ローにとってミオは『奇妙ないきもの』である。
白い町──かつてフレバンスと呼ばれた町に巣喰っていた因果は、幼い子供にどうにかできるようなものではなかった。
隠蔽されたまま積み重ねられ続け、濃縮された毒素は世代を越えて猛威を奮い、ロー自身の命を刮ぎ落としていく。
それは例えようもない恐怖で、絶望で、憎悪で自分を奮い立たせないとおかしくなりそうだった。
憎かった。なにもかもが。
臭いものに蓋をするように町を見捨てて、ごみ掃除みたいに家族や友人を殺していった政府も海軍もまとめて潰してやりたかった。目に付くもの全てを壊せるだけの力が欲しかった。
おびただしい死体の隙間に小さな身体をねじこんで、埋まるように国境を越えてローは生き残った。まだ残る肉の温度はおぞましかったけれど、同時にとても悲しかった。
心のどこかがこわれたのがわかったけれど、どうしようもなかった。
必死で逃げて、走って、泥水をすするようにしてべつの町へ潜り込んだ。スパイダーマイルズで勢力を伸ばしつつある海賊がいると聞いて、狙いを定めた。
壊すにも殺すにも、そのための力と技術をどこかで学び盗む必要があった。
政府も海軍も信じられない今、非力な自分が力を得るためには非合法な組織でもリスクを覚悟して飛び込むしかない。けれどそこで問題になったのは渡航手段で、文字通り身一つで落ち延びたローにはなにもなかった。そうなると、どこかの船に入り込むしかない。
密航先を吟味していた矢先、海図屋の軒先で、初雪色に目を奪われた。
未だ捨てられぬ、美しかった頃の故郷を偲んでしまう色だ。まだ若い、少年のようにも少女のようにも見えた。
スパイダーマイルズの海図を店員に尋ねていて、こいつしかいないと思った。先回りしてみるとさほど大きくない船を見つけて、忍び込んだ。中には誰もいなくて一人旅だということに少し驚いたが好都合だった。倉庫には鍵がかかっていたから、迷った末に風呂場に隠れた。
武器はあの町で不発だった手榴弾がひとつだけ。
見つかったときも、これを見せつけて脅せばなんとかなると思った。
なんともならなかった。
白い、小さな生き物は淡い桃色の瞳を見開いて、それからローの要求にあっさり頷いて許可を出した。
即答されてうろたえたのはむしろローの方で、その隙に水をぶっかけられて火薬を駄目にされた。
許可を出した時点でローは密航者じゃなくて自分の客だと謎の論理を振りかざし、反抗したら面倒そうに帽子を取られて、返して欲しけりゃ風呂入れと脅してきた。
面白くなかったけど風邪を引いてもつまらないからおとなしく従った。
そうして本当に久しぶりに湯船に浸かって、ほっとしていたら船が出航していてまた仰天した。
飛び出したら警戒心ゼロで火加減を見ながらいいじゃんとか言われた。よくはねぇだろ。言い募ろうとしたら船代代わりにおでんを食べるのを手伝えと言われて、空腹を思い出した。
温かい飯は久しぶりだった。おでんはあまり美味しくはなかったけど、じんわりと身体があたたかくなった。
いいように流されているのが面白くなくて、白い町の者だと明かしたけど、すぐに後悔した。町の外で自分たちがどのように言われているのかを知っていたから。
けれどミオは珀鉛病のことを知っていて、頷くだけだった。偏見や醜聞を意にも介さず、正しい知識を持っていた。
怯えることも蔑むことも、薄汚い子供だからと嘲笑することもなかった。
ただ、ローをまっすぐに見て、素朴に言った。
「どうあれ、少年は生きてここにいる」
同情も憐憫も、嘘も嫌悪もそこには──ひとかけらだってなかった。
「それは、とても、すごいことだと──僕は思うよ」
表情も変わらず淡々と告げられたのは、ただの感想だった。
けれど、ローは頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。
