メイドは見てしまいました。
お屋敷の二階の掃除が終わり、さて次は台所周りを――と、廊下を歩いていた時でございます。
「……えへへ、それでね……」
咲奈様のお声が聞こえたのです。ですが、視界に咲奈様の姿はありません。
どういうことしょう?
声のする方へ行ってみますと、咲奈様のお部屋の扉が僅かに開いておりました。
「あはは、舞台の方は順調だよ」
咲奈様は、どなたかと電話中のご様子。
よほど仲の良い相手なのか、実に楽しげな声色で会話を弾ませております。
そのせいか、扉を閉め忘れていることに気づいていないようです。咲奈様にしては珍しいミスでございます。
私は誇り高き天道家のメイド。
立ち聞きなど、はしたない真似はいたしません。
ここはそっと扉を閉めて、掃除に戻るとしましょう。
私がドアノブに手をかけた時――
「タクマお兄ちゃん」
聞き逃せない、聞き逃してはいけない言葉が耳に入ってきました。
た、タクマお兄ちゃん……ですって!?
私は音もなく扉に張り付くと、隙間から中を覗きました。多少礼節を無視していますが、緊急事態なので致し方ありません。ええ、ありませんとも!
咲奈様はベッドに腰をかけて、手にする携帯電話の画面に向かって話しかけています。
どうやらテレビ電話機能を使っているようです。
「うん、祈里お姉さまにはちゃんと言っておいたよ。タクマお兄ちゃんはアイドル活動に専念するから、結婚は考えてないって」
『ありがとう。その、祈里さんはどんな様子だった?』
ふぉおお! この子宮に響く声はタクマさん!
毎朝毎晩、音声ドラマを拝聴し、タクマさんの映像をチェックするのが日課の私が言うのですから間違いありません。
か、顔、タクマさんのご尊顔が見たい!
くそっ、私の方からでは携帯の画面が見えない、なんということでしょう!
私がドアの隙間を察知されない程度に広げ、四苦八苦している間にも咲奈様は喋ります。
「祈里お姉さまのことは気にしなくて良いよ。お姉さま、断られるのは慣れているし」
そうですね、断られて紅茶を噴き出す祈里様の仕草に、手慣れたものを感じる今日この頃です。
それを掃除する私の腕前も不本意ながら上がるばかり……
『そ、そう? あまり気にしていない感じだった?』
「うん、タクマお兄ちゃんのことはすぐに忘れて次の相手を探し始めたみたいだよ」
妹様の前ですから強がっておられましたが、後で私は目撃してしまったのです。
「ず~ん」と言いながらテラスのテーブルに突っ伏す祈里様の姿を。
ああ、お可哀想な祈里様。本当はタクマさんに会えるのでは、と期待していたのですね。
打ちひしがれる祈里様を見ていると、ご飯が進む気分になります。
いつも
それにしても、咲奈様はプライベートでタクマさんと電話するほど親しくなっておられたのですか?
祈里様にはそのようなこと、一切おっしゃっていませんでしたのに。
むむむ、何やら香ばしい匂いがしてきます。
それから三十分ほど、咲奈様とタクマさんの会話は続きました。
話題を出すのは咲奈様で、タクマさんはそれに相づちを打ってばかりの印象です。
どうもタクマさんは、咲奈様を警戒しているようで……会話を早く切り上げたい、そんなお気持ちが伝わってきます。
『あの咲奈さん。俺、そろそろ予定があるから、この辺にしようか』
「あっ、ごめんなさい。タクマお兄ちゃん、忙しいもんね。じゃあ、今度はいつお話する? 明日の夜なら、わたし空いているよ」
『えっ、いや……今回は祈里さんの件で電話したけど、そんな頻繁に話すことは』
「あっ、そうだ! タクマお兄ちゃんは中御門に進出する気なんでしょ? じゃあ、わたしが中御門の芸能界のお話をしようか? 外からじゃ分からないことがいろいろあるんだよ」
おお、咲奈様から『逃がさん、お前だけは』という気迫が
『あっ……ちょっと聞いてみたいかも』
よし、タクマさんの引き留めに成功です。
しかし、釣り針は浅く刺さっているようで、ちょっとした事で外れる恐れがあります。
咲奈様、もう一手!
