モルゲッソヨ   作:キルロイさん

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 アリサの挙動の見るにつれ、エリカの内心では彼女への不信感が広がりつつあった。

 

 だが、ふと先程の彼女との会話を思い返せば、サンダース大はモルゲッソヨの襲来を受けて二度も撃破している。彼女を始めサンダース大の生徒たちは既にモルゲッソヨの特性や対処法を把握しているのかもしれない。

 

 だからといって、彼女の挙動は納得出来なかった。まるで地面に隠した餌を探し回るリスのように彼女は何かを探していたからだ。

 

 丁度その時に被害が軽傷で済んだ一人の生徒が通りかかった。『秒速で撃破される女』との異名を持つ彼女の姓は直下である。彼女はモルゲッソヨ戦で本格的戦闘に突入する前に、伏兵として潜んでいたモルゲッソヨに撃破されてしまったのだ。

 

 被撃破第一号の記録を更新しただけで戦闘終了した彼女にとって、この異名は不愉快きまわりないものである。だが、彼女が大学生になった時にその別名を決定的にする出来事を彼女自ら引き起こした。

 

 彼女は一人の男と初めて共に一夜を明かした。ただ、それだけだった。

 

 それだけだったにも関わらず彼女は妊娠、結婚、出産というライフイベントを次々に経験する事になる。一人の男に撃破された彼女は、その異名が伊達では無い事を自ら証明したのだ。

 

 話を戻すが、アリサは直下を呼び止めると何点か質問し、更にその生徒の案内で講堂の中央まで進んでいった、どうやら、直下と親しい戦車の乗員が寝ている布団に案内されたらしい。

 

 エカは即座に彼女の後を追うべきであったが、彼女が常に付き従うべきと考えているまほ隊長の元に留まるべきか悩んでしまう。まほはどんな時でも隊長の職務を果たそうしており、安静にしている生徒たち一人一人に声を掛けて励ましていたからだ。

 

 エリカにとっての優先順位はアリサよりまほが上であるが、アリサをこのまま放置しておくのは危険だ。だから、彼女は手持ち無沙汰な様子で立ち続けていた生徒に声を掛けた。

 

「ねえ、そこのあなた、何もやる事が無ければ私の代わりに手伝ってくれないかしら?」

「何をすれば?」

「講堂の中央にいるサンダース大の生徒を見張っていなさい。彼女が変な事を始めたら、すぐに私に報告しなさい」

「分かったわ。それにしても、お姉ちゃんたちも大変だね」

「あっ? アンタ、何の分際で隊長をお姉ちゃんと呼ぶ……えっ? みほ! 何でここに!?」

 

 モルゲッソヨによる被弾により顔まで粘液塗れになったみほは、安静にすべき生徒たちの一人に含まれる筈である。だが、あの粘液を綺麗に拭き取るのは至難の業であるにも関わらず、綺麗な肌をエリカに晒していた。

 

 それを見たエリカは彼女に様々な事を聞きたかったのだが、そのために脳裏に浮かび発した言葉は彼女らしい言葉であった。

 

「あなた、こんな所で何をしているのよ?」

「皆真剣に話していたから、声を掛けるタイミングを計っていました」

「そう、ならば話が早い。サンダース大の戦車道チームから来た使者が」

「こっちに戻って来ました」

 

 みほの言うとおり、講堂の中央にいたアリサはエリカたちにぐんぐん近づいて来た。そして、彼女はみほの前に立つと矢継ぎ早に質問を始めた。

 

「あなたが西住みほなの?」

「は、はい」

「覚えとくわ。それより、モルゲッソヨとの戦闘に勝ったのは間違いないの?」

「い、いえ、違います。戦車は被弾してしまうし、私にはモルゲッソヨのネバネバした液体が掛かってしまいました」

「その粘液について、他の生徒に掛かった粘液は拭き取れないのは知っているかしら?」

「はい」

「でも、何故かあなただけはそれが全部拭き取れてしまった」

「はい」

 

 みほの答えを聞くとアリサは首を捻った。

 

 モルゲッソヨの粘液は生徒の身体や衣服に付着すると、タオル等で擦っても除去出来ない。そして、彼女は身体に抱き付かれたモルゲッソヨ一機分以外に側面装甲を貫通して車内に侵入した二機分の粘液も浴びている。他の生徒より多量の粘液が付着したにも関わらず、彼女だけその粘液が拭き取れてしまった。

 

 アリサが知り得るモルゲッソヨの特性からは有り得ない現象であるからだ。だから、アリサはその理由を突き止めるべく、更に質問を続けた。

 

「どうやってあの粘液を拭い取ったの」

「初めは全く拭き取れませんでした。でも、『嫌だ、気持ち悪いよお』とか言いながらタオルで擦ると拭き取れちゃいました」

「どこに掛かったの」

「えっと、ほっぺ、首、胸、手、お腹、太腿、足だったかな」

「もしかして、殆どが服に掛かったので直接肌に掛かったのは僅かだったとか?」

「いえ、手にも足にもべったり付きました。時間が経つと下着の中にも入ってきました。ぬるっとした感触で、何か凄かったです」

「ふうん、モルゲッソヨの粘液を浴びてから身体に変化はあったのかしら」

「うーん、えっと……、特に変化は無いです」

「嘘は駄目よ。正確に答えて!」

「実は、あの時、何だかくすぐったいというか気持ちいいというか……。あ、あの、ちょっとだけですから、誤解しないで下さい!」

「痛みや痺れは無かったのね。それより、あれが拭き取れた理由は推測出来る?」

「全く分かりません」

 

