桃鳥姉の生存戦略   作:柚木ニコ

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に.生存戦略おわり

 それからもしょぼしょぼと月日は流れた。働いて、ドフィたちを鍛えて、教えて、引っ越して、また働いて……。

 どこから話が流れていたのか、それまでで最も苛烈な迫害──否、暴徒と化した人々の襲撃に遭った。

 

「元天竜人だァ! 殺しても海軍は動かねぇ!」

 

 罵声とともに投げられる石からドフィたちを守り、父を促して走る。

 

「できるだけ生かすんだ! すぐ死なれたら興ざめだからな!」

 

 罵倒が飛び、無数の矢が降ってくる。

 悪夢のようだ。きっとこれは天竜人が話を流したのだろう、そんな確信がある。

 

「苦しめ!後悔しろ! 絶望しろよぉ!」

「痛めつけろ! できるだけむごたらしく! 凄惨に!」

 

 せっかくの生贄なのに、格好の的なのに、いつまで経ってもいたぶられることなく姑息に生き長らえる僕らにきっと業を煮やした。だから焚きつけ、熾火に油を撒いた。

 燎原の火は生半可なことでは、消えやしない。

 

 僕らは全力で逃げるしかなかった。着の身着のまま、路地から路地へ、人通りの少ない場所へと。

 

 でも、それも限界だ。

 

 町中すべてが敵だ。安全な場所がどこにもない。こうなってしまっては──仕方がない。

 

「はぁ、ハァ……!」

「いたい、いたいよぉ……」

 

 運良く人いきれの途切れた路地に入り込み、僕はドフィとロシーの怪我をみる。擦過傷はいくつかあるけれど、まだ五体満足。よし。

 僕は布を噛んで歯が割れないようにしてから背中の矢を引き抜いた。早く抜かないと筋肉が締まって抜けなくなってしまう。刺さったのが一本でよかった。

 

「ぅぐッ!」

「あねうえ! ち、血がぁ!」

「は、ぁ、へいき。動くから」

 

 幸い、重要な血管は傷ついていない。まだ動く。動ける間は大丈夫。

 慌てる二人をなだめながら手早く止血してから膝を折って視線を合わせ、二人の肩を掴む。

 

「いい? ふたりとも、僕の言うことをよく聞いて」

「! い、いやだ!」

 

 ああ、賢いドフィは勘付いてしまったか。

 でもだめなんだ。

 

「ドフィ、いいこだから」

「いやだッ!!」

 

 耳をふさいでイヤイヤと首を振るドフィの頭をあやすように撫でてみたが、拒否の姿勢は変わらない。

 一分一秒が惜しい今、子供のわがままを聞いているヒマはなかった。残念だな、お姉ちゃんの最後のお願いかもしれないんだけど。

 

「じゃあ、父様、ロシー。よく聞いて、あとでドフィに伝えてね」

「ね、ねぇさま?」

 

 この上なく真剣な様子にロシーも何かを察したのか、不安げにこちらを見つめている。

 聡いロシーに賢いドフィ。あと、頼りにならんけど父親。彼らならきっとなんとかなる。否、なんとかしてもらうしかない。だってもう彼らしかいないのだから。

 

 信じて、託す。

 

「お金や換金しやすい物は島のあちこちに隠してあるから、逃げ切ったら探して。場所はね──」

 

 常に身につけていた地図を取り出して×印の地点を手早く教えて、くるくると丸めて父のポケットに突っ込む。

 これは宝の地図。三人の命を繋ぐ糧。大事にしてね。

 

「それから、もし、どうしようもないことになった時は……星と魚の刺青を入れたひとたちを探してみて。きっとロシーたちの力になってくれる」

 

 星を見上げる魚。

 

 星が僕で、魚が自分たち。消費されるだけだったのに、いっとう綺麗な星に見つけてもらえた、幸運なさかな。そう誇らしげに教えてくれた。ずいぶんと照れくさい話だ。

 彼らは元奴隷だが、ありがたいことに僕を慕ってくれていた。刺青を上書きして、各々各地に散っている。僕の家族ならば、きっと邪険には扱われまい。

 

 それから、それから、ああ考えがまとまらない。でも、そうだ。

 

「父様、二人をお願いします」

「……ああ」

 

 この時ばかりは頼りない父も真摯に頷き、くしゃりと顔を歪めた。

 

「本当に、最後まで頼りにならない父ですまない。すまない……!」

 

 元々老けていたが、この短期間に随分とやつれてしまった。頼りない、計画性皆無の、色々とだめだめな父様。でもね、僕はあなたがあんまり嫌いじゃない。善を愛おしみ、ひとを信じようとする姿勢は、清廉でひどく眩しかったから。

 

 謝らなくていいって言っているのに謝ってばかりの父に、こんな時なのに笑みが浮いた。こんな時だからかな?

