『みんなのナッセー』の特別公演が目前に迫っている。
そこで本日はナッセープロダクションのスタジオを飛び出し、南無瀬市民会館のホールでリハーサルをすることになった。
「おはようございま~す」
舞台入りした天道咲奈が、スタッフたちに元気に挨拶をする。
前回の稽古のぎこちなさはない。俺を狙うことはスッパリ諦め、舞台に集中することにしたのかな。
と、期待したのだが――
「あっ!」天道咲奈が、先に着いていた俺に気付き声を上げる。
その顔は笑顔だった。ヤスリで磨きに磨きをかけたような笑顔だった。
なぜ?
この前のやりとりで徹底的にダメ男を演じ、天道咲奈から嫌われた……はずなのに、彼女は嬉しそうにこちらへトコトコ駆け寄ってくる。
「おはよう! タッくん。今日もがんばろうね! この前みたいに分からないことがあったらお姉ちゃんに何でも聞いてね」
タッくん? お姉ちゃん?
「え……あ、あの咲奈さん?」
「も~う、咲奈さんってよそよそしい! お姉ちゃんって呼んでいいんだよ~。それと、まずは挨拶をしよっ。挨拶は基本なんだよ。はいっ、おはようございます!」
「お、おはようございます」
「うん、よく出来ました! タッくん、えらいえらい♪」
パチパチと手を叩いて俺を褒める天道咲奈。
なんぞこれ?
天道咲奈が変だ、俺との接し方が今までとまるで違う。
どんな意図があって態度を変えたかは分からないが……挨拶を返したくらいで拍手される、しかも十歳の少女からという構図は、すっごく恥ずかしいから止めてくださいお願いします。
「咲奈さん、どうしちゃったんでしょう?」
天道咲奈が魔法少女みりはの衣装に着替えるため一旦舞台からいなくなった隙に、真矢さんたちに相談を持ちかけた。
「あれは不味いですね」
「実に不味い」
「やってもうた、ああなる危険性はあったのに」
三人は思い当たる節があるのか、苦虫を噛み潰したような表情をする。
「ああなるって? 一体咲奈さんに何が起こったんですか?」
俺の問いに、
「ブラ
椿さんが答えた。「えっブラコン?」
「男兄弟を持つ女性にしばしば見られる病気。兄弟が愛しくて愛しくてべったり構ってしまう、魂に刷り込むほどの難病。兄弟が兄か弟かで症状は異なるものの、天道咲奈の場合、三池氏を弟として見て過保護になっている」
「ま、待ってください! 弟? 俺の方が咲奈さんより倍くらい年上でしょ。なんで弟扱いされるんですか!?」
「天道咲奈にとって実年齢は関係ない模様」
「この間の情けない態度があかんかったんや。あれで、天道咲奈の中の姉欲が目覚めてもうた」
「『この子は一人じゃ何も出来ないんだ、お姉ちゃんが面倒みなきゃ!(使命感)』ってことですね。血の繋がらない他人をブラ魂にするなんて、さすが三池さん」
嫌われようと誘導したはずが、逆に『ガンガン行こうぜ』のスイッチを入れてしまったというわけか。
良かれと思ってやったことが相手を傷つける――そんな話はたまに聞くが。
悪かれと思ってやったことが相手を姉化させる――とは読めなかった、この俺の目をもってしても……
「天道咲奈は天道家の末妹。姉たちに頼ることはあっても、頼られる経験はなかった。そんな彼女に、男性である三池氏が『うるうる瞳で助けを求める』という劇的な初体験を与えた。あんなことをしたら誰だってブラ魂にならざるをえない」
「人聞きの悪い言い方しないでくださいよ! と、とにかくナヨナヨした態度で接触する策は失敗だったわけですね……なら、大人として毅然と接するまでです。そうすれば、咲奈さんだって俺を弟扱いするのは止めるでしょ」
「そうでしょうか?」
「せやろか?」
「……ふっ」
みんな俺の言葉を信じない。椿さんに至っては鼻で笑う始末だ。
くそぉ、見てろよ。
天道咲奈相手に堕落したり空回ったりした俺だが、いい加減に大人の威厳というものでぎゃふんと言わせてやる!
