『男女比 1:30 』 世界の黒一点アイドル   作:ヒラガナ

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覚醒少女

「着色スプレーが空なのぉぉおお! 予備持ってきてえええ」

 

「サカリエッチィの画像まだああぁん! 朝までに試写テストやるのぉぉ!!」

 

「ライトの位置を変えるぅぅぅよほぉぉお! 手ぇ貸してえええ!」

 

アヘ顔とアヘ声の大盤振る舞いをしながらみなさん作業をしていらっしゃる。

 

「ここでパネルを四枚追加! 四枚よぉぉ!」

 

と、言いながらダブルピースするスタッフさんの姿も。四を主張するにしてもなぜダブルピースを……

 

慎みとか人間的尊厳のない光景に思わず目を背けたくなる。酷い、掛け値なしに酷い。

だが、見て見ぬ振りは出来ないのだ。

なぜならこれもまた、俺が作った光景なのだから。

 

 

 

――時を少し遡らせて。

 

 

「三池君、待たせたね」

「用意に手間取ってしまいましたわ」

 

助っ人たちが加わり賑やかさを増す現場に更なる増援がやってきた。

南無瀬組のボス・妙子さんと、南無瀬漁業組合のトップ・フグ野サザ子さんだ。

ピンチの時に、この巨体二人は頼もしく感じてならない。

後ろには南無瀬組の黒服さんたちと、漁業組合の漁師さんたちがいた。皆一様に食器類を抱えている。

みんな自分の仕事があるだろうに、わざわざ来てくれたのか。

 

「腹が減っているだろ。夜食を持ってきたんだ。あたいの旦那が三池君や作業している人たちに、って必死で握ったおにぎりさ」

「陽之介さんが……」

 

黒服さんが持っている複数の大皿の上には百個以上のおにぎりが載っている。おっさん、体力がないのにここまでやってくれたのか。

 

「旦那もここに来たがっていたんだが、夜中に外出させるわけにもいかないからな。ただ、明日の本番は必ず声援を送りに来るって言っていたよ」

おっさん、ありがとう。その気持ちだけで心が温かくなるよ。

 

「ワタクシ共の方では、汁物をご用意しましたわ」

サザ子さんの横で漁師さんの一人が大鍋を持っている。いつぞや見た大鍋だ、ってことは中身は。

 

「お察しの通り、魚介スープですわ。以前、タクマさんがワタクシたちに振る舞ってくれた物です」

「悪いですよ。サザ子さんたちには直接関係ないことなのに、こんなご馳走を用意してもらって」

「いいのです、乗りかかった船ですわ。タクマさんが困っていると分かっているのに、何もしないなんて出来ません」

うんうん、と他の漁師さんたちもハニカミながら頷いている。

 

「みなさん……」

ほんと、今夜は人の好意が身に染みるぜ。

「それでですね、タクマさん。もし宜しければ、タクマさんの手で魚介スープを配っていただけませんか? この前の公民館でやったように」

 

そう言って恥ずかしげにサザ子さんが取り出したのは、割烹着だった。

公民館の再現をするなら割烹着は必須ってことか。

 

「それくらいでしたら喜んで!」

 

まだ台本の直しが終わっておらず、俺自身は手持無沙汰だ。少しでも他の人の手助けが出来るなら、配膳でも何でもお任せあれ!

 

 

そういうわけで休憩室に机や食器類が運ばれ、即席の夜食コーナーが作られた。

『南無瀬の港』姿になった俺は、漁業組合のCMで見せた笑顔でスタッフさんたちを迎え、魚介スープをよそい、おっさん製おにぎりを手渡す。

 

スタッフの女性たちは、こぞりにこぞって帰港し、拝みながら夜食をもらい、料理漫画ばりのリアクションを取った後、アヘアヘしつつ出港して行った。

 

これほど人間の理性が逝くのを、まざまざかつスムーズに映す光景が他にあるだろうか。

その流れの見事さは、ドン引きするのを忘れて感心してしまうほどだった。

 

しかしである。

あんな状態で作業に戻って、まともに仕事が出来るのだろうか――と疑問を持った俺だが、後で様子を見に行った限り、言語中枢と表情筋に致命的な損傷を受けた以外はみんなアヘアヘ前より精力的に動いていた。

