「フッフフ、怒らせちまった」
底冷えするような声で、語彙力のない罵倒をもらした電伝虫がガチャリと切れて、ドフラミンゴは肩をそびやかした。コラソンの反応をみるついでの、ほんの余録のようなものだったのだが、思いの外怒らせてしまったようだ。
……実際は怒らせたどころかガチギレさせたのだが、幸か不幸かドフラミンゴはそのことを知らない。
しかしおふざけはここまでだ。
切れた電伝虫の前で気を取り直し、背後の幹部たちに問いかける。
「お前ら、どう考えてる?」
以前から執拗にドンキホーテ海賊団を目の敵にしてきた海軍からの襲撃が最近、鳴りを潜めている。そしてそれはコラソンがローを連れて家出してから、これまでの期間とぴたりと一致するのだ。
「それまで、あいつが軍に情報を流してたってのか?」
「ウハハハ! 偶然かもしれねェ」
「そう願いたいもんだ。おれも疑いたくはねェよ……実の弟だ」
ピーカとディアマンテの言葉にそう返した。
そうだ、なにも疑いたいワケではない。コラソンは実の弟だ。だが、状況証拠と第六感に訴える感覚が、ドンキホーテ海賊団に入り込む虫の正体がコイツだと告げてくるのだ。
ミオに関しては、どうせコラソンにくっついているだろうと思っていたので、行動を制限するつもりはない。なにせ、ミオは賞金稼ぎの浮草稼業。ファミリーだの『血の掟』だのは一切の関係がない。
正直すぎるツッコミでちょっと悩んでしまったが、コラソンに実を食わせると言ったのは一種の賭けだ。
……確かに本当に食べさせるかどうかは考えた方が、いいか?
そう、ただドフラミンゴは行動で証を立てて欲しいだけなのだ。
コラソンはドンキホーテ・ドフラミンゴの弟なのだということを。
×××××
コラソンのぼそぼそと話す声を半ば聞き流しながら荷物を手早くまとめていて、手が止まる。
違和感が、あった。
後方で毛布を片付けているはずの、ローの音がしない。
「ロー?」
返事がこない。
無性に胸騒ぎがして振り向くと、ローは毛布に突っ伏すような姿勢で動いていなかった。
「ロー!!」
ちょうど通話を終えたらしいコラソンが異常に気付き、ローに駆けよって抱き起こす。
「おい、お前……ウソだろ!? しっかりしろ!」
「! 揺らしちゃだめ!」
咄嗟に言ってミオもローのもとに飛び出した。コラソンの抱き寄せた華奢な肩に触れて──絶句する。
異様に、熱い。
慌てて顔を覗き込むと、ローは耳の先まで紅潮させて、ぐったりと脱力している。白い痣の部分だけが浮き上がるようで、あきらかに尋常ではない。
「やべぇ、熱がある……どうしたらいいんだ! 医者はどいつもこいつも使えねぇし……」
「コラソン、落ち着いて」
ミオはオロオロと視線を彷徨わせるコラソンの後ろ頭を、落ち着かせるために一発はたいた。
衝撃で目を白黒させるコラソンに構わず、ミオはローの頬に手の甲をそっと当てた。濡れているのは、ひどく汗をかいているせいか。
「ロー、ロー、わかる?」
「あ、う──」
ローは薄目を開いて、こちらに焦点を向けたのが分かった。
意識はあるようだが、朦朧としているらしい。反応はにぶく、頼りなかった。
「コラ、さん……?」
熱に浮かされ潤んだローの瞳がコラソンを認識して、少し和らいだようだった。
けれど呼吸は荒くて安定せず、身体に痛みがあるのか時々苦悶の表情を見せる。これまでの旅で溜まった疲れやストレスは、小さな身体では抱えきれないほどの負担をかけていた。
風邪をこじらせたというより──病状の進行とみる方が妥当か。
「どうすりゃいい! 教えてくれ!」
「とにかく船に運ぼう。荷物は持つから、コラソンがローを運んで。揺らさないように」
「ああ、ああ!」
一度、コラソンはローをつよく抱き締めてから柔らかく持ち上げる。それこそ、脆い細工の芸術品でも扱うように丁寧に。
「ロー、なんとか頼むよ……あと三週間、生きててくれよ……! チャンスをくれ!!」
祈るような叫びに、衝動的に声が出た。
「死なせない」
決意が燃え立つようだった。
「絶対、死なせない」
