桃鳥姉の生存戦略   作:小日向ひより

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はち.ロシナンテの裏事情

 

 

 

「あれがドフィの姉か」

 

 嵐が過ぎ去ったあとのような室内。

 見た目にそぐわぬ甲高い声で、ピーカがつぶやいた。ドフラミンゴの刺すような怒気をいなして平然とする姿は、全く年相応ではなかった。

 既に決定事項のようなものだったファミリー入りをあっさりと蹴り、遊びにきただけとぬけぬけとのたまう肝の太さはなるほど、彼の姉だと思わせるものがある。

 

「ああ、最高だろ?」

 

 ミオを連れて戻ってからこっち、ドフラミンゴは上機嫌だ。

 幼い頃、自分と弟を生かすために自分を囮にしたという姉。

 古参の幹部はその存在を聞き及んでいたし、つい先日まで死亡したとばかり思っていたので情報収集の傍ら、遺体を回収すべく動いていた。

 それが生きて姿を現したのだから少なからず混乱はあったが、現在はドフラミンゴがあれだけ求めていた存在が生存していたことを素直に喜ぼう、という空気だ。

 

「若様のお姉様はとっても強いのね! びっくりしたわ!」

「ニーン、コラさんボコボコだっただすやん!」

 

 ローに手を上げるのを見るや否や、鮮やかなまでのドロップキック。

 そこから平手打ちに腹パンまでのコンボは流れるようで、普段からひっぱたかれている子供たちは溜飲が下がる思いだった。

 

「若、よかったのか?」

 

 セニョール・ピンクが問いかける。

 あの僅かに垣間見えた所作から、ミオがそれなりの戦闘能力を有していることは誰にでも分かった。賞金稼ぎは伊達ではないということだろう。だが、ドフラミンゴの実力ならば、ファミリー入りを強行することも不可能ではなかったはずだ。

 

「構わないさ。言質は取ったからな」

「住み心地のよさだったらお任せザマス!」

「ドンキホーテ海賊団より良い場所などあるわけなかろう」

 

 ジョーラが胸を張り、グラディウスが腕を組んで頷く。

 ドフラミンゴに拳を叩き込んだ時は沸騰して思わず能力を発動させそうになったが、ドフラミンゴがミオを求めているならば最善を尽くす。それが当然なのだ。

 

「んねー、ドフィ。乗ってきた船はどうするー?」

「先に潰しとくんだイーン?」

 

 トレーボルとマッハバイスの提案に「よせよせ」とドフラミンゴは軽く手を振った。

 

「それをやると、どんな手を使っても逃げる。そういうヤツだ。こっちで保管しておけばそれでいい。……今はな」

 

 もし、それを実行に移すとすればドフラミンゴとミオの間に、決定的な溝ができた時だ。

 能力の発動をミオは察していた。

 十余年を悪魔の実によって凍結されていたとしても、まだ数年の空白がある。これまでミオがどこで何をしていたのかをドフラミンゴは知らない。

 問い質して聞き出せるかは、五分五分とみている。勝算が低い内は手を出さない。敵対こそ避けられたが、それはドフラミンゴがミオの『身内』だからだ。

 

 自分の成長は喜ばしいものではあったが、ある意味ネックとなっていることにドフラミンゴは気が付いた。

 ドフラミンゴは既に自他共に認める『大人』で、自らの海賊団を率いている。

 

 つまりは『独り立ち』しているのだ。

 

 そうなると、ミオにとって既に兄弟は庇護対象ではない。

 姉は当時、ドフラミンゴたちが大人になるまで守ると言っていたが、その論法でいくと既に約束は履行されている。

 ファミリーに入らないならば、賞金稼ぎという職業上、どこに出て行ってもおかしくない。手配書が回る類でもないから、もし逃げられると足取りを追うのも困難だ。

 そもそも、足枷ともいえる幼い弟と父母を抱えたまま逃亡生活を半ばまで成功させていたのは誰であろうミオである。雲隠れされると厄介だ。

 

 滞在期間を決めてはいないが猶予をもぎ取ったのだから、有効利用するしかない。

 

「ねぇ若様! 若様のお姉様は、私たちが頑張ったらずっとここにいてくれる?」

「フッフ。そうだな、上手に捕まえような」

 