言葉と顔はだらしないのに、動きは有能。狂気を孕み過ぎじゃないですかねぇ……

精神キメちゃった集団の仕事風景はR指定ものだが、仕事はちゃんとしているし非常事態だしこのまま突き進もう。あれこれ心配する余裕なんてないしね。

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

……ん、あれは。

 

夜食を配っていると、休憩室の入口から中を覗き込む少女が見えた。天道咲奈だ。

主役の彼女は新脚本が出来次第、猛稽古しなければならない。そのため、今は寝るよう命じられていたはずだが……

 

目が合った天道咲奈は、虚ろな瞳を俺に向けてきた。

あの時と同じだ。

『みんなのナッセー』の特別公演前に、サザ子さんと会った後。天道咲奈は顔を伏せ、元気をなくしていた。

その雰囲気を今再び纏っている。

 

どうしてしまったんだ?

たしかあの時は、俺が他の男性とは違って女性に対して堂々としている、そのことに何か言いたげだったな。

 

理由を聞きたいところだが、俺の配膳を心待ちにする列を放っておくわけにもいかない。

……あ。

俺が意識を天道咲奈からスープを注ぐことに移している間に、彼女の姿は消えていた。

 

 

 

「三池氏」

 

列を消化して「ふぃ~」と一息ついていると、椿さんが近付いてきた。

 

「何ですか? あ、魚介スープはまだ残っていますから食べます?」

 

「うぐっっ、実に魅力的な提案だが」

椿さんがどこから持ってきたのか、どんぶりをこちらに差し出そうとする。容量が配膳に使ってた紙の器の倍くらいあるな、欲張り屋さんめ。

 

「だが、それは後で」プルプルとした手でどんぶりを引っ込めて「天道咲奈の件で、進言したいことがある」

「咲奈さんの?」

「天道咲奈は現在、非常にデリケートになっている。このままでは本番で大きな失敗をする可能性あり」

 

俺は脱力していた身体を正した。きちんと聞かなければならない話のようだ。

 

「デリケートって、急なキャストと脚本の変更で不安になっているってことですか?」

「違う。あの子も天道家の一員、それくらいの事態なら自力で乗り越えられる」

 

それくらいの事態って……俺が天道咲奈の立場だったら短時間で台詞や動きを覚えられるか不安で押し潰されるぞ。

 

「今、あの子の心を支配しているのは三池氏、あなた」

椿さんのジト目が突き刺さる。

 

「お、俺……」

 

 

 

 

 

 

 

『天道咲奈の日記』

 

スタッフさんから寝ていなさい、と言われたけど頭の中がぐちゃぐちゃしていて眠れないよ。

しょうがないから、今夜も日記を書こ。

 

今日はたいへんな一日でした。

サカリエッチィさんが舞台から落ちちゃって、タッくんが代役をやることになって。

こんなことはじめてだから、明日の舞台ができるのか心配だよ。

 

でも、もっと心配なのは。

わたし、わるい子だ。

スタッフさんたちが、がんばって明日の準備をしているのに、舞台のことよりタッくんのことばかり考えちゃう。

 

さっき準備のようすを見に行ったら、タッくんの知り合いの人たちがたくさん来てて、準備を手伝ってた。

それにタッくんはみんなにご飯をくばってさ……

食べた人たちは、見たこともないような顔をしていたけど、あれはあれでしあわせそうだった。

 

タッくんはお姉ちゃんがいないとダメなんだ、と思っていたのに。そんなことぜんぜんなかったんだ。

タッくんは一人でやっていける。

女の人とおびえず話せるし、それだけじゃなくて、いっぱいの人を支えることもできる。

 

守らなきゃ、支えなきゃ、そう感じていたわたしがバカだったんだ。

タッくんにお姉ちゃんはいらない、ひつようない。

わたしは

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

少し離れたところにダンゴたちを配置して――

コンコンと天道咲奈用に設けられた休憩部屋を控えめにノックする。

寝ていたら申し訳ないが、ノック直後にゴソゴソと物音がしたので起きていたようだ。

 