自分でもどこにそんな動揺するところがあったのかわからない。それでも、名乗りもしない、珀鉛病の、忌まわしい町の生き残りに投げかけるような言葉ではないと思った。
どこかに行かないと、なにかとてもひどいことを言ってしまいそうで、そんな自分が許せなくて船外に飛び出した。
心臓がどきどきして落ち着かなかった。
ミオは追いかけてこなかった。
気まずくて仕方がなかったが、当の本人はちっとも気にしていないようだった。
スパイダーマイルズまでは数日かかるから逃げ場がなくて、ローはやっぱり選ぶ船を間違えたと後悔した。
礼儀知らずの密航者のガキをミオは本当にお客さん扱いしていて、馬鹿なのだろうかと思った。
夜になったら「児童虐待になる」と言って寝室に引っ張り込んできて、ベッドを譲って自分はどこにあったのか布団を敷いてさっさと寝てしまった。止める間もなかった。
気まずくてむずがゆくて、腹いせのつもりで床の隅で寝て、朝になったらいつの間に運ばれたのかベッドに入れられていた。むかつく。
一から十まで謎ばかり。だけどその距離感は、あまり嫌いではなかった。
そんな地味で阿呆な攻防をしている間にようやっとスパイダーマイルズに着いたから、すぐに船を脱出した。結局、挨拶も名乗りもしなかった。
ゴミ処理場で未処理の手榴弾を見つけて、身体に巻き付けてドンキホーテ海賊団に突撃して、無理やりに入団した。
コラソンという子供嫌いの大男にこてんぱんにされたが、めげずに海賊団に居続けて一週間経ったとき、いつものように痛めつけられたコラソンにせめて文句を言ってやろうと幹部たちのいる部屋に駆け込んだらミオがいた。
「少年」
これはなんと意外な、という口調で目を丸くしながらそう呼ばれて、なんだか泣きそうになったけどコラソンにぶっ飛ばされて──次の瞬間にはコラソンが蹴りで沈められていた。理解が追いつかない。
呆気にとられている間にコラソンは馬乗りになって鬼の形相をしているミオにボコボコにされていた。子供に手を出すDV野郎と正論で殴っていてちょっとスッキリした。
聞けば、ミオはドフラミンゴとコラソンの『姉』なのだという。意味が分からない。
そういうプレイかと疑ったがどうやらそうではないらしく、本人を捕まえて問うたら悪魔の実の力でそうなってたと説明した。
十年と少しくらい、凍結されていたのだと。
その時には、ファミリー入りを正式に許可されると同時に悪魔の実の話を聞き及んでいたので、そういうこともあるのだと考えただけだった。
ファミリーに入るのだろうかと、ほんの少しだけ期待した。
ドフラミンゴからもファミリーに引き込めるように努めろと言われたけれど、やっぱり思うとおりになんかてんでならなかった。
ミオはだいたい二週間から一ヶ月くらい滞在するとふらりといなくなり、またいつの間にかふらりとアジトに戻ってくる。
気まぐれな猫か、そうでなければめちゃくちゃに仲のいい親戚みたいだった。そういうときは大量のおみやげを抱えてきて、バッファローたちに渡していたので後者の方が近いのかもしれない。
ほぼ毎日ファミリーの幹部から虐待みたいに鍛えられてローは実力をつけていったが、その分見えていなかったミオの実力がわかるようになってきた。
飄々としていてつかみ所がなくて、強いのに、強いから、ファミリーにも入らず、自由に海を渡り歩くさまは鳥みたいで腹立たしかった。
そうこうしている間に賞金稼ぎとしてを名を上げ始めて、ドフラミンゴはファミリーに入れるよりその立場を利用して遊撃のような扱いをし始めた。
ほっといても定期的に戻って来るし、そうそうくたばらないと判断したらしい。
バッファローやベビー5がミオを気に入る理由はなんとなく分かっている。
許容範囲が並外れて広く、好意にためらいなく好意と感謝を返せるからだ。誰かのせいにしないで、八つ当たりをしないからだ。