 ベビー5の無邪気な声にドフラミンゴはにんまりと笑う。

 子供が嫌いでないのなら、懐かれて悪い気はしないだろう。離れたら子供が泣くぞというのはいい材料になりそうだ。

 そうして少しずつ見えぬ鎖をかけていけば、あの優しい姉は滞在期間を延ばさざるを得ないだろう。そうでなくとも、ちょくちょく立ち寄る理由付けとしてはじゅうぶんだ。

 

「フッフ、フッフッフ……!」

 

 イトイトの実の能力者は、己の能力同様見えぬ糸で姉を縛ろうと画策を始めた。

 

「……」

 

 暗い瞳でローは何を言うでもなく、ミオたちの去ったドアを見ていた。

 ローがひっぱたかれた瞬間、コラソンにネズミ花火みたいな勢いで蹴りをかましたのは……確かに一週間前、密航した自分を叩き出しもせずに風呂に入れてメシを食わせた変なやつだった。

 

 

 

×××××

 

 

 

 最初は僕が引っぱっていたのだけど、どこで説教すればいいのだろうか。

 

 迷っていると、途中からコラソンが僕を引っぱって、まだ知らないドンキホーテ海賊団のアジトの裏側に連れて行かれた。

 ゴミ山というよりはガラクタの山があちこちに見える。

 錆臭い金網やぼろぼろになった塀の内側。おそらくは子供が遊ぶために誂えられた遊具なのだが、すでに塗料は剥げて埃がうっすら積もっていてなんともうら寂しい。

 

『すわれ』

 

 ぺらりと紙を見せられ、大人しく遊具のひとつに腰掛ける。それを確認すると、コラソンが指をぱちんと鳴らした。

 

「"サイレント"」

「え?」

 

 今喋りませんでした? と、疑問を口にする前に──コラソンを中心として同心円状に『何か』が広がった。

 これはおそらく悪魔の実の能力だ。コラソンも能力者だったのだ。

 咄嗟に効果範囲から出ようと腰を浮かしかけると、

 

 

「大丈夫だ、姉様を害するようなものじゃない」

「あ、うん?」

 

 しっかりと口を開いて、声変わりしてしまった低いそれが耳朶を打つ。

 

「おれはナギナギの実を食った無音人間。今、ここらに"防音壁"を張った。これなら外におれたちの声は聞こえない」

 

 コラソンも悪魔の実を食べていたのか。しかもなかなか便利そうな能力である。

 

 しかし、なんだやっぱり喋れるんじゃないか。

 安心しかけたところで声が脳裏をよぎる、わりと前に白ひげで接敵した可哀想な海軍。

 そういえば馬乗りになった時の体格は、ほぼ同じだった。

 もしかして、あのもしゃ髪の中佐って……?

 

「……転職したの?」

 

 おそるおそる問いかける。

 海軍から海賊へ身を窶すことになった話には事欠かない。コラソンもそうなのだろうか。

 

「やっぱり覚えていたか。いや、していない」

 

 してないのかやっべぇな。

 家庭内不和、じゃ済まないよこの場合。完全に潜入捜査やんけ。

 ああ、だからこんなメイクしているのか。なるべく奇抜な格好をしている方が印象がそちらに移りやすい。

 

「兄上には言わないで欲しい」

「言わないよ」

 

 転職せずに海軍所属のままだというのなら、喋れないという『設定』はなかなか都合がいい。

 なんにつけコラソンはドジだから、口を滑らせないようにするなら、いっそ喋れないという方が手っ取り早くて確実である。

 

「それにコラソンにはあんまり海賊似合わないから、なんか安心した」

 

 そう正直に言うと、コラソンは居心地悪そうに身じろぎした。

 

「今は、ロシナンテと呼んで欲しい。昔のように」

「うん、僕もそっちの方がいいな、ロシナンテ。ロシー」

 

 そう呼んでへらりと笑うと、コラソンもといロシーはくしゃりと泣きそうな顔で微笑んだ。ああ、その顔は変わらないね。

 

 さて、

 

「で、ちびっこに手を上げた理由は?」

 

