冬島で蜘蛛を拾った。
ぬいぐるみぐらいのサイズで色は黒。全身の体毛がびろうどみたいで艶がある。複眼が暗い柘榴石みたいでわりと綺麗。
八本あるはずの脚が二本くらい欠けてて、岩礁の端っこに引っかかっていた。
特に恐怖を感じなかったので「くる?」と聞いたら、脚を上げて返事をしてくれたので招き入れた。みんなには内緒。
水陸両用なのか部屋でも問題ないらしく、ベッド脇でぬいぐるみ役をしてもらった。
普通の蜘蛛みたいに虫を食べるのかと思ったらなんでもイケる口だったので助かる。根菜が好みらしい。とっても異世界を感じる。あとサイズに合わない俊敏さでちょっと驚いた。
ゴキ○リを駆逐する例の蜘蛛そっくりだったので、軍曹と名付けた。
ミオが白ひげの娘になって二年。
身長はちょっぴり伸びて、でも生前とそう変わらなかったので相変わらず小さい。ぎりぎり160cmにとど……かないので、相対的に仕方ない。
隊長クラスとは、五回やって一回くらい不意打ちを食らわせられるようになった。
手加減を忘れさせることができるようになったあたりで、戦闘面のお墨付きをもらえた。そこからは世情の勉強を頑張った。
この前襲ってきた海賊と交戦したところ、悪魔の実をたまたま手に入れたので船内オークションを開催して軍資金を入手。ミオには既に忘れ形見という名の能力があり、悪魔の実を追加するのは危なすぎたのでちょうどよかった。
「なに買うんだよい?」
「ひとり用のふね!」
マルコに聞かれたので正直に答えたところ、競り落とした船員がよってたかって責め倒された。「独り立ちしちゃうだろ馬鹿!」「まだ早いって!」「どこに貯め込んでたんだよ!」「くっそ落札額こっちで決めとけばよかった!」最後の後ろ暗い裏取引を口にした船員が爪弾きにされた。
それから船員たちにさんざん引き留められたけど、白ひげの「可愛い子には旅をさせてやるもんだ」という鶴の一声で全員がしぶしぶ引き下がった。
「金を稼ぐアテはあんのか」
ミオの弟捜索は白ひげ海賊団とはまったく関係のない私事である。
なので、個人が餞別をくれてやるのはともかく白ひげから資金を出してやるのはなにか違うし、ミオもそこまで世話になるつもりはない。
「賞金稼ぎを目指します!」
というか、白ひげを背負わずに自由がきいて、かつ選べる職種がバウンティハンターくらいしかなかった。
討伐対象も選べるし、ミオの実力なら問題ないだろうと白ひげは頷き、晴れてミオは『はじめてのおでかけ』へと旅立てることになった。
準備中、船員たちからの餞別で船がいっぱいになりそうだったので、各隊ごとに代表して渡す形式になった。
水・食料・ログポースなどの基本的なものとは別に、白ひげ以下隊長数名のビブルカードと緊急用にと電伝虫の番号、暇つぶし用の本や防寒具とだいぶ過保護なラインナップである。
それから船員たちに心配と激励を口々に言われ、最終的には連絡の義務付けとたまには顔見せに帰ってくることを約束させられ、号泣する船員をバックに出航するという、なんともアレな船出となった。
ちなみに出航前夜、白ひげに挨拶と秘密にしていた新しい相棒というか、家族の軍曹を紹介したら二度見された。
「フクラシグモじゃねぇか、どこで拾ったんだ」
フクラシグモというのは、水を吸って自由に体積を変えられる蜘蛛。
分布図や生態の詳細は不明ながら糸は強靱で知られており、一度ひっかかると海王類でも抜け出すのは困難とかなんとか。
まさに漁師垂涎の糸なのだが、その強さと捕獲の困難さから超がつく高級素材扱いらしい。パワー・スピードともに某軍曹並なのだから、それが巨大になればどうなるかといえばお察しである。
うってつけの相棒だなと白ひげはグラグラ笑ってミオの頭を撫でた。
「気を付けて行ってこい」
「うん、行ってきます!」
白ひげは、数奇な運命を辿る愛娘の門出を笑って見送った。
かつての友人に託されたものは、彼の言う通り悪いもんじゃなかった。
彼らが誇り、守るに値する、小さいけれど元気よく飛び跳ねるあかるい星だった。
悲惨と称しても過言ではない過去を、そう悪いものではないと胸を張れる強い子供だった。
弱音を吐くことも許されない環境で、なにも憎まずにいられる希有な子供だった。
そうされて当然の年齢だったのに、頼ることも甘えることも許されなかった、哀れな、子供だった。
息子たちも接する内にそれを察したのか、やたらと過保護になったり甘やかしたりしていたが、そうされるたびにぎこちなくなるのが可愛らしくも痛々しかった。
年越しにようやっと、年相応の顔が見られることが増えてきていたのに、本人たっての希望で唐突な出奔だ。止める気持ちもまぁわかる。とはいえ、区切りをつけるにはいい年齢だとも思う。
──行ってきますと言ったのだから、おかえりと迎えてやるのを変わらず待っているのが、家族というものだ。
白ひげは寂しがって泣いている馬鹿息子たちに喝を入れるべく、大きく息を吸い込むのだった。
×××××
白ひげ海賊団御用達の船大工さんから調達した船は、今日も快適である。
簡単に説明すると、キャンピングカーならぬキャンピング船だ。
船内の天井は高く、キッチン・バス・トイレに寝室までついた至れり尽くせりな作りである。
普段は舵輪を回して操舵しているけれど、近場に島があるのに凪に当たってしまった時にはなんと、軍曹が牽いてくれる。どーだすごいだろ。いやすごいのは軍曹なんだけど。
軍曹は海水につけるとみるみる大きくなり、最大だと八畳くらいのサイズになって、お尻の糸で船を固定して引っぱってくれるのだ。ありがたい。
「うーん」
甲板に持ってきた椅子に座って、ニュース・クーから届く定期新聞に目を通しながらため息。
世情の勉強をしていく内に、とても重大な事実に直面した。
なんと僕は──浦島太郎状態だったのだ!
