◇
「うぁー、恥ずかしい。恥ずかしい恥ずかしい!」
「なんだよ、そんなに恥ずかしいのか?」
「当たり前やんか!周囲に大勢人がおるっていうのにウチギャン泣きしたんやで!うぁーー、穴があったら入りたい」
とこんな感じでさっきっからニクスは身を抱きながらウンウン唸っていた。
「まあでもあれは恥ずかしいわな…」
「うわぁー、忘れろ!今すぐ記憶から消せ!お願いやから忘れとぉくれやす!」
「これ以上ややこしくしないでよ…」
ミューリが朝の定期問診を終えたようだ。うんざりしている顔で俺を睨み付ける。
実は今、再びテンブリス大陸を目指すべく船の上にいる。ニクスがからかった船長さんが大量の氷のお礼ということで乗っていけとのこと。
俺達はその好意に甘えることにした。
「あ、ミューリぃー。レシストウチを苛めるんや。助けてやー」
「レシスト!ヴァート大陸を出て何回ニクスちゃんをからかっているのよ」
そしてあれ以降ミューリとニクスの仲は解消したようだった。今では姉妹かと思うぐらい仲がいいし息も合っている。
「こいつの反応面白いんだもん」
「いい加減にしなさいよね」
ミューリはニッコリと笑みを浮かべながら魔力メスを作り出す。
「わ、悪かった。悪かったからそいつをこっちに向けるな!お前はそれでも医者かよ!」
俺かニクスがどちらかをからかいミューリがそれを止める。最近はこれがいつもの流れとして定着している。
命を捨てる旅をする意気込んでいた俺だったが、こんな穏やかな心で旅をしていてもいいのだろうか。
そんなことを考えていると、何だか船の先頭部分が騒がしくなっていた。
どうやら問題が起こっているらしい。
「どうされました?」
俺は船長さんに声をかける。かなり焦っているようだった。
「ああ、兄ちゃんか。実はな、舵が効かないんだよ」
「え、舵が効かない?」
俺はその様子を探ろうと甲板から顔を出してみる。特に異変はないように感じる。それに天候自体もこれといって異常はない。船旅に最適な快晴そのものだ。風が異常に強いということも無い。
「異常はないよう感じるんですが?」
「ああ、だから困っているんだ。それにこの進路だとディジェニゲン大陸にたどり着く」
ディジェニゲン大陸だと?確か生物が全くいない、全域に荒野が広がっている大陸だったはず。
なぜそんな大陸に?
もしや魔族の仕業なのか?
「レシスト?」
騒ぎを見ていたミューリが不安そうに俺を見つめる。何とかミューリやニクス、船員の人たちを安心させたい。
しかし、この状況は安易な気休めの言葉が命取りになるかもしれない。だから俺は最悪な未来の可能性を話すことしか出来ない。
「恐らく魔族だ」
俺の一言でこの場の空気が一瞬で変わった。
「こんな芸当出来るのは魔族しかいない」
言わずもがな、ここは海のど真ん中。そして地平線の彼方まで陸地が視認できない。
そんな場所にある船をどうして操ることができる。恐らくだが遥か遠方の陸地からこの船を操っているのだ。
ふざけるのも大概にしろ。陸地からこの船まで何十㎞離れていると思っている。下手をすれば数百㎞も離れているかもしれない。
そんな高度な技術を持つ魔族に改めて恐怖を抱く。もう一度魔族に対しての認識を改めなければならない。
しかし、疑問もある。
何故こんなまどろっこしい手段を取っているのか。魔族であればこの船を破壊することぐらい呼吸をするよりも簡単なはず。
それをわざわざ船を操り、しかも自分達の大陸ではないディジェニゲン大陸へと誘き出すのか。
その場所に何か確実に俺達を殺せる罠が仕掛けているのか。いや、それは魔族らしくない。俺が聞いていた魔族というのは猪突猛進的な性格。策を用いてどうこうということはあり得ないはずだ。
「ちょっとレシスト?聞いているの?」
「ああ、すまない。とにかく、いつ魔族が襲ってきてもいいように皆警戒しておいてくれ」
全員が唾を飲み込む音が聞こえる。だがそれ以上にパニックを起こす船員たちはいなかった。
海の男は想像以上に肝が座っている。
このまま何も起こらなければいいが。
◇
あの異常事態が起きてから半日が過ぎた。日は沈み、辺りは波の音しか聞こえない。
あれから魔族が襲ってくることは無く、舵が効かない以外は正常そのもの。半日も緊張が解けず、全員が憔悴している。ただ一人を除いて。
「スー……スー……」
ニクスは呑気に寝ていた。全員が警戒していたというのにニクスは我関せずといった感じで眠くなったらすぐに寝てしまった。
あの騒動をニクスも聞いていたというのにどういう神経してんだ。というか度胸が座りすぎている。寝る直前も─
