1.A Lover's Concerto
治療費で路銀が尽きた。
オペオペの実を巡るドンキホーテ海賊団と海軍と、僕ら三人ぼっち(内一名は非戦闘員どころか病人)のパーティで繰り広げられた三つ巴の闘争は、一応僕らの勝ちだと思いたい……で幕を閉じた。
ローも無事にオペオペの実を食べられたようだし、海軍に保護されたとドフラミンゴが言っていたので当面の心配はいらないはず。病気に関しては本人の技倆に期待するしかないが、彼は大した努力家だったのでさほど不安はなかった。
問題といえば、コラソンことロシナンテが『ロー以外に治療されるのイヤ、絶対』と空前絶後のわがままを言うので、僕が『能力』で凍結保存せざるを得なかったことだが、これはローが成長してめでたくお医者さんになれば自動的に解決する話。いや探し出したりなんだりする手間はあるけど。……あと何年かかるんだろう。
そうなると、残った問題は自分自身のことで。
ロシーには及ばずともこっちもわりと怪我人だった。怒濤の展開と脳内麻薬で麻痺してただけだった。
ローに会うにせよロシーを『固定』し続けるにせよ、まずは自分が生き延びないと話にならない。
ゼロ距離で自分に拳銃ぶっ放すなんてキ印入った真似をしてしまったため、入院は避けられず、そうなると身体が資本の賞金稼ぎはお金を稼ぐ手段を失ってしまうということで。
退院してからなんとか節約しつつ移動していたけど、新世界への登竜門もといシャボンディ諸島で遂に資金が底を尽きてしまった。世知辛い。虎の子だった宝石類もローにあげてしまったからすっからかんだ。
シャボンディ諸島は新世界への入口。
有象無象の海賊やら人買いやらがわんさかいるため、賞金稼ぎも困らない環境である。その分レベルが軒並み高いので、体力が回復しきっていない自分ではちょっと相手しきれるか自信がなかった。
しかし、お金がないのは首がないのと同じこと。
要は、島からも出られない。
どうしたもんかとウロウロしている間に道に迷って、ひょんなことからシャクヤクさんという女性と知り合い、彼女のお店で住み込みバイトをさせて頂けることになった。ありがたい。
シャクヤクさん──シャッキーさんが経営しているバーは、ぼったくる雰囲気が全面に押し出されている。とても潔くて好きだ。
そこで僕はお運びさんをしたりお皿洗いをしたり、暴れる海賊を物理で制圧したりついでにぼったくりの手伝いをしたり、と細々した雑用をこなしつつ日々を過ごした。
ちなみに軍曹は夜になると僕の部屋に戻ってくるけど、昼間にどこで何をしているのかはいまいちわからない。
時々、人さらい屋がバカでかい蜘蛛に襲われたとかの噂が流れてきたけれど、いまいちわかりません(すっとぼけ)。
シャッキーさんのお店に訪れるお客様はやっぱり海賊が多いのだけど、たまに凄いひとが来るので油断ができない。
いちばんびっくりしたのは、コーティング屋のレイさんことレイリーさんという初老の男性。なんと彼はかの『海賊王』の副船長だったそうだ。すごい。
コーティングの腕に関しても一流だとのことで、早速お願いした。
シャッキーの従業員から金を取るのはと渋い顔をされたのだけど、さすがにそこまで甘えるわけにもいかない。技術には相応の金額を払うべきだと全力で主張して、割引で引き受けて貰えることになった。
『海賊王』のクルーだったレイさんはなかなか破天荒なひとで、お店に居着いていると思ったらいなくなったりと忙しい。
ようよう体力も回復して、休日には手頃な賞金首を狩り出せるようになり、そろそろコーティング代もできるかなぁなんて思っていた頃。
レイさんがとんでもないお客さんを連れて来た。
「おっ、ミオじゃねぇかどうした? 賞金稼ぎやめたのか?」
「あらミオちゃんと知り合いだったの?」
「うわああシャンクスさん!? お久しぶりです賞金稼ぎやめてません! それより、うで!うで!」
それがなんと赤髪海賊団船長シャンクスさんそのひとで、しかもお別れしている間になにがあったのかシャンクスさんはトレードマークだった麦わら帽子と、片腕を無くしていた。
僕の仰天ぶりにシャンクスさんは喪失した腕の辺りを撫でながら「ああ、これはちょっと色々あってな」と少し笑った。
その笑顔には後悔の欠片も窺えず、ただ満足だけがあった。
そうなると追及なんて野暮天は到底できなくて。
「……いろいろ、あったんですか」
「おう」
「めちゃめちゃびっくりしました」
「だよなぁ」
いつもみたいにだははと笑ってから、シャンクスさんはレイさんとお酒を酌み交わし始めた。
そういえばシャンクスさんも海賊王の元船員。見習い、だったか。尽きぬ話があるだろう。
帰りしな、シャンクスさんが新世界に行くけどついでに送ってやろうかと言ってくれたので、ありがたくお言葉に甘えさせてもらうことにした。
シャッキーさんから餞別に電伝虫の番号をもらい、ちょいちょい顔を出しに来ることを約束した。
シャボンディ諸島はいい狩場かつ海軍本部も近いとあって、情報収集にはうってつけだ。
「あなたの部屋は残しておくから、いつでも来てちょうだいね」
「はい!シャッキーさん、いろいろありがとうございました!」
煙草片手ににっこり笑うシャッキーさんに深く頭を下げてから大きく手を振って、シャボンディ諸島をあとにした。
×××××
モビー・ディック号に帰ったら、心配していたみんなにもみくちゃにされた。
怪我してから連絡こそ取っていたけど、帰れていなかったので当然といえば当然である。平謝りした。帰参が遅くなりまして候。
「なんで弟に会いに行くだけでそんなずたぼろになるんだよい」
「えーと、ケンカ別れしちゃって」
呆れたようなマルコさんに苦笑いしつつ誤魔化した。
実際はケンカ別れ、と称するにはヤバすぎるものだったけれど、濁した。下手に心配されたくない。
マルコさんはふーんとか言って半眼になり、おもむろに僕の左手を掴んだ。長めの袖をくるくるとロールアップされて、手の平に新たに出来上がってしまった小さな痕が露わになる。
「ちょ、」
「姉弟喧嘩で弾痕こさえるほど、物騒な弟か?」
なぜ気付く。
銃弾が一発貫通したせいでどうしても痕が消えずに残ってしまったのだけど、小さいものだからまず気付かれないと思っていたのに。
いえいえあははとか言いつつなんとか引き抜こうとするもののマルコさんの手はいっかな緩まず、むしろ早く言えと視線で急かしてくる。傍目には散歩に行きたくない犬状態だ。とても恥ずかしい。
「これは、そのー、ちがくて」
ヤバイ。マルコさんの気配がめっちゃこわい。
これ以上誤魔化そうとすると物理で聞き出されそうな気がする。いや、あの時は最適解だったんですって。マジでマジで。
逃げたい一心で顔を逸らそうとしたら片手でぐわしと顔面を掴まれ、無理やり視線を合わせられた。ガンを飛ばされているというか、圧力すら感じるくらいの迫力である。ひええ。
「逸らすんじゃねぇよい」
声ひっくい! 怖っ!
