よろめくような強風と共にヘリが降りてくる。
白の機体に赤のラインが、青空に映える。男心をくすぐるデザインだ。
あれに乗れば、無事に百貨店から脱出となる。俺がここを離れれば、椿さんが俺のフリをすること必要もなくなるわけで、全てが解決にな……………………あ?
ま、待てよ。
「真矢さん!」
「な、なんや!? いきなり大声出してビックリするやろっ!」
「椿さんはこの後どうするんですか!? どうやってあの試着室から逃げるんですか!」
タクマの正体が実は偽物だと知れたらファンの怒りを買う、椿さんが五体満足でいられるとは思えない。
試着室は大勢のファンに囲まれて、逃げ出す隙間なんてない。
あのまま試着室に籠城なんて出来るのか? ドアが固いとはいえ、あの人数で壊しに掛かられたら……
「……拓馬はん。はよヘリに乗ってな」
「真矢さん!」
「椿はんはダンゴや。こうなる覚悟があって、あの場に残ったんや」
真矢さんが地面に顔を向け、残酷な事実を吐く。
「け、けど……そ、そうだ! 妙子さんに連絡して南無瀬組の人をたくさん突っ込ませれば」
「あかんやろ。南無瀬組を大量投入しようとすれば気付かれる。やられる前にタクマを手にしようとファンが暴走するのは目に見えるで……そうなったら椿はんは……」
「ちくしょう! じゃあ、俺が戻ってファンの注意を引いて」
言いつつ身を翻そうとした時だ。
「ごめんなさい!」と、音無さんが俺の懐に潜り込み、全身でタックルを仕掛けてきた。
うおっ!?
その勢いに負け、たまらず後退した先には扉を開けたヘリが待ち構えていた。
抵抗する暇なく、俺はヘリの中に押し込まれた。背中を
「待って! お、俺は!」
バン! と抗議を割くようにヘリの扉が閉まる。
「あ、あ……ああ……」
ヘリが飛び立つ。よろよろと窓から外を見ると、百貨店の屋上がだんだん遠ざかるのが分かった。
一緒に乗り込んだ真矢さんと音無さんが沈痛な顔をする。
そんな彼女たちに文句なんて言えるわけはない。
「音無さん……」
「……はい」
「椿さんへ連絡出来ますか?」
「声は無理ですけど、メッセージなら送れます」
「伝えてください。『どうか帰ってきてください。あなたの無事が俺の唯一の願いです』って。本当に、本当に、お願いします」
いつの間にか、俺は膝をついてヘリの汚れた床に額を付けていた。
会いたい、無表情なようでいて元気にムッツリする椿さんに会いたい、そう思った。
そして、男性アイドルの業を叩きつけられたようで、自分の無力さが許せなかった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
夕日が南無瀬邸を照らす。
ヘリから降ろされ、南無瀬邸に帰還してからずっと、俺は門前に立ち続けていた。
門の瓦屋根に吊された赤い提灯に火が灯され、冬の寒さを幾分か和らげる。
「こないな所におったら風邪引くで」と真矢さんが口にしたのも今は昔。
最早言っても聞かないのが分かったのか、無言で俺の隣に寄り添う。逆側には音無さんが、珍しく名前通り音も無く連れ添う。
「……あっ」
向こうから黒塗りのセダンが近づいてくる。
俺の胸が早鐘を打つ。意味がないのに一歩踏み出してしまう。
『椿静流を回収。身体に大きな怪我はないものの、精神の衰弱が激しい』
その報をもらったのが一時間前。
それから胸を締め付けていた心配が、停止したセダンを前にして最高潮となった。
「つ、椿さん」
ゆっくり降車する人物は間違いなく椿静流さんだった。
タクマの変装を解除した、いつものオカッパ等身大日本人形の椿さんだ。亡者のごとく影を引きずるような有様で、足取りがおぼつかない。
「椿さん!」
走り寄って、ふらつく椿さんを支える。「だ、大丈夫ですか!?」
「……み、三池氏」
虚ろな目に困惑した顔の俺が映る。
「う、うう……」
椿さんが俺の胸に顔を埋めた。よっぽど怖い目に逢ったのだろう、全身が震えている……俺の囮になったばかりに。
普段なら「セクハラやめーや!」とドツく真矢さんも今日は見守っている。
「静流ちゃん……」
数年来の相棒である音無さんが、椿さんの背中を優しくさする。
報告の通り、大きな怪我はないようだが、こんなに弱弱しい椿さんは見たことがない。
俺の胸を貸すくらいで少しでも活力を注入出来るなら、何時間でも貸したいところだが――
「ここは風があります、お身体にさわります。屋敷に入りましょう」
ともかく休ませよう。
――しかし。
「ダメ、もう少しこのままで」
椿さんは俺の胸から離れようとしない。気のせいか鼻息が荒いような……
「ふんふん、なるほどなぁ」
黒服さんから耳打ちで何かを聞いていた真矢さんが、満面の笑顔で歩み寄ってきた。
「いやぁ、上手くやったもんやな。椿はん」
ビクッ!?
