島が近付くにつれて、僅かに鼻に届いてくるのは嗅いでいるだけで舌先が痺れてしまいそうな甘い甘い香り。ああまた来てしまった……。
弟たちのことがあったので海賊にはなれず、じゃあ手に職(能力)を活かしましょうと始めた小さな雑貨屋兼配達屋さん。
どこぞの海上レストランみたいにお店そのものを雑貨屋さんとして、航海中の船で不足しがちな消耗品なんかが主な商品です。良心的なお値段で壊血病予防のためのビタミン関係とか、女性向けの商品なんかも扱っているので海賊・海軍間でもそこそこ認知されております。
配達に関しては最初はおまけのつもりだったのだけど軍曹がいるので納期は完璧、能力で生鮮食品もとれぴちのまま運べるという触れ込みはバッチリ当たってお得意様もできてお仕事は今日も順調です。順調すぎた。
現在、僕の配達屋さんとしてのお得意様はビッグ・マム海賊団……というかシャーロット家である。どうしてこうなった。
いや原因は分かってる。コラソンやドフィたちとのあれこれから一度お父さんたちの船に戻り、雑貨屋さんて新世界ではどうなんだろうと販路を広げたのがまずかった。
というのも、航海中に嵐で船を破損してしまった遭難船を発見したのだけど、そのお船がたまたまビッグ・マム海賊団に大量の貢ぎ物(青果)を贈りに行く途中の船で、納期が遅れたら殺されてしまうと全員で神に祈ってるというトンデモな状態だったのである。さすがに捨て置くこともできず、納期もかなりやばかったため僕の船で現地まで牽引するついでにこれ以上貢ぎ物が劣化しないように『固定』してあげた。
で、それをホールケーキアイランド近海まで届けたところドえらい感謝された。命拾いしましたとガチで拝まないで欲しかったけど、そこまではよかった。
なんかその辺から噂が広がって、万国の近くで生鮮食品を主に扱ってる業者の人たちからの依頼が激増したのも許容範囲だった。うん、生クリームとかフルーツ関係は鮮度が命ですよね。絞りたて、もぎたての時点で『固定』して運ぶのでお菓子の品質も上がりましたありがとう、と感謝も頂けてとっても嬉しいし光栄だった。
だめなのはその先だった。
万国のいちぶの島のお菓子の品質が急上昇したのを不思議に思ったらしいビッグ・マム海賊団の幹部? 大臣? が調査に乗り出してしまったのであーる。
ビッグ・マムのお菓子好きはほぼ異常の域に達しており、『食いわずらい』という文字通りの病まで患っているためお菓子の品質は万国で暮らすものたちにとってまさに死活問題。そりゃ敏感になるのも当然で、特に隠しもせずにフツーに営業していた僕の名前は一発で相手に知られてしまった。
それからご依頼リストに『シャーロット・○○』がまぁ増えること増えること。このままだと帳面が一冊まるまるシャーロット家なんて日も遠くない気がする。
幸いなのは、僕がしがない配達屋さんとしてしか知られてないこと。いや『雑貨屋兼配達屋』には変な肩書きいらないから当然といえば当然だ。もちろん『白ひげ』や『ドンキホーテ海賊団』との関係がバレそうな気配がしたら全力で逃げる所存。相手はお父さんと同格の四皇の一角であるからして……怖っ。
「やぁ、待っていたよ。ペロリン♪」
船着き場で僕に向かって片手を上げたのは、一見するとピエロと見紛うようなとってもサイケデリックな色彩の男性である。
魔法使いの杖じみたキャンディケインに、お菓子の包み紙みたいな柄のシルクハットは無数のロリポップで飾られている。特徴的なのは仕舞うのが大変そうな口から伸びる大きな舌。
彼こそがシャーロット家お得意様そのいち、ビッグ・マム海賊団の長兄にして『キャンディ大臣』を預かる『シャーロット・ペロスペロー』氏である。
たかだか一介の配達人風情に国のほぼトップがお出迎えに現れるなんて何事だ。お大尽の登場にぎょ、と硬直しているとペロスペロー氏はにんまりと笑っておもむろにキャンディケインを一振りした。
すると、その先端からしゅるしゅると飛び出す飴の縄。見る間に僕の船へともやい綱の代わりに巻き付いたそれは、あっという間に船着き場へと僕の船を牽引・固定してくれる。
ペロスペロー氏は飴を自在に操り望む形を再現できる『ペロペロの実』のキャンディ人間。これくらいの細工はお手の物らしい。
「すみません、お待たせしましたか?」
いつの間にやら出来上がっていた飴細工の架け橋をおっかなびっくり降りつつ尋ねると、ペロスペロー氏は首を軽く振った。