タクマさんの心にぶっ刺すもう一手を!
「そういえば、タクマお兄ちゃんって普段どんなレッスンをしているの?」
『それなら、俺の国で習ったやり方で……』
タクマさんが掻い摘んでレッスン内容を説明します。男性の方なのに、なかなかハードなことをしているようですね。
「タクマお兄ちゃんスゴいね! でも、同じレッスンばかりじゃマンネリになっちゃうよ……ねっ、天道家のやり方に興味ないかな?」
『て、天道家の!?』
「うん、天道家の長い歴史の中で、考えられ練られてきたレッスン方法。タクマお兄ちゃんがトップアイドルを目指すのにきっと役に立つと思うよ」
『トップアイドルに、役立つ……』
タクマさんはしばらく迷っておられましたが『ぜ、ぜひ教えてください』と答えました。
フィィィッシュュッ!!
お見事です、咲奈様!
次のお電話は明日の夜でよろしいのですね?
普段夕方には帰宅する私ですが、明日はわざと仕事をヘマして居残りしましょう。
ボイスレコーダーを用意しておかねば!
『じゃあ、俺はこれで。今日はありがとう、次はよろしくお願いします』
「うん、またね。タクマお兄ちゃん」
お二人の電話が終わりました。
咲奈様は「ふぅ」と、ずっと持ち続けていた携帯電話を下げ……
「うふふ、あんなに必死になっちゃって。ほんとタッくんは可愛いなぁ」
ご自分の唇を指でなぞりながら微笑しておられます。
だ、誰ですか、あの方は!?
私の知っている咲奈様は、えげつないほどのピュアガールでした。それが、男性を思うままに操るご立派な婦女子になられて……明らかに思春期に突入しておられます。
これはタクマさんの影響でしょうか、いったい南無瀬島でどんなご経験をなさったのか非常に気になるところです。
……っと、長く観察していました。急いで仕事に戻らなければ、するべきことが溜まっています。
私が静かに扉から離れようとすると――
「ねえ、いるんでしょ?」
咲奈様がこちらへ顔を向けました。
扉の隙間を通して、私と咲奈様の視線が合ってしまいました。
なっ……き、気付いておられたのですか!?
「別に盗み聞きしたことは怒ってないよ。だって、盗み聞きして欲しくて、わざとドアを開けていたんだもん」
咲奈様は私の仕事のスケジュールをご存じでおられます。
この時間に、ご自分の部屋の前を私が通過することを知っていて、あえて罠を張った……そういうわけですか。
お子さまだと思っていた咲奈様。
その彼女が、私に完全なる敗北を味わわせました。
「入ってきてくれないかな? お話したいことがあるの」
負け犬はただ従うのみです。
私は
「聞いていたようにね、わたしとタッくんは大の仲良しなんだよ」
ベッドに腰を下ろし、足をバタバタさせる咲奈様は子どもらしくて微笑ましいです。
まあ、内面を知った今では微笑ましさの欠片もありませんが。
「わたしね、これからタッくんともっともっと仲良くなって結婚したいと思っているんだ」
「ご、ご立派な心がけかと」
「でも、わたしってまだまだ子どもだから、タッくんの赤ちゃんを産むことが難しいの。それにタッくんの周りを説得できるくらいの力や実績もないし……ようは時間が必要なんだよね」
「私に時間稼ぎをしろ、ということですか?」
「さすが! 話が早くて助かるなぁ」
咲奈様が暗に言っていることが分かりました。
私の仕事の中には、祈里様のお見合いのセッティングがあります。
天道家は姉妹制をしているため、祈里様の結婚が決まりますと、妹の咲奈様も同じ方を婿にしなければなりません。
それでは困るのですね。
咲奈様の将来設計に、祈里様の婚活成功はあってはならない。
ですから裏で、私がお見合い相手に祈里様の悪評を流すなりして妨害せよ――と。
「しかし、なぜでございますか? 祈里様を裏切るような真似をせずとも、祈里様とタクマさんの仲を取り持つよう動けば、咲奈様もタクマさんと結婚できるはずでは……」
「何を言っているの?」
うっ、咲奈様の目から光が消えました。
凄まじい精神的圧迫です。
