風呂上がりに見上げた夜空は透き通っていた。
「はぁ……」
息を吐いたのは、星々の美しさに感嘆したからか、はたまた今日の騒動を思い起こし気疲れが再発したからか。
日本風庭園が臨める外廊下は普段開放状態だが、冬の訪れと共に全面ガラスの引き戸が使われる事になった。これがなければ寒くて、天体観測をのんびりやる事は出来ないだろう。
俺が不知火群島国の南無瀬島に迷い込んだのが夏の始めだったっけ?
驚いたぜ、気付いたら知らない路地に立っているんだもんな。
んで襲われていたおっさんを助けて、一緒に深夜の逃避行だ。
あの時は俺もおっさんも死にそうになりながら走ったよな。ははっ……ん、おっさんと言えば、今日の夕方から姿を見てない、それに妙子さんも。
どこに行ったんだろう?
などと益体もないことを考えていると。
「三池さん」「三池氏」「拓馬はん」
三者三様で俺を呼ぶ声が聞こえた。
「あっ、皆さん」
声の方へ振り向くと音無さん、椿さん、真矢さんが歩み寄って来るところだった……すごすごと。
三人とも妙にかしこまっている。
いつものダンゴたちならパジャマ姿の俺を見て、挨拶代わりにヨダレの一滴や二滴垂らすのに。
「あのな……」真矢さんが少しの逡巡の後、
「今日は、ほんますんませんでした!」
と深く頭を下げた。
「ごめんなさい!」
「申し訳なかった」
音無さんと椿さんもヘコヘコと続く。
「なっ、いきなり何ですか? 謝られることなんて」
「ない、とは言わせへんで。内緒で休暇をセッティングした挙句にファンの暴走を予見出来ず、拓馬はんを危険に曝してもうた。うち、プロデューサー兼マネージャー失格や」
「で、でも俺は無事でしたし」
「結果で語ってはいけない。一つ間違えれば三池氏は、くんずほぐれつ地獄に堕ちていた」
「く、くんずほぐれつ……」
「一度堕ちれば二度と服を着られない恐ろしい地獄です。裸族直前だったんですよ、三池さんは!」
おえっ……想像したら、晩飯が喉までせり上がってきた。
そうか、俺の貞操は思った以上に危機一髪だったのか……とはいえ、真矢さんたちへ責任を問う気にはなれない。
彼女たちは俺のために色々頑張ってくれた、その努力は素直に嬉しく感じる。
なのでここは三人が根負けするまで「気にしていません」と言うことにしよう――
「こないな謝罪じゃ足らんやろ。拓馬はんの気の済むまで……う、うちを好きにしてええで」
「鬱憤があれば私にぶつけて欲しい。ソフトからハードまで各種対応してみせる」
「道具は一通り揃えていますから、ローソクや木馬や組紐とか。三池さんの欲望をじゃんじゃんリクエストしてくださいね!」
――よし、今日は疲れた。もう寝よう。
「と、いうことで皆さん。おやすみなさい」
「ちょ、ちょい待ちぃ!?」
「早速の放置プレイ……だとっ」
「お休みになるならこのスイッチを持って行ってください。押すと
ありがとう、みんな。
その言葉で、
「た、拓馬はん! どうしても伝えておきたい事があんねん。ファンの処遇についてや」
ファンの……そんなことを言われれば止まらざるをえない。
興味を示した俺に、真矢さんはホッとしたような顔をする。
「拓馬はんが百貨店から脱出した後、警官隊と南無瀬組が連携してファンの大半を逮捕したで。女性立ち入り禁止の男性用品フロアに入ったこと、店を荒らしたこと、南無瀬組員に暴行したこと、男性を襲おうとしたこと、複数の罪状でしょっ引かれとる。今頃、ニュース番組で大きく報道しとるはずや。とりあえず、やらかした輩はまとめてファンクラブ退会な」