「いいや、私が待ち遠しかっただけのことさ」
能力的なものではなく製菓技術も高いこの海賊団のお歴々はわりと趣味人な傾向がある。たぶん、本当に配達品が待ちきれなかっただけの話なのだろう。
「きみの届けてくれる果実で作るコンフィズリーは最高だからね」
「とても光栄ですが、お褒めの言葉はこの果物の生産者様にお願いしますね」
「くくく、違いない。けれど、きみが運ぶからこそ食材は最高の状態を保てるのだから、そこは誇るべきだよ」
心なし弾んでいるようなペロスペロー氏が話している間に彼が引き連れていた部下たちがきびきびとした動きで配達品を運び出し、彼の前にずらりと並べていった。確認と解除を兼ねて箱を開けると、ほどよく熟れたイチゴが宝石みたいな煌めきを放ちながらお行儀よくぴっちりと詰まっている。
「ふむ」
その中のひとつを無造作に選び取り、尖った爪の目立つ魔女のような指先でつまんで矯めつ眇めつ……この瞬間はいつでも緊張する。お金をもらって依頼を受諾している以上、万が一にも商品に不備なんてあってはならない。
一通り眺めてから、ペロスペロー氏は満足げに吐息をこぼした。
「無傷。相変わらず見事なものだ」
「ありがとうございます」
深く頭を下げる。
航空機のないこの世界には空輸という概念がそもそも存在しない。そのため、製菓材料に使う食材の調達が結構な難事業だということに配達業に携わるようになって気が付いた。
海賊行為だけでアーモンドプードルだのバニラオイルといったお菓子作りのための高級食材なんて到底賄うことができないのだから、ビッグ・マム海賊団が国土を有しているのも当然である。略奪できないなら作るしかないのだ。
「では、こちらに受け取りのサインをお願いします」
「ああ」
ペロスペロー氏はボードに貼った配達票に慣れた手つきでサインをしてから、ふとこちらを見下ろした。
「ところで、先日の話は考えてくれたかね?」
「う」
あまり聞かれなくなかったので、ぎくりと反応してしまう。さてはこれが言いたくて待ち構えてたのか。
実は先日、ペロスペロー氏を筆頭にしたビッグ・マム海賊団の何名かに『御用配達人』になる気はないかと持ちかけられたのである。音に聞こえた将星なんて武闘派で囲まないで欲しい。あれがカツアゲだったら有り金全部はたいていた。御用商人はともかく御用配達人なんて聞いたことがないがまぁ、蓋を開ければ簡単な話。
「知っての通り、製菓材料は鮮度が出来を左右する物が数多く存在する。卵や生乳、傷みやすい桃やこのイチゴなんかもそうだ。この世界で『採れたてのものを時間差なく使える』なんていうのはね、製菓に携わる者にとっては夢のまた夢のような話さ」
新世界の海は不安定なんて言葉じゃ足りないくらいの気候具合で、それに伴って船便での安定供給なんてあまりにも博打要素が強い。しかも、船が揺れれば繊細な食材はそれだけで傷んでしまうし、熟すまでの日にちを逆算して採取するから食べ頃にドンピシャで到着させられるかというのも微妙なところだ。
僕の場合、生産業者からの配達依頼をちゃんと受けるようになってからは収穫したばかりのものをその場で『固定』して箱詰め、運搬してきた。『最高のものを最高の状態で届けたい』というのは職人気質としてごく自然なものであるし、僕としても否やはないので軍曹と一緒に精一杯協力した。協力したのでこの結果だ。どうしよう。
ペロスペロー氏の話はまだ続く。
「それに、材料だけじゃない。ケーキ、アイスクリーム、プティングに……ああ、クーベルチュールチョコレートなんて風味に影響が出てしまうからね。『出来たてのお菓子を時間差なく提供できる』というのも、我々にとっては何より重要なのだよ」
……なんか雲行き妖しくなってきた。
確かに諸島のあちこちで常に作られているお菓子の中にはクッキーやマカロンなどのそこそこ保存可能なものもあるけれど、生菓子も数多く存在する。ある程度は保冷剤などでリカバリーもできるだろうけど、限界はある。
今までビッグ・マムにお菓子届けてください、みたいな依頼が来たことがなかったのは防犯上の話だと思ってたんだけど……これはもしかして。
「わかるかね? きみという存在は、私たちにとって腕のいいパティシエ……場合によってはそれ以上の価値がある。材料はお菓子作りの要。お菓子の鮮度は味の命さ」
