桃鳥姉の生存戦略   作:柚木ニコ

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反響を頂けたのでこんな感じになるんですおっかないですよね、と書いてみました。日曜日なので


もしもの話(海軍分岐√)

 

 

 ドフラミンゴがそのヒューマンショップのオークションに立ち寄ったのは、ほんの気まぐれだった。

 

 この島に居を構える、とある富豪との裏取引。

 

 査定額に応じた金額を用意しておくとのことだったが、当日向かってみれば運搬船が天候不良で到着しておらず、取引を一日引き延ばして欲しいとのこと。

 

 多少の苛立ちはあれど、自然の理に文句をつけるのも馬鹿馬鹿しい。

 

 延長に表面上は快く応じ、さてどこかで時間を潰すかと考えていたところ、富豪が気を利かせて紹介したのが件のヒューマンショップだった。なんでも、本日は『とんでもない掘り出し物』が出品されるのだとか。

 物見遊山がてらに見物するのも一興か、と供にヴェルゴをつけてオークションが最も盛り上がる時間帯を見計らって足を踏み入れた。

 

 口元にも眼差しにも諧謔、皮肉の気色のみを浮かべていたドフラミンゴが、全ての表情を消し去ったのはその時だった。

 

 

 

×××××

 

 

 

 運搬人の手が白絹のベールをふわりと外すと、室内は静かなどよめきに包まれた。

 

 それは言うなればスノードームだった。

 楕円状の、大きな硝子をかまくらの形に被せたケースの中──大きなクッションに座り込み、力無く身体を寄せ合う一組の男女。

 

 片や、天井の灯りを反射して強く煌めくアンティークゴールドの髪。

 

 柘榴石のような瞳に、通った鼻筋と酷薄なラインを描く口唇はどこか貴族的なのだが、顔の作りはむしろ精悍で、そのアンバランスさが不思議な色香を醸し出している男だった。

 3mはあろうかという大柄な身体を包むのは、クラシカルな乗馬服めいた黒のティルコート。立ち襟のフリルブラウスとクラヴァット、腰の辺りで切られたジャケットの下から覗くのは深緋のウェストコートだった。

 

 対するは、降り初めの垂り雪を想起させる、鮮烈なまでの白い髪。

 

 銀細工のような長い睫毛に縁取られた瞳は、遙か東で見られるという稀少な花のそれ。甘く繊細な面立ちの中、ゆるゆると潤んだ桜色の瞳に混じるひそやかな蠱惑。

 どこもかしこも華奢で儚げな様子は、一見すると少年にも少女ともつかない神秘性に満ちており、そこには確かに侵しがたい典雅と優美が同居している。

 

 そんな少女を彩るのは、黒いホルターネックに胸元で花開く繊細なフリル。

 なよやかにくびれた腰の後ろには、バッスルスタイルで白と黒の大きなストライプリボンとレースがあしらわれており、まるで大輪のブーケが咲いているようだ。

 形のいい頭には、斜めにつけられた大ぶりなドレスコサージュ。こちらには薔薇とリボン、そして鳥の羽根で彩られており愛らしくも華やかである。

 

 しかし、おとぎ噺の絵本から抜け出たような男女は、互いにもたれるように座り込んだまま微動だにしない。

 

 薄く開いた瞳には光がなく、部屋のどこをも見ていなかった。

 

「……こちらが、本日最後の『商品』でございます」

 

 競売人の声が静かに響く。

 

「さて皆様、こちらの『商品』に、皆様は幾らお出しになりますか?」

 

 競売人の言葉ののちに生じた静けさは、まさに嵐の前触れ。

 直後、爆発した熱気と欲望の渦は筆舌に尽くしがたい。会場に満ちる狂気の中、ただひとり、かの『商品』をひたすらに見つめている男がいた。

 

 よもや、まさか、反駁と惑乱が脳内を巡る。けれど、あれは、あの二人は紛れようもなく──

 

 すると、意固地なまでに注がれる視線に気付いたのか、少女がいかにものろのろとした動きで視線を辿り、ドフラミンゴを見てほんの僅か、薄い口唇を開いた。

 

「  」

 

 会場が一大酸鼻の地獄と化したのは、次の瞬間だった。

 

 

 

×××××

 

 

 

 ヒューマンショップへの捜査のために『商品』として潜入に成功したしたロシナンテとミオはひとつ、致命的なミスを犯した。

 

 名前を尋ねられたとき、ロシナンテは『声が出ない』という設定だったため、あらかじめ決めておいた偽名……ではなく、慣れ親しんだ本名を書いてしまったのだ。

 片方さえ偽名ならば姉弟と思われることはないだろう、と偽名を名乗ることにしたのは彼の方で、ミオは先に名乗ってしまっていたため、血縁とバレてしまった。ドジッたのである。

 

 既に競売組織から販売先に至るまでのルートを保存した電伝虫は隙を見て外に放り出したので、あとは待機中の部下たちがそれを拾って突入するのを待つばかり。

 二人は折を見て脱出すれば晴れて任務達成、となるはずだった。ここまでならば、まだ計画の修正は可能な範囲だったのだ。

 

 問題だったのは、黙ってれば見目麗しいアンバランスな兄妹(だと思われている)は観賞用としての価値が非常に高く、健康状態という商品価値を引き下げてでも逃亡させない措置を取るべきだと競売人が判断してしまったことだ。

 

 果たして、箱詰めされたショーケース内にばらまかれたガスで仲良く痺れた二人はそのまま『出品』されてしまった。

 

