ぜろ.苦労するニューゲーム
心臓が鼓動を止め、思考が完全に磨滅して、脳細胞が壊れて──そんな状態を死と規定するのなら、澪は間違いなく『それ』を体験している。それも──幾度となく。
一番最初──もう思い出すことも難しい──遠い遠い時間の果てでそれを迎えてしまった時は、
痛みは辛かったけれど
別れは悲しかったけれど
暗闇は怖かったけれど
終わりは苦しかったけれど
だけど、ほんの少しだけ、嬉しかったのに。
──でも、神さまといういるんだかいないんだかも分からない謎の存在は、とことん澪が嫌いらしい。
そんな僅かな安寧は新たな生という形で押し潰され、その度澪の魂は軋み、慟哭を上げた。
安寧が齎されることはなく、終着点は訪れず、人生ぐるぐる──繰り返し。
知らない人。知らない生き物。しらない、せかい。
そんな場所で澪は時間の差こそあれ、必ず『澪』として意識を取り戻し、記憶を喚起してしまう。あまりにも唐突で理不尽だが、それは避けようもなく脳髄に全てを刻み込む。
過去の自分が犯してきたすべての罪。侵してきたすべての罰。なにもかもが消えもせず、澪の中に蘇った。
絶望があった。悔恨があった。諦観が支配した。途方もないほどの寂しさが澪を埋め尽くした。
残酷なほど鮮やかに記憶に残る大切なひとたちは──この世のどこにも、いないのだ。
誰も悪くなんかない。責める人なんかいない。みんながいないのは、当たり前。あえて言うなら、死んでしまった自分が一番悪い。
それを理解してしまって、打ちのめされて、ぜんぶぜんぶ辛くなって。
それでも自ら断ち切った試しがないのは、衝動的に終わらせようとしなかったのは、もし自分で喉を貫いたとしても、また『こう』ならないとも限らないという恐怖と(そしてその予想は当たっていたのだ)、『生前』の誓いという名を借りた呪いと──そして、新しい『誰か』の存在だった。
新しく出会う家族、新しく出会う友人、道端で会話を交わし、笑顔を向けた誰か。
紡がれていく親交に、向けられる親愛の情に、背を向けることはどうしてもできなかった。
澪の中でごっそりと抉れてしまった部分が埋まることはなくても、記憶では感じることのできないあたたかさが、それを少しずつくるんでくれる気がした。
けれど──澪にとってそれは邯鄲の夢のようなもので。
どれだけ懸命に努力しても、今度こそはと願っても、終わってしまうのだ。大抵はひどく突拍子もなくてあっけなく、無残なかたちで。
生まれて死んで、人生ぐるぐる──繰り返して、繰り越して。
嵐のように訪れる理不尽に抗う手段も、根性もとうに尽きてしまった。
だから、刹那に
──これで『おしまい』だったらいいのに。
人骨を踏みしめ、怨念を啜り、血道を這うように生きてきた。
もし『本当に』死を迎えることができて、地獄というものがあるなら自分はそこに行くのが当然だと思っていた。そこに疑問の余地はない。後悔もまた──ない。
身の内に孕み続け、重ねに重ねた慚愧の念を刑罰という形で贖うことが叶うのならば、むしろ望むところだったのだ。
しかし──運命というのは思う通りにならないのが常で。
そんなの否応なく体験してきた澪だったけれど、どうやらそれは今回においても同様らしかった。
×××××
死んだと思ったら、既に次の段階だったなんてのはもう何度目のことか。
しかも周囲の反応や父母たちを鑑みるに、かなり高い身分らしい。社会最底辺を這ってきた身として、この地位の爆上げっぷりには戸惑いしかない。
今生での自分の身分は、なんでも世界貴族――天竜人という世界政府を創設した一族の末裔とかいう、言ってみれば王侯貴族?のような感じらしい。なにそれ気持ちわrげふん。
ついでに言うなら、昔の天竜人がどうだったかは知らないが、現在の天竜人なんて権力を笠に肥え太った豚である。天井知らずに暴走した権力を、無能な輩が何の労苦も背負わずに得るとどうなるか、なんてお察しである。腐ってやがる、遅すぎたんだ……!
