『みんなのナッセー スペシャルステージ』
ホールのエントランスに置かれた大きな看板を前にして、俺はついにこの日が来たのだと実感する。
看板の中央には、ぎょたく君ファッションの俺がデカデカと写っていた。今回の特別公演のウリが何なのか一目瞭然のデザインだ。
俺の写真の横に歌のお姉さんや、番組名を冠しているのに今や永遠の二番手ポジションに落ちぶ……落ち着いた熊のナッセー君が配置されている。
さらに、みりはの衣装を着た天道咲奈の写真も載せられ、『魔法少女トカレフ・みりは』とのコラボを宣伝する物になっていた。
開演は十五時からだ。
午前中のうちに最終リハーサルを行い、その後に軽めの昼食を取った俺は緊張を紛らわすべく、こうやってまだ観客入りしていないホール内をうろうろしているわけである。
お供には音無さんと椿さん、それに――
「む~、この看板。わたしとタッくんが離れ過ぎだよ~。お姉ちゃんと弟はもっとくっ付かないといけないのに」
ふくれっ面をする天道咲奈も一緒だ。姉化してからというもの、『みんなのナッセー』の仕事中はずっと俺に付き纏っている。
「あ~ら静流さん、小娘が年上の殿方相手に何かホザいているざますよ」
「あ~ら凛子さん、夢見がちなのは子どもの特権、大目にみてあげざましょ」
ダンゴたちが嫁をイビる
天道咲奈を俺の傍から排除したいが、直接こちらに危害を加えない限り、つまみ出すことが出来ない。
その鬱憤を大人げない方法で晴らす二人である、なにやってんだか。
「ねっねっタッくん! 次はあっちに行ってみようよ」
だが、二人の
「「ぐぬぬぬ」」
本当になにやってんだか。
ホールには物販コーナーが設けられ、『みんなのナッセー』や『魔法少女トカレフ・みりは』のグッズが置かれている。
おや?
『みりは』の販売テーブルで売られているのは、原作アニメのファンブックやぬいぐるみなのか。今回のコラボの目的は舞台の宣伝なのだから、この機会に舞台チケットを売りさばくものかと思っていたのに……
そのことを天道咲奈に尋ねると、
「うん、ここでチケットを売っちゃう予定だったんだけど、タッくんとのコラボが話題になってもう完売しちゃったの。他の島と比べてもスゴい売れ行きだったみたい。劇団のみんな、とっても喜んでいてお姉ちゃん鼻高々だよ~」
それは良かった。
天道咲奈には複雑な想いを抱えている俺だが、彼女の舞台は手放しで応援している。
コラボのよしみだ。舞台の成功のためなら(貞操関係以外で)協力を惜しまないぞ。
「明日が初日だからタッくんも見に来てね。あっ、チケットがないならお姉ちゃんが用意するよ。ふふ、わたしの力で必ず用意するから……」
ヒエッ!
天道咲奈の
そうか、やはり彼女は『奇跡の年代』を卒業したのか……もう、俺が夢中になった咲奈たんはいないんや。
創作物では日常感覚で起こる奇跡、その儚さを再認識して俺は心で泣いた。
「チ、チケットならコラボが決まった時に送られてきたんで持ってますよ。たしか男性用のSS席。明日はオフですし、観て勉強させてもらいます」
「うんうん、えへへ。お姉ちゃんのカッコいい所をじゃんじゃん見せちゃうんだからね」
天道咲奈が嬉しそうに飛び跳ねて、ツインテールもぴょんぴょん跳ねる。
もし、日本のロリコンがこの光景を目撃すれば「あぁ^~ワイの心もぴょんぴょんするんじゃぁ^~」とお薬キメている人みたいになるだろう。
こういう仕草は可愛いんだよな、こういう仕草は。
「それにしても大変ですよね、今日が『みんなのナッセー』の舞台で、明日が『魔法少女トカレフ・みりは』の舞台だなんて」
しかも天道咲奈は両方の舞台で相当な出番がある。もし、俺が同じ立場だった場合、テンパってしまうのは想像に難くない。
「これくらいヘッチャラだよ。なんてたってわたしはタッくんのお姉ちゃんだもん」
俺の姉であることと、過酷な舞台を乗り切ることにどんな関係があるのかよく分からないが、とにかく凄い自信だ。
豪語する天道咲奈を相手にしていると、意外な人物が声をかけてきた。
「あら、タクマさん。こんにちは」
「えっ、さ、サザ子さん?」