「その魔族っていうのが出てきたら起こして。ウチん【コキダイン】で凍らせてあげるさかい。そないに怖がらへんでもウチが守ったるさかい」
─と自信満々に語っていた。
この船で最年少であるにも関わらず一番の度胸の持ち主であることがわかった。
「!!」
その瞬間、ニクスがガバッと起き上がった。目を見開きどこか一点を睨み付けている。
「ど、どうした?」
「見てる」
「え?」
「誰かがウチらを見てる」
それと一瞬遅れて船員の誰かの叫び声が聞こえた。
「ディジェニゲン大陸が見えたぞ!!」
ミューリとニクスに目配せをして甲板に飛び出す。
船員の誰かが生活魔術である【ブライトリング】で地平線を照らしている。そしてその先に陸地が見えた。
あれが誰も住んでいないという大陸。
魔族の罠が仕掛けているともう一度気を引きしめる。
そして船が陸地に接地し、俺達はディジェニゲン大陸に立った。この大陸を踏んだ印象として第一に感じたのは、強烈な違和感だった。確かに足を踏みしめ、この大陸に立っている。だというのにあまりにも実感がない。浮いているような感覚なのだ。
なんと言うか、余りにも薄い。存在が希薄していると言えば良いのか。この大陸は本当に存在しているのか?そんな疑問が沸いてくるのだ。
そんなことを頭の隅に追いやり、いつでも戦闘が出来るように刀の鯉口に手をかける。
気配を探っても反応はない。しかし相手は魔族だ。気配を無くすようなことは当たり前にできるのかもしれない。
(………か)
「え?」
「どうしたの?」
ミューリは不思議そうに俺を見つめる。
今のは緊張で幻聴が聞こえただけか。
(聞こえるか?)
「!!」
今はっきりと聞こえた。ミューリやニクス、船員の人たちが気づく訳がない。
これは俺の頭に直接話しかけているのだ。
(そうだ、我は直接お前に話しかけている)
しかもこいつは俺の思考まで分かるっていうのか。
(その通りだ。お前の脳波を特定し、その脳波に我とお前の思念を統合している。とは言ってもお前には脳波を解析する術がない。それ故お前は我の思念を読み取ることが出来ない。理解したか?)
へ、悪いな。一つも理解できないね。
(…ふん、予測はしていたがここまでも低能だとはな。何故我がこのような奴に興味を惹かれる、我の思考プロセスにも異常があるというのか)
…で、あんたは魔族なのか?
(我が魔族?低能であるが故に礼節にも欠けるというのか。全くもって度し難い。まあよい、話をしよう。色々と聞きたいことがあるのだろう、ハーフエルフのデスペラティオ・レシスト)
その瞬間目の前の空間からパリンという音が聞こえた。
俺は自分の目を疑った。空間が割れている。比喩でもなんでもなく言葉の意味通りだ。
空間が割れた先にはこの荒廃した大陸とは全く正反対の、緑が生い茂る草原が広がっていた。
(お前の前に位相空間へと介入する次元の亀裂を作り出した。その中に入ってこい。その先に我はいる)
その光景は俺だけの幻覚じゃなかった。全員がこの光景を見て言葉が出てこない。脳の処理が追い付いていないのだ。
「ふーん、誘うてるってわけね。ええやん、乗ったるわ。ウチをねぶったこと高うつくわぁ」
そしてニクスだけがその光景を見ても動じず、その空間の亀裂に入っていった。
「あ、ちょっと、ニクスちゃん!」
それに着いていくようにミューリも入っていく。
「くそ、皆さんは危ないと感じたら俺たちを待たずに逃げても構いませんから」
俺はそれだけを言うと亀裂の中に入っていく。
そして目的の人物が入っていくのを確認したのか、亀裂は小さくなっていき無くなった。
◇
(まずは歓迎しよう。我ら以外の存在がこの位相空間に入り込んだのは数千年ぶりだ)
目の前には背の高い男が一人。
身長はゆうに2mは超している。だがそこは異常でも何でもない。
真に異常なのは背中から三対六枚の純白の翼を生やしているのだ。さらには二つの目を閉じている代わりに額の第三の目が俺たちをじっと見つめている。
これだけで俺たちハーフエルフやエルフ、氷雪族とはまた違った種族であると認識させられる。しかし魔族とも違うような感覚である。
この男からは暴力という概念を取り払ったような気配がするのだ。
「あんた、一体何者だ」
(ふん、お前たちの紹介がまだだというのに我から紹介させるのか。知能も知性も礼節ない、まさに獣だな)
「て、てめぇさっきから言いたい放題しやがって」
「ま、まあまあ落ち着いて。紹介が遅れてしまいすみません。私はエルフのディア・ミューリと言います」
「ウチは氷雪族の女王ニクスや。それで貴方は?」
(我の種族は神族。とはいっても貴様ら人間やエルフが我らをそう呼んでいたためそう名乗っているがな。正式な種族名は知らん。そして名は【マキナ】だ)