 筋弛緩剤かなにからしいガスは意識こそ明瞭だったものの、指先ひとつ動かせない。ロシナンテも同様なのだから、体格の劣るこちらの薬が抜けるまでどれだけかかることやら。

 己が競りのマグロになった気分で瞳を欲望と狂気に濁らせたバイヤーの競り合いをぼんやりと眺めつつ、突入が間に合わなかったらもう購入者の運搬中、ないしは現地で逃亡するしかないかと脳内で計画を練り直している中、この熱気の中では逆に冷気すら感じるような、異様な視線を感じた。

 

 水を吸った衣服を着ているような重い倦怠感を堪えつつ、苦労しいしい上げた眼の先──硝子越しに見た驚きは筆舌に尽くしがたい。僅かな振動でロシナンテも気付いたことを理解する。

 

 おそらくは会場入りしたばかりなのだろう、ロシナンテに勝るとも劣らぬ大柄な体躯に纏った桃色のコートがひどく目立つ。サングラスを通しても分かるほど、射るような眼差しに含まれた驚愕と困惑。

 

 かの海賊の規模がこれ以上大きくなるようならば、自分たちで止められるように動かなくてはと相談していた矢先だったのだ。

 

 それが、なぜ、こんなところに。

 

 

 ドフィ

 

 

 思わず、口にしてしまったのが最大の失策だった。

 

 口角泡を飛ばしながら幇間さながらに客を煽り、本日最大の『商品』の値を吊り上げていた競売人の腹が、突如として裂けた。

 遅れて噴き上げた血しぶきがショーケースに降りかかり、べたりとした粘性の赤の幕が引かれる。腸は、競売人が倒れ伏した後に切り口から溢れだした。それくらい鋭利な切断面だった。

 

 それでも、かろうじて視界は保っていた。

 

 だから──二人は見てしまった。

 

 背をなにかの中毒者のように、軋む音が聞こえそうなほどに反らせ、喉をかぐらい天井に垂直に突き立て、両腕を水鳥のように広げるその姿。

 垣間見たはずの享楽的な空気は露と消え、冒涜的なまでに狂おしい、黒い炎が人の形を取っているようだ。

 

 かすかに耳が捉えたのは哄笑。

 ただひとりの喉から放たれているとは信じられないくらいの、轟々として滾る熱を孕んだ狂笑が広い会場に渦を巻いて、穢していく。

 

 指が動き、赤が散る。腕が落ちる。首が落ちる。悲鳴が響く。怒声が轟く。しかし、それすらひとりの哄笑には届かない。

 

 ただのひとりが引き起こしたとは信じられない凶行の中、それでも商売人は最高額を約束された『商品』を回収しようと屈強な男たちがケースに集り──虫のように潰された。

 

 穢れた血錆が硝子に貼り付き、もうここからは何も見えない。

 

 あれだけの狂乱を起こしていた会場の音が、気配が、命が死に果てるのにさほどの時間はかからなかった。

 

 砂漠のような、荒野のような、まるでここだけが世界から切り離されたと覚えるほどの静寂だった。

 

 そうして二人ぼっちで完結していた、赤茶けた緞帳に覆われた空間を突き破る硝子の破砕音。澱のように溜まっていたガスが霧散し、いくらか身体が楽になる。

 

 大きく呼吸すれば鼻腔に入り込む、むわりと濃密な鉄錆のそれと、断裂された肉の生臭さ。

 

「──ああ、やっぱり。間違いない」

 

 ひどく、ひどく嬉しそうな声だった。

 

 大きな身体を折り曲げて、こちらを覗き込む顔。

 残っていた硝子を引き剥がし、血とも脳漿とも知れない粘つくしずくを振りこぼしながら、残酷で、狂喜に満ちた声で。

 

「可哀想にな、つらかっただろう」

 

 それは優しく、短い言葉だったにもかかわらず、鬼哭啾々とした鬼気を底に秘め、自由の利かない身体であることを差し引いても、覚えたのはひたすらな恐怖だった。腰などとうに抜けている。

 

「もう大丈夫だ」

 

 返り血に濡れた頬で、ドフラミンゴは微笑していた。控えめに、それでいて晴れやかに。それは心の底から再会を喜ぶ『家族』の顔だった。

 

 鬼だ、と思った。

 

 鬼がいる。これは鬼が望んでやってのけた。鬼の所行だ。二人の想像していたドフラミンゴなど、現実の切れ端にすら及ばない。そんな可愛いものではなかった。

 人離れした鬼形、そんな恐ろしのもの(・・)が、一歩足を踏み出し、二人の肩を掴む。

 

「これからはおれが守ってやる。絶対にひとりにはしない、安心しろ」

 

 生き血を滲ませるような凄惨な笑みで、甘い、こちらの舌がしびれてしまいそうな糖蜜めいた声で、ドフラミンゴは二人をきつく抱き締めた。

 伝わる体温は自分の知る『弟』のそれで慕わしく、募る気配は狂気を孕んで凍てついていた。

 

「帰ろう、ロシナンテ、ミオ」

 

 忌まわしくもあたたかい、戦慄とともに吐き出されるそれは、甘い誘惑を伴っていた。

 

「愛している」

 

 まるで、身を任せてどこまでも、どこまでも堕ちたくなってしまうような──

 

 

 




こっちのSAN値が直葬されるので、この先は皆様の脳内補完に全てをお任せいたします…

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