 

「適材適所ですよ。それに、逃げ切れるとしたら僕しかいない。父様には父様の仕事がある。それを全うしてください」

「ああ、ああ!」

「ねぇさま、なんでそんなこと言うの?そんな、それじゃ、それじゃあ……!」

 

 言葉の端々から悟ったのだろう、ロシーの目にみるみる涙が浮かぶ。ロシーはいい子だ。ドジばっかりで、それはもう呪いかよって勢いで厄払いを真剣に考えたけど。でも優しい。頭だって悪くない。ちゃんと人を思いやれる。いいこだ。

 僕はいつの間にか耳から手を離して涙を堪えているドフィと、ロシーを抱き締めた。

 このあったかさを、尊さを、ずっと覚えていよう。

 

「大丈夫。運が良ければまた会えるよ」

 

 そうだ、これだけは必ず伝えなくちゃ。

 

「ごめんね、ふたりが大人になるまで守れなくて」

 

 あわよくば生き残る気まんまんだけれど、もしもの場合はあるかもしれない。むしろそっちの可能性の方が笑っちゃうくらい高いので先に謝っておく。

 でも民衆の目を引きつけて、囮になって、できるだけ人数を削って、それでもなお逃げ切れるとすれば──僕しかいない。

 

「うそつき!」

 

 ドフィの鋭い声が胸に刺さる。

 

 でもじんわりと服が濡れて、背中にしがみつく手には強い力が籠もっていた。ロシーもだ。こんな状況だ。僕が何をしようと思っているのか分かっちゃったのだろう。

 いかないで。

 ここにいて。

 そんな声なき声が聞こえてくる。そりゃ、できるもんならそうしたいけど、そうなると全滅するんだよなぁ。それじゃ駄目なんだよ。

 少しだけ口の端を上げて作った笑みは、歪んでいるだろうか。

 

「そうだよ。大人はずるくて汚くて──うそつきなんだ」

「あねうえはまだ子供だ!」

「……そうだね」

 

 ドフィの言うことは正しい。肉体の年齢でいえば、まだまだ小さい。

 

 でもね、こころはそうじゃないんだ。そうじゃないから、頑張れることがある。

 それがなにより、僕には誇らしい。

 

「ドフィ、ロシー、父様」

 

 全力で二人を抱き締めて、そっと囁く。

 

「だぁいすき、だよ」

 

 寸の間も置かずに父に向かってふたりを突き飛ばし、踵を返して駆け出した。

 「ねぇさまあ!」「あねうえ!あねうえぇえッ!!」悲鳴が聞こえるけど追ってくる様子はないから、きっと父が止めてくれている。

 

 それを信じて駆け抜ける。

 

「いたぞ! 天竜人だ!」

「捕まえろ! 矢をありったけ持って来、ぐあッ!?」

 

 動きを止めようと躍り出た男の顎に膝蹴りをかまし、驟雨の如き矢を避け、手近な人間を片っ端から叩きのめす。

 その辺で拾った鉄パイプだって、立派な武器になる。

 

「邪魔ぁ、」

 

 弟たちのみちゆきを、未来を穢そうと立ちはだかる輩は全部敵だ。

 

「すんなぁあああああッ!!」

 

 信じられないくらいの怒声が出た。獅子吼だった。

 びりびりと気圧され、何人かの男たちが怯むが上回る怒りが再起動させる。構うもんか。

 銃を構えた男の手首をへし折り、胸ぐらを掴んで振り回す。倒れた頭を無慈悲に踏みつけ、周囲もまとめて吹っ飛ばす。力の限り暴れに暴れ、大通りの障害物に乗り上がり、少しでも家族からこちらへ意識が向くように。

 

 どうか逃げて、未来を掴んで欲しい。

 

 それだけが、お姉ちゃんの望みだよ。

 