それは当然のことかもしれないけれど、少なからず後ろ暗いことに関わって人間の薄汚いところを見ている自分たちにとって、とても物珍しい生き物のように映る。
おまけに子供が好きだと公言してはばからず、あけっぴろげな好意を向けてくる。
ドフラミンゴやコラソンに平気で口答えして、場合によっては手も出す。
正直なのだ。ずるいくらいに。
ローはミオのことが気に入らない。でも同情していないから、近くにいると気が楽だった。
強くなるためには体格が近くて技術を持っている人間が必要だった。
そう思って、言い訳して、ミオの滞在中にはしょっちゅう稽古をねだった。
昼行灯みたいにぼやぼやしているくせに、いざ戦闘となると非常識なくらいに強かった。ほぼ詐欺みたいだった。
この見た目に騙されて、油断して、他の海賊は討伐されるのかもしれない。
そのくせローを適当にあしらったりはせず、ちゃんと強くなるために向き合ってくれていることが分かった。
手合わせの時だけ帯びる、抜き身の刃物のような雰囲気。瞳に宿る高圧の焔。触れればたやすく斬り捨てられそうな、背中に氷柱を押し当てられるような寒気と恐怖。
稽古が終わってしまえばそんな雰囲気はすっかり消えて失せて、いつものほにゃほにゃした空気に戻ってしまう。極端な落差が不気味で、けれどほんの少し憧れた。
──そして。
「……ッ」
息が詰まった。
春の穏やかな日差しから隠れるように、ひっそりと。
海にほど近い、朽ちかけたベンチにコラソンとミオが寄り添って座っている。
まるで恋人同士のような距離だったが、ミオの表情はローにも見覚えのあるものだった。
かつて、自分が手のかかる妹に向けていたそれ。理屈抜きに、彼女が間違いなくコラソンとドフラミンゴの『姉』なのだと、理解させられる光景だった。
どうやらコラソンは寝ているのか、ミオの小さな身体に頭を預けられずにどんどん傾いていく。
ミオはやれやれとばかりに息を吐いてから腰を浮かして横にずれると、コラソンの頭を柔らかく引き寄せた。
フードに隠れて顔が見えないせいで大きなカラスの雛みたいだった。
ミオは病気の子供にそうするように、肩のあたりをゆるゆると撫でて、甘く、胸苦しくなるような表情で微笑んでいた。
そうしてちらとローを見て、人差し指を自分の薄いくちびるに押し当てていたずらっぽく笑う。
ぱくりと動いた口は、ないしょだよ、そう読めた。
「~~、──ッッ!!」
息を呑んで、自分の中で感情がぐちゃぐちゃに混じって掻き回されて爆発しそうで、気付けば逆方向に走り出していた。
開きそうになる口をぎゅっと引き結ぶ。そうでもしなければ叫びだしてしまいそうだった。
なぜか目の前が潤んで、それが悔しくて乱暴に袖でぬぐう。なんで、どうして。そんな文言で頭がいっぱいになる。わけのわからない苛立ちと激昂で吐きそうだった。
ローが生きるためにあきらめて、切り離して、捨ててきたものを、捨てざるを得なかったものを、ぜんぶミオは持っている。
大切に集めて、こぼれないように抱きしめている。
嫉妬で、羨望だった。
殺意すら覚えるほどの。
誰に対してなのかは、もうローにすらわからない。
そうだ、ミオの傍にいると心が腐らない。
肩の力を抜いて、余計なしがらみを考えないで、たったひとりの自分としていられる。そうあることをゆるされていると、なにも言わずとも伝わってくる。
凍結されていたのか生来の気質なのか、ミオの周りは時間の流れが違うような気がする。
木漏れ日色の空気のなかで、深い安堵を吸い込める。
それがどれほど得難いものなのか、きっとあの兄弟は理解している。
海賊だからこそ、余計に。
だからドフラミンゴは手放せないし、手放したくない。あの手この手で引き寄せようとしては失敗している。
「くそぉ……!」
ずるい。
くやしい。
ずるい。
むかつく。
どうして。どうしてどうしてどうして!