 にっこり笑ってパン! と拳を自分の手の平に叩き付けて鳴らすと、ロシーはさっと顔色を悪くして両手をあわあわさせながら必死で理由を語り始めた。

 曰く、ドンキホーテ海賊団には日々大人から子供まで幅広い入団志望者があらわれる。

 大人はともかく未来ある子供たちを海賊にするわけにはいかないとロシーは『子供嫌い』を自称して、なるべく年少者を追い出すために苦心しているのだそうだ。

 頭を抱えた。

 

「小姑かよ……とりあえず問答無用でぶん殴ったのは謝る。ごめんなさい」

「いや、普通の感性、まして女性から見ればただの弱い者いじめだ。仕方がないさ」

「うう、そう言ってくれると申し訳ないやら罪悪感があるやら……あとそれ、ごめんだけど効果が薄くて確実性がわりと低い、かも」

「なぜだ!?」

 

 ガビンとショックを受けるロシーに顔を上げて、思うところを口にする。

 

「ぜんぶが無駄だった、なんて言わないよ。でも、にわか決意のガキんちょくらいなら有効かもしれないけど……あとがない子供は、暴力くらいじゃめげない、しょげない、諦めない。それに海賊はここだけじゃないから、別のところに行く可能性の方が高い」

 

 ロシーなりの理由があってのことだとは理解したが、本当の意味で海賊に入らないと生き延びることができないと肌身で感じている子供は、それを苦にしない。

 必死だからだ。

 他に行き場があるなら、先にそっちに行っている。どうしようもないから、犯罪者の中でも玉石混交の海賊に一縷の望みを賭けるのだ。

 

 おそらく、ドフィが黙認しているのは、それが『選別』に一役買っているからだろう。もし貴重な戦力を叩き出そうとしているなら、ファミリーを預かる身として、何らかの制裁を加えていて然るべきである。

 

 身を斬られるような思いで、心を鬼にして懸命に拳を振るってきたであろうロシーには申し訳ないが、成果は無駄とは言わないけれど余り芳しくないだろうことは伝えておく。

 ロシーの努力を切って捨てたくはないのだが、またぞろやらかされると僕の精神衛生上大変よろしくないので訥々と指摘した。

 ロシーは僕の言にがっくりと項垂れ、けれど悩むように顎に指を当ててこちらを見る。

 

「別の海賊なんていくらでもいる。それは、確かにそうだ……姉様なら、どうする?」

 

 うーん、これは相談相手がいなかったことも要因かもしれない。

 本格的に相談の姿勢になってきたので、こちらも腕を組んで真剣に考える。

 自分なら、物騒な海賊団に子供を置いておかないために、どうする?

 

「……僕なら、そうだな、比較的温暖で孤児院ないしは教会がある島にいくらか寄付を包んでから、頃合いをみてまとめて放り出す、かな」

 

 場所さえ選べば年中温暖な気候の島は存在する。そういう場所は、食糧自給率が高くて島民も穏やかな気質の者が多い。

 あらかじめ数人の子供たちをまとめておいて、ある程度の結束力ができあがった頃合いを見計らって放り出す。

 個人だと根性あるやつが戻って来るかもしれないけれど、数人いるとお互いが足枷になって思うように動けないだろう。生き延びるためなら協力するだろうし、そういう場合は人数がいた方が役割分担できて生存率も格段に跳ね上がる。

 

 そんな感じの思いつきを説明すると、ロシーも真剣な表情で頷き、やがてつくづくと言った。

 

「……すごいな、姉様」

「穴も多いし、机上の空論だからすごくないよ。子供を逃がそうって考えるロシーの方がすごいよ」

「え? あ、いや」

 

 行動はわりと稚拙だが、潜入捜査なんて薄氷の上を渡るような仕事中に、子供のことまで考えられるロシーはとてもまっとうな海兵らしい。

 

 ……まっとうで正しい、ああ、そうか。

 

 思い至って嬉しくなった。

 生来優しい子供だったけれど、この年齢になってもそれを失っていないなら、それは教え導くひとがいたからに違いない。

 

「ロシーはいい人に会えたんだね」

 

 すごいという言葉に照れていたロシーの頬が紅潮して、小さな子共みたいにきらきらした笑顔になる。ちょっぴり瞳が潤んだのは、その人を思い描いているからだろうか。

 

「! ああ!」

「ご挨拶したいなぁ」

「いや、それは難しい、かも……」

 

 だよね。

 今の立場とかあるものね。あと僕お父さんの娘なので、所属自体はしていなくても海兵さんにご挨拶するには外聞がとっても悪い。

 