 

 

×××××

 

 

 

 どれだけ暴れたか……いつの間にか振り回していた得物はなくなり、拳はぼろぼろ。多勢に無勢とはよくいったもので、さすがに限界が近い。打撲と骨折で腕が上がらない。あちこちに受けた矢で穴だらけだ。嘘みたいに血が流れている。思ったよりこの身体は丈夫にできている。

 でも、腿に受けた打撃がとどめだった。筋がイカれて動きがにぶってしまう。

 

「おい、まだ息があるぜ」

 

 蹴り飛ばされ、身体が転がる。ああ、これはヤバいな。体力も空っけつだ。

 

「そりゃいい。長く苦しんでもらわにゃあ」

「けど虫の息だぜ?」

 

 鼓膜もやられたのか、それとも死が近いのか声が遠い。抵抗しようにも動ける気がしない。

 

 でも、うん、いいや。

 

 たぶんドフィとロシーは逃げられる。父様は無能だし頼りないし考えなしのうえ計画性もないが、子供を思う気持ちだけは、それだけは本当だから。

 きっと助けてくれる。逃がしてくれる。それこそ命をかけてだって。

 

 だから、いいか。……いいな、うん。

 

「なぁ、殺すならおれがやってもいいか?」

「え? アンタが?」

「そうか、アンタ元奴隷だったもんな。恨みは深いか」

 

 水の中にいるように声が遠い。痛みも遠い。意識があるのが不思議だ。

 ドフィとロシーが大人になるまで守ってあげられないけど、ぼく、がんばった。わりと身体張ったし。ぼろぼろだ。ドフィはわがままばっかりだけど、ちょっとは鍛えられたし、ロシーもドジは直らなかったけど知識は与えられた。父様には必要最低限しか叩き込めなかったけど、あとは任せても大丈夫だと思う。

 

「どうせ長くは保たないだろうし、いいぜ」

「ああ、ありがとよ」

 

 声が途切れ、身体がふわりと浮いた気がした。ゆらゆらと揺れて、足がぶらぶらする。

 誰かが抱えたらしいことは、なんとなく分かった。誰だろう。父様じゃない、そんな力ないんだよなぁ、これが。

 べつに燃やしたってなにしたっていいけど殺してからにして欲しい。これ以上苦しいのはちょっと。見せしめもなぁ……もし見られたら、泣いちゃうかもしれないから勘弁してあげてくれないだろうか。

 

 ぼんやり考えて、気付くと、あんなにあった人の気配が消えている。うるさいくらいだった怒りの声も、恩讐の叫びも聞こえない。ふと潮風を感じて、腫れ上がったまぶたをがんばって上げると、こちらを見つめる瞳に見覚えがあった。

 

 彼は、かれ、は──

 

「ちぇ、れ、すた?」

 

 回らない舌をなんとか動かすと、目の前の顔がぐしゃりと歪んだ。

 チェレスタ。僕が初めて買った奴隷で、それからはずっと傍仕えになってくれた、元海賊。最後まで僕らについていきたいってゴネてた。

 

「ああ、そうだよ、おれだ。ミオ、ミオ様……なんでアンタがこんな、こんな、なんてひどい」

 

 ぽたぽたと頬になにかが当たってひどくしみる。目にも入って視界が歪んだ。

 ……そうか、涙か。チェレスタが泣いてるんだ。

 

 彼らはひどいのだろうか、よく分からない。

 

 恨みを晴らす相手がたまたま僕らしかなかった。だって天竜人は恐いもんね。下手に逆らったら死んじゃうし、死んでまで恨みを果たしたいひとはあんまりいない。奴隷にだってなりたくない。みんなそうだろう。

 でも『元』天竜人ならいたぶれる。いじめられる。こっぴどく痛めつけても報復されないから。やり返されないことをみんな知ってる。それに誰も責めない。むしろ褒めてくれる。

 不倶戴天の天竜人をいじめるなんて、偉いな、すごいぞ。だったらみんな、やるよなぁ。こわくないんだから。なんて都合のいいサンドバッグ。

 

 だったらこれは──仕方のないことなのだ。

 

「しょうが、ない、ね」

「しょうがなくなんてねぇよ!」

 

 チェレスタの声はほぼ悲鳴に近かった。

 

