『男女比 1:30 』 世界の黒一点アイドル   作:ヒラガナ

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その魚、魔性につき

セクシー半魚人として新生したぎょたく君に、劇場内は水を打ったような静けさになる。

観客たちは驚き口を開けているか、生足に注目し過ぎて言語を忘れているのかどちらかだろう。

 

「元に戻って! あなたはサカリエッチィに操られているの!」

 

「操られている? ボクが? ううん、ボクはね。ようやく自分に正直になれたんだ。子どもたち相手に遊んでいたボクは仮の姿。開放的なこの姿こそ、本当のボクなんだよ」

 

と、操られた人が口にしそうな典型的な台詞を言いつつ、俺は踊り子風に軽やかなターンを決める。

回転に合わせてスリットがなびき、生唾を呑み込む音が観客席から聞こえてきた。

 

「そんな……違う、ぎょたく君はそんな魚じゃない!」

と、徒労に終わることが見え見えの説得を続けるみりは。

そこへ――

 

「暴れている怪人発見! これより拘束します」

警官隊(やられ役)の人たちが乱入してきた。

俺と相対し、ジリジリと距離を詰めてくる。

 

「ふぅん、お姉さんたちがボクと遊んでくれるの?」

多勢に無勢の状況なれど、俺は余裕を崩さない。

新生ぎょたく君に数の暴力など無意味だ。

 

「止めて! ぎょたく君に乱暴しないで!」

みりはの声も(むな)しく、警官隊の一人が接近してきた。逮捕せんとする相手を、俺はあらがうことなく悠然と迎える。

 

「確保!」

あっさり腕を握られ、新ぎょたく君は捕まってしまった――が、このくらいで確保と叫ぶのは早計だ。

 

「ダメだよ、ボクを捕まえるならもっとギュッとしなきゃ。ふっ~」

と、耳元への吐息アタック!

 

「ふぁ!?」

耳が幸せになった警官の全身から力が抜け、あっさり拘束が外れる。すかさず、俺は相手の腕に自分の腕を絡ませ、体を密着させた。

 

「ほらほら、この方がギュッとなるでしょ」

「ふぁふぁぁぁ」

「あれ、まだ物足りない? じゃあ……」

 

警官の手を握る。ただ握るのではない。五本の指をそれぞれ繋ぐ、俗に言う恋人繋ぎというやつだ。

 

「これならどう?」

「……ガクッ……」

警官が別の世界に旅立った。床に倒れたその顔は幸福そのものだった。

他愛なし。

 

耳元への吐息、腕の絡ませ、恋人繋ぎ。

新ぎょたく君の必勝コンボである。流れるような三連撃は、相手に暴走させる猶予すら与えず一気に失神までもっていく。

耐えられる女性はいない、という設定――なんだが、倒れた女性は本当に気を失っているように見える。

 

練習の時もそうだったけど、劇団コマンドの人たちは気絶の演技が本当に上手だ。気絶しなくても良いシーンだろうと、とりあえず床に倒れ伏すプロ意識には脱帽である。

実力者集団と呼び声高いだけはあるな。

真に迫る演技とはこのことだ。未熟者な俺としては見習わなくちゃ!

――そう、彼女たちの奇行を自分の中で整理し受け入れようとする俺であった。

 

 

「さあ、次は誰がボクと遊んでくれるの?」

 

予想外の抵抗に警官隊は二の足を踏む。

やられ役たちが強力な相手と戦う時、「お前が行けよ」「いや、先にお前が」と、誰が最初に仕掛けるかアイコンタクトしながら揉めるものだ。

 

しかし、この場合――

 

「私が行くから邪魔しないでよ」「いや、先に私が行って隙を作るから、あんたは待ってなさい」「ダメ、幸せに、いや犠牲になるのは私だけで十分だから」

と、別の意味で警官隊は揉めている。

 

「ねえ、まだぁ。ボク、待ちくたびれちゃうよ……うん、じゃあこうしようっか」

なかなか遊んでくれないことにシビレを切らした俺は、新たなアクションを起こした。

 

パチンと指を鳴らす。

すると、みりはに倒されていた戦闘員たちが起き上がり、忙しく動き始めた。

 

「な、何をする気なの!?」

「安心してよ、みりはちゃん。ボクは野蛮なことが嫌いなんだ。これからやるのは……」

 