キャンディケインがすいっと動き、僕を示す。
「ママにきみの存在を知らせていないのは、まだ『確保』できていないからに過ぎない。美味しいお菓子がとびきり『美味し~いお菓子』に化けるんだ。知ったら最後、ママは絶対にきみを逃がさないだろうぜ。それこそ、おれたちと結婚しろとか言い出しかねないな。ペロリン♪」
「結婚はともかく、脅迫されてるような気がするんですが」
ペロスペロー氏は心外だとばかりに肩を竦めた。
「まさか。ただ、我々が海賊行為をせずにこうして『交渉』している意味を汲んで欲しいとは思っているよ」
「えー……」
紳士的なんだか強引なんだか微妙なラインだが、行動してないだけマシだろうか。
ビッグ・マム海賊団専用の配達人という肩書きは僕にとって特に魅力的とは感じない。むしろ厄介の種にしかならない気がするので遠慮したいというのが本音である。主にお父さんのアレとかドフィとかのソレで。おっかない噂ばっかり聞くしなぁ、ビッグマム海賊団。
「船で寝泊まりしているそうだが、万国のどこにだって家を用意するぜ?」
駄目押しのように一言。
一介の個人営業配達業者にここまで優遇措置をとるというのだから、本当に僕のことを買ってくれてはいるらしい。
ただなぁ……。
「……あのー」
「?」
「『キャンディ大臣』というお役目を預かっている方に言っていいことじゃないとは、思うんですけど……」
さすがにお国を預かる方々のひとりに言うのは憚られて、口をもごつかせる。
「構わない。言ってみたまえ」
視線に僅かな威圧を感じて、仕方がないと腹を括る。
お父さんとかドフィの問題は横に置いても、僕はこの国に定住したいとは思わない。
その理由は。
「僕、この国ちょっと苦手です」
途端、足元からじわりとまとわりつく硬い感触。だから言いたくなかったんだけど。
ペロスペロー氏のキャンディケインから伸びる飴がするすると身体を這い上がってくる。
「……それは、海賊が治めている国だからか?」
シルクハットの隙間から覗く瞳は先ほどまでとは全く違う、それこそ『海賊』としての昏い色を宿してものすごい。
「あ、そこじゃないです」
「は?」
即答すると、ペロスペロー氏は気の抜けた声を漏らした。染み出していた殺気がもろもろと砕けていく。
じゃあどういうことだと言外に問われ、ものすごくしぶしぶと続けた。
「そのー、この国って家とか服とかみーんなお菓子で出来てるじゃないですか。雨かと思えば水飴だし、雪かと思えばわたあめだし」
ペロスペロー氏が『キャンディ大臣』なんて役目を請け負っているのは、万国の建物の窓なんかが彼の管轄だからだ。
ヘンゼルとグレーテルの魔女の家よろしく、この国の建物はほぼお菓子で出来ている。賞味期限切れにはそれを食べ尽くす専用の業者がいるくらいだ。ついでに天候もなぜだか甘い。あとチョコレートの島とか島中がほぼチョコレート製だ。噴水までチョコレートなのだから恐れ入る。
「ああ、それが?」
「居着かない理由、それです」
生まれた時から住んでいれば慣れきっているから気付かないかもしれないけれど、僕にとっては右見ても左見てもお菓子、お菓子、お菓子の匂いのオンパレード。
とても、しんどい。
「甘いものは嫌いじゃないですけど、四六時中チョコレートの香りとかカラメルの匂いに囲まれてると、もう食べる前からお腹いっぱいというか……匂いだけで糖尿になりそうで、ちょっと」
正直、この国のひとは成人病とか虫歯にならないのかたまに心配になる。
鼻が麻痺しきってしまえばまた話は変わるのかもしれないが、年がら年中甘い甘い匂いが充満している島にいるのはそこそこ辛い。僕が船で寝泊まりしているのは、潮風の強い海辺がいちばん匂いが薄いからだ。
「……」
飴の拘束はいつの間にか解けていた。
僕の話を聞くにつれ『え? この世に甘い匂いが嫌いな人なんているの?』みたいな顔で硬直していたペロスペロー氏は、じゃっかん可哀想なものを見る顔になってぽつりとつぶやいた。
「……きみ、糖尿病だったのか」
「いえ。なってないです」
なりそうなのはむしろこの国の国民である。
「……そうか」
なんとも言えない微妙な空気が漂い、とりあえず次の依頼の話になった。
御用配達人の話はうやむやになった。助かった。
砂糖を煮詰める香りって暴力的なまでに甘いですよね
あ、ネタの詳細は主人公設定に追加しました