「全部あんたのせいなんかじゃ、ない。あんたはなにも悪くない。あんたは、ミオ様は、おれたちの恩人で、救ってくれた、命を、人生をくれたひとだ! なのに、おれは、あんたを助けること、すら……!」 

 

 慟哭だった。

 どうしようもないことを、己の不甲斐なさを嘆く懺悔だった。

 チェレスタが嘆くことなんてひとつもないのに。僕はやれることをやったけど力不足で不覚を取った。それだけだ。申し訳ないと思うと同時にちょっとだけ嬉しくなっちゃうのは、許して欲しいな。

 

「いい、よ」

 

 いいんだよ、本当に。

 

 ほんのちょっとだけ、誰かを助けられた。自己満足だった。でも報われた。それを確信できた。

 だってチェレスタが泣いてくれた。惜しんでくれた。彼なら惨めな遺骸を晒すことはしないでくれるだろう。

 

「ありがと、ちぇれすた」

 

 だから、これでじゅうぶんだ。

 

「……おれは、海賊だ」

 

 じゅうぶん、なのに。

 

「海賊は欲しいものを奪うんだ。だから──おれは、あんたを奪う」

 

 なんで、チェレスタはそんな不穏なことを言うのだろう?

 

 懸命に口を動かそうとしたら、ふわりと手で顔を覆われた。あたたかくて、少し乾いた、おおきな手。

 

「おれは、コチコチの実を食べた凍結人間。おれは触ったものを『凍結』させる。空間も、時間も──なにもかも」

 

 すぅ、と身体から力が抜けていく。

 くたくたに疲れた身体からもっと力が抜けて、痛みも薄れて遠ざかる。

 

 悪魔の実。

 聞いたことがある。人の域を超えた異能力を得る代わりに海に嫌われ、泳げなくなるリスキーダイス。

 

「今のおれじゃ、あんたの怪我を癒やせない。だからあんたの時間をここで止める」

 

 ちょっと待って。

 そんなの困る。困るよ。

 

「それじゃ、どふぃ、たちが」

「知るか。おれが大事なのはミオ様だけだ。いつまで経ってもミオ様におんぶに抱っこの、特権意識を、天竜人を捨てられない、くずどもなんか」

 

 吐き捨てるような声にイヤでも分かってしまう。これはダメなやつだ。

 チェレスタは本当にドフィたちのことをなんとも思っていない。そうだ、彼らは海賊。欲しいものは手段を選ばずに奪い取る、海の無法者たち。

 

「どうかおれを恨んでくれ。呪いあれと願ってくれ」

 

 凍る、凍り付く。なにもかも。

 温度が失せて、指先のひとつさえ動かない。ゆるゆると眠くなる。穏やかな午睡のような、柔らかな睡魔だ。

 

 どうしよう、抗えない。柔らかく手を取られて、連れて行かれる。

 

「それでようやく、とんとん(・・・・)だ」

 

 それきり、ぷつんと、僕の意識は消えて失せた。

 

「完治させられる場所まで運んで──必ず治す。グランドラインに医療技術が発達した国があると聞いた。そこなら、きっと……」

 

 

 

×××××

 

 

 

 同日、深更。

 

 夜闇に紛れて一隻の海賊船が出航した。無法者たちの名前は『ラグーナ海賊団』。

 ラグーナとは湖沼の意。転じて、取り残された(あるいは放逐された)魚たち――どこからも見放され、見捨てられたはずの無法者たちが作り上げたコミュニティの異称だった。 

 

 彼らは魚だった。

 陸揚げされてしまえば呼吸もままならず、消費され、磨り潰されることだけを運命付けられた哀れな魚だった。

 けれど地べたを這いずるだけだった魚は、星を見つけた。寄る辺のない絶望の闇のなかで、小さく輝く星灯り。

 

 小さな星は、懸命に彼らの願いを叶えてくれた。ていねいに掬い上げ、治療を施し、自由の海へと返してくれた。

 

 魚たちはならず者だけど恩を忘れなかった。受けただけの恩義を、一生かけてだって返したかった。

 

 

 そして──今しも儚く消えそうな星を大切に抱えて、彼らは一縷の望みを胸に大海原へと漕ぎ出した。

 

 

 

 




これにて『幼少編』は終了です。
ちょっとした閑話を挟み、それから時間がどかーんと進みます。

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