「ど、どちらさま?」

「咲奈さん、俺です。拓馬です」

「た、タッくん!?」

 

ドアが開き、物憂げな少女が顔を出す。

 

「ほら、夜食を持ってきましたよ」

おにぎりの乗った皿と魚介スープの入った水筒を見せ、彼女の憂鬱を吹き飛ばすべく俺は努めて明るく言う。

 

「あ、ありがとう」

天道咲奈が戸惑いつつ微笑む。食べ物くらいじゃ彼女を完全回復させることは出来ないか。

悩める少女は、他のスタッフのように即昇天しない。強敵だな。

 

「ど、どうぞ入って」

部屋の中に入れてもらうと、テーブルの上にノートが置かれていた。

 

「わっわっ」

慌ててノートを片づける天道咲奈。見られたくない物か、日記かな。

 

彼女の行動に何も言わずテーブルに、おにぎりの皿、おしぼり、箸とスプーンを置き、水筒のコップに魚介スープを注ぐ。

ともかく腹を満たしてもらおう。そうすれば、多少気が楽になるはずだ。

 

「美味しそうだね」

テーブルに広げられた夜食を眺め、天道咲奈が感想をこぼす……だが、なかなか箸を付けてくれない。

 

「あれ、もしかしてお腹減ってないんですか?」

 

「そ、そういうわけじゃないんだけど……」しばし黙ってから、覚悟を決めたように天道咲奈は切り出した。

「ねえ、タッくん。お姉ちゃんはタッくんにとっていらない子なの?」

 

はあ?

と、椿さんの話を聞いていなかったら首を捻ったことだろう。でも、今の俺はしっかり答えを持ってここに来た。

 

「必要だよ、俺に咲奈さんは」

丁寧語を止めて、ややフランクな言葉にする。

 

「ほ、ほんとに? ほんとのほんとに?」

「ああ、もちろん」

(すが)る目から逃げない。

 

「け、けどタッくんには、たくさんの人を支える力があるよ。私なんて……」

天道咲奈が夜食に目を落とす。

俺が夜食を振る舞ってみんなを鼓舞したことが、彼女の不安を煽ってしまったのか。

 

あんなにお姉ちゃんしていた子が落ち込んでいる。

この状態ではとても新脚本のストーリーに適応出来るとは思えない、舞台の成功なんて夢のまた夢だ。

何としても主役のモチベーションを上げなければ。

そのために俺がすべきことは――

 

「ねえ、咲奈さん。このおにぎりなんだけどさ、男性アイドル事業部責任者の男性が握ってくれたんだよ」

「えっ?」

「ついこの前まではまったく料理をしたことがない人だったのに、どんどん料理にのめり込んじゃってさ。今夜だって俺たちのために一生懸命作ってくれたんだ。食べれば分かるけど、色々な具が入っていて飽きないよう工夫されているんだぜ」

「タッくん?」

「こっちの魚介スープは、南無瀬漁業組合の人が無理して用意してくれたものさ。漁師さんたちは朝が早いのに、わざわざこんな夜中に持って来てくれて……感謝してもしきれないよ」

「……?」

 

俺が何を言いたいのかピンと来ないのか、怪訝な顔で天道咲奈は黙ってしまった。

十歳の子に回りくどい言い方は良くないか、率直に言おう。

 

「つまりさ、俺がみんなを支えていると同時に、みんなが俺を支えてくれているんだ。俺一人が出来ることなんてたかが知れている」

 

特にこの世界は男性に過保護だ。男の行動は制限されていて、自由に動くことが困難である。その分、誰かに頼らなければいけない場面が多々あるのだ。

 

「だから俺は咲奈さんにも寄りかかる。自分で悪役に立候補していて情けない話だけどさ、主役の咲奈さんに引っ張ってもらわないとポカやらかしそうなんだ。脚本家の先生が暴走しちゃって想像より台詞が多くあってね、テンパっちゃいそうだよ」

 

俺は頭を掻いて苦笑いした。

これで天道咲奈の中のお姉ちゃん欲が刺激されれば良いのだが。

 

「タッくんがわたしに寄りかかってくれる……わたしはいて良いの……」

ちっ、まだ弱いか。自問自答しているところからして迷いが抜け切れていない。

 

残る手は……正直、『この手』だけは使いたくなかった。

使えば、後戻りが出来なくなるかもしれない。時間をかけてゆっくりと説得を続けた方が良いのは明白だ。

けれど、今はその時間が惜しい。

本当なら、天道咲奈には早く夜食を食べて寝て欲しい。主役が寝不足の体調不良では、舞台の成功率がガクンと下がってしまう。

ウジウジ悩む暇などないのだ。ならばこそ!

