「──ぶっは! し、しぬかと思った……!」
ずぶ濡れの身体が放り投げられ、ごろりと転がる。全身の力が抜けきっていて立ち上がれる気がしない。海から上がった軍曹が、僕とロシーの身体に巻き付いた投網のような糸をブチブチと切ってくれる。
肺が酸素を求めて変な風に膨らんでいる。耐えきれず、四つん這いになって思い切り咳き込むと、胃に入った海水がまろび出てきて一気に吐いた。
「ぼええ……」
口の中がぜんぶしょっぱい。最悪だ。しかし今回、ほんと軍曹いなかったら死んでた。もう足向けて寝られない。
僕の船の甲板の上である。
横には、同じくずぶ濡れで転がってる巨体もといロシナンテ。
あの、操られたとき。
ドフィの糸自体を『凍結』というのも考えたのだけど、それが自分の神経もろもろにどういう影響を与えるのかが不明で止めた。万が一、意識がなくなったら完全に終了してしまう。
不確定要素が多すぎて、ドフィたちから逃げおおせるために取れる手段はそう多くなくて、もう全部軍曹に預けてアイキャンフライ。
結果は御覧の通りです。ああくたびれた。くそ寒いし身体中痛いし散々だ。
「ごめんね軍曹、いろいろ助かった」
僕とロシナンテを回収した軍曹は脚をふりふり怒っている。もっと早く頼れと言われている気がしてよしよしと撫でてなだめた。
『こ、こんなんじゃ納得しないんだからね!』という感じで憤慨する軍曹だけど、そのまま身体を支えるように脇の下の入り込んでくれた。ありがたい。
そのままロシナンテのコートを掴んで、苦労して引き摺って船内に入ると軍曹が暖炉に火を入れに行ってくれた。なにもかもお世話になります。
「コラソン? ロシー? いやもうロシーでいいや。生きてるかー、死ぬなよー」
適当にいいながらぺちぺちと冷え切った頬を叩いて、脈を取る。
うん、ちょっと弱いけど脈はある。海水を飲んでいる様子はないので、ほんとに気絶してるみたい。
「意識はなぁ……とりあえず止血するか」
ロシナンテのドジはどこで発揮されるかわからないのに、ドフィたちを出し抜いてオペオペの実奪取という危険極まりない橋を渡ったのだ。安全策はいくつあっても足りるもんじゃない。
なので、いくつも仕込んでいた。
「しっかし、ドフィもひでーなー。撃つかふつー」
ぶつぶつ愚痴りながら手早くロシナンテの服を剥いていく。ああ、やっぱり。
身体のあちこちの皮膚が擦り切れて血が流れている。けれど、どれもそこまで深くない。
軍曹の糸は天然の防弾繊維に等しい。
衝撃につよくてとても丈夫だ。海王類を相手取っているのは伊達ではない。
僕はローとの会話の片手間、ロシナンテの服のいわゆる急所に当たる部分に軍曹の糸を縫い込んでいた。今回使用した僕自身の仕事着にも同様に。
おかげさまでお互い満身創痍だが、そうそう死にはしない程度に怪我をおさめられた。見た目よりはひどくない。
内臓の重要な器官はなるべく傷つけず、まぁ皮膚の陥没と打撲と多少の流血は許容範囲と……諦めたくはないが、仕方ない。くそったれ。
だからといって、放置していていい傷でもない。
特にロシナンテは、放っておくと万が一もあり得るくらいにはひどい傷だ。応急手当でできることは限られているので、的確な医療と処置が必要である。
何があったのか、全身打撲の痣まみれの上に銃創までこさえている。骨の一、二本くらいは……イッてるかも。
「う……?」
とりあえず、この場でできる応急手当を済ませ、自分の止血をしていると、呻き声とともにロシナンテがうっすらと目を開いた。
「ロシー?」
「……ミオ、か?」
声もがらがらに掠れてひどい有様だが、気付いてくれた嬉しさに笑えてしまう。
「そうだよ、お互いぼっろぼろだからこの止血終わったら病院行こう」
「え? あ、いや……」
え、なんでそこで迷うの。
視線をゆら、ゆら、と彷徨わせるロシナンテは自分が生きていることが信じられないようで、天井をぼんやり見つめたまま動こうとしない。
それとも、あまり意識がはっきりしていないのだろうか。
「いや病院。僕もわりとアレだけど、ロシーの怪我も結構やばい」