 アリサは首を傾げ腕を組みながら、みほの容態が回復した理由を見つけようとした。だが、彼女が持つ知識からそれを見つけ出す事は出来ず、数分後に彼女は降参の印として両手を上げてしまう。

 

 当然ながら、アリサが答えを見つけ出せないならばエリカも答えられる訳が無い。エリカはアリサとみほと顔を交互に見つつ、全く展開が読めない状況に眩暈を覚えた。その時、機甲科の生徒へ激励をしていたまほが、それを中断して彼女たちの輪に加わった。

 

「みほ、大丈夫か?」

「お姉ちゃん、私は大丈夫だよ。だけど……」

「今は機甲科の生徒たちの回復よりモルゲッソヨの再襲来に備えなければならない時だ。彼女たちは大切だ。だが、それ以上に大切にしなければならない者がいる。くよくよするのはお終いにしよう」

「うん、分かった」

「それより、その恰好はどうしたんだ? いつ着替えたのだ?」

 

 確かにみほは、パンツァージャケットでも学生服でもなく入院患者が着用する浴衣姿になっている。正直に言ってその話はエリカにとって関係無い話であったが、アリサにとっては彼女の目的の一つを思い出すきっかけとなり彼女はポンと手を叩く。そして、怪訝な表情をしたみほに尋ねた。

 

「ねえ、あなたが脱いだ服はどこにあるの」

「医療ごみ専用の袋に入れて講堂の控え室に置いてあります。後で処分します」

「その服を見せてちょうだい」

「ふえぇぇぇぇぇ! ちょ、ちょと、それは……、」

「なぜダメなの?」

「だ、だって……」

 

 アリサにとってみほに配慮する理由が全くない。硬軟混ぜた言葉でみほへ何度も迫ると、遂にみほはその衣類を公開するに渋々ながら同意したのだった。

 

 

 

     ◆◇◆◇◆

 

 

 

 アリサは背中に背負った青色のリュックサックから手袋を取り出し、みほが着ていた黒色のパンツァージャケットを机に広げた。そして、同様に持ち込んだピンセットや薬さじを使って銀色の粘液に挿し込んだり掬い上げたりしていた。

 

 モルゲッソヨの粘液のうち、生徒の身体や衣服に付着しきれない余分な粘液は地面や床に流れ落ち、しばらくすると消えてしまう。しかし、みほの衣類に付着している粘液は如何なる理由からか流動性を失い、ジャケット全体にべっとりとこびり付いていた。

 

 アリサがその粘液にピンセットを突き刺すとプリンのように震え、薬さじで掬うと食べ頃まで柔らかくなったアイスクリームのように形を変えていく。だが、アリサはそれの粘度を調べている訳ではないのは明瞭だ。彼女はかなり緊張しており時折「ふうっ」と溜息をつくと再び作業に没頭する。

 

 彼女はその作業を繰り返し、正面側、背中側、襟や袖口、胸元にあるポケット、更にボタンを外して内側まで丹念に調べたが目的は果たせなかったようだ。だが、彼女は諦めずに今度は深紅色のプリーツスカートを広げた。みほが身に着けていた衣類を全て調査するつもりらしい。

 

 その作業をエリカは黙って見ていた。エリカにとってアリサの目的が分からないので手伝う事は出来なかったからだ。未だに彼女は真の目的を明らかにしていない。彼女自身の意図によるものなのか、彼女を送り出したサンダース大による口止めなのか判断つかないが。

 

 アリサは黙々と作業を続け、深紅色の襟付きシャツ、スポーツブラ、ハンカチ、彼女の身体を拭き取ったタオルの順で次々と調査したが成果は見出せない。彼女は最後の衣類を取り出そうとしてごみ袋を覗き込んだが、その時になって初めて気づき彼女へ問いかけた。

 

「ねえ、みほさん。あれは無いの?」

「あれって?」

「あなたが穿いていたショーツよ」

「それも調べるのですか?」

「そうよ。早く出してよ」

 

 みほは隣に立つまほの耳に小声な何かを話し出した。みほにとっては赤の他人に聞かれたくない内容であり、当然ながらまほも小声でみほに話し掛けるが、遠くまで良く通るまほの声はエリカやアリサに耳にしっかり届いてしまう。彼女はこう言ったのだ。「みほは小学五年生までおねしょしていたのだから、今更おもらししても恥ずかしくないぞ」と。

 

 つまり、彼女はモルゲッソヨとの戦闘で失禁してしまい、その時に汚した下着をどこかに隠したのだ。道理で身に着けていた衣類を公開するのを拒んでいたのだ。

 