「そういえば、白ひげから降りたのか? さっき賞金稼ぎになったと言っていたが」

 

 すでにエンカウント済みということは、ロシーは当然僕がお父さんの娘になったことを知っている。

 あの時は蹴り倒して脅してすまんやで。考えてみると僕、ロシーにやたら手を出している。理由ありきではあるんだけど、下手をするとこっちが訴えられそう……。

 ともあれ、誤解は解かなくてはならないので首を振る。

 

「ううん、二人の顔を見に『お出かけ』してるだけだよ。賞金稼ぎになったのは、私事だから自分のお金は自分で稼ごうって、そんだけ」

「そうか」

 

 首を振って否定すると、ロシーは明らかにほっとした様子で息を吐いた。

 

「姉様……ミオと呼んでも?」

「おっけーおっけー」

 

 年月ぶっとばしたぶん年齢差えげつないからね、ちょっと考えるよねそこんとこ。

 ついでに身長差もえげつない。不公平を感じる。

 

「うちの両親、僕を作る時だけ手抜きしたんじゃあるまいな」

「えっ!? いや、そんなことは……」

 

 暗い顔つきでしみじみ全然関係ないことをぼやいたら、ロシーが慌てた。そりゃね、今となっては分からないよね。

 ふと、ロシーの顔が真剣みを帯びる。

 

「それより、早く白ひげの元に帰った方がいい。ドフィの、ミオに対する執着は尋常じゃない」

 

 それはなんとなく感じた。

 生き別れた姉に再会できたという喜びとはなにか別種の、粘ついた感情が見えたからだ。

 

「ミオがファミリー入りを断ったとき、おれは心底ホッとしたんだ。あのとき頷いていればこれから先、ドフィは絶対にミオを手放さない」

「あーうん、確かにそんな感じだった」

「今だって安心とは言えない。どんな手を使ってでも、自分のもとに置こうとするはずだ。それは、それだけは、だめだ」

 

 ロシーの長い手が伸びて、そおっと、砂糖細工でも触るみたいに頬に触れてくる。

 ゆっくりとなぞって、手の甲で温度を確かめるみたいに輪郭を探る。

 そのあたたかさと、少し乾いた手の感触がくすぐったくて笑うと、ロシーの顔が痛いような笑みになった。

 

「ミオ、姉様。生きて会えたことは、嬉しい。本当だ。こうして話せるのが、幸せでしょうがない。──でも」

 

 息の中に言葉がつまって、ぐしゃりと顔が歪んで、大きな身体が僕を抱きすくめた。

 

 縋るみたいにぎゅう、と力がこもって少し苦しい。すっぽりとくるまれて何も見えない。親鳥に温められる雛みたいだと思った。黒いモフモフがおでこに当たる。

 潮と煙草と汗の匂いがロシーの匂いに混じっていて、胸の鼓動が聞こえた。そうか、自分と違う生き物なんだと、唐突に悟って驚いた。

 大人の男のひとなのに、間違いなく弟で、その落差にどうしようもなくもどかしさを感じる。

 

「できるなら、なるべく早く白ひげに帰ってくれ。おれの、ドフィの手の届かないところに。でないと、……」

 

 泣き出す寸前の絞り出すような声で、そこから先の言葉はロシーの喉でつぶれてしまった。

 ……本当に、いいひとに巡り逢えたのだろう。

 まっすぐで、優しいロシナンテ。

 こんないい弟にこんな声を出させるドフィに、ちょっとだけ腹が立つ。

 僕は精一杯腕を伸ばして、ロシーの背中をぽんぽんと叩く。まったく、もう、大きくなったのにドフィもロシーも肝心なとこがほんと変わってない。

 

「ロシー、ありがとう。ほんとできた弟に育ってて、お姉ちゃんは感無量です」

 

 早く帰れと言っているのに、その手はあの時とちっとも変わらない。言葉よりずっと雄弁にロシーのこころを教えてくれる。

 

 いかないで。

 ここにいて。

 置いていかないで。

 

 胸苦しくなる寂寞感と悲しみが伝わってきて、切なくて苦しくて、きゅうきゅうとお腹が軋んだ。

 唐突に理解できたのは、ロシーがいまひとりぼっちだということ。

 

