを書く労苦を背負うことになる。

男性にそんな過酷なことをさせられない、という人一倍俺のことを心配するマネージャー兼プロデューサーの考えもあり、サインは事前に書いておく、ということになった。

 

目の前でサインを書けないのは少し残念だが、その分――

「みんなが喜ぶ応対をやってみせますよ!」

やれることを全力でやろう。

 

「気合があるのはええ事やけど、この部屋にモニターが来るまでもうちょいかかるで」

 

そうだった。

ステージ前には、パイプ椅子が人数分用意されている。百人のモニターはそこに座り、順番ずつ平屋に入ることになるのだが……その前に精神安定を図るイベントがあるのだ。

 

 

防音が施された平屋からでは外の様子が分かりにくい。

そこは、

「環境映像の上映が始まったで」

外の組員さんと連絡を取り合う真矢さんが状況を教えてくれる。

 

現在、モニターたちは俺に会えるということで狂喜状態らしい。

このまま顔を合わせてしまうと、彼女らは気絶や狂乱を起こす可能性がある。

アクリル板に顔面から突撃してくる女性など見とうない。

 

そこで、真矢さんが策を用意した。

 

その一つが環境映像。

シアターセットを使って、ひたすらこの世界の雄大な自然を流し続ける。青々とした山々とか、たゆたゆと流れる小川とか、のんびりくつろぐ生き物とか。

これぞ和みと言える映像でモニターの野生を消毒するのだ。

 

さらに、BGMは安眠効果があるというリラクゼーションミュージック。(さえず)りやセセラギと言った穏やかな音でモニターの野生を叩き潰すのだ。

 

また、会場中にはリラックス効果がある花のアロマを充満させている。鼻孔を通る安らぎでモニターの野生をチリすら残さず滅するのだ。

 

さすがに個人の体質に大きく関わる精神安定剤を配るのは止めたが、代わりに心を落ち着かせる緑茶を飲み放題にしておいた。

 

ここまでして、十五分が経った頃。

 

「場内の喧噪はなくなったようや。そろそろ一人目を通すで。準備はええな?」

 

「いつでもどうぞ!」

 

俺のサイン会が始まった。

 

 

 

アクリル板の向こうのドアが開く。

記念すべき最初のモニターがやって来た。

「待っていたぜェ!! この"瞬間(とき)"をよぉ!!」

 

!?

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