あと三週間、なにがなんでも守り抜く。
×××××
ひときわ大きな波に、持ち上げられて落とされる。
船全体を襲う腰が砕けるような衝撃。緞帳のような雨に遮られて、雲の様子すら定かにならない。
目的地である島までの航行中である。
「クソッ! こんなときに大嵐か……!」
窓の向こう、真昼なのに夜のような暗さに、コラソンが忌々しそうに舌打ちする。
まるで行く手を遮るような大嵐に苛立ちが募るのも、仕方がないことだろう。
「コラ、さん──」
コラソンの声に反応したように、腕の中でローが小さくつぶやいた。薄目を開き、ひたむきにコラソンを見つめている。
ローの身体は、あれから小康状態と発熱を繰り返している。
医学的な根治が不可能な現状、対症療法しか方法がないのであまりに熱が高いときは解熱鎮痛剤を投与して様子を見るくらいしかできない。
時々、まだ熱が引いていないのに無理していつも通りに振る舞おうとするのが切なかった。
コラソンとミオに心配をかけまいと、ローなりに必死なのだとわかった。
そんなとき、コラソンは心配で怒りながらローを抱き上げて布団に突っ込むので、ミオは水にひたした濡れタオルで汗をぬぐって、氷嚢を作って特に熱のこもる胸や頭部にあてがってやる。
そんなやり取りが習慣化しつつあって、運悪く天候が崩れて、限界まで航行したもののさすがに動けなくなった。ミオは台所で氷枕を作るために氷塊を砕いている。
だから、そこにいるのはコラソンとローだけだった。
「政府は、おれたちが死ぬことを知ってて……金のために珀鉛を掘らせたんだ……」
その頬はげっそりと痩けて、目許の隈もひどくなっていた。
声も聞き取れないほどか細いが、コラソンが聞き逃すはずがなかった。
「おれの家族も『白い町』も、政府が殺したんだ……!」
毛布の隙間から、細い指がすがるようにコラソンの服を掴む。
ローは高熱に冒されたまま、息苦しそうな呼吸の隙間で、途切れ途切れに問いかけた。
「だからもし、コラさんがその仲間の海兵なら……正直に言ってくれ……」
「バカいえ! おれは海兵じゃねェ!」
コラソンは怒鳴るように即答した。他に言えることなど、あるはずがなかった。
嬉しそうに、ローは痛々しいぐらいに、ほっとしたように微笑んだ。
「よかった……」
「それどころか、よく理解しとけ!」
小さな身体を抱き締めて、コラソンは必死で捲し立てる。
「『オペオペの実』を盗むってことは、『ドフラミンゴ』も! 『海軍』も! 『政府』も! みんなを敵に回すって事だ! 生きるのにも覚悟しとけ!」
今にも消えてしまいそうな意識を繋ぎ止めるために、『これから』の話を。
ローは微笑んだままかすかに頷いて、ゆっくりと瞼を閉じた。
呼吸は細いが、生きている。今はまだ。
今にもふつりと消えてしまいそうな鼓動を感じ取りながら、コラソンはローを抱き締め続けた。
×××××
三週間というのは案外に長い期間で、ローの発熱が微熱程度に落ち着いたときも何度かあった。
すっかり定位置になっていたソファの上。
着替えやすいようにと、寝間着のようなラフな格好のローを毛布でぐるぐる巻きにして、コラソンが後ろから抱えていた。コアラの親子のようでなんだか微笑ましい。
「まぁ、そもそもさ」
そして、これまた習慣付いてきた向かいのクッションであぐらをかいて、ミオがリンゴを器用に剥きながら、ふと口を開いた。
「僕はオペオペの実食べられないんだけどね。たぶんしぬ」
しゅるしゅると細く赤い皮が用意されていた器に落ちていく。ちょっと理解が遅れた。
いち早く気付いたコラソンが声を上げる。
「まさか、能力者だったのか!?」
「うん。悪魔の実は食べてないんだけど、能力者だったりするんだなぁこれが」
だから二個目は食べられないんじゃないかな、と嘯いたミオは悪戯が成功したみたいにいひひと笑った。
「なんで黙ってたんだよ」
「聞かれたことなかったし、披露する場もなかったもんで」
詭弁と言えば詭弁だが、声高に主張して回るものではない、ということくらいはローにも理解できる。