きっかけは、お父さんが見せてくれた新聞の年号。
本来の家族と生活している時は新聞代も惜しくて、そこらのゴミ捨て場にあった新聞を流し読むくらいだったのだが、それでも変だった。ズレまくっていた。
慌てて教師役の隊長に聞いて、お父さんにも確認を取って、結論。
ざっと見積もっても少なくとも十年くらい、僕は時間をスキップしている。
時の流れが残酷すぎて涙でそう。
どれだけ凍結されていたのか……こちら的にはいっても数ヶ月だと思っていたのだが、それがなんと十年ちょっとである。めっちゃ混乱する。そしてヤバい。
そこまで時間経ったら、弟たちの見分けがつかないかもしれない。
男子三日会わざれば刮目して見よ、なんて言葉があるのだ。二次成長を遂げた弟たちの顔がまったく想像できない。どうしよう。
うんうん悩んでいたところで、更なる爆弾投下。
なんと、最近破竹の勢いで成長している海賊団の中に『ドンキホーテ海賊団』なるものが存在するそうな。
これはあれですね、確かめるしかないですね。
人違いならそれでよし、そうでないならまぁ……いいか!(投げやり)
人生楽しめといったのはお姉ちゃんであるからして、海賊でも人生謳歌してるならなんでもいいよ、もう。
そうでも思わないとやっていられない。現実は厳しい。
新聞を握りしめたまま、確かめなくてはいけないという義務感と、見たくねぇなぁという個人的感情で身もだえしていると、ふ、と影が差す。
「ん?」
時刻は昼間で天気は快晴。影が差すとはこれいかに。
軍曹が反応していないので、サイクロンとかでもないみたい。
顔を上げて、赤い竜をかたどった船首が目に飛び込んできた。モビー・ディック号にも比肩しうる巨大な、僕の船なんか一発で轢き壊されるレベルの船だ。
あらやだぜんぜん気付かなかった。
「おうい」
大口あけて見上げていたら船首に一人の影。
日差しで煌めく赤い髪。大柄な身体に似合わぬ稚気にあふれた動きでぶんぶん腕を振っている。
大きく手を振り返し、ご丁寧に既に垂らされている縄ばしごを確認。碇を降ろしてから軍曹と一緒に上ると、案の定な方々がお出迎えしてくれた。
「こーんにーちはー」
「よっ、元気そうだな!」
ニカッと笑ったのは筋骨隆々とした体躯に威風堂々、白ひげ海賊団にもたまーに遊びにきてた赤髪海賊団の船長。通称が赤髪のシャンクス。見たまんまでとてもわかりやすい。
その横でタバコをふかしているのが副船長のベックマンさんで、骨付きまんが肉を貪ってるのがルゥさん。食生活の偏りが心配になるなぁ。
見張り台でヤソップさんがサムズアップしているので、彼が気付いたらしい。
「なんだなんだ家出かおい? 誰とケンカしたんだよ、一緒に謝ってやろうか?」
背中をべしべし叩いてくる親戚のおじさん感が半端ないシャンクスさんである。なんで家出一択なの?