クラシカルなラウンドテーブルとイス、テーブルの中心に差されたのは真っ白なパラソル。

喫茶店の屋外席で見られるセットが、戦闘員たちの手によって瞬く間に設置された。

最後に恭しくテーブルに置かれたのは大きなワイングラス、中身はハワイアンな香り漂うトロピカルジュースだ。

 

ここで注目すべきは、用意されたイスが『二つ』であること。そして、一個のグラスに差されたストローが『二本』であること。

 

「なんか、ボク疲れちゃった」

俺はスリットの切れ目が観客側になるよう気をつけながらイスに座り、目の前のストローに口を付けた。ゴクゴクと飲んで「……はぁ、このジュース美味しい。あ~でも、ちょっとボク『一人』じゃ量が多いかな」

 

テーブルの上で頬杖を突き、警官隊を流し目で見て言う。「ねえ、誰かボクと一緒に休憩しない?」

 

その言葉が引き金だった。

一人の警官が隣の同僚を突き飛ばした。しかし、その警官は別の警官に蹴りを入れられ転がった。

後は乱闘だ。たった一つの席とストローをかけ、職業意識と仁義を無くした女性たちのバトルが開催される運びになった。

 

「やめて! こんなことしていたらサカリエッチィの思う壷だよ!」

 

みりはが必死に止めようとするが、

 

「うるさい! 前途あるお子さまに何が分かるのよ!」

「私たちはもう後がないの! このチャンス、見逃せるわけがない!」

「島から島を移動するばっかりで、せっかく出会いがあってもモーションかける時間もないし!」

「なに見栄張ってんのよ、あんた! 出会い? 街で見知らぬ男性に近付こうとしたらダンゴにボコボコにされただけじゃない!」

 

警官たちに外野の声は届かない。

「この場面はアドリブでいいからね」と寸田川先生は言っていたが、私情を持ち出している人もいるぞ、いいのか?

 

そもそも脚本では、『勝った人がぎょたく君と相席する』とだけ書いてあった。

つまり、誰が勝つかは役者たちの好きにして良い、ということだ。

てっきり俺は、役者同士で事前に話し合って決めると思っていた。

だが違う。警官隊演じる人たちは、本当に争っている。とても演技とは思えないガチバトルだ。

 

ま、まさか寸田川先生はこれを狙っていたのか。

役者たちを本気で競わせるため、あえて脚本をアバウトに書いたのか……

恐ろしい、まったく恐ろしいぞ先生!

 

 

キャットファイトと言うには、あまりに凄惨な戦いの末。

同僚たちの屍を乗り越え、一人の警官が俺の向かいの席に座った。生傷が痛々しい彼女は、

「あ……あ、は……はは……」

息は絶え絶え、けれど目だけは異様に光っている。

 

最後の力を振り絞ってもう一本のストローに口を付けようとする警官。それに対して、「うぎゃああああ!! やめろおおぉぉ!!」と観客たちが慟哭する。

 

愛しのアイドル・ぎょたく君が自分たちの目の前で、どこの馬の骨とも知らぬ奴とドリンクタイムと洒落込む。

ファン発狂間違いなしの光景に、「観劇している場合じゃねえ!」と席から立ち上がり、舞台に駆ける者も出る。

 

しかし残念。

座席間の通路には南無瀬組の黒服さんたち (精神安定剤服用済み)が配置されていた。暗闇に溶け込んだ黒服さんたちの潜伏ゾーンに不用意に飛び込めばどうなるか?

語るまでもない、血の気の多いファンは床と接吻を交わすことになった。

 

そうこうしている間に警官の唇がストローを(くわ)えるかどうかの位置まで来て、

 

「や、やった……ご、ゴール」

 

その言葉で糸が切れたように、警官はテーブルに突っ伏した。俺が慌ててワイングラスを避難させなかったら、グラスを巻き込んで怪我をしていたかもしれない。

 

「……」

警官は動かない。完全に意識を失ったようだ。

 

脚本では、ぎょたく君と一緒にドリンクを飲んで興奮して倒れる。と、いう流れだったのに。

あと一歩のところで彼女は力尽きてしまった。

 

新ぎょたく君として小悪魔的笑みを崩さないようにしながら、俺は心の中で勝利者なき死闘に参加した者たちへ黙祷を捧げる。なむなむ、安らかに。

 

 

――こうして警官隊は全滅した。

 

 