――そういうわけで、天道咲奈が戻ってきた。
今日も今日とて、魔法少女みりはの格好が反則的に似合っている。ファンシーで非現実的な衣装のはずなのに、コスプレであることを忘れてしまいそうだ。
これならアニメのコアなファンもニッコリである。
「タッくん! タッくん!」
咲奈さんが俺の所へ急行して、そのまま腕に絡み付いてきた。
乱暴に振りほどくわけにもいかず、とりあえず抗議の色を含んだ声を出す。
「なんですか?」
「ううん、なんでもない。呼んでみただけ」
これ姉の反応やない、恋人のそれや!
近親相○狙いまくってるやん!
ヂッ!!
舞台袖の方から不穏な音がしたので顔を向けると、男性アイドル事業部の三人が剣呑な雰囲気で、俺の腕に取り付く少女を睨んでいた。
ヂッ!!
何の音かと思えば、舌打ちか。
チッという舌打ちに濁音が付くほど、三人は怒り心頭のようである。
あの表情を言語化すれば「うちらのタクマに手ぇ出してんじゃねえよ、ガキが!」と言ったところか。
これ以上のスリスリを許せば、天道咲奈が物理的に削除されかねない。
その前に穏便に話をするとしよう。
「咲奈さん」
俺は天道咲奈の腕を外そうと試みながら言う。
「俺たち、もう少し距離を取った方がいいと思うんだ」
なんだかこの言葉だけ切り抜くと、末期のカップルみたいだな。
「何を言っているの、タッくん? 姉弟はずっと傍にいるものだよ。それに咲奈さん、なんて他人みたいに言わないで」
いや他人でしょ!
俺は天道咲奈を見つめた。
相手を子どもとは思わず、正直な気持ちを吐露しよう。
「この前は台本の翻訳とか色々お世話になりました、ありがとうございます。咲奈さんは本業の方の舞台で忙しいのに、コラボ先の俺のフォローまでしてくれて、感謝しかありません。だからこそ、もうこれ以上ご迷惑をかけるわけにはいかないんですよ」
「えっ、わたし全然気にしてないよ」
「咲奈さんがどう思っても、実際に貴重な時間が俺のせいで消費されています。申し訳ないです、本当に。俺みたいな青二才が言うと生意気かもしれませんけど、これからはお互い対等な役者としてやっていきませんか?」
「……タッくん」
天道咲奈の方からギギュッと絡まっていた腕を離した。
「うん、分かった」
おっ! 説得は難航するかと思ったけどすんなりいったか。
やっぱり人間、誠心誠意で話すのが一番なんだな。
「タッくんだってお年頃。そういう時期もあるよね」
「んっ?……あの、時期って?」
「背伸びしたくなる時期ってこと。お姉ちゃんに成長したところを見せたいんでしょ。
「…………」
俺はしばらく口を開くことが出来なかった。
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「大人として毅然と接するまでです」
「そうすれば、咲奈さんだって」
「俺を弟扱いするのは止めるでしょ」
タイムアウトを取り、天道咲奈の所から戦略的離脱をした俺へ、音無さん、椿さん、真矢さんが順にプレッシャーを与えてきた。
「すいませんすいません勘弁してください。俺が現状認識甘々ストロベリー野郎でした」
「まったくしゃーないな、ブラ魂が少し話したくらいで治るなら新聞の三面記事はもうちっと静かなもんやで」
「新聞の三面記事?」
「男性の姉妹と、男性にモーションかけた女性とが流血ファイトしてどちらかが病院送りになるニュースが、よく三面記事を賑わす」
「兄弟に唾付けようとする相手とブラ魂は決して相容れませんからね~、戦争は避けられません。あたしとしては、ダブルKOした記事が一番胸がスッとして好きです」
音無さんの趣味の悪さは置いておくとして、天道咲奈を弟離れさせるのは激ムズだ。
こちらがいくら一人立ちしたい、と言葉を重ねても全て背伸びしたいお年頃に変換されてしまう。
暖簾に腕押し、まったく説得の手応えがない。
そう、言葉では解決出来ないのだ。
で、あるならば……
「こうなったら行動で示します。俺が保護される弟ではなく、一人前の男性と思われるように」
「具体的にどうするんや?」
「コラボ企画の舞台でヘマせず、きっちり役をこなします。で、もう自分は一人でやっていけるって偽りの姉弟関係に終止符を打ちます」
「今はそれしかないか。本番まで後数日や、これ以上余計な小細工をしとったら、舞台の方が疎かになりそうやしな」
真矢さんの言うように小細工はもう止めよう。
なんだか、俺が下手に動こうとすると悪い結果にしかならない……だからストレートに。
「晴れて弟から脱却出来た時には、その勢いで天道家と結婚する気がないと面と向かって言いますよ。最初から俺が男らしく結婚はNOって言っておけばここまで話は拗れなかった、今更ですけどね」
「それがいいかもしれませんね。やることなすこと裏目に出るドジっ子三池さんは萌え要素満載ですけど、締める所は締めるシリアス路線もあたし的には捨てがたいですし」
「だが、舞台の成功で弟離れ、というのは厳しいものがある」
えっ……だ、だめ?