 では、彼女はショーツをどこに隠したのだろうか。エリカの直感だが山のように積まれた医療ごみ袋の中では無いような気がした。エリカは何となく室内を見渡すと全身が映る大きな鏡に目を留めた。

 

 この部屋は外部から招いた講演者が講堂の演台に上がるまでに待機する部屋であり、殺風景な部屋に折り畳み出来る机や椅子、身繕いするために小さな四個の車輪と支柱で支えられた縦長の鏡が置かれている。だから、ここに鏡があるのは不思議な事では無いが何故かそれが気になる。エリカは鏡に近づいてそれを掴むと振り返り、みほの表情を伺った。

 

 みほは顔を強張らせながら視点を向けていた。鏡の下側にある小物入れの引き出しを。

 

 だから、当然のようにエリカはみほが視線で指し示す箇所だけ探し、厳重に封をされた袋を見つけた。それをアリサやまほが待つ机の前に置くと袋を慎重に開封し、ピンセットで摘まんでそれを取り出す。

 

 遂に、熟した苺のように真っ赤に染まり半泣きしような顔をしたみほの前に、室内灯の光を浴びて鈍く光る銀色の粘液が纏わりついたショーツがぶらりと吊らされた。純白の小さな布地から作られた彼女のショーツは、その布地面積に対して多量の粘液が付着している。彼女のショーツが清潔感溢れるものであった事を物語っているのは、外側にプリントされたボコのアップリケぐらいだ。

 

 それを見た者は三者三様の意見を述べた。

 

「うわっ、子供っぽいパンツね。クマのイラスト入りパンツを履くのは小学生までよ」

「クマじゃない。ボコっていうんだよ」

「みほ、クロッチが黄ばんでいるぞ。相当漏らしたな」

「そんなにジロジロ見ないで!」

「そのシミに変なエロイ液も混ざっていない?」

「はうっ!」

「図星なの!?」

 

 だが、彼女たちはみほのショーツについて批評するためにここに来たのでは無い。再び真剣な表情に戻ったアリサはみほのショーツを机に広げると、伸縮するゴムの縫い目にある糸のほつれを探すかのように丹念に調べていく。その努力は遂に実った。

 

「あった!」

 

 歓声を上げた彼女がピンセットで摘み上げた物は紙の切れ端であった。鋏で綺麗に切断したのではなく手で破いたような輪郭をした紙には何かが書かれている。それを机に置くと彼女は再びみほのショーツに向き直り、その後も紙片を探し当てた。そして、これ以上は見つからないと判断したアリサは漸く作業の手を止めた。

 

 その数は三枚、そのうち一枚は五線譜ではなく記号のようなものが書かれていた。その紙片に興味を持ったエリカがアリサに尋ねた。

 

「これって楽譜かしら」

「そのとおりよ。五線譜や音符が見えるでしょ」

「こっちの記号にようなものは何なの?」

「ハングル語よ」

 

 アリサは手袋を外すと青色のリュックサックからファイルを取り出し、何かが印刷された紙を取り出した。そして、それを机に置くと先程探し当てた紙片を置いていく。それが終わると、アリサは満足そうにそれを眺めていた。

 

「どうやら、私の仮説は正しかったようね。これが、モルゲッソヨが大量に出現出来ない理由よ」

 

 アリサがリュックサックから取り出した紙は、サンダース大に襲撃したモルゲッソヨから回収した紙片を並べて印刷したものである。みほのショーツから回収した紙片と切断面がピタリと合う紙片が合い、彼女の仮説は証明されたのだ。

 

 更にアリサは元の楽譜のコピーを取り出す。幾つかある五線譜や音符の並びを見比べれば、元の楽譜を破いた紙片である事は明確であった。これを見たまほは、アリサが隠していた真実のうち一つに辿り着いた。

 

「つまり、この紙片がモルゲッソヨの核であり、元の楽譜から破かれた紙片の数しかモルゲッソヨは出現出来ないという事だな」

「YES。サンダース大に襲来した機数と回収出来た紙片の枚数から推測すると、五機のうち一機にこの紙片が埋め込まれているようです。紙片が埋め込まれている一機が隊長機、それに四機が隷属していると思われます」

「成程。それで、この曲のタイトルは?」

「『鮮やかなる朝の歌』、今でも特定の地域で歌われている歌ですよ」

「もしかして、角刈りのボンボンがマウント取っている地域?」

「YES」

 

 だが、まほが理解出来るのはそれだけであった。音符以外はハングル語で書かれており、その言語を勉強していない彼女には理読不能だからである。だが、一箇所だけ楽譜の隅に水滴で滲んだ漢字が書かれている。

 

 その漢字と歴史に精通しているまほの知識によって、一人の人物の名が頭に浮かぶまでに要した時間はほんの僅かだった。

 

「成○琳?」

「YES。既婚者である彼女は彼の求愛を受け入れ、夫と子供を捨ててまで新たな夫と結婚しました。ですが、親族から敵国人扱いされた彼女は、新たな夫との間に出来た子供を奪われて平壌から追放されます。その前夜に彼女は涙を流しながら歌ったそうです。この楽譜を使ってね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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