「それじゃあ、タッくんの第一夫人が祈里お姉さまになっちゃうでしょ。タッくんの一番も初めてもわたしの物なんだよ」
「も、申し訳ありません。失言でした。ですが、祈里様を裏切るのは……」
いくら絶好の愉悦源とはいえ、祈里様は私の雇い主。その手に噛みつくようなことは、メイドとして出来かねます。
「今度、タッくんと一緒にレッスンをするんだけどね、たぶん身体を動かすから喉が渇くと思うなぁ。メイドさんに飲み物を持ってくるよう頼んじゃうかも。あっ、そうしたらタッくんに紹介しないといけないよね。天道家を影から支えてくれる頼りがいのある人だって」
「咲奈様、私の主様。何でもお申しつけください」
私は深々とお辞儀しました。
タクマさんと接点が作れることを思えば、祈里様の婚期が延びるのは些細なことでございます。
「ありがとう!」光が戻った顔で嬉しそうに笑みを浮かべる咲奈様でしたが……
「でも、こんなことをしなくても、祈里お姉さまが結婚にこぎ着けるなんて想像も出来ないけどね」
と、こぼしました。
私も全面的に同意でございます。
祈里様、男性の前では本当にどうしようもなく、ダメダメになりますから……
咲奈様の部屋を退室して、私は階段をリズミカルに降りていきます。
タクマさんに会えるのも楽しみですが、咲奈様が成長したことも実に喜ばしい。
あれほど肉食の顔が出来るようになってまあ。前の純真だった頃とは比べられないほど愉悦要素に溢れています。
ふふふ、ゆえつ♪ ゆえつ♪ ゆえつ♪
ピンポーン。
おや?
一階に着いたところでチャイムが鳴りました。
誰か訪ねてきたようです。
どなた様でしょう?
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「ただいま!」
「お帰りなさいませ、
門扉を開けて屋敷方へご案内するのは――今代の天道家の三女、天道紅華様です。
赤毛のショートヘアー、祈里様や咲奈様にはない凛々しい瞳。
顔立ちについては、天道家の一員としてどこにも恥ずかしいところがありません。精巧を極めておられます。
引き締まった身体からは隠しようのない覇気が漏れ、気の強さと活発さで言えば天道姉妹一と言えるでしょう。
二十歳を前にして多くの映画やドラマで主演を務め、高い評価を得ています。今、もっとも不知火の像のレプリカに近いアイドルと評判です。
「突然帰ってきてごめんね。たまたま近くで用があったからついでに寄っちゃった」
「いえいえ、お気になさらずに。ここは紅華様の家なのですから」
紅華様の手荷物を受け取り、先導します。
「今、誰が家にいるの?」
「祈里様はお出かけでして、ご在宅なのは咲奈様のみでございます」
「へえ、咲奈か。久しぶりだなぁ、たしか南無瀬へ行っていたんだっけ? 共演者が怪我して大変だったって聞いたけど」
「はい。大きな問題になったそうですが、タクマさんにフォローしていただいたそうで、事なきを得たようです」
「……タクマ」
私の後ろを付いてきていた紅華様の足が止まりました。
機嫌良さげだったお顔が固まっております。どうしたのでしょうか?
「咲奈はタクマに懐いたの?」
タクマさんを呼び捨てですって……
「え、ええ。とても」姉を出し抜いて結婚を画策する程度に懐いておられますよ。
「ふん、祈里姉さんに続いて、咲奈までね」
吐き捨てるような態度には、タクマさんへの明確な敵意が示されていました。
不知火群島国の女性で、タクマさんを悪く思う人がいたとは驚きです。
……しかし、紅華様の性格やお立場を考えてみれば、分からなくもない感情かもしれません。
「あんな
紅華様が一旦間を置いて、力強く言い切りました。
「あたしは祈里姉さんや咲奈とは違う。あんな奴に屈したりしないんだから!」
おや、おやおや。私の中の愉悦センサーが反応します。
紅華様とタクマさんが出会った時、とても面白いことになりそう……そんな予感がするのです。
私は未来を想い、人知れず胸を踊らせました。
ふふふ、ゆえちゅ♪ ゆえちゅ♪ ゆえちゅ♪