モルゲッソヨ 作:キルロイさん
現地語で「分かりません」を意味するこの言葉は、その存在を指す言葉として定着した。
全身銀色、二十代前半の成人男子を連想させニメートル以上の身長がある肉体、頭部だけではなく肩で支える程に大きく試験管の底部の様な形状をしたヘルメットを被り素顔はまったく見えない。
これだけでも印象的な姿であるが、それ以外にも目を引く点は幾らでもある。
隆々とした胸筋、女の子を肩車出来るくらいにがっしりとした肩、贅肉が削ぎ落された腹、引き締まった太股とふくらはぎ、そして健康的で逞しい肉体を持つ成人男子に相応しく、溢れんばかりの生命力が感じられる立派な男根、男の裸を見慣れていない女子でさえ「一晩だけならこの男と過ごしてもいい」と思ってしまうほど、どれも素晴らしい姿であった。
瞬く間に世界中に拡散したその姿の画像と名前は興味本位で見た者たちの興味を引いたが、いずれ忘れ去られる運命でもあった。
だが、誰もが誤解をしていた。それが人類にとって無害な存在であるという思い込みをしていたのだ。
人類がその姿を忘れ掛けた頃、遂にモルゲッソヨは行動を起こした。人類を絶滅させるために。
ティーガーⅡ重戦車の車長を務めつつ黒森峰女学院高等部戦車道の臨時中隊長も務める逸見エリカは、車長用キューポラから身を乗り出すと双眼鏡を覗き込んだ。
彼女の指揮下にある一人の戦車長から挙がった報告を確認するためである。
彼女の視界に広がる黒森峰女学院戦車道演習場は、場違いな印象を与える白銀色の異物たちがひしめいている。 そして、それらは陽光によって鈍く輝きながら彼女たちに接近していた。
異物と表現したが、彼女たちには改造人間なのか、地球外生命体なのか、生命力溢れる銅像なのか断定出来ないからだ。
何しろ、この異物の侵攻を受けている各国の政府や研究機関は、それを捕捉して調査しようとしている段階である。
その正体を公式に発表していないので誰もが推測で話すことしか出来なかったが、名前だけは誰もが知っている。
その名はモルゲッソヨ。
偶然にもこの異物に遭遇した報道関係者の記事によって広まった名前だ。正式な名前が判明した後にもこの名前で呼ばれている。
語呂の響きが良いからだけではなく、日本人にとって子供の名前以外の名づけ方にこだわりが無いからという理由だ。
エリカはその異物を見つつ、先程受けた報告を復唱するかのように一人で呟いた。
「モルゲッソヨが約三〇人、いや約三〇機か。行進だけは上手だわ」
報告どおり約三〇機のモルゲッソヨが横一列に並んだ横隊を組み、横隊陣形で待ち構える彼女たちの戦車隊に向けて綺麗な行進で接近している。
エリカはそれを見ているうちに、とある冗談を思い出してしまい声を出して笑い始めた。彼女の隣にある装填手用ハッチから身を乗り出していた装填手は彼女を怪訝な表情で見たが、その視線に気づいたエリカはその理由を説明した。
「ある人が話した冗談を思い出したのよ」
「どんな話ですか?」
「帽子の鍔を大きくして脚のつま先まで揃えた綺麗な行進をすれば、世界最強になる思い込んでいる軍隊があるそうよ」
「初めて聞きました。そんな軍隊はどこを守っているのですか?」
「地上の楽園」
面白いとは言えない冗談だが装填手は笑い、それに釣られてエリカの気分も晴れた。
勝気な性格であるエリカを知る者にとっては意外に思えるが、彼女は不安に駆られていたからだ。
何しろ、彼女たちが行おうとしていたのは試合ではなく実戦である。それだけでもエリカにとって十分な重荷なのだが、更に予想される戦闘が凄惨を極めたような状況になる事が予想出来たからだ。
それは、十六世紀における歩兵同士の戦闘のように、まともな防御対策が欠落した状態で正面から撃ち合うだけの凄惨きまわりない戦闘を彷彿させた。
彼女を取り巻く状況も悪化していた。西住まほ大隊長直率の戦車隊が音信不通になってから一時間以上経過している。
ティーガーⅠに座乗した大隊長は、全国大会向けに編成した戦車隊でソルゲッソヨを撃破するために出撃していたが、「モルゲッソヨを捕捉した。これより攻撃に移る」という通信を最後に連絡が取れなくなっていたのだ。
この戦車隊と通信不能になったのは作戦行動中による無線封止だと信じたかった。
だが、交戦中も無線封止を継続する必要性と大隊長車以外の戦車からの通信さえ受信されない状況を考慮すると、大隊長が率いた全ての戦車が撃破されたとしか考えられなかった。
彼女にとっては俄かに信じられない事態である。