おれには、もう、なにもないのに。
それからがむしゃらに走ってアジトに戻るともうミオは待っていて、でも稽古をする気分には到底ならなかったから「やっぱりいい」と言い捨てた。
「そっか」
ミオは怒るでもなく始めて会ったときみたいにあっさりと頷いて、それからふと思いついたように口を開いた。
「そういえば、もうすぐローの誕生日だね。欲しいものがあったらがんばるよ?」
「いらねぇよ。そんなの勝手に考えろ」
お腹の中に重りが入っているみたいにわだかまりがあって、トゲだらけの言葉しか出てこない。
ミオは残念そうな顔をしてそっかー、とつぶやいてから猫みたいなのびをする。
「じゃあ、ローがとびきり喜ぶものを考えないと。責任重大だ」
「そんなのいい」
この頃になるともう口癖になっていた言葉を吐き捨てた。
「どうせ死ぬんだ」
珀鉛の影響は日々身体を蝕んでいく。肌の色素が抜けて、上書きするように白粉めいた痣が身体のあちこちにでき始めていた。
ミオがローに同情も憐憫も抱いていないと確信しているから、言えることでもあった。
けれど、
「そうかもしれないけど、困るね」
いつものように「そうかな」と曖昧な返事がくると思ったのに、まったく違う言葉がほろりとこぼれて、弾かれたように顔を上げた。
ミオはローをまっすぐに見つめて、痛いような、苦しいような、なんだかこちらの胸まで軋むようなぎこちない笑みを浮かべていた。
そうして、もういちど、ぽたんと言葉を落とす。
「ローがいなくなったら、さみしくて──困るなぁ」
自分の無力さを心底嘆くような、情けない声だった。
その音が耳から胸の奥に響いて、言葉のかたちになってぐるぐる渦巻いて、それが頭まで染み込んできてガンガンした。
「ッ、そんなこと、いうな!」
ようやく絞り出した声はかすれて、途切れ途切れだった。
それだけで息が詰まって、肺が締め上げられるように猛烈に苦しくなる。
胸の奥の深くまで杭を突き刺されたような、じくじくとした痛みに耐えかねて服の上からぎゅっと掴む。
顔を見ていられなくて俯いて、膝を叱咤して崩れないようにするので精一杯だった。
わかってしまったのだ。ミオがローに抱いていたのは同情や憐憫ではなかった。そっちの方がずっとよかった。
もっと自分勝手で、ひとりよがりで、厄介なものだった。
ローには残された時間が少ない。
自覚していたから必死だった。
ろくな成長も望めないほど縮んでしまった命の全てを燃やし尽くしてでも、破壊したいものがあった。
だから、がむしゃらに前だけ見て走ってきた。後ろを振り向く余裕はなかった。
ひたすらに前へ、前へと。
ミオはそんなローを止めなかった。
でも意思に身体がついていかなくて、限界を通り越してぶっ倒れそうになると、いつの間にかそこにいて、寝床に運んでくれた。
最初の印象から変わらない。ミオはひどいやつだった。
ローの気持ちなんてちっとも斟酌してくれない、いやなやつだ。
嘘も打算もない目でまっすぐに見てくるから、自分でもわからない胸の裏側まで見透かされそうで苦しかった。
「……ごめん」
ほら、まただ。
なんでそこで謝るんだよ。なんでそんな顔するんだよ。おれがいなくなったら困るって、そんなの、言われたってこっちが困るんだ。どうしようもないのに、そんなこというな。
心残りなんか、作りたくないんだ。
でも、そんな言葉をどこかで嬉しいと感じている自分が、うとましくて仕方がなかった。
顔を見せたくなくて背を向けると、また、ぽつりと。
「そうか」
しみじみと、ひとりごとのように。
「ロシーとドフィは、こんな気持ちだったのかな」
意味がわからない。おもしろくない。
やっぱり──ミオはひどいやつだ。