幸いなことに、うちの父母は天竜人の中では比較的良識を持ち合わせていたので、そこだけはよかった。上げ膳据え膳の生活はまだしも、奴隷とか下々民とか……ないわー。そういうのがフツーに横行してるなんてデカダン趣味にもほどがあんだろうがよ。
とはいえ出自は自分で選べないので、そこら辺は早々に諦め、ほどほどに日々を過ごして数年後、可愛らしい弟がひとり増え、ふたり増え、五人家族になった。
ドフラミンゴとロシナンテ。
可愛い僕の弟たち。
守るべき、いとしい家族。
まぁ、環境的に少々ドフラミンゴは天竜人特有のプライドキリマンジャロに毒されつつあるし、ロシナンテは逆に野に放ったら最後、三日でお陀仏になりそうなまれに見るドジッ子だが、それでも大事な家族である。
――なので。
うちの父母が時々下界(という表現もイヤなのだが)で一般人に交ざって生活したい、とかドえらいことをのたまい始めたため、僕は家族を守るためにあらゆる手段と泥を被る決意を早々に固めざるを得なかった。
父よ、ご高説はもっともだし同意もやぶさかではないが……リスクマネージメント能力をもう少し養ってくれまいか。下手を打つと家族が詰むぞ。……いや、マジで。
前置きが長くなりましたが、どうもこんにちは今生での名前はドンキホーテ・ミオであります。
生前がアレすぎたため、自分の世話をさせるのは最小限。奴隷を買うこともなければ気まぐれに殺すこともない、極めて特殊な子供と認識されております。いや無理だって。鳥肌止まらんし。
まぁ、例外はあるけどね?
「この奴隷もう飽きちゃったえ~、動きもトロいしイライラするえ~」
あほ丸出しの絵に描いたようなクソガキが、自分の人生の倍以上を生きてきた男を足蹴にしてやがる。
周囲の人間は、そんな異常な光景に何も言わない。
胸糞悪いが、これも『日常』のいちぶである。雲上人だから何をしても許されてしまう。許されて当然、という意識しか存在しないというのは本当に厄介だ。
「なら、僕がもらい受けても?」
心の内でため息を漏らし、クソガキが『処分』を言い出す前にそう口に出す。
今日はドフィもロシーもいないから、『こういうこと』ができる。クソガキはきょとんと首をかしげ、「いいのかえ?使い古しだえ?」と念を押してきた。
すると、その隣にいたクソガキの友人らしきクソガキBがひそひそとクソガキに耳打ちする。
「こいつ、アレだえ。『中古好き』だえ」
「ああ、そうだったのかえ。納得だえー」
するとクソガキがうんうん頷き、奴隷を繋いでいた鎖を手放す。
「好きにするといいえ」
「ありがとう。では、彼はこれより僕のものになりました。手配を」
「はっ」
僕の隣にいた護衛というか傍仕え()のひとりがてきぱきと奴隷(むしろ被害者)譲渡の手続きを済ませ、こちらへと彼を誘導してきた。
クソガキたちは手放した奴隷に興味などないのか、もはや姿も見えない。けたくそ悪い話である。
ああ、自分で歩けるならまだ運が良い。身体つきもがっしりしているし、これならばそう遠くない内に『送還』できるだろう。
まじまじと男性を観察していると、全てに絶望しきっていたような声がぽつりと落とされた。
「お前は……おれに、何をさせるつもりだ」
淀んだ目には希望の欠片もなく、そこには生活に倦み疲れた者特有の諦観だけがあった。
「そうですね、まずはお風呂、投薬治療、食事による栄養摂取でしょうか」
男に関する書類にざっと目を通しながら、さばさばと答えてやる。既往症もないね、よしよし。
「……あ?」
「身体が回復したら、最低限渡世できるだけの手に職をひとつは身につけてもらって……あとは、自由です」
即殺されるだろうから復讐はお勧めできないが、それ以外ならば最大限の便宜を図る。故郷に帰るも行きたい国に行くも、好きにすればいい。
そう淡々と告げるとぽかりと男が口を開けたまま動かなくなり、傍仕えの青年がくつりと笑う。彼も僕がもらい受けた『中古品』のひとりだ。
「ミオ様のお目に留まったお前は、運がよかったな」
面白そうに呟き、男に向かって声をひそめて。
「ちなみに、おれも元は奴隷だ。勝手にすればいいと言われたから、ミオ様に登用してもらった」
「帰りたくなったら、いつでも言ってくれて構わないと言っているのに」
いつもの言葉を投げると「いいえ」とこれまたいつも通りに首を横に振られる。
「おれはアンタが気に入ってるからな。もう少し付き合うさ」
本来なら天竜人にタメ口をきいた時点で即打ち首だろうが、僕はべつだん気にしていない。彼もそれが分かっているから、こうして気安く話しているのだろうけど。
年上なのに敬語はやめろと言われたので、それだけは不満ですわ。
「ありがとね」
ぽつりと呟くと、傍仕えが茶化すようにかしこまった礼を返す。そんな気安い空気に男はようやく事態を飲み込んだのか、声もなく瞳からぼろぼろと涙をこぼした。
雫が堕ちるたびに、瞳が洗われたように生気を取り戻していく。