何しろ、この戦車隊にはパンターG型、ラング、ヤークトパンター、ヤークトティーガー、エレファントといった、高火力、重防御能力を持つ戦車が加わっており、全国大会で常勝を誇る黒森峰女学園高等部戦車道チームが自慢出来る戦車でもある。
それらが全て撃破されたのだ……。
この冷酷な現実は、二股を掛けた彼氏の胸元に突きつける鋭利な包丁のようにエリカに向けられた。
そして、彼女は不退転の決意と最悪の事態を回避するための覚悟を固めさせた。
彼女は様々な事情により大隊長直率の戦車隊に参加出来なかった初心者教習用の二線級戦車を掻き集め、全国大会に選抜されなかった補欠生徒たちを乗員とした寄せ集めの戦車隊を指揮しているのはそのような理由であった。
そして、全国大会向けに編成した戦車隊が全車撃破された元凶であるモルゲッソヨと交戦して勝利しなければならないのである。
不安に駆られないほうが異常ともいえる状況であった。
彼女は口喉マイクのスイッチを入れると素早く簡潔に指示をする。
「エリカより全車、正面、砲戦距離八百、各車の判断で射撃開始、車体番号が奇数車は徹甲弾、偶数号車は榴弾、尚、一機でも撃破出来た際には使用した弾種も報告のこと。
エリカの指示は指揮下にある全車に伝わった。大隊長である西住まほを始め各級指揮者と連絡が取れなくなった現在において、寄せ集めの戦車隊をまとめて指揮を執ることが出来るのは彼女以外にいなかった。
彼女としても、気心が知れるまで長い付き合いがある生徒たちばかりではない集団を統制するため、簡潔で明瞭な指示を与えなければならなかったのだ。
彼女たちが敵と認定したモルゲッソヨは正面から接近しているため、当然ながら砲戦方向は正面になる。
砲戦距離は標準的交戦距離である八〇〇メートルを指示した。戦車に備えられた照準器と戦車砲の能力によって異なり、彼女が搭乗するティーガーⅡであれば二千メートル以上先にある標的へ命中させる能力がある。
だが、前述のように寄せ集めの戦車隊なので各車の射撃能力や射手の練度まで把握しきれていないからだ。
砲弾の種類についても彼女は悩んだ。常識的な戦術判断によれば榴弾を装填すべき状況であった。榴弾は着弾による弾片によって着弾点の周囲を制圧出来る砲弾であり、弾片によって異形な姿をしたモルゲッソヨを切り刻むことが出来る筈である。
だが、その程度の損傷ではモルゲッソヨの進行を止められない様な気がしたのだ。だから、彼女は直撃させるのは難しいが貫通性能を持つ徹甲弾も装填させた。
彼女は指示を終えると一息ついたが、指示が不足していたことに気づき再度口喉マイクのスイッチを入れた。
「敵は戦車より圧倒的に身軽よ。側面や後方に回り込まれる可能性があるので十分に注意しなさい。
彼女が車内に身を隠し車長用キューポラの蓋を閉じた時、我被の距離は一〇〇〇メートルを切ろうとしていた。校庭のトラック一周分の距離が縮まれば彼女が指示した砲戦距離になる。
エリカはそれまで待つつもりであったが、砲手は待てなかった。
「車長、榴弾装填済みです。ただちに射撃出来ます」
「もう少し待ちな」
「エリカ、あたしの腕とティーガーⅡの実力を信じなさい」
「……許可するわ。一撃で仕留めなさい」
「任せて。第一射を撃ちます、てっ!」
燃焼された炸薬から生み出されたエネルギーによって戦車砲から発射された砲弾は、標的との距離を急速に詰めるとその前方一メートルに着弾した。
砲手が描いた理想の位置に着弾したのだ。砲手は歓声を挙げたが車長用ペリスコープから覗いていたエリカは呻いた。
「ダメだわ。敵は無傷よ」
「何で?」
「榴弾の弾片では効果が無いわ」
「戦車並みに硬いのね。今度は徹甲弾で距離八〇〇にする?」
「弾種徹甲。八〇〇まで待たず、ただちに撃って」
先程、八〇〇メートルまで射撃を控える指示を下していた彼女が、それまでとは異なる指示をしたので装填手と砲手は戸惑った。
だが、己の役割を思い出した装填手は普段の訓練どおりに装填し、砲尾が完全閉鎖された信号を確認した砲手は直ちに第二射を射撃した。
ティーガーⅡは常勝を期待されている黒森峰女学園にとって欠く事が出来ない高火力重装甲の戦車である。
この戦車に搭載されたKwK43L/71戦車砲は直径八八ミリの砲弾を撃ち出し、一〇〇〇メートル先にある一九三ミリ厚の装甲板を貫通するほどの威力を持つ。
そして、この砲を操る射手と装填手は黒森峰女学園高等部において全国大会出場資格と経験を持つ生徒たちなのだ。
戦車に比べて非常に小さいモルゲッソヨに直撃させるのは至難であるが、エリカは射手の実力を信じて砲弾の行方を追った。
だが、第二射は外してしまった。残念なことだがモルゲッソヨの頭上を通過してしまったのだ。