いや前科があるからなのだけど、原因は忘れたが一回船員とものすごいケンカをしてプチ家出(船内限定)したことがあるのだ。
大捜索中にちょうど赤髪海賊団の皆さんが来て、めちゃめちゃに笑われた。ちなみに僕はたたんだ帆の隙間で拗ねていた。見聞色の覇気はずるいと思います。
「家出じゃなくて、ちょっとお出かけです」
「あの過保護な連中がよく許したな。その蜘蛛のおかげか?」
過保護……うん、稽古と交戦時以外は過保護ですね。否定はしません。
ベックマンさんは軍曹がフクラシグモだとすぐ看破したみたい。さすがです。
ちなみに軍曹は絞ると縮むので、現在僕の肩に乗っかっている。サイズ的には仔猫。縮む限界がこれくらいなのだ。
「軍曹は関係ないですよ? そろそろ家族捜しに行きたくて、お父さんに許可もらっての旅路ですので」
「ん? ミオの家族は白ひげだろ?」
シャンクスさんの疑問はもっともである。
「それはそーなんですけど、血が繋がってる方です。弟たちを捜しにえんやこらと」
「へぇ、弟なんていたのか」
ブチィ、と豪快に肉を噛み千切ったルゥさんが口をもごつかせた。よく噛んで食べていただきたい。
「二人いるんです。可愛いのとくそ生意気なの」
「……家族と暮らすつもりなのか?」
そこまで話を聞いて、なんとも複雑そうな顔つきになるシャンクスさん。お父さんとこも海賊なので、足を洗うつもりなのかと考えても不思議ではない。
首を横に振る。
「んにゃ、純粋に安否確認です。元気でやってるなら、それで」
どうするかは、会ってみなければわからない。
というか、弟のどっちかが既に海賊デビューしているので、元気なのは間違いない気はする。
とりあえず様子見したいなー、というのが正直なところだ。
それに。
「僕、お父さん好きだし、白ひげのひとたち大好きなので」
言ってる内に照れてきて、うへへと笑ってしまう。
託されたからって、助けない選択だってあった。
それを治療して、娘にしてくれて、みんなで大事にしてくれた。それを恩に着ない方がどうかしている。
でも、恩とか抜きにしても彼らはもう、大事な家族だ。
「どうあれ、ちゃんと帰ります。だから、お出かけ」
行ったっきり、ではないのです。
ちょっとだけ目を瞠ったシャンクスさんは、ニカリと笑って僕の頭をガシガシ撫でた。
「そうかそうか! 気を付けて行けよ?」
「捜すといってもこの海だぞ。あてはあるのか?」
「う、あの、『北の海』の方です。港町らしいので、とりあえずはそこから」
頭をバスケットボールくらいの気安さで揺さぶられているせいか思い出せない。
なんだっけ、蜘蛛っぽい名前だったんだよな。
頑張って捜すんだぞ見つからなくてもへこたれるなよそうだ宴やってくかと激励をもらって、赤髪海賊団から退散することに。宴は遠慮した。うちの弟海賊団(暫定)に拠点を移動されると困る。
「あー、お金については賞金首狙おうかな、と。さすがにお小遣いだけじゃむりなので」
白ひげさん家でお金を稼ぐ方法は、海賊との交戦でお宝ゲットした時の山分けとかが主になる。それとお小遣い。
年齢的な問題で主に雑用をこなしていたうえ、モビー・ディック号にいるとそこまで金銭に関わらないし、山分けとか心苦しいのでわりと遠慮していた。
なので貯金があんまりなくて、あの悪魔の実オークションを開催できなかったら……あと半年くらいお出かけが延びていたかもしれない。
「お、おれを狙うつもりか!?だめだぞ!?」
何を考えたのか、大げさに首元を隠すシャンクスさんである。グランドラインきっての実力者がなにを世迷い言を。
「どんだけ人生投げ捨ててんですか僕は。でも、ば~ん☆」
誰も本気にしていないが丸分かりなので、遊んで指鉄砲作ったら「ぐあ-、やられたー」と大げさに倒れた。みんな爆笑している。仲良し海賊団。
その間にベックマンさんが一旦部屋に戻り、餞別だと言ってワインと『北の海』中心に動いてる賞金首の手配書最新版をくれた。赤髪海賊団の副船長はデキる男です。
お礼を言ったら「まぁ、がんばれ」と頭を撫でられた。どうも白ひげさんちの娘になってから、みんなに撫でられる。身長の問題だろうか。ちょっと悔しい。
帰り際、拠点にしている町の名前を思い出した。おおスッキリする。
「そうそう、『スパイダーマイルズ』です。まずはそこから捜します!」
「よし行ってこい!」
びしっと指差すシャンクスさんに敬礼して、消防士みたいにしゅーっと縄ばしごから降りて、まだ手を振ってくれているひとたちに大きく手を振ってから再出発した。
なので、その後の会話を僕は知らない。
「……あー、お頭」
「ん? どうした?」
「『北の海』の『スパイダーマイルズ』は確か、『ドンキホーテ海賊団』とやらが勢力を伸ばしていた気がするんだが」
「えっ」
「まぁ、白ひげの連中に揉まれてたんだ。そうそう迂闊なヘマはしないだろう」
「うーん、ミオは勘もいいし、いざって時の逃げ足早そうだから大丈夫じゃねぇかな。……白ひげはそれ知ってんのか?」
「おれが知るかよ」
「だよな。…………おーい野郎共! 呑もうぜ!!」