以前、俺にCMの依頼をしてきた南無瀬漁業組合の長であるフグ野サザ子さんだ。
立派な筋肉と焼けた肌、それにもうすぐ月曜日だと見る人を鬱にさせる独特な髪型の持ち主である。
なんでここに? という疑問はすぐに解けた。
今回のスペシャルステージを実現させるにあたり、協賛として南無瀬漁業組合が支援を行っているらしい。
サザ子さんはそのお礼として招待を受け、参ったとのこと。
物販テーブルの一つで、『南無瀬の港』と称えられる割烹着を着た俺のグッズが並べられているのはそういう理由があってのことか。
なるほど、それならホール入口に掲げられた『みんなのナッセー』や『魔法少女トカレフ・みりは』の宣伝
「先日はCMに出ていただきありがとうございました。おかげさまで後進となる若手が増え、漁業組合の未来は明るくなりました」
「いえいえ、俺はキッカケを作っただけですから。新しく漁師になった人をつなぎ止めているのは、漁業組合の人たちの頑張りですよ」
まずは近況報告をしつつ、互いを持ち上げるビジネスな会話をする。
その間、姉欲少女は空気を読んだのか、話にチャチャを入れることはなかった。ただ、真剣な顔で俺をずっとガン見していたのが気になるところだ。
やがて、会話の内容が舞台へとシフトする。
「ワタクシ、生のぎょたく君を見るのは初めてですから、年甲斐もなくドキドキしてますわ」
サザ子さんの言葉に「ご期待に沿うよう全力を尽くします」と返そうとしたところ、
「任せて! タッくんのフォローはわたしがしっかりしますから」
話が舞台関係になったことで天道咲奈が会話に加わった。両手を腰に当て胸を張っての宣言だ。
「あら、こちらの方は……天道咲奈さんですよね。ご活躍は聞き及んでおります。そうですか、天道さんが付いているなら安心ですね」
「はい! お姉ちゃんとしてタッくんの晴れ舞台を盛りに盛り上げてみせます!」
「まあまあ」
さすがは組織のトップ。俺のお姉ちゃんを自称する少女を前にして怪訝な顔をすることもなく、頬に手を当ててニコニコ笑う。
これぞ余裕のある大人の対応か。
視界の端で「ざますざます」と姑劇場を繰り広げているどこかのダンゴたちとは器が違う。
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「それでは、出演する方々をあまり拘束するのも悪いですし……ワタクシはこれで」
サザ子さんと別れると、良い時間帯となっていた。
そろそろ控え室に戻ろう――の道すがら。
天道咲奈がこんなことを言った。
「ねえ、タッくん……タッくんって変わってるよね」
「えっ?」
「男の人って、女の人が怖いからあまり外に出ないって聞くよ。でも、タッくんはどんどん人前に出て、たくさんの女の人と仲良くしてる。これじゃ、お姉ちゃんは……」
どうしてしまったんだろう?
元気満々だった姉属性少女が、急に肩を落として顔を伏せてしまった。
「あの、咲奈さん。大丈夫ですか?」
「……んっ! 大丈夫! おかしなこと言ってごめんなさい!」
「いや、でも」
「それより、行こっ。もうすぐ開場時間だよ!」
見るからに影のある笑顔を背負ったまま、天道咲奈は歩き出した。
その背中に、俺は嫌な予感を抱いてしまった。
開場から三十分が経とうとしている。
もう間もなく開演だ。
控室には、舞台上や客席を映すモニターが備えられている。
それを観るに客入りは満員状態。
スペシャルステージが始まるのを待ちきれないのか、幼女たちはお行儀よく椅子に座るのを放棄して動き回っている。
その映像の中に「……あれ?」俺は珍妙な集団を見つけた。
特攻服のような出で立ちの女性が、前列の方に数人固まっている。
見覚えがあるな、たしか姉小路さんを襲った『
今回の舞台は小さい子とその母親に優先してチケットを配布したようだが、それ以外の年代の人だって来ても不自然じゃない。
お客さんなのだからどんな人でも歓迎するべきなのだが、『特好のタク』か……問題行動は起こさないでくれよ。
天道咲奈の見せた意味深な挙動。
そして、『特好のタク』。
俺の胸騒ぎを置いて行くかのように、『みんなのナッセー』のスペシャルステージの幕が上がった……