「三池氏の心意気を
椿さんの言葉を遮るように、
「はぁ~い、そろそろ『魔法少女トカレフ・みりは』とのコラボ劇のお稽古を始めるわよぉん。関係者は舞台にあつまってぇん」
青髭がトレードマークのフロアディレクターこと心野オツ姫さんの声が響いた。
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コラボ劇を一言で表すならヒーローショーである。
大まかな流れはこうだ。
まず、ぎょたく君や歌のお姉さんが舞台上で歌ったり踊ったりしている。
すると、急にBGMが止まって『魔法少女トカレフ・みりは』の妖魔戦闘員数名に、幹部でありマッドサイエンティストの『サカリエッチィ』が舞台袖から登場。
サカリエッチィたちは歌のお姉さんそっちのけでぎょたく君を拉致、そのままイイコトするべく連れ去ろうとする。
それを食い止めるべく現れるのが魔法少女みりはだ。
みりはは魔法少女と名乗っているが、実は格闘戦が得意で打撃技はもちろんサブミッションすら極めている。
そんなみりはの獅子奮迅の活躍で戦闘員たちはケチらされ、後はサカリエッチィを倒すだけになる……が、ぎょたく君を
果たして、みりははサカリエッチィを撃破し、ぎょたく君を救えるのか――
と、いう内容である。
所々、スゴい異文化感があるものの日本のヒーローショーに似ている、ような気がする。
……し、しまった。そういうことか!?
稽古で悲劇の
「助けてぇ! みりはちゃぁん!」
「サカリエッチィ、ぎょタッくんを放して!」
俺が役をこなそうとすればするほど、ぎょたく君を助けようと戦う天道咲奈の動きが激しくなる。
舞台が盛り上がるので悪いことではない、けれど何か変だ。
「ぎょたく君」を「ぎょタッくん」と呼んでいるあたり、正義の魔法少女の皮を被ったブラ魂の姉、という様相を帯びている気がする。
俺の熱演に併せて、天道咲奈の中の姉性本能がタギっていくのか。なんてこった!
これじゃあ一人前の大人だと認めさせても、「一人前おめでとう、じゃあお姉ちゃんと大人な遊びをしよっ」という展開になっちまう。
だったら、妙子さんに泣きついて南無瀬組の力で天道家からのアプローチをシャットアウトするか。
でも、相手は天下の天道家だ。
過激な防衛手段で下手に刺激すれば、あちらも過激な手段を用いるかもしれない。
その結果、誰かが傷つくことになったら申し訳が立たない。
天道家には平和的に俺を諦めて欲しい……けど、どうすればいいんだ!
特別公演まで後数日。
俺の不安は増大していった――
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『天道咲奈の愛のタッくん日記』
○月×日
いよいよ、本番が近づいています。
まずは、みんなのナッセーとのコラボ。
その次の日は、みりはの舞台です。
いそがしい毎日だけど、すっごく楽しい。
それもこれもタッくんのおかげだね。
今日のリハーサルでは、タッくんったら涙目でお姉ちゃん助けて、って言っていたの。
も~う、カワイイったらないよね。
思わず力が入っちゃって、サカリエッチィさんを本気でなぐっちゃった。
後でごめんなさいしたけど、タッくんが絡むとどうしても力が入っちゃう。
本番はもっと強くたたいちゃいそう、今のうちにもう一回ごめんなさいしておこうかな。
舞台が終わったら、タッくんを家に連れていかないと。
お姉ちゃんと一緒におうちに帰ろうね~
あ、そうしたらお姉様たちにタッくんを紹介しないといけないのかぁ……
なんかイヤだな、タッ君のお姉ちゃんはわたしだけなのに。