俺が街に繰り出しただけで多くの女性がシャバから消えた。性欲更生してからの早い社会復帰を願うばかりである。
「あんだけファンクラブで『Yes タクマ! No タッチ!』と言い聞かせとるのに、このザマや。頭が痛くなるわ」
知らない間に決められていたスローガンにニ、三言いたいことはあるが、話が横に
「言って分からない者たちが多い。些細なことにもペナルティを課してはどうか?」
「だね。三池さんが迷惑しているって分かっていてもヤッちゃう人が多過ぎ! 理性が足りてないよ」
清々しいほどのブーメラン発言をブン投げているダンゴに対してもニ、三言いたいことはあるが、無駄骨なのは明らかなので口を噤もう。
「なあ、拓馬はん。しばらくアイドル活動を休まへんか?」
「いぃっ、どうしてそうなるんですか!?」
「一つは拓馬はんに休養が必要やからや。自覚はないかもしれへんけど、拓馬はんが疲れているのは南無瀬組員の共通の見解やで」
目を皿にして常時俺を観察している人々が言うのだから確かなことなのだろう。
「もう一つはファンにお灸を据えるためやな。タクマがアイドル活動を休止してまう。独身女性の生きる原動力が八割なくなる事態や。原因は自分たちの無配慮な行動、そうと知られれば今後アホなことするファンは減るやろ」
なるほど、納得出来る意見だとは思う……思うのだけど。
「休むって、具体的な期間はどのくらいですか?」
「せやな……今年も残り一ヶ月切ったさかい、年が明けて心機一転で活動再開ってのはどうや?」
本音はアイドル活動を止めたくはない……が、無理をして南無瀬組の皆さんに心配と迷惑をかけるのは避けたいところだ。
約一ヶ月の休暇か。短いようで長いな……
「しかし真矢氏。休暇の間、三池氏は南無瀬邸に缶詰? それでは精神的な疲れを取り除けない」
「うちもそこで悩んでんねん。今日の騒動で分かったことやけど、南無瀬島ではタクマ捜索ネットワークが確立しとる。拓馬はんの出没ポイントを瞬時に割り出す情報力は侮れんで……せやから、下手に近場へ出かけるよりは、いっそのこと遠くへの旅行の方が安全かもしれへん」
「そういえば三池さんって南無瀬島から出たことありませんよね。他の島へ行けば、解放感でリフレッシュ出来るかも」
「面白そうですね」
他の島はこれからのアイドル活動の舞台になる地。
旅行しながら、どういう風土や文化が根付いているのか視察しておいて損はない。
不知火群島国の地図を思い出す。
東西南北と中央に大島があり、今は南の南無瀬島にいる。
旅行となれば行き先は……
「う~ん、西は大陸に近くて危ないし、東は時期的に殺気立っとるやろうし、北は土地柄男性アイドルに厳しい反応しそうや。順当に考えれば、
ヒエッ、なんかサラッと物騒なことを言ってませんか、真矢さん。
俺、本当に他の島に進出して大丈夫なんですか?
「中御門は国の中心、男性向けのショッピングや観光スポットが多い。きっと三池氏も気に入る」
東西と北の島のことは一旦忘れよう。えと、中御門か。
祈里さん率いる天道家のホームで、変態脚本家の寸田川先生もいるんだよな。旅行中は会いたくはねーな。
――すでに、俺たちの中で旅行するのは半ば決定していた。その行き先が中御門であることも。
だから、その声は俺の耳に強く残った。
「中御門は困るでござる。旅行なら、是非『
――ござる?