素人目では砲手が目測を誤ってしまったとしか見えない。
だが、砲身内で高速回転しながら撃ち出された砲弾による摩擦熱や炸薬の燃焼熱によって、砲身が変形してしまい砲弾の飛翔に影響を与えた可能性もある。
解決策はただ一つ、直ちに第三射を撃つことだ。
「弾種徹甲、モルゲッソヨを撃破するまで撃て」
「
装填手が砲尾へ徹甲弾を押し込むと射手はただちに第三射を放った。
射手も黒森峰女学園高等部で全国大会への出場資格を持つ程の技量を持っており、無能者の烙印を押される訳にはいかなかったからだ。
発砲の衝撃によって砲塔内に後退した戦車砲は、駐退機によって速やかに元の位置に戻されると砲尾が開く。
すぐに炸薬の燃焼によって高熱になった薬缶が砲尾から抜け落ち、燃焼ガスが砲室内に流れ込む。次第に鉄と油の匂いが占めていた車内に燃焼ガスの匂いも混ざっていく。
燃焼ガスは毒性があり搭乗者が吸い続ければ一酸化炭素中毒を引き起こすが、砲塔天面にあるベンチレーターによって車外に排気されるので現時点では気にすべき問題ではなかった。
むしろ、現時点で彼女たちにとって重要なのは燃焼ガスの行方ではなく射撃した砲弾の行方であった。
その第三射は狙い通りモルゲッソヨの頭部に命中した。砲手は無能者では無いことを証明したのだ。
普段のエリカなら思わず歓声を挙げたであろうが、砲弾の行方を目で追っていた彼女は歯ぎしりした。残念なことに射入角度が悪くて弾かれてしまい、モルゲッソヨの頭部に凹みを作っただけだったからだ。
エリカはモルゲッソヨを睨みつけたが、同時に戦車隊中隊長のとしての役割を忘れる事はせずに周囲の状況を確認していた。
既に砲戦距離は八〇〇を切っており他の戦車も次々に発砲していたが、その戦果は全く無かった。
まるで、エリカの行動をなぞっているかのようであり、副隊長の補佐を務める実力を持つ彼女でさえ流石に焦り出した。
そもそも、図体の大きい戦車に比べてモルゲッソヨは小さい。
更に、彼女と共に戦っている仲間たちは全国大会出場選手として選抜されなかった生徒だから、エリカが車長を務めるティーガーⅡの乗員よりも技量未熟な者が多い。命中しないのは当然とも言えたのだが。
このままでは負ける。そうなったら……。
彼女の脳内に戦車格納庫の惨状が鮮明に再生されると、嘔吐感を覚えてしまい口元を手で押さえた。何しろ数時間前に見た光景であり記憶は鮮明である。
モルゲッソヨの襲撃を受けた戦車道履修者たちが次々に汚されていく状況を為す術なく見ていた彼女は、徹甲弾の直撃に匹敵する程の精神的衝撃を受けていたからだ。
喉が焼けるような違和感が消えて冷静さを取り戻した彼女は、標的への命中精度を向上させる一番簡単な方法を思いついた。単純に砲戦距離を縮めることである。
だが、それをした場合は……。
エリカは数秒で思案して方針を固めると、口喉マイクのスイッチを入れた。
「貴女たち、良く聞きなさい。貴女たちが乗っている戦車はⅢ号戦車以下の二線級戦車であり、貴女たちの殆どは全国大会への出場資格が無い補欠選手よ。それを自覚しなさい」
彼女は一呼吸置くと話を続けた。
「だけど、私は貴女たちに秘めた実力があり、それを発揮する機会が無かっただけだと信じている。だから、貴女たちの目の前にある現実を直視しなさい。まほ大隊長率いる全国大会選抜隊と通信途絶してから一時間以上経過している。今の段階で無線封止は無意味だから、全戦車が被撃破としたとしか考えられない。常勝を誇る黒森峰女学園高等部戦車隊は書類上の存在になったのよ」
車長の幾人かが悲鳴とも呻きとも取れる声を漏らしたが、エリカはそれに構わずに話を続けた。
「だからこそ、貴女たちの目の前にある機会を自らの手で掴み取りなさい。戦車隊は壊滅しても先輩たちは生きている。その先輩たちに見せつけてやりなさい。貴女たちが先輩たちと遜色ない実力を持っていることよ」
先輩たちを始めモルゲッソヨの襲撃を受けた生徒たち全員は生きているから、エリカは嘘をついていない。社会復帰出来るかは不明だが。
だからとはいえ、彼女は「人類の未来のため」とか「世界平和のため」と言った英雄名言語録さえ取り上げられないような綺麗事を言って士気を高めたくはなかった。
その言葉を用いるのがふさわしい人物がいる事を忘れていないからだ。
最後にエリカは仲間たちが理解出来るように話を結んだ。
「先程の指示は取り消す。戦車の全兵装使用自由、行動自由、モルゲッソヨに接近して一機でも多く撃破しなさい。躊躇わずに引き潰しなさい。そして、全機撃破して堂々と校門をくぐりなさい!
彼女の言葉によって指揮下の戦車が前進を始める。エリカの戦闘は始まった。