ミオはナイフを置いて、まだ剥いていないリンゴをひとつ手に取るとひょいっと宙に放る。慣性の法則に従って弧を描いていたリンゴが中空でぴたり、と止まった。
「能力はこんな感じ。面白いでしょ」
目を丸くする二人に、手品でも見せるように指をぱきりと鳴らす。すると、それまでの停止が嘘のようにリンゴが落ちてくる。
それを受け止めて、ミオはニュートン先生涙目、とかわけのわからないことを呟いた。
「この能力で僕は十年以上……凍結、むしろ『固定』かな。『固定』されて、そのちからを受け継いだ。実の特性でね……その実の名前は、」
「『コチコチの実』」
答えたのはコラソンで、ミオはやっぱりと言わんばかりに笑みを深くした。密着しているローはコラソンの胸の鼓動がいやに早くなっていることに気付く。
コラソンは金魚のように口を開閉させて、おそるおそると。
「その能力は聞いたことがある。あらゆる攻撃を、空間をコチコチに固定する……『ラグーナ海賊団』の、船長の」
「そう、僕をあそこから連れ出して『固定』したのは、その船長だよ」
全身の骨が抜けたように、コラソンは脱力してガタンとソファからずり落ちそうになる。危機回避能力を発揮した腕の中のローがとっさに脇に寄ると耐えきれなかったのか、ずてーんとひっくり返った。
そしてそのまま動かない。
「おい、コラさん?」
ソファの上から覗き込むと、天井を仰いでいたコラソンが自分の顔を手で覆って、やがてくつくつと笑い出した。
「は、はは……そうか、そうだったのか。なるほどなぁ」
「納得した?」
いつの間にか小さく刻まれたリンゴを皿に乗せて、フォークを添えてからローに差し出しながらミオが問うと、コラソンもようやく起き上がる。
「ああ。けど、なんでおれたちに教えたんだ?」
「ん? そんなの決まってるじゃない」
そう言って、ミオは皿を受け取ったローに視線を向けた。
「ロー、オペオペの実が見つかるまで『固定』して欲しい?」
「え?」
食べようとしていたリンゴがぽろりと落ちた。
「オペオペの実を手に入れるまでの三週間、なんだったら実を手に入れて安全を確保できるまでローを今、この時点のまま『固定』することができる」
そうすれば、少なくとも現時点以上は病状が進行することはないよ、と当の能力を受けて十数年を『固定』された生き証人が語る。
「『固定』されたら三週間どころか、何年でもほんの一瞬だよ。意識も『固定』されて、時間経過しないから」
そこまで淡々と静かに語り、ミオは目線でどうする?と問いかける。
コラソンは何か言いたげにローに向けて口を開きかけたが、一度強く首を振って、自分で自分の口を手でおさえた。どんな選択もロー次第で、口を挟んではいけないと思ったのだろう。
ローは少し考えてから問うた。
「なんで、『今』だったんだ?」
「オペオペの実をローが食べてなくて、ローの病状が悪化しつつあるから。もしもだけど、ローを『固定』したあとで何かがあって僕が死ぬと、この能力はおそらくローに移譲される」
そうなると、もうローがオペオペの実を食べることができるかどうか、わからない。
万が一のリスクを背負って『現状維持』のまま、オペオペの実を待つか。
それとも、固定されずに己を責め苛む病状と戦いながら、耐え抜くか。
「もちろん、どうするかはローが決めて。これは、そういうこともできるよって、それだけの話」
「……」
ローはしょりしょりとリンゴを囓り、咀嚼して、呑み込んだ。
そして、自分を見つめるコラソンとミオにそれぞれ視線を合わせ、胸元をぎゅっと握った。
「おれは、このままがいい」
その声には硬い決意があった。
「『固定』された方が安全で、楽かもしれない。けど、でも、それより、おれは──」
ローはまっすぐにミオを見つめた。
「苦しくてもいい、辛くてもいい、残った時間ぜんぶ、コラさんと、ミオと、一緒にいたい」
返答を聞いて、ミオはふわりと柔らかく笑った。
「うん、わかった」
なんだかとても、嬉しそうに。
「僕とコラソンと、一緒にいて」