指の力が強くなり、頬が潰されてみしみしいってる。これはひょっとして、かぎ爪が出かかっているのでは?頬骨がじんじんしてきた。痛い。
もはやこれまで。
「う、あ、あれです! 自分で誤射しました!」
「はァッ?」
詳細は省くけど、誤射といえば誤射だ。たぶん。地面か空かそうでなければ誰もいないどっかに撃てれば最高だった。
あながち間違ってはいないけどすごくグレーな返事に、マルコさんは納得がいかないのかしかめっ面をしていたけれど、こちらがなんとしても言わないという空気を感じ取ったのか、結局ため息をひとつ吐いてアイアンクローをやめてくれた。
「……おれたちがいないところで無茶ばっかすんじゃねぇよい」
最終的にはデコピン一発で許してくれました。首がもげ吹っ飛ぶような衝撃でした。星が見えた。
それからお父さんのところに行って、報告と話をした。口に出してみると、自分の中でも案外整理がついていないことに気付いて内心驚く。だから、あまり言えることは多くなかった。
弟たちには無事に会えたこと。
色々あってケンカしてしまったこと。
とっても賢くて頑張り屋さんの子供と暮らしたこと。ちゃんと言えたのはそれくらい。
お父さんはまとまっていない話を黙って聞いてくれて、最後に頭を撫でてくれた。
「よく帰ってきたなァ」
ほっとしたような、安堵と心配が混じった声だった。
それで、帰って来れたんだと、おかえりと迎えてもらえたことが実感として浸透してきて、じんわりと目が熱くなった。
ようやく、思ったより長かった『お出かけ』が一段落ついたと思うことができた。
「ただいま、戻りました」
そんな僕を見て頃合いと思ったのか、お父さんはややあってからひとつの提案を口にした。
「なぁおい、ミオ。白ひげを背負ってみるか」
賞金稼ぎとして動いているとき、僕は一切お父さんの名前を出さないし、利用しようと考えたことなんか一度もない。
その分自由だけど、孤独はついてまわる。
今まで、それは必要な措置だった。
だって、ドフィたちがどんな職についているのか分からなかったから。海賊という文言だけで忌避されることがないとはいえない。
けれど、そういう意味で区切りはついた。そう判断したからこそ、お父さんはそう言ってくれたのだと思う。
背負うというのは、白ひげの庇護に入るということ。
守り守られ、家族のように、ではなく──本当の『白ひげ海賊団』の家族として。
居場所にして、いいんだと。
それはとても魅力的な誘いだった。とりわけその時の僕は落ち込んで、しょんぼりしていたことも要素のひとつだ。
実の弟たちが、片方は殺す気で銃把を握り、片方はかろうじて生きているけれど会話もままならない。
だけど、だけど。
無意識に唇を噛んで、拳を握った。
ローのことが頭にちらついて離れない。海軍に保護されたということが事実だとすれば、ローはどこかの片田舎の医者なんて牧歌的な道よりも軍属に入る可能性の方が高い。
「……」
例えば、大きくなったローにいざロシナンテを治療してくださいとお願いしたときに、海賊の言葉を聞けないと突っぱねられたりしないだろうか。
これまでの付き合いでロー本人がそんな事を言い出すとは思えないけど、彼を取り巻く周囲はどうだろう。環境がそれをゆるしてくれるだろうか。わからない。考えすぎなのかもしれない。ただの杞憂なのかも。でも。
自分の選択がロシナンテの命を握っていると思うと、どうしても受け入れることができなかった。
だから考えて、考えて、挙げ句に出てきたのは……わがまま千万なものだった。
「僕、賞金稼ぎのままでいたい。でも、お父さんの子供のままでいたい……それは、いくらなんでもずるいよね」
「べつにずるかねェよ」
お父さんは即答してくれた。
「そりゃ、これまでと変わらねぇってこった」
そう難しく構えんなとお父さんは笑ってくれた。いくらなんでも甘えすぎだろうか、とおそるおそる聞いたら「家族に甘えねぇで、一体誰に甘えんだ?」と不思議そうに返された。
それで、ちょっとだけ楽になった。
僕の悩んでいることは、ちっぽけなものだと思わせてくれた。
「お父さん、ありがとう」