『はっはははは! どうだ、みりは。生まれ変わったぎょたく君の魔性っぷりは』

スクリーンの中のサカリエッチィが得意げに言う。

『どうする? ぎょたく君を倒すか? ぎょたく君は自ら暴力は振るってないぞ。警官共は勝手に自滅しただけだ。それなのにお前はぎょたく君を倒すというのか? それがお前の正義か? はっはははは!!』

 

「くっ!」

 

声優の熱演もあり、サカリエッチィの煽りが最高にウザい。サカリエッチィ側の俺でもちょっと不快に思うのだから、みりはになりきっている天道咲奈には堪えるだろう。

サカリエッチィが言うように、新ぎょたく君のえげつないところは自分の手を汚さずに相手を自滅に追い込むことにある。

 

ただでさえ男なので心情的に倒しづらく、また本人は暴れてもいないので殴って解決、ということがやりにくい。

肉体言語で事態を収めがちのみりはにとって、天敵である。

 

俺は観客席の方を向き、呼びかける。

「も~う、誰も遊んでくれないよ……あっ、よく見たら遊んでくれそうな人たちがたくさんいるじゃないか。お~い、みんなボクと遊ぼうよ!」

 

ざわ、ざわざわ!

ぎょたく君からの遊びのお誘い。まさかの展開だけどこの話に乗らなきゃ女じゃない、と観客たちが犯る気に満ちた表情になる。

それがいけなかった。

 

「あ~、みんな悪い顔してる。ボクの太ももをずっと見つめちゃってさ。一体ナニを考えているの? ボクにナニをしたいと思っているの? 何だかこわ~い」

 

ここに来て、ぎょたく君から「エッチなのはいけないと思います」発言である。しまった、欲望を抑えきれなかったと観客たちは苦悶する、中には「グハッ!」とノックダウンする人の姿も見えた。

この死屍累々の状況をさらに――

 

「だけど、みんながボクをエッチな目で見てくれるってことは、それだけボクのことを好きってことだよね。嬉しいなぁ~、そんな人と遊んだらとっても楽しいんだろうなぁ」

ほい、エロに寛容という薄い本にしか登場しないような天使ムーブで、屍たちを一瞬で蘇生っと。

 

どうよ、この飴と鞭の連打。お客さんの心境はこちらの言葉一つでどんどん様変わりだぜ。

スゲェや、あはははは……ノリノリな演技をしている俺だけど、もう自暴自棄の極地である。寸田川先生の性格の悪さがにじみ出る脚本を翻訳した時から、こうなることは分かっていた。

未だに後悔せずにはいられない、なぜ俺は新脚本を採用してしまったのだと。

 

肉食女性たちの心を弄ぶ所業は、ピンを抜いた手榴弾でお手玉をするようなものだ。うっかり手を滑らせた時、すべてが終わる。

そして恐ろしいのは、このお手玉……さらに数を増やして回さないといけないのだ。

 

ええい、もうなるようになれ!

俺は最後のトリガーを言葉に変えた。

 

「でもぉ、こんなにたくさんの人と遊ぶのは難しいなぁ。ボク、どちらかと言うと、『一人の女性とじっくり深く』遊ぶのが好きなんだ」

 

ゾクリッ。

 

はい、劇場の空気が最悪になりました♪

血を分けた親だろうと姉妹だろうと敵だ、という空気です。観客たちが最後の一人になるまで戦い始めたら、南無瀬組でも止められません。

自分の事ながら新ぎょたく君、マジえげつないっす。もう勘弁して欲しいっす。

 

 

涙に暮れそうな思考の中、寸田川先生の言葉を思い出す。

 

「せっかく男性を悪役にするなら、男性にしか出来ないことをやらせないとね。タクマくんなら嫌と言うほど分かっていると思うけど、女性たちの異性を求める欲望に際限はない。そこを利用する悪役というのはどうだろう? ふふっふ、まさに己を制御出来ない女性たちの弱さが生み出した最悪のモンスターさ。良い感じに皮肉が効いていて、現代社会に対するカウンターと言ってもいい。実に社会派な悪役だ」

 

何が社会派な悪役だ、幼児対象番組のキャラクターを何だと思ってやがる。

チビリそうな心を妖艶マスクで隠していると、

「ぎょたく君!」みりはが大声で俺を呼んだ。「これ以上人々を惑わすなら……私、どんなことをしてもあなたを止める」

「あは、やっと遊ぶ気になってくれたんだね、みりはちゃん」

 

そうして相対する俺たち。

さあ、ラストバトルと行こう。早く終わりにしよう。そうしないと、舞台が崩壊しそうだし……

 


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