「相変わらずの泣き虫さんだなぁ。だいじょうぶだよ」

 

 あの頃とは違う、強がりでも虚勢でもなく、心からの言葉を紡ぐ。

 僕はまっさきにこれを言わなくちゃいけなかったのに、すっかり遅くなってしまった。

 

「ロシナンテ、大きくなって、生きててくれて、ありがとう。また会えるって言ったのに時間かかっちゃって、ごめんね」

 

 僕が言葉を綴るたびにロシーの体温がどんどん高くなって、肌が汗ばんでいくのがわかった。

 小さな、引きつるような嗚咽が聞こえる。

 ドフィが離れたくないなら、ロシーだってそうだよね。

 

「しんどいこともあったけど、僕も生きてるよ。またこうやって会えて嬉しくて、すごく幸せ」

「おれも、おれもだ……!」

「うん、だからね、だいじょうぶ。なんでもできる。どこにだって行けるし、ドフィのあほな企みなんてどうにでもなるよ」

 

 上げたロシーの顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃで、垂れ下がっているコイフを引っぱったら何も言わずにかがんでくれた。

 ぴたん、と両手で頬を挟み込む。熱い涙が指先を伝って落ちていく。

 

 涙の膜のむこうがわにある瞳を覗き込むと、ますますぶわわっと涙が浮いて、いよいよ収拾がつかなくなってきた。

 

「ロシーの目の前にいるのは、お姉ちゃんだよ。心配しなさんな、華麗にとんずらぶっこくから」

 

 最悪の手段としてお父さんに緊急援軍を要請するという切り札がある。やりたくないし、やるつもりもないけれど。身内の恥だから。

 でも、いざって時にそうして頼られない方がみんな悲しいって、もう僕は知ってる。

 申し訳ないとかで遠慮すると頼らせることもできないのかと、自分の不甲斐なさに腹を立ててしまう優しくて大好きな『家族』ができた。

 

 まぁ、そんなどうしようもない展開にはたぶんならない。

 ドフィは今のところ、軍曹の存在も僕の悪魔の実(暫定)の能力も知らないだろうから、逃げるだけならどうとでもなる。

 

「んもう、そんなに泣かないでよ。僕の年なんかとっくに追い抜いちゃったのに、これじゃ心配で帰ろうったって帰れないよ」

「ご、ごべんなさい」

 

 苦笑しつつハンカチで顔面をぐしぐし拭うと、メイクも一緒に剥げてものすごい有様になってしまった。鼻水がびろんと伸びて橋を作る。ティッシュにすればよかった。

 そういうところばっかり昔と同じで、懐かしくて笑ってしまう。

 

「いいよ、ロシーはドジッ子でひたむきでがんばりやさんで、おまけに我慢しいなの、よく知ってるから」

 

 ここはとても静かで、ロシーの音しか聞こえない。だから彼の心がよくわかる。

 他のひとの音を拒絶している壁の向こう側には、ドフィの仲間がいるけれど、それはロシーの仲間じゃない。

 心をゆるして傾けて、何も怖がらないでほうっと息をつける場所がここにはないんだ。

 

 うんと背伸びして「よしよし、ロシーはえらいなぁ」と口調は昔のまま、フードの隙間から手を突っ込んで、とうもろこしのひげみたいな髪をもしゃもしゃ撫で回す。

 

「ロシーの言う通り、長居はしないつもりだけど、いる間は甘やかしてあげよう」

 

 わざと偉そうに言ってみる。

 ほんのちょっとだけ、ロシーが息をつける場所になれたらいい。気を詰めて、ぴりぴりしないでいられるように。

 

「しんどい時にしんどいって言えないのは、しんどいよね」

 

 僕は、それを──教えてもらえたよ。

 

「ところで、ごめん。ロシーの部屋どこ? メイク直そう。やばいよ、ホラーだこれ、山姥みたいになっちゃった」

『……、! ──!!』

 

 自分を『無音』にしているのか、声もなくぼーぼー泣いているでっかい弟に道を聞きながらなんとかロシーの部屋に彼を送り届けることに成功した。

 

 そのあと、メイク越しでもわかるほど厚ぼったく目を腫らしたロシーの様子を見たドフィたちがぎょっとしたので、「泣くまで説教した」と言って誤魔化した。

 

 

 

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