おや? 椿さんの背中が大きく跳ねたぞ。
「大した機転と決断力や。うちではマネ出来へん」
いやぁさすがや。と、わざとらしいほどウンウンと首を縦に振る真矢さん。
「何の話ですか?」
「何のって拓馬はん、気にならんか? 椿はんがどうやってあの窮地から脱出したんか」
そりゃあ興味あるけど、
「ジャケットや」
「へっ?」
「拓馬はんが貸したジャケット。それをな、少し開けた試着室のドアから外に投げたとすんねん。どないなるやろな?」
「ファンたちが群がりますね、絶対。いえ、そんなもんじゃないです。三池さんの私物ですよ、匂いたっぷりなんですよ、争奪戦、戦争ですよ!」
音無さんが「うらやまっ!」と悔し気に言う。
「その通りや。んでな、その隙にそそくさとタクマの変装を解いて、人ごみに紛れたとする。ファンたちが発見出来ると思うか?」
「……」
俺は椿さんを見た、固まってまったく動かない椿さんの背中を。
「なら、どうして椿さんは精神が衰弱していたんですか?」
「分かりきったことです! 逃げ
「ははあ、なるほど」
音無さんが言うと説得力があるな。
「ってなわけや。さて、椿はん。いつまで拓馬はんにくっ付いとんのや?」
「……だが、待ってほしい」
相変わらず椿さんは俺の胸の中。表情は分からない。
「大役を果たした私に役得があっても良いはず。三池氏のジャケットの熱と匂いを失くした私が、三池氏の胸で熱と匂いを感じる。この美しい代償行為に口を挟むのは無粋ではなかろうか?」
椿さんが一際大きな深呼吸をした。「むひゅ、労働の後はこの一杯に限る」と呟き、ポジションの死守に努める。
「ちょっと! あたしだって頑張ったんですよ! あたしも三池さん成分を取り入れる権利があるはずです!」
音無さんが俺の背中に取りつき、クンカクンカを始めた。
くすぐったい、やめれ!
「ふ、二人ともええ加減にせえ!」
真矢さんも俺に突っ込んできた。椿さんたちを引き離そうとしているが、時折俺の脇あたりに顔を入れるのはどうしてか?
椿さんが無事だったことをホッとする時間など、俺には与えられなかった。
もうメチャクチャだ。
黒服さんたちもダンゴたちを止める名目で集まってくる。
祭りの
なにこれ押しくら
ちょ、暑苦しいからみんな離れてくれ!
なんか異様な熱気でジョニーがヒュンヒュン冷え込むんだ、離れて! お願いします!
――こうして俺の休日は終わった。
考えてみれば、休日のはずが仕事以上に疲れる一日だった。
ああ、今日はもう布団に入りたい。
もみくちゃになりながら、俺は切に祈った。
だが、今日という日はまだ終わらない。
最後の最後に、今後の俺の活動を大きく変える