おかげさまで、穴ぼこもとい疵痕が増えました-。とても痛い。はは、くっそ次ドフィに会ったら殴る。絶対にだ。
「びょういんは、いやだ」
夢うつつなのか子供返りでもしているのか、ロシナンテは小さく『いや、いや』と首を横に振ってぼんやりとつぶやいた。
唐突になんつーことを言い出すんだ、このでけぇ子供はよぉ。
「いやいやいや、ほっといても治らないから。下手すると死ぬやつ。自覚ないかもしれないけど、ロシーの怪我ひどいよ、ほんと」
痛みが通り過ぎて感覚が麻痺しているのかもしれないが、そうなると一層ヤバい。
せっかく根性とか気合いとか次善策で、どうにかこうにか生き延びたのだから、ロシーに死なれるのはいやだ。
こうなったら無理やり病院に突っ込むことも視野に入れるか、と僕の思考を読むようにロシーの手が伸びて僕の手首を掴む。
冷え切った手が、信じられないくらい強く握りしめてくる。
その瞳にひととき、譲れぬものが宿るのがわかってしまった。
「おれの医者は、ローだけだ」
硬い、鉱石みたいな決意がそこにはあって、反論しようとした喉の奥に自分の言葉がひっかかってしまう。
そしてもう一度、絞り出すように。
「ロー、だけなんだ」
ああ、ほんと、もう。
なんて瞳で、なんてことを言うんだ。ロシーこのやろう。
「ぼくに──チェレスタになれっていうの?」
声がふるえて、たまらなくて、手首を握るロシーの指先を反対の手で包み込む。冷え切った体温がじわり、じわりとぬくもっていく。
ここで僕が無理やり病院に入れても、ロシーは全力で治療を拒否するどころか脱走するだろう。分かってしまう。頑固で意固地で優しいロシナンテ。
僕がいない間、ローと訪れた病院でどれだけの罵声と理不尽を浴びたのだろうか。
五ヶ月という長い時間は、ロシーの中の医者像を粉々に打ち砕き、地の底にまで貶めてしまった。
無理解の生み出す恐怖をロシナンテはよく知っている。
それは色と形を変えてより強く、ひどく、おぞましく、鮮明に刻まれてしまった。心からの信頼を預けたローにしか、医療行為を任せたくないと願わずにはいられないくらいに。
苦しくて、胸がぎしぎし音を立てて締め付けられるみたいで、目の前が滲んだ。
「う」
もし、ここに、ドラム王国へのエターナルポースがあれば。
そうすれば、あのファンキーなお婆ちゃんドクターとヤブなのに医者としての魂を持った二人に、会わせてあげられるのに。ちゃんとしたお医者さんはいるんだよって、教えられるのに。
でも、エターナルポースは壊れてしまった。ドフィあのやろう、どこまで邪魔すれば気が済むんだ。
「うう~」
歯がゆさと悔しさと、よくわからない感情で言葉が作れない。
心があふれて落ちてくる。ロシーは意識が本当に曖昧なのか、なんでかへらっと笑ってもう片方の手で僕の頭をくしゃくしゃ、と撫でた。
「ごめんなぁ、ミオ」
くるしい。しんどい。つらい。ああ、今ならチェレスタの気持ちがわかる。痛いほど。
このひとに生きていてほしい。
なにがなんでも命をつないで、元気になって、そうして笑ってほしい。幸せを掴んで欲しい。自分なんて、どうなったっていいから。
でも、それができるのは、世界でたったひとりだけ。
「じゃあ、ローが大きくなるまで待たないと」
「ああ、きっとあいつは最高の医者になるぜ」
「そうだね。ローはがんばりやさんだもん」
うまく笑えているだろうか。自信がない。
「まってて、すぐだよ」
そうして僕は、握った手を通して──ロシナンテの時間を止める。
意識すら閉ざされるその、ほんの、少しだけ。
「おやすみ、ねえさま」
びっくりするほど満足そうに、ロシナンテは笑った。
「おやすみ、ロシナンテ」
これにて『お姉ちゃん?編』は完です
みなさま、ここまでのお付き合い、本当にありがとうございました
次回からは、原作本来の時間軸からのスタートになる予定です。
本当はこの中編(?)で終了予定だったのですが、大人ローのネタが出てしまったので…!
申し訳ありませんが、まだプロット段階なので、これからの更新頻度はがくーんと落っこちます
ですが、もし、引き続きよろしくして頂ければ、とても嬉しいです。