 

この舞台に携わるすべてのスタッフと、俺のために駆けつけてくれた人々のことを想い……

俺は迷いの中の少女の両肩を掴んだ。

 

「ひぁ、た、タッくん!?」

慌てふためく天道咲奈だが、それがどうした! 俺の話を聞け!

 

俺は顔を近づけ、切り札を切った。

 

「頼らせてくださいよ! 咲奈さん、いや……『お姉ちゃん』!」

 

思春期を迎えた直後の天道咲奈は言っていた。「も~う、咲奈さんってよそよそしい! お姉ちゃんって呼んでいいんだよ~」と。

それからこれまで、俺は一度も天道咲奈を『お姉ちゃん』とは呼ばなかった。

大の男が十歳の女の子に『お姉ちゃん』発言。日本なら事案として通報されるかもしれない行為だ、呼ぶわけがない。

 

しかし、この危機的状況で俺はついに『お姉ちゃん』を解禁した。

 

「いま、お、お姉ちゃんって。わたしを、お姉ちゃんって。聞き間違いじゃないよね、タッくん。もう一度言って」

「幻聴でも聞き間違いでもないよ、お姉ちゃん! 俺にはお姉ちゃんが必要なんだ」

 

一度言ってしまったら、二度も三度も同じである。

日本の常識や男のプライドをかなぐり捨てた俺に、怖いものはない。

 

「はぁぁ……凄い。タッくんがお姉ちゃんって呼んでくれるだけで、やる気がどんどん湧いてくるよ」

 

目に見えて天道咲奈の雰囲気が変わった。

あれほど纏っていた陰鬱な空気は晴れ、澄み渡るような……ん、いや待て。

 

「うふふ、やっぱりタッくんの隣にはお姉ちゃんがいるんだね」

 

くっ! 澄んでないぞ。ピンクのモヤがかかってやがる。

 

やはり『この手』は危険だった。天道咲奈との絆が一気に強固になってしまった気がする。

もはや、舞台を乗り切ったとしても簡単には天道家から逃れられないような……

 

ダメだ、先のことを考えるな。今こそ日本人お得意の先延ばしを実践する時ぞ!

とにかく舞台のことだけを考えよう。

 

「タッくん! タッくん! このスープ美味しいね」

昨日までと比べると、透明度が下がった天真爛漫さで天道咲奈が夜食を食べだした。

 

「あ、ああ。どんどん食べてね」

「そうだ、タッくんもどう? ね、お姉ちゃんがア~ンしてあげる」

「いいぃ、俺はもう腹いっぱいだから大丈夫。咲奈さんが全部食べていいよ」

 

「えっ? 咲奈さん?」

「あ~じゃなかった、お姉ちゃんが全部食べてよ。なにしろお姉ちゃんは主役なんだから栄養を取っておかないと。そうしないと、俺も安心して寄りかかれないし」

「も~う、しょうがないなぁ。タッくんは」

 

あっぶねぇ。咲奈さん呼びした瞬間、天道咲奈の目からハイライトが消えたぞ。

不味いんじゃないか、不味いんじゃないかコレ!

天道咲奈の中の押してはいけないスイッチが入ってしまったみたいだ。

後戻りは出来ないとは思っていたが、後ずさりすら出来ねぇ。

 

 

この後、良くないものに覚醒した天道咲奈を何とか寝かしつけて、俺もまた別室で仮眠を取ることにした。

もう何もかも深く考えたくはない。

護衛する音無さんと椿さんの熱烈な視線をも気にせず、俺は寝ることに集中するのであった。

 


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