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
外廊下の向こう側から一人の少女が歩いて来る。
でかい、それが第一印象だった。
俺とほぼ同等の身長、冬服に隠されているが質の良さそうな筋肉を想像させるプロポーションだ。
バレーボール選手のような恵体の持ち主である。
「お初にお目にかかる、タクマ殿」
「えっ、あなたは?」
俺の問いに少女が答えるより早く「
真矢さんが驚きの声を上げた。
「ひなこ、さん?」
「せや、この子は妙子姉さんと陽之介兄さんの」
「失礼でござるが真矢おば
「おばっ!」とセンチメンタルな年齢の真矢さんがセンチメンタルな反応を示す、それを他所に少女は堂々とした
「拙者は南無瀬妙子と陽之介の娘、
変な一人称や語尾ではあるが、その挨拶は凄みを感じさせるものだった、Vシネマ的な意味で。
「妙子さんたちの……あっ、俺は三池拓馬です。妙子さんと陽之介さんにはいつもお世話になっています。よろしくお願いします」
言われて見れば少女の顔には妙子さんの面影があった。
鋭利な眉と鼻筋は孤高さを醸し出している。
しかし、目は母親とは違い少し垂れがちだ。それが人の良さそうな印象を抱かせる……きっと、妙子さんの遺伝子に組み敷かれたおっさんのDNAが何とか抵抗した証なのだろう。
長身でコンパクトショートヘアーの美人だが、垣間見えるおっさん要素のおかげで、妙子さんにはない取っつき易さがあるな。
前に聞いた話だけど、おっさんの娘は今年からお見合い指定校と呼ばれる特殊な高校に進学したはず。
と、なると年齢は十五かそこらか。それでこのプレッシャー……南無瀬組の未来は安泰だ。
「陽南子氏、と言ったか。質問がある」
「おぬしは?」
「椿静流、三池氏のダンゴ」
「同じくダンゴの音無凛子です! それより突然出てきて何ですか! なんで三池さんが東山院に行かなくちゃいけないんですか!?」
音無さんが頭から煙を出すほど怒っている。
「うむ、回答を願う」
椿さんはクールぶっているが、静かな声には怒気が含まれていた。
東山院は不知火群島国の東にある大島。
別名学園島と呼ばれるほど多くの学校があり、中でも有名なのがお見合い指定校だ。
その名の通り、数少ない男子校とお見合い出来るスペシャルな学校で、身分の高い所の子どもや心技体で特出した能力を持つ子でなければ在籍は不可能である。
普通校の少女たちにとって、お見合い指定校の生徒は不倶戴天の敵。
ダンゴたちが陽南子さんに敵意を向けているのも、その辺の事情が絡んでいる気がする。
「拙者がここに来たのは、家族会いたさの帰省ではござらん。とある方々にタクマ殿を東山院に招待するよう依頼されたからでござる」
「とある方々ってもったいぶった言い方しますね! どうせ学校の先輩に三池さんを紹介してくれとか頼まれたんでしょ。キィー、ただでさえ男子とお見合いのチャンスがあるくせに三池さんまで狙うなんて絶許ですよキィー!」
音無さんが自分のハンカチを引きちぎりにかかっている。どうどう落ち着いて、どうどう。
「陽南子、うちらは学生の相手をしているほど暇やない。それに、拓馬はんを東山院に連れて行くのはあかん。女子たちが目移りして、変に目が肥えてしまうかもしれへんで。お見合いが上手くいかなくなったらどうすんねん。分かったか、学生は学生同士で仲良くヤルもんや」
「俺としてもお見合いの邪魔はしたくないです」
人の恋路を無茶苦茶にして馬に蹴られるのは嫌だし、絶対面倒臭いことになるとジョニーや第六感が主張している。
「否、真矢おば上も皆の者も勘違いしているでござる。拙者にタクマ殿のことを頼んだのは、お見合い指定校の生徒ではござらん」
「では教職員の仕業? それともお見合い指定校とは別口の女性団体?」
椿さんの質問に陽南子さんは首を横に振った。
「そうではありませぬ……タクマ殿に会いたがっているのは――――」
「……へっ?」
予想していなかった返答に俺たちは固まってしまった。
「すいません、もう一回言ってくれませんか?」
俺が聞き返すと、陽南子さんは「承知」と快く了解してくれた。
「では今一度申す。タクマ殿に会いたがっているのは――――男子たちでござる」
だ、男子……
こうして、俺は
あの、
そこで待ち受けるのは東山院を、いや不知火群島国を揺るがす大事件なのだが……この時の俺はそんなこと想像もしていなかった。
嫌な予感はビンビンにしていたけど。
さらに――
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「おはよう、
「おはよ
「ごめんなさい、レッスンが夜遅くまで盛り上がっちゃって……タッくんったらなかなか寝かせてくれないんだから、うふふ(ボソッ)」
「えっ? なんか言った?」
「ううん、何でも。それよりお姉様のその荷物、今度はどこでお仕事なの?」
「ああ、『東山院』よ。拘束の長い仕事じゃないからサクッと終わらせてくるわ」
「そうなんだ、ファイトだよお姉様」
「ふふん、任せなさいって。あたしは天道紅華、どんな仕事だって完璧にこなしてみせるわ!」
第二章 『南の島の黒一点アイドル』 終
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