「貴方の苦境に報いるには到底足りませんが……僕にできるのは、これが精一杯」
知らず、声に悔恨が漏れる。
僕は(自分が気付いた範囲程度でしか無理だが)奴隷が処分されそうな時に取引交渉を行っている。
大抵はあっさり引き渡してくれるので、僕は彼ら(或いは彼女)を元気にして、ひとりで生きてゆけるだけのスキルを教え込み、頃合いを見て彼らの望む場所へと『送還』している。
逃げるように故郷へ帰る者が大多数だが、時たま物好きな者がいて、彼らは僕に仕えてくれたり、故郷へ戻っても他の奴隷が『送還』される際に率先して手伝いをしてくれる、とても奇特でありがたい存在だ。
「貴族としての義務すら忘れ去った愚物の末席を汚すものとして、恥じ入るばかりです」
貴族、まして王族が背負う義務は果てしなく重い。特権階級に座する者は、それを持たない人々への義務によって釣り合いが保たれるべきなのだ。
本来自分たちのような立場にいる者たちこそが社会の模範となるように振る舞うべきであり、それが社会的責任というものだ。そんな当然のモラル・エコノミーすら守れない自分たちのような存在など、権力と金に縋るしか能のない寄生虫と同義である。
「どうか、恨んでください。呪いあれと――願ってください」
そうされるだけのことを、我々はしているのだ。
許す必要などないのだと、それは貴方が持つ当然の権利なのだと道すがらに説いて、あとのことは傍仕えに任せて家に帰る。
すると、廊下をぱたぱたと走る小さな足音がふたりぶん。
可愛い家族のお迎えだ。
「あねうえ!」
「ね、ねぇさま……!」
どうぶつみたいに跳ねてきたドフィを片手で受け止め、いつものようにつんのめったロシーをもう片方の手で掬うように抱きとめる。
「ただいま。ドフィ、ロシー」
すると二人はぎゅうぎゅうと服を握って更なるハグを要求してきた。なんとも可愛らしいことである。
まだまだ小さい弟たち。天竜人の中では変わり種扱いされている僕にも懐いてくれている。
子供特有の高い体温としがみつく腕の力を実感して、その度に守らなければと強く思う。いやまぁ、自分もまだ子供っちゃ子供に分類される年齢なんだけど、中身がアレですからね、はい。
某名探偵じゃないけど外見は子供でも中身は○○歳。天竜人の異常さや世界情勢の流れなんかは、うっすらとだが把握している。
天竜人という種族に与えられる果てしない特権と、天上金などにまつわる様々な恩恵、そして天国というぬるま湯に隔離されているからこそ我々は生きることができているのだ。
だからこそ、我が父の言う『下界で一般人に交じりともに暮らしたい』というお花畑願望に関しちゃ理解はできるが、実行するとなるとかなりの無理ゲーであることもまた、理解できてしまうのだ、これが。はっはー、胃が痛いぜ。
なんせ、下界の人にとっちゃ我々なんて不倶戴天の敵だろう。
蛇蝎の如く嫌われるくらいならまだいい方で、下手を打てば敵討ちという名の虐殺待ったなし。拷問されてもおかしくない。『天竜人』という後ろ盾を失った天竜人なんて体の良い生贄と変わらない。
なので、折に触れては性善説を旨としている父にそれとなく下界の危険性を説いているのだが、わかっているかはいまいちだ。思考の差異があるとはいえ、父母も結局は天竜人。天国育ちの純粋培養だからなぁ。ダメだこりゃ。タガの外れた人間の醜さを、暴走を知らない。
優しいのは父母の美徳だが、生きるにはそれだけでは足りないことを僕は骨身に染みて理解している。
だもんで、早々に説得は諦めた。
こうなると家族の今後を守るために奔走するのは僕しかいない。まぁ、こういうのは年長者()の役目でしょう。
ちいさな身体が歯痒いが、それでも僕はおねーちゃんだ。
家族を守る為に汚れ仕事を被るくらい、なんてことない。
「だいすきだよ、ドフィ、ロシー」
抱きしめ返して、そっと告げるとふたりも満面の笑みを見せてくれる。
「おれも大好きだえ! あねうえ!」
「ぼ、ぼくも……だいすき」
堂々と返すドフィと控えめながらに答えてくれるロシー。いつの間にかあらわれていた両親も微笑みを浮かべていた。
今の自分は、言ってみれば中途までのセーブデータを無理矢理別のゲームでロードして『はじめから』進めているようなものだ。少なくとも自分はそう認識している。
無理を押し通しているのだから合わない部分もあれば、それまで上げてきたレベルの分だけ突出している部分もある。基本操作が同じなら、選択肢に余裕だって持てるだろう。
けれど、いや、だからこそ──バグも出る。
たとえ空が空で、人が人でも、そこにある法則は自分の知るそれとは、大なり小なり違いが生じている。それが吉と出るか凶と出るのかは、その時にならなければ分からない。
コンティニューですらないのだ。
保持したままの『記憶』と『経験』が根幹にあるから、僕は自意識から逃れることすら叶わない。『やりなおし』じゃないことが、何よりきつい事実